引き離されて

 くそ。俺も力が欲しい。相手を殺してしまうような過剰な力ではなく、退けられるだけの力が。トートゥではなく、シュラーフに書き換わってくれればいいのに。

 着いた。有蓋車だ。


「登ってっ。早くっ」

「ああっ」


 光来は屋根まで続く梯子に手を伸ばし、一気に駆け上がった。肩甲骨辺りにずきんと痛みが走ったが、登ることに意識を集中し無視した。光来が登っている間、リムが射撃を続けて援護した。光来が登り終えるのを確認すると、リムは体操選手が鉄棒の競技でやるように体を回転させて一気に飛び上がった。豹のような身軽さだ。

 間髪を容れずに、リムはベルトから弾丸を一発抜き取った。それは輝きのない銀色とでも言おうか、スチール・グレイの紋様で形成されていた。

 弾倉に込め構えた。この一連の動作に掛けた時間は、一秒掛かったか掛からないかだ。


「こんな野蛮な魔法、本当は使いたくないんだけど」

「リム、どこを狙っているんだ」


 光来が疑問に思ったのは当然だった。リムが銃口を向けているのは自分の足元だったのだから。しかし、リムは光来の声など聞こえないかのように照準を合わせるのに集中していた。


「これで終わりよっ」


 銃口から魔法陣が広がった。鈍かった灰色の魔法陣が、光を帯びることで執事に磨かれたばかりのスプーンのような眩しい銀色に変化した。

 発射され、魔法陣は拡大しながら宙に消えた。リムが狙撃したのは連結器だった。着弾した弾丸からも魔法陣が広がり、輝きを失いながら四散した。

 ピシッと音がしたかと思うと、連結器の表面にヒビが入った。そのヒビは氷の表面を這う亀裂のように瞬く間に広がった。過酷な力の負荷にも耐えられる強度を有するはずの連結器が、まるで充分に冷やされた板チョコを割るように、パキンと音を立てて砕け散った。

 光来は目の前で展開される光景に、改めて驚愕した。

 この目で見ても信じられない。本当に魔法だ。


「ツェアシュテールング。その効果は破壊っ」


 連結器が壊れ、牽引力をなくした後方の車両が徐々に減速していった。光来は身を低くしながら銃を構えた。撃つつもりはない。こうして威嚇していれば迂闊には近づいて来られないはずだ。なにしろ一発当たってしまえば、有無を言わさず死に繋がる呪われた魔法なのだから。

 後ろの車両との間隔が三メートルほど開いた。動く影は見当たらない。物陰に隠れて様子を窺っているに違いない。もう、助走して勢いをつけても飛び移れないだろう。

 光来は、肺の中に溜め込んでいた空気を絞り出すように長く息を吐いた。安堵で緊張が解ける。今頃になって足から力が抜ける。意識から外していた背中の痛みも激しくなってきた。


「立てる?」

「大丈夫。でも、さすがに疲れたかな」

「待って。治癒の魔法を仕込んだ薬があるの。今、取り出すから……」


 リムの動きが止まった。緊張から開放され弛緩したはずの表情が再び強張る。

 光来も同様だった。もう安心してもいいはずなのに、胸に嫌な感覚が往来する。姿は見えないのに、確実にこちらを狙っている視線を感じる。凄まじい気の呪縛を背後に感じた。

 まさか……?

 光来とリムが振り返るのは、ほぼ同時だった。


「なにぃっ、こいつっ⁉」


 そこにはケビン・シュナイダーが立っていた。

 こんなこと不可能だ。いつの間に回り込んだ? まさか、走っている列車の側面にしがみついて背後に回ったというのか? もし落ちてしまったらという恐怖はなかったのか? 厄介だと思っていたこの男の恐ろしさを、まだ見誤っていたというのか。


「きさまっ」


 リムが、ホルスターに収めた銃を再び抜いた。

 しかし、銃口を向ける前にケビンの蹴りがリムの腹にまともに入った。


「ぐえっ!?」


 その威力は凄まじく、リムの体は後方にふっ飛ばされた。


「えっ?」


 なす術もなく、光来の口から漏れたのは間抜けな疑問符だった。 

 苦悶の表情を浮かべながらも、リムは宙で銃を構えケビンに向かって発砲した。そして、その瞬間、リムの拳銃にヒビが入りバレルが鈍い音を立てて割れた。リムの顔が苦悶から驚愕に変わる。さっきツェアシュテールングの魔法を受け、砕けた連結器と同じような壊れ方だった。

 ケビンが僅かに反るように体を傾け避けた。青白い軌跡を残し、リムが放った弾丸は闇に消えた。


「リムッ」


 目の前で起こった事態に、やっと光来の脳が反応した。幸運なことにリムは真後ろに蹴り飛ばされたため、離れつつあった後方の車両に落下した。シートに包まれているので中身は知りようもないが、積まれていた貨物は弾力のあるものだったらしく衝撃を和らげてくれた。リムの身体が軽くバウンドして床に転がった。

 光来は安堵したが、それも一瞬だった。ケビンの突き刺すような視線を受け、自分でも情けないと思うくらいに膝が震えた。しかし、もうここには二人しかいない。

 一対一。

 リムが離れてしまった今、一人でこの男に立ち向かわなくてはならない。光来は萎縮する心を自ら叱咤し、懸命に踏ん張り対峙した。 


「恐ろしいな。撃ち出した銃身をも破壊するとは。トートゥという魔法は、とんでもない魔力を秘めたものだったらしい」

「ふざけるな。かの……彼はトートゥなんか使っていない」

「使ったのは彼じゃない。きみだ」


 その指摘が、光来に昼間の出来事を思い出させた。そうだ。俺はリムの拳銃を使って決闘をし、撃ち出した弾丸はトートゥだった。あの時点ですでに影響が生じてしまったということか。

 少なからずショックを受けた光来とは対象的に、ケビンは飽くまで冷静に振る舞う。


「私の仕事は人々の安全を守ることだ。だから、人より多く揉め事を経験している。こういう時にいつも考える。勇気という言葉を最初に使った者はどんな人物だったのかを」

「?」

「勇気という言葉を考えだしたということは、その者は勇気の概念を理解し、持ち合わせていたに違いないからだ」

「なにを言っている?」

「勇気を理解している者は、恐怖を超える精神力を持っているということだ。きっと、勇気という言葉を最初に使った者は、ものすごい強靭な精神の持ち主だったと思う」

「…………」

「随分お喋りだと思っているんだろう? 正直に言おう。ワタシはきみが怖い。トートゥなどという、とんでもない魔法を何発も所有しているなんて、今まで相手をしてきたどんな敵よりも恐ろしい。手を伸ばせば届くくらい近くで向き合っている今、こうして喋っていないと竦み上がってしまいそうなんだ」


 光来は、ケビンの台詞に意外な驚きを受けた。

 恐ろしい? この凄腕の保安官が俺を怖いって? 彼からしてみれば、俺はどう見てもそこら辺にいるただのガキだ。それなのにまったく油断せず、逆に警戒している。それは凄く厄介で、肝に銘じなければならないことだ。

 それに今、敵と言った。敵。恨みのある相手。害を与える者。十七年間生きてきて、反りが合わない者はいた。同じクラスでありながら一年間まったく会話もしなかったヤツや、お互いに無視し合っていたヤツ。しかし、真っ向から敵と言われたのは生まれて初めてだった。俺は彼にとって戦うべき相手だというのか?


「しかし、だからと言って見くびらないでほしい。最初に勇気の話をしたのはその為だ。怖がっている者が必ずしも勝負に敗れるとは限らない。戦う前に自分は負けるかもしれないと思っている者は、敵にではない。己の心に負けているのだ」


 二人を包む空気が変わった。


「キーラ。きみはどうだ?」


 ケビンは、問うと同時に銃を抜き一発ぶっ放した。超至近距離からの一撃だ。発生した魔法陣の輝きから、それはブレンネンではなく、シュラーフの弾丸だとわかった。


「うおっ⁉」


 雰囲気の変化をいち早く察知した光来はぎりぎりでかわした。弾丸は光来の耳元をかすめていった。耳が削げ落ちたんじゃないかと思うほどの衝撃だ。

 魔法がどうこう以前に、こんな威力の弾丸に当って無事で済むのか?


「くそっ」


 光来も銃をケビンに向けるが、空手の廻し受けのように払い除けられてしまった。予想外の鋭い衝撃に、思わず銃を落としそうになる。

 こいつ、銃を使わなくても強い。格闘戦にもっていかれたら勝ち目はない。なんとかして、間合いをとらなくては。

 光来は、身を低くし足払いを仕掛けた。それを読んでいたように、ケビンは素早く一歩後退した。しかし、光来の狙いは転ばせることではなかった。今度は払い除けられないように、肘を折り、両手を使って胸の前で銃を構えた。

 トートゥの特徴である、漆黒の魔法陣が銃口浮かび上がる。


「うおおっ!」


 ケビンは身を捩らせながら発砲するが、無理な体勢からの射撃なので当たるはずがなかった。

 光来はすかさず身を翻し、進行方向に向かって駈け出した。


「うっ?」


 ケビンの戸惑いを尻目に、光来はひたすら走った。初めから撃つ気はなかった。仕掛けた足払いは、ケビンと少しでも間合いを広げて、逃げ出す機会を作ることが目的だったのだ。

 絶対に当てないで。飽くまで威嚇用に使って。

 リムの言葉が脳裏を過る。彼女は無事なんだろうな。幸運にも貨物の上に落下してくれたが、ケビンの蹴りは相当威力があった。ケガなどしていなければいいのだが。

 それにしても、今のケビンの慌て方。俺を恐ろしいと言っていたのは嘘ではないようだ。一撃必殺の魔法にはそれだけの脅威がある。どんなに屈強な者でも防衛本能が反応してしまうのだ。目の前に強化ガラスが設置されているとわかっていても、野球のボールを思い切り投げてぶつけられたらとっさに避けてしまうのと同じだ。

 しかし、どうする? このまま走り続けても、いずれ先頭車両にたどり着き逃げ場を失ってしまう。トートゥしか撃てず、格闘戦では到底勝てない俺がこの危機を脱するには……? くそっ、車両を切り離したのが裏目に出てしまった。せめてリムと合流できれば。

 考えが纏まらないまま、光来は月明かりの下を走り続けた。

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