銃と魔法と臆病な賞金首

雪方麻耶

プロローグ

 素早く駆け抜ける風を身に受け、肌寒さを感じた。ついこの前までは、いつまで残暑が続くんだと埃っぽい熱気とべたつく汗に不満をもらしていた。しかし、今年も秋はきちんと巡ってくれるようだ。

 高志たかし は振り向き、妻のあや に声を掛けた。言うやいなや返事も待たずに歩き出した。

 ここは東京23区中でも最大規模の面積を誇る公園だ。まるで街中に郊外の自然を丸ごと移植したような景色に魅入られ、高志は独身時代から何度も通っている。特に人気のいない朝の静けさがお気に入りで、居住地から車で20分ほどと気軽に来られることもあり、結婚してからも綾を誘って頻繁に訪れている。

 今日も、休日だというのに6時に起床し7時には家を出た。公園内はまったくの無人というわけにはいかなかったが、まばらに行き交う人々が却って安心感を与えた。犬を連れて散歩を楽しんだり、ジョギングで汗を流している人が散見され、皆が季節の移り変わりを楽しんでいるように見えた。


「森の中にベンチがあったから、そこで朝ごはんにしましょう」


 綾が何気なく手を伸ばしてきたので、高志は少し照れながらその手を握った。今では、綾もこの公園のファンになってくれたようで、わざわざ早起きして弁当まで作ってくれる。独身時代には味わえなかった幸せな時間だ。

 月曜になれば、また仕事に追われ多忙な時間に身を投げなくてはならない。しばらく、二人だけの時間を楽しみたい。踏みしめるようにゆっくりと歩いた。


「あら?」


 綾がふいに声を上げたので、思わず立ち止まった。


「どうした?」

「あそこ……」


 綾が森の奥のほうを指差した。まるで綾の指先が誘うかのように一陣の風が吹き抜け、メタセコイアの森がざわついた。

 指差した方向に一人の男の子が座り込んでいた。少年と呼ぶにはまだ幼い、三~四歳くらいの子だ。木漏れ日のせいか、そこだけスポットライトが当たっているかのようだ。光が集まっているみたいに錯覚する。

 よく見ると、男の子は蹲って体を震わせている。泣いているようだ。


「迷子かな?」

「うん……。でも、なんか様子がおかしくない?」


 綾の言っていることは、すぐに理解できた。男の子は、妙に薄汚れていて、着ているものもあまり見掛けない服だった。いや、それより……。

 高志の心は一気にざわついた。


「おい、あの子、ケガしてないか?」

「大変!」


 二人は同時に駆け出した。こういう時に男女の差が出る。先に男の子の元に駆け寄り手を差し伸べたのは高志の方で、綾は少し遅れて駆けつけた。


「君、大丈夫か? お父さんかお母さんは?」


 高志は声を掛けながら、出血している箇所を確認した。擦り傷や切り傷が体の至る箇所に見られたが、いずれも浅く、大ケガというほどではないようだ。ほっと胸を撫で下ろすが、同時に、それにしてもという疑問も湧いて出た。周囲を見渡しても、親らしい人物はいない。


「大丈夫なの?」


 息を切らしながら、綾が尋ねた。


「ああ、救急車が必要というほどではないようだけど……」

「ねえ、ボク。パパとママはどこにいるの?」


 高志と同じことを訊いた。男の子は、泣きじゃくるばかりで、質問に答えようとはしない。


「一人で来たの?」


 返事はない。


「おうちは? 近くに住んでるの?」


 やはり、泣くばかりだ。どうやら、質問を受け付けられる状態ではないらしい。

 こんな年端もいかない子を放置するなんて……。

 高志は、下腹部にメラッと熱いものを押し付けられたような昂ぶりを覚えた。


「あなた、公園の事務所に連れてったほうがいいんじゃない?」

「あ、ああ……そうだな。ボク、立てるかい?」


 高志の声に応えるように、男の子は初めて顔を上げた。顔にも擦り傷や切り傷があり、泥と草が付いて汚れていた。目からは止めどもなく涙が溢れて流れ出ていたが、その瞳から力強さを感じたので、高志は意外に思った。


「立てるかい?」


 繰り返したが、男の子は高志と綾を見つめるばかりだった。


「よし、おじさんがおぶってあげるよ」


 少し強引に立たせ、綾に手伝ってもらい背負った。子供がいない高志は、重いのか軽いのか判断がつかなかったが、男の子の体温を感じ、奇妙な責任感を感じた。これが父性というものだろうか。


「行こう」

「ええ、急いだほうがいいかも」


 二人で歩いてきた道を戻った。男の子の重さを感じつつ、高志は、もしかしたら警察に来てもらうことになるんじゃないかと思った。彩もしきりに男の子の頭を撫でて、安心させようとしている。

 波立つ二人の心情とは裏腹に、朝の公園は静かだった。そよ風が吹いて、小鳥がじゃれるように空を飛び交っていた。柔らかい日差しが降り注ぎ、敷地内全体が平和な雰囲気に包まれていた。

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