新たな一歩

 リムの過去を聞き終わっても、光来はすぐにはなにも言えなかった。内容が大きすぎて、言葉が見つけられなかったのだ。


「あの日を境に、父は変わったわ」


 慰めは期待していないのか、リムは淡々と続けた。


「笑わなくなった。それまでは誰に対しても親切で、魔法の研究も人の役に立てればと思って続けてきたのに……あの惨劇を見てからは復讐のためだけに生きるようになった。娘であるワタシですら、怖くて近づきがたい雰囲気を纏うようになったわ」

「その……お父さんは今は?」

「死んだわ」


 光来の質問に、リムはなんでもないように答えた。まるで「明日の天気は?」と聞かれて「晴れみたい」と応えるような、なんの感情も篭もらない味気なさだった。


「言ったでしょう。復讐のために生きるようになったって。研究一筋だった父は、それまでの生活をすべて捨ててグニーエの行方を探した。あらゆる方法で情報収集したの。足繁く酒場に通ったり、宿屋で旅人から話を聞いたり、お金を払ってやばい連中から買ったりね。あれだけの魔法を発動させた奴だもの、その魔力は凄まじいに違いない。普通に生活してたって、どうしても目立って噂の一つや二つは流れるわ」


 しゃべり疲れたのか、リムは立ち上がって水差しからコップに一杯注いだ。「キーラは?」と聞いてきたので、貰うことにした。

 リムは今しがた水を注いだコップを光来に渡して、改めて自分の分を注いだ。一度深く息を吐いてから一気に飲み干した。もう一杯用意して傍らに置いてから話を再開した。


「そして、とうとう入ってきたの。魔人の噂が」

「魔人?」


 実に単純な二つ名だと思った。しかし、シンプルなだけに、その禍々しさがストレートに伝わってきた。


「その桁外れの魔力から、そう呼ばれるようになってたのよ。グニーエは」


 リムは忌々しく吐き出し、話を続けた。


「変わってしまった父だけど、その噂を耳にしてからは拍車が掛かったわ。執念の権化といった感じで……ワタシを親戚に預けると、ひとつ頭をなでて出て行った。必死に止めたんだけど、どうしてもきいてくれなかった。すでに復讐を果たすことだけが支えになっていたんだわ」


 リムは寂しげに唇を曲げた。娘よりも復讐の方を選んだ父に対して、憐憫に似た感情を抱いているようだ。それとも、恨み侘ぶ気持ちなのか。


「それで……返り討ちにあったということか」

「そう、だと思う。と言うのは、状況がよくわかっていないからなの。父はグニーエが潜んでいる場所まで案内人を雇ったんだけど……その人はワタシたちの街での悲劇を知っている人だったらしくて、父に協力的だった。それで、案内が終わっても帰らないでことの成り行きを見守っていたのね。本人は万が一の場合は助太刀するつもりだって言ってた。それで、ここからが問題なんだけど……」


 リムは、再び水を一口飲んだ。


「その案内人、バナースタって人なんだけど、父がグニーエを小屋まで追い詰めたところまでは目撃していたの。父はグニーエの血で汚れて、鬼のような……そんな話はどうでもいいわね。とにかく、グニーエは血まみれになりながら、一人息子と一緒に逃げ込んだのよ。普段から研究に使っていた小屋にね。父も続けて押し入ったんだけど、そのすぐ後、すごい悲鳴が聞こえてきたんだって。二人の男の声が聞こえたって言ってたから、父とグニーエの両方が叫んだことになる。それで、慌ててバナースタも小屋に飛び込んだら、すでに父は絶命していた」


 リムの話を聞いてて、息苦しくなった。光来も水を飲んで喉を潤した。


「……でも、小屋の中にいたのは父だけで、グニーエとその子供は忽然と姿を消していたのよ」

「えっ?」

「小屋の中には父の亡骸だけが倒れていたのよ」

「つまり、グニーエたちは逃げたってことか?」


 リムは首を横に振った。


「違う。言ったでしょ。忽然とって。バナースタの話では逃げたところなんて見てないというの」

「じゃあ、裏口から逃げたんだ」

「違うの」


 何度教えても算数の足し算が解けない子供を相手にしているように、リムの口調に苛立ちが加わった。


「そうじゃない。その後ワタシも現場を見に行ったけど、その小屋は半分岸壁にめり込むように造られていて、裏口なんか存在してなかった。もちろん、地下室とか秘密の扉とかもね」

「じゃあ、どうやって逃げたって言うんだ。話を聞く限りじゃそんなこと不可能だよ」

「扉に例の魔法陣が焼き付いていたわ。ワタシたちの街が消滅した時に、グニーエの家に微かに残っていたやつが」


 扉に魔法陣?


「どうも、よくわからないんだが……その魔法陣と街の消滅やグニーエが消えたことに、なにかしらの関係があると?」

「あくまで推測なんだけど、グニーエは古代の魔法からワタシたちが知らない魔法を発掘したんだと思うの。父が止めさせようとしていたのは、古代魔法を発動させることだったんだわ」

「古代魔法……つまり、それを使えば、瞬間移動とかが可能になるってわけか」

「推測よ。あくまで推測。そんな魔法聞いたこともないし……でも……」


 俯き気味に話していたリムが、目に力を込めて光来を見つめた。


「キーラ。あなた言ったよね。違う世界からいきなり来たって。それって、グニーエ親子が突然姿を消したのと反対で、状況的には似てると思わない?」


 いきなり話を振られたので、返事に窮してしまった。

 今までは、悲劇ではあるがどこか対岸の火事のように聞いていた。しかし、突然その燃える地に放り込まれたような、強引に当事者にされたような展開だった。

 リムは、光来の返答を待たずして続けた。口調に熱を帯びていた。


「最初は見たこともないアイテムを手にしているのが気になってあなたに近づいたわ。でも、話を聞いてなにか大きなヒントを掴んだようなような気がする。さっきあなたが重要な存在になるかもって言ったのは、そういう意味よ」

「いや、ちょっと、ちょっと待ってくれ」


 光来は、掌をリムに向けて制した。


「俺は自分の身になにが起きたのかすらわかってないんだ。なんで、いきなりこんな世界に来てしまったのか。だから、強引に関連付けられても困るよ」

「でも、なんの理由もなしに異世界から飛ばされてくるなんてあり得ないでしょ? 絶対、なにかの因果関係があるはずなのよ。例えば、グニーエがどこかで古代魔法の実験を続けていて、その影響で引っ張られてしまったとか」

「なんで、それが俺なんだよ」

「だから、細かいことなんてわからないわよ」

「リム、きみには悪いけど俺はグニーエなんて奴とは無関係だし、その古代魔法とやらも信憑性が薄いと思う。やっぱり、バナースタが逃げた瞬間を見逃したってだけの話だよ」

「違う。だとしたら現場に残されてた魔法陣の謎が残る」

「それはあれだ。グニーエは研究を続けていたんだろ? きっと研究の過程で焼き付けられたもので、ずっと前からあっただけの話だよ」

「違う違う。ワタシはずっとグニーエを追い続けているのよ。それに関する事柄に敏感になっているわ。そのワタシの勘が囁くのよ。あなたがグニーエに通じる存在だって」

「滅茶苦茶だ」

「いいえ、もう決めたわ。キーラ。あなた、ワタシと一緒に来なさい。二人で行動を共にすればワタシはグニーエにたどり着けるし、あなたも元の世界に帰れる方法がわかるかも」


 光来は、内心困ったことになったと思った。

 リムは少し冷静さを失っている。いくらなんんでも強引過ぎる。自分の都合のいいように、事実を捻じ曲げて受け入れてしまっている。ここまで入れ込んで、やっぱりなんの関係もなかったなんてことになったら、大きなトラブルに発展しそうな予感がした。


「いや、やっぱりダメだ。きみとはここで別れる」


 光来の台詞に、リムは一転して冷めた視線を送った。


「ふーん。じゃあ、これからどうするつもり?」

「どうするって……そりゃ、元いた世界に帰れる方法を見つけて……」

「それって一人でできる? この世界のことをなにも知らないあなたが。知らない言葉だってたくさんあるだろうし習慣だって違う。大体、魔法すら知らないんじゃお話しにもならない。今日みたいにトラブルに巻き込まれてどこかで野垂れ死ぬのがオチね」


 光来は反論しようとしたが言葉が出てこなかった。ずいぶんとひどいことを言われている気がするが、リムの言うことはもっともだった。自分一人ではなにをどう調べればいいのかすらわからない。うろうろと路頭を彷徨い、なんの情報も得られないまま時が過ぎ、こっちの世界で一生を送る羽目になりかねない。


「言っておくけど、ワタシは方々で噂を拾いながら旅を続けてきたの。いきなり違う世界から迷い込んだ人の話なんて、聞いたことがない」


 リムは追い打ちを掛けるようなことを言う。


「いや、しかし……」

「ワタシと一緒にいれば少なくとも野垂れ死ぬ心配はなくなる。それにさっきも言ったけど、あなたが帰る方法とグニーエの行方にはなにかしらの関係がある。たどる道は同じなのよ。一人より二人のほうがいいわ。絶対」


 リムは光来が発言するのを遮るように続け、絶対という部分に力を込めて力説した。強引ではあるが、その言い分はまったくの的外れではないような気がしてきた。元々、力技で押されるのに弱い性格なのだ。

 興奮しているのかリムは身をかがめて顔を近づけている。それだけでも照れてしまうのに、胸の谷間が飛び込んできた。光来は目のやり場に困ってしまい、視線が定まらなかった。


「なにソワソワしてるの?」


 光来は挙動不審を指摘され、ますます落ち着きがなくなってしまった。こんな状況でなにを考えているんだと自分を叱責したくなる。


「わかった。わかったよ。一緒に行こう」


 光来は、つい吐き出すように言ってしまった。しかし、その判断は間違っていないと思った。今の説得には頷ける部分が確かにある。

 光来の返事に、リムはにっと笑った。暗い過去を話した後とは思えない、素直に素敵だなと思ってしまう笑顔だった。この笑顔を取り戻すのに、どれほどの歳月が必要だったのか。


「決まりね。これからはパートナーよ」


 手を差し出された。握手ということか。そういった習慣はこっちも同じなんだなと思いながら、光来はリムの手を握った。リムの手を握るのは、これで二回目だ。女の子らしい華奢な手だったが、どこか硬いというか、自分では耐えられないような苦労してきたんだなと思ってしまう感触だった。

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