サンドウィッチとおしゃべりなウェイトレス
目立たないように、敢えて大きな通りは避けて街を練り歩き夜を待った。これだけ大きな街ともなれば、路地裏でもそこそこの人通りはあり、情報を得ることができる。場合によっては、日の当たらない路地裏だからこそ聞ける話もある。
目の前を猫が横切った。艶のある毛並みが見事な黒猫だった。いきなりのことだったので、思わず声が出そうになる。すんでのところで堪え「驚かさないでよ」と文句を言った。
昼間、酒場で光来に詰め寄った少年は、今は丈の短いスカートを用いたスチームパンクファッションを纏っていた。
どこから見ても可憐な少女であり、日中とはまるで雰囲気が違う。それなりの緊張感は漂わせてはいるが、男装の時ほどの鋭さは感じられない。考えようによっては、そっちの方が怖いとも言えるのだが。
光来に名乗ったギム・フォルクというのは、男装している時に使っている偽名だった。彼女の本当の名は、リム・フォスターといった。
あの時、目が覚めた後、光来に注目が集まっていた隙に逃げ出した。自分の銃からトートゥが発射されたとなれば、取調べの対象になるのは目に見えていた。こんな所で足止めを食らうわけにはいかない。
とっさの判断で、どさくさに紛れて姿をくらませたのだ。
ワタシが女であることを、何人の者が目撃しただろうか。少しでもイメージをずらすためにスカートなんか穿いて行動しているが、この程度でごまかせるか甚だ不安だった。
それにしても、あの男の子……。
たしか、保安官がキーラと呼んでいた。それが彼の名前だろう。年齢は見たところワタシと同じ十七歳くらいか。奇妙な格好をしていたが、それ以上に見たこともない黒い髪と黒い瞳が印象的だった。
「…………」
ちらっと、さきほど横切った黒猫を思い出した。
あのキーラという少年は、なにかに怯えていたようにおどおどしており、ひどく小心者に思えた。しかし、街を徘徊しながら耳に入れた噂では、ワタシを助けるためにあの稲妻のネィディと決闘したという。まったく掴みきれない男だ。
しかも……。
得体の知れないアイテムを所有し、トートゥの弾丸なんて超希少な魔法をも持っていた……。
改めて思うが、本当に謎の多い男だ。なんとしてでも、その正体を突き止めなければならない。もしかしたら、彼こそがワタシが捜し求めていた人物かも知れない。この旅に終止符を打つことができる人物かも知れないのだ。
目指すべき場所はわかっている。保安局に連行されたに違いない。当然だ。きちんとした形式の決闘でトートゥを使用したのだ。保安官が犯罪者だと怒り喚いていた通り、許されざる重罪だ。なぜ、多くの街人が見ている中でそんな行為に至ったのか、リムには理解できなかった。
この街の規模の保安局だとどの程度の人数が常駐しているのか知らないが、もう少し待とう。真夜中になればチャンスはあるはずだ。
機を得られなかった場合は、自分の手で作ってでも侵入するつもりだった。
具体的な計画もないまま突入するのは危険だ。とりあえず、落ち着いて考えごとができる場所の確保をしよう。ついでに今のうちに腹ごしらえをしておくのもいい。
「んっと……」
リムは目に留まった店の前で立ち止まった。一人でも気軽に入れそうな雰囲気だ。
ここでいいだろう。ここなら、保安局からも近い。今は女の格好をしている。発見される心配はしていないが、こんな近くにワタシが潜んでいるなどと考えもしないだろう。灯台下暗しという言葉もある。
決めるが早いが、ドアを開いて入店した。
外観から想像した通り、いい感じだった。家族連れや恋人たちが楽しそうにテーブルを囲んでいるが、一人で食事をしている者もちらほら見られる。店内は明るく、騒がし過ぎず、人々の会話が丁度心地よく響く。
いつもなら、情報収集のため噂好きな連中が集まるがさつな店を選ぶのだが、今日は静かな方がありがたい。ここを選んで正解だった。
ウェイトレスが寄ってきて、水の入ったコップをテーブルに置いた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「ああ、そうだな……サンドウィッチとコーヒーを頼む」
「具はなににいたします?」
「そうだな……。ベーコンとチーズにするよ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
しばらくすると、注文した品を載せた盆を持ってウェイトレスが戻ってきた。
「お待たせしました。ベーコンとチーズのサンドウィッチとコーヒーです」
コーヒーから芳しい香りが漂った。サンドウィッチは余計な工夫を凝らしていないシンプルなものだが、食欲が刺激された。この街についてから初めてのまともな食事だ。
「ありがとう。美味そうだ」
ウェイトレスが、盆を口元に当てて微笑んだ。
「なに?」
「だって、お客さん、男性みたいな話し方なんだもの」
リムは口元を歪めた。
しまった。つい、いつもの癖で男っぽく振舞ってしまった。
「いや……ああ、うん。そう。男の兄弟ばかりだったから」
リムの焦る仕草に、ウェイトレスは再び微笑んだ。
「お客さん、見ない顔だけど旅の方?」
「まあね。気楽な根無し草さ」
「すごいわ。ワタシと同じ女の子なのに。羨ましい。ワタシも、鳥のように自由に旅して生きたい。あ、ワタシ、スモーレっていうの」
ウェイトレスは妙なしなを作った。一見、楽しそうに仕事をしているが、彼女にも色々と事情があるのかも知れない。
こういったお喋りも、嫌な顔をせず受け入れる。なぜなら、時として他愛もない会話から耳寄りな情報を得ることができるからだ。人々の口は、水面に生じた波紋より早く噂を広げる。
リムは、お喋りなウェイトレスに少し付き合うことにした。作戦を練るのは、食事をしながらでいい。
「いいことばかりじゃないよ。将来どうなるかまるでわからないし、常に不安が付きまとう。毎晩、今日もなんとか生き延びたなって思ってるよ」
「真面目に働いてたってそうよ。ここの安月給じゃ、いつになったらまともな暮らしができるかわからない」
カウンターの奥から、店のマスターらしき人物が「悪かったな」と割り込んできた。スモーレはぺろりと舌を出した。その仕草はなかなかチャーミングで、リムはこの娘目当てで通っている客もいるのかな、などと思った。
「ここには長く滞在するの?」
「う~ん……そうだな。ひとつ仕事があるから、それ次第だね」
スモーレは少し屈んで、リムに顔を近づけた。
「ねえ、次の街に立つとき、ワタシも一緒に行っていい?」
「冗談はよせよ」
「冗談なんかじゃないわ。ワタシは自由が欲しいの」
「のたれ死ぬ運命だよ」
「かまわないわ」
「変な輩に絡まれることだってある」
スモーレは大げさに手を叩いた。
「そうだ。変な輩といえば、すごいことが起きたみたい。今日の昼間のことなんだけど、貴女と同じ旅の人が決闘して、相手を殺しちゃったんだって」
ころっと話題を変える娘だ。リムは知らぬフリをして先を促した。
「殺すとは穏やかじゃないな。どんなヤツだい?」
「なんでも、黒い髪で見たこともない服を着ている、若い異邦人らしいわ」
「異邦人……。殺したってのは、ナイフかなにかで?」
リムの質問に、スモーレはさらに顔を近づけて声を潜めた。
「それが、死の魔法を使ったらしいの。そんな恐ろしい魔法が本当にあるなんて、ねぇ」
「死の魔法? トートゥ?」
「そう。そのトートゥ。一撃だったみたい」
「それは嘘だよ。死を司る魔法なんてお話だけの存在さ」
リムは、わざと挑発してみた。
「でも、大勢の目撃者がいるのよ。ワタシもその場にいて、見てみたかったなぁ」
「見てみたかったって、人が死んだんだろ?」
「でも、殺されたのはネィディっていう大悪党なのよ。みんな口にこそ出さないけど、いい気味だって思ってるわよ」
「おい、スモーレ!」
マスターが、思わずといった具合で大声を出した。
「滅多なことを口にするんじゃない」
「だって、本当のことですよ」
「誰が聞いてるかわからないって言ってるんだ」
会話を中断されたのが不服らしく、スモーレは頬を膨らませた。
「それより、こいつを保安局に出前してくれないか」
リムは飲みかけのコーヒーを噴き出しそうになった。
「保安局? ここって保安局に出前してるの?」
「そうよ。異邦人の話も、さっき食事しに来た保安官が教えてくれたの」
スモーレはさらりと言い「じゃあ、また後でね」と言い残してカウンターに戻った。
あの娘は、さっき自由が欲しいと言った。でも、それほど不幸を感じているようには見えなかった。常に夢を見ている類なのだ。きっと、明日も明後日も来年の今頃も、夢を見ながらこの店で働いているのだろう。
リムは、サンドウィッチを一口齧った。美味かった。それだけに勿体ない気がした。
惜しい。どうやらゆっくり食事を楽しむ時間はなくなったようだ。だが、本当にこの店を選んで正解だった。
夕食くらい満喫したかったが、リムは急いでコーヒーだけを流し込んだ。
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