ついてない二人とついてる二人

 二人は時計塔を出る準備を始めた。と言っても荷解きするほどの荷物なんてないし、その少ない荷物は部屋に入って床に放り投げたままだ。

 リムの提案に従い、とにかくこの街を出ることにした。光来は留置所から脱走した身だし、リムもこの街では情報収集を終えていた。聞けば次に立ち寄る『ラルゴ』という街こそが当面の目的地とのことだった。

 彼女の話によれば、目ぼしい噂を聞きつけてはそれがグニーエに関係ないか確認しながら旅を続けていたとのことだ。今まで空振りばかりだったが、光来の出現は大きな前進だと手応えを掴んでいるらしい。


「待てよ。ということは……」


 光来の頭に、一つの疑問が浮かび上がった。


「酒場でさ。あいつらが言ってたじゃん。街でなにかを嗅ぎ回っているよそもんがいるって。あれってきみのことじゃないか?」


 リムはぴくっと肩を震わせたが、無言のままやり過ごそうとした。


「じゃあ、俺はきみのせいであんな危なっかしい連中に絡まれたのか? きみはそれを知ってたの?」


 じとっと光来を睨みつける。しかし、光来の口は止まらなかった。


「ひどいな。だったら、それは自分だって名乗り出てくれても……」


 リムが顔を赤くしながら言い返してきた。


「だから、ちゃんと助けたでしょ? 少なくともあの二人組からも留置所からも。貸し借りはなし」

「そういう問題じゃ……」

「うるさいわね。細かいことをうじうじと。そんなんじゃモテないわよ」

 光来は、自分の気弱な性格を突かれたようで、少しカチンと来た。

「関係ないだろ。これでも元の世界じゃ黄色い歓声を受けてたんだ」


 ゲーセンでだけだったけど、という台詞は心の中で言った。


「ふーん……そうは思えないけど。それより、もう準備はできた?」

「できたけど……」


 余計なことを思い出したため、話が逸れ気まずくなった。酒場での出来事なんて、蒸し返さなくてもよかったのだ。考えなくちゃならないのはこれからのことだ。

 仕切り直しの意味も込めて、光来は一つ咳払いをした。


「今、外に出て大丈夫かな?」

「あと一時間は大丈夫」

「さっきもそんなこと言ってたけど、例の眠る魔法を食事に仕込んだんだろう?」

「本当に細かいことに拘る男ね。そんな些細なことはどうでもいいの。大事なのは無事にこの街を出ることなんだから」


 バツの悪そうな顔を見て、光来は自分の推理が当たっていたと確信した。しかし、追求するつもりはない。リムの言う通り、ここは逃げることが優先だ。


「わかってるよ。行こう」


 ドアノブに手を掛ける光来とは逆に、リムが窓枠に手を掛けた。


「え? 窓から出て行くのか?」


 光来の驚いた様子に、リムは「なにを当たり前のことを」という表情を見せた。

「チェックインしてから数十分しか経っていないのよ。当たり前に出て行ったら何事かと思われるでしょ。不審に思われたら面倒だから、黙って消えるのが一番安全なのよ」

「そっか。そうだよな。ご休憩と思われるのもなんだし……」

「なに? ご休憩って」

「いや、なんでもない。早く行こう」


 リムは少し首を傾げて、窓枠に足を乗っけて身を乗り出した。女の子とは思えない身のこなしだ。しかし、その動きが途中で止まった。


「どうしたの?」

「しっ。黙って」


 リムが慌てて体を引っ込めて外の様子を伺った。釣られて光来も横から頭を出した。


「げっ」


 すぐ前の通りに、保安官の姿があった。背筋をピンと伸ばし、いつでも臨戦態勢に入れる緊張感を漂わせている。ただ歩いているのではなく、明らかに不審者を探している動きだ。

 目を凝らしてよく見てみると、見覚えのある顔だった。間違いない。事務所で眠りこけていたうちの一人だ。


「なんで? あと一時間は大丈夫だって……」

「きっと、誰かが目を覚まさせたのよ。アウシュティンでね」

「誰かって……」

「考えられるとしたら、あのケビンとか言う保安官ね。さっき、保安局にいなかったでしょ」

「あのおっさんか」


 たっぷりと尋問されたことを思い出し、光来の気持ちが重たくなった。どうも、あの男とは相性が悪いようだ。

 街から脱出しようとした矢先に出鼻を挫かれ、光来はツキのなさが続いているのかと不安になった。


「で、どうする?」

「どうするったって……」


 リムはしばらく外に視線をやり、そして決意したように光来を見た。


「とにかくここからは出ましょう。街の外に出られる街道は、もう封鎖されていると考えたほうがいいわ。まずこの街から出られないようにして、それから宿という宿を虱潰しに調べるはずよ」


 言うが早いが、リムは窓枠を思い切り蹴って飛び出した。この部屋は二階だが、まるで猫のような身の軽さで音も立てずに着地した。振り返り光来にも早く来るように腕を振った。

 ぎええ。

 光来は心の中で悲鳴を上げたが、ここでもたつく訳にはいかない。足を挫かないように用心しながら、リム目掛けて飛び降りた。着地と同時に膝を折り、衝撃を吸収しながら転がった。


「おお……」


 華麗とはとても言えないが、ケガはしないで済んだことに自分を褒めたくなった。

 どうよと言わんばかりにリムを見たが、彼女は意にも介さないで繁華街に目を向けている。


「早く行きましょう。こんな所にいたんじゃ、見つけてくれって言ってるようなもんだわ」

「とりあえず、どこに向かう?」

「繁華街に行きましょう。人混みに紛れれば、いくらか考えるための時間稼ぎができる。そういえば、ワタシ夕食食べ損なっちゃんだけどお腹へってない?」

「もうペコペコだ」


 二人揃ってにっと笑い、駈け出した。

 光来は不思議に思った。さっきまでは一口も喉を通らなくて、水ばかり飲んでいたのが嘘のように食欲がある。リム。この娘と一緒にいるせいだろうか。リムは俺のことを道標と言ったが、それは自分にも言えるのかもしれない。

 光来はリムと出会えたことに意味を見い出しつつあった。




 時計塔の周囲は品のある静けさだったため、もう夜も更けたと思っていた。しかし、それは勘違いだったようだ。

 繁華街にはまだ人が溢れかえっており、人々の楽しげな笑い声が飛び交っていた。酒を入れてご機嫌になったサラリーマンが大声で話している。そんな感じと似ていた。日中とは違う陽気なエネルギーが溢れ、より開放的になっていた。

 光来とリムは、酒ではなく料理に力を入れている店を選んで入った。万が一にも昼間のようにガラの悪い奴らに絡まれないようにと、用心してのことだ。今は些細なトラブルにも巻き込まれてはならない。

 外から見た店内の雰囲気だけで店を選んだ。待たなくてはならないほど混んでいたり、客が下品に大声で笑ったりしていない店だ。入店すると、すぐにウエイターに案内され、二人掛けのテーブルに腰を落ち着けた。位置的には店の奥の方だ。

 リムは男装を解いているし、光来もこの街ではありふれたウエスタンファッションなので、一目で見破られることはないだろう。それでも窓際よりはずっと安心感があった。

 光来は字が読めなかったので、注文はすべてリムに任せた。

 空腹も手伝ってか、運ばれてきた料理はどれも美味しかった。中には未体験の食感の肉なんかもあったが、敢えて材料は聞かなかった。途中でネィディ・グレアムのことを思い出し、料理を口に運ぶ手が鈍くなったりもしたが、数時間が経過しショックが和らいだのと為すべきことがある行動原理があるのがよい効果をもたらして、食欲が落ちることはなかった。


「美味い」


 光来は、生きている限りどんな状況においても腹は減るんだな、などと感慨に耽ったりした。

 食後にはデザートと飲み物を注文した。食事が済んだ頃には、急いで行動した方が危ういと開き直る気分だった。

 甘いものも嬉しかったが、それ以上に感激したのは飲み物の方だった。コーヒーが出てきたからだ。光来はコーヒーには拘っていて、インスタントなどではなく、自宅の近所にある専門店から豆を購入している。種類は南アフリカや南米で採れたものを好み、焙煎はシテイローストで注文する。

 高校生が生意気にと思われるかもしれないが、将来の夢の中にはコーヒー豆を仕入れて販売する店を持つとか、喫茶店のマスターなんかも候補に入っているくらいで、自分なりの知識を仕入れていた。

 思いがけない幸運に舌鼓を打つも、二人の会話少なめだった。この街からの脱出を図る逃走経路を考えているせいだ。さっきまで拘束されていた保安局の規模から推察すると、何百人もの目を掻い潜らなくてはならないということはなさそうだが、リムの話では街から出るための街道は東西南北の四本に加え、細い路地が数本通っているのみだということだ。

 それ以外は、険しい山やら大きな川に阻まれて、容易には越えられないようになっている。つまり、街から出る者をチェックするには、数人から十数人居れば事足りるということだ。


「やっぱり、少しくらい険しくても山中を突破するのがいいじゃないか? 夜の山なら見つかる心配も少ないだろ?」

「駄目よ。恐ろしい獣が徘徊してるし、その獣を捕獲するための罠も仕掛けられている。下手したら、保安官を相手にするより厄介よ」

「…………」


 考えを巡らせながら、アップルパイのようなデザートを口に運んで咀嚼していると、少し離れた席に座っている一組のカップルが、光来の目に入った。

 特に目立つ二人ではないのだが、なんとなしに気になって意識してしまった。女性がお洒落しているのに、男性の方は薄ら汚れた服を着ているので、アンバランスさが目についたのかも知れない。

 一度気になると、それまで素通りだった二人の会話が妙に耳に浸透してきた。


「それじゃあ、また発たなくちゃいけないの?」

「そうなんだ」

「そんな……今夜はゆっくり二人で過ごせると思ってたのに」

「本当にごめん。でも、明日の朝までにラルゴに物資を運び入れないといけないんだよ」


 男の台詞を聞いて、光来は思わずリムを見た。リムの耳にも入っていたようで、デザートにフォークを突き刺したまま動きを止めている。

 ラルゴ。まさに二人が行こうと思っていた街でリムが次の目的地としていた場所だ。

 聞くともなしに聞いていた会話だったが、改めて耳に意識を集中させた。


「でも、この前は休みが取れるって……」

「それが、ソーチの奴がさ、この前会ったろ? あいつ。あいつが風邪ひいちまったらしくて、今朝から休んでるんだ。さっき見舞いに行ったけど、今夜も無理そうって言うからさ。俺が代わりだ」

「そんなぁ」

「埋め合わせはするからさ。今夜はこの食事だけで勘弁してくれ」


 光来は、二人の会話から大体の背景を理解した。そして女に向って強く念じた。

 我儘言うのはそのへんにして、肝心なことを訊いてくれ。

 光来の念が通じたのか、女性の口から望んでいた台詞が発せられた。


「何時までいられるの?」

「出発するのは十二時丁度だけど、荷物を積まなくちゃいけないから、十時には駅に戻らないと」

「え~。あと一時間もないじゃない」


 光来とリムは、打ち合わせたように同時に立ち上がった。

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