囚われて

 身体全体が震え始めた。まるで真冬に薄着で外に放り出されたようだ。歯がカチカチと鳴り、立つこともままならない。どんなに力んでも止めることができなかった。


「キーラッ!」


 ケビンが足早に近づいてきた。その形相は憤怒で染められており蒼褪めていた。

 光来は思わず身を固くした。

 光来の目の前に立つと、ケビンは唾が飛ぶ勢いで捲し立てた。


「ワタシが責任者を務めた決闘でなんてことをしてくれたんだっ! 勝者なんてとんでもないっ。きみは重罪人だっ」


 光来は、事態が飲み込めないのと体の震えで言葉が出てこなかった。しかし、頭の中では必死の叫びを上げていた。

 犯罪者だって? これは双方納得しての決闘だったはずだ。あんたが声も高らかに宣言した、正式な決闘だ。

 俺はちゃんとルールを守った。銃に手を掛けたのはコインが着地してからだったし、一発しか撃たなかった。ネィディを殺してしまったが、それは不幸な結果というやつじゃないのか? 


「よりにもよって、トートゥの弾丸を使うとは。いったい、どこで手に入れたんだ」

「……だから」


 やっと声が出た。出たというより、搾り出したといったほうが適切かも知れない。それほど、苦しげな声だった。


「だから、トートゥってなんなんだ? いったいおまえらはなんなんだよっ? 弾丸撃ち込まれて目が覚めたり、普通に死んじまったりっ? わけがわかんねえよっ」

「わけがわからないのはきみの方だ。とにかく、保安局まで来てもらおう」


 光来は保安局というのがどういう場所かは知らなかったが、警察署のようなものを想像した。つまり、今の自分は凶行を犯して警官に連行される犯人と同じということなのか? 改めて自分の立場を思い知らされ、全身が痺れたような感覚に襲われた。


「こっ、こっ……断るっ!」


 力が入らなかった。しかし、こんなわけのわからない状況で捕まるなんて理不尽過ぎる。

 笑う膝のまま、無理やり立ち上がった。


「俺はきちんとルールを守ったっ」


 光来は叫ぶと同時に駆け出した。


「あっ」


 ギムが叫んだ。しかし、構っている余裕はなかった。

 さっきケビンは犯罪者と言った。このまま連行されたら、捕まってしまうということだ。捕まった後どうなる? 裁判に掛けられて監獄行き? そもそも、この世界に裁判なんてあるのか? 問答無用で刑に処せられてしまうんじゃないか?

 人々の驚愕と嫌悪の目に晒されながら、激しい罵声が飛び交う中、光来は必死に脚を動かした。

 とにかく、一度身を隠すのだ。どこに行けばいいかなんて、皆目見当もつかなかった。しかし、この場から少しでも離れて人のいない場所に落ち着きたかった。

 背後で銃声が響いた。


「がっ⁉」


 背中肩甲骨辺りに衝撃が走った。地震が起きたように足元が覚束なくなり、躓いて前のめりに倒れた。今度は受け止めてくれる柔らかい体もなく、地面に顔面から落ちしたたか打った。

 不思議と痛みはそれほど感じなかった。ただ、視界が徐々に暗くなっていくのがものすごく怖かった。

 俺、死ぬのか? こんなわけのわからない世界で、わけのわからない状況で……? 誰でもいい。俺を元の世界に帰してくれ。あの、臆病者でも生きていける世界に……。

 薄れゆく意識の中、指先に温もりを感じた。


「うう……」


 顔を上げ、目の前にしゃがんでいる人物を見た。ギム・フォルクだった。ギムが俺の手を握ってくれているのだ。幼い頃に手を引いてくれた母親の手を思い出させる、優しい手だった。


「…………」


 こいつ、いや、この娘に振り回されちゃったな……。

 後悔とも安堵とも言えない、なんとも表現しづらい気持ちが胸中を満たし、光来の意識は完全に途絶えた。




 鉄格子の窓から星空が見えた。東京では考えられないほどの、満天の星空だ。月が異常に大きかった。

 これが普段と同じなら、元いた世界で見られた光景なら、首が痛くなるまでずっと見上げているだろう。これだけ星が見えるということは、それだけ空気が澄んでいるということか。

 日中の街並みの様子を思い出した。人も多くけっこう栄えている街なのに、排気の類は少ないのかも知れない。しかし、今は美しい星空も、文字通り壁一枚隔てた存在だった。

 日中はそれほどではなかったが、今は妙に冷えた。昼夜で温度差が激しいせいなのか、この侘しい場所のせいなのか、光来にはわからなかった。

 光来は疲れ果てていた。

 目を覚ました時には、既にこの建物の中に連れ込まれていた。そして、ケビン保安官と向き合う位置に座らされていた。

 まず光来は、再び目覚めることができたのに驚いた。あの時、自分はもう死んだと思った。生まれてから一度もないくらい狂喜乱舞した。光来を取り囲む連中が引くほどにだ。しかし、高く上げられた物ほど落下エネルギーが大きくなるように、生きている喜びが過ぎると、今度は人を射殺した記憶が甦り、心が押し潰されそうに重たくなった。

 光来の感情の起伏に、ある者は不気味なものを見たと気味悪がり、またある者は憐憫の眼差しを向けた。ただ一人、ケビンだけは冷静で、しかも容赦がなかった。

 狭い部屋に閉じ込められ、ケビンによる取調べは数時間続いた。光来は、できる限り事実に則して説明したが、まったく受け入れてもらえなかった。取り付く島もないというのはああいうのを言うのだろう。

 こことは異なった世界で生きていた話をした時には、我ながらあまりにも荒唐無稽に聞こえたので、説明しながら泣きたくなった。

 ケビンの不機嫌さはだんだん怒りへと姿を変え、最後に吐き出した台詞は、「頭がおかしいフリをすれば、釈放されると思うなよっ!」だった。

 取調べを終えた後は、有無を言わさず牢に閉じ込められた。二時間ほど前の出来事だ。


「これでも食って、元気だせや」


 あの決闘の時、現場に居合わせなかった保安官の一人が食事を差し出してくれた。硬そうなパンとなにが入っているかわからないぬるいスープだった。

 貧相なメニューだったが、今の光来には問題ではなかった。食欲がまったく湧かないのだ。

 荷物はすべて没収されてしまった。スマートフォンもだ。ギムと同様、ここの連中もスマートフォンがなにをする道具なのかわからなかったようだ。不思議そうな表情のまま、他の荷物と一緒にしまわれてしまった。

 光来には腕時計をする習慣はなく、時間もスマートフォンで確認していたため、こっちに飛ばされてから何時間が経過したのか知る術もなかった。

 気を失っていたのと、気が遠くなるような取調べを受けたため、今が何時なのか皆目見当もつかない。しかし、感覚的に自分がいた世界とここでの時間差は、殆どないのではないかと思っていた。

 まずそうな食事は傍らにどかしたが、水だけはありがたかった。意識を取り戻してから、もう四~五杯は飲んだ。腹がタプタプになって苦しくても、喉が渇いてしょうがなかった。怪訝な顔をしながらも、ここの人たちは要求しただけコップに水を注いでくれた。

 父さん、母さん、心配しているだろうな……。

 家に帰りたい……。

 何度も繰り返される願いが、再び頭をかすめた。数時間前までは、多少自分を卑下しなければならない時もあったが、美味い飯が食えて温かい布団で眠れる世界にいた。

 恐ろしかった。いた、という過去形を使わなければならない今の状況がひどく恐ろしい。

 もといた世界、自分のいるべき世界に帰れるのか?

 六杯目の水を飲み終わって、大きく息を吐いた。

 不安で押し潰されそうになる感情を無理やり奮起させ、今までに判明している内容を整理することにした。

 先ほどの取り調べ。ケビンは無駄に時間を使わされたと思っただろうが、光来には色々な情報を取り込める時間になった。

 まず、この世界には魔法という力が存在するらしい。飽くまで推測の域を出ないが、ここでは銃は殺傷を目的とした物ではなく、魔法を発射する道具であるということだ。

 ギムやチンピラ二人が撃たれても死ななかったのは、弾丸に込めた魔法が発動した結果なのだ。そう考えればいくつかの説明はつく。ギムが発射したのは、相手を気絶か麻痺をさせる魔法で、謎の少女がギムに撃ち込んだのは、回復系かなにかの魔法ということになる。

 ……では、なぜ俺が撃った弾丸は普通にネィディを殺してしまったのか? 俺が撃つ前、ギムは二発をチンピラに使った。三発目に種類が異なる弾丸が込められていたのか。ケビンやギムが言っていたトートゥというのも、魔法の一種なのか?

 ……わからない。この問題は後回しだ。

 次に、ここの文明は、現代の日本ほど発展していないということだ。

 移動手段は未だに馬が主流みたいだ。だから、これほど空が澄みきっているのだ。

 スマートフォンのような携帯端末も知らなかった。ケビンが執拗にスマートフォンの使い道を訊いてきたが、異世界の住人である話を信じてもらえない以上、深く説明するのは危険な気がした。この分だと、人工衛星やインターネットなんて絶対にないだろう。

 どうやら、魔法とやらが発展した分、科学の進歩はおざなりになっているようだ。

 そして、ここには人間となんら変わらない種族の他に、亜人というか、明らかに人間以外の種族が存在し、上手く共存しているらしい。酒場で見掛けたトカゲ頭以外、保安局でも人狼っぽいのやら、尻尾が生えているのやらを見掛けた。

 他は特に変わった様子はなかった。魔法と亜人以外は、光来の世界とほぼ同じだ。もしかしたら、異世界といっても元の世界からほんのわずかにずれた世界なのかも知れない。

 わかったのは大体こんなところだが、やはり魔法という単語が一番引っ掛かる。いったい、どんな原理で働いているエネルギーなんだ? この世界の住人なら、誰でも使えるものなのだろうか? 俺の世界で使われている電力のように、日常生活に密着している存在なのか?


「…………」


 衝撃的な体験が連続して起きたせいか、疲労感がどっと押し寄せてきた。眠気が我慢できないところまで迫っている。睡魔はどんな場所でも、どんな状況でも襲ってくるものらしい。

 睡魔。……魔。

 魔法……。その不思議な力からなにかしらの影響を受けて、自分はこんなところに導かれたのだろうか……。まったく無関係ということはなさそうだが……。

 いつしか、まぶたを持ち上げる力も失せ、思考力も途切れ途切れとなっていった。ついに抗うことができなくなり、光来は今日二度目となる眠り、闇の世界へと落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る