出逢い
不思議なもので、頭がトカゲだというのに不良とかチンピラが醸し出すのと同じ匂いがした。胸の辺りに重石を乗せられたような、なんとも嫌な感覚が襲い、手を当ててもいないのに心臓の鼓動音がはっきり聞こえた。
「早く飲まないと蒸発してなくなっちまうぜ」
うなじがピリピリと刺激された。
「なあ、俺たちの期待を裏切らないよなぁ」
額がうっすらと汗ばんだ。
「おい、なんとか言えよ。俺たちの高揚感をどうしてくれんだよ」
ちくしょう。見ず知らずの俺にちょっかい出して、なんか楽しいのか。いいから、ほっといてくれよ。
熱い屈辱が蓄積されていった。しかし、言い返そうなどとは微塵も思わなかった。原因は決して恐怖だけではない。
子供の頃から思っていたことだが、自分には闘争心というものが決定的に欠落しているのだ。心の中には、爆発を待つ圧力釜みたいな高まりを確かに感じるのだが、本当に破裂させたことなど、ただの一度もない。その時はひたすら耐え忍んで、後日、想像の中だけで、相手を徹底的に叩きのめす。いつの間にか身に着けていた処世術だ。
おかげで、大きな争いに発展したことは一度もないが、必ず悶えるような惨めな感情が付いて回った。自分のことを情けないヤツだと思った者は、一人や二人ではないはずだ。
飲んでやる。一気に飲んで、気を失うなりゲロを吐くなりすれば、満足するだろう。こんなわけの分からない環境に放り込まれてまで、後ろ向きな対処法しか頭に浮かばない。くそっ、なんだってこんなめに……。
そろそろとした動作で手を上げたが、グラスを掴む前に、横からさっと伸びた手に奪われた。えっ? と思う間もなく、取り上げられたグラスはかっと一気に飲み干された。
うそだろ?
いつからいたのか、まったく気づかなかった。光来と同い年くらいの少年が、ふーっと大きく息を吐くと、飲み干したグラスを叩き割るような勢いでカウンターに置いた。
思わず、光来は身をすくませた。
「マスター、同じものを」
唖然としているのは、バーテンダーも同様だった。
「マスター?」
「あ、ああ……。スーアサイドでいいんだね。おにいさんも見掛けない顔だね」
バーテンダーの愛想を無視し、少年はトカゲ頭たち相手に喋り始めた。
「満足したか?」
「あ?」
「スーアサイドを飲んでいるとこを見たかったんだろう? 満足したかって訊いたんだ」
「……おい、べつに俺たちは、あんたに……」
少年はトカゲ頭の言葉を遮った。
「ボクは彼に話があるんだ。向こうに行ってくれないか」
挑発的な台詞に、ムッと来たようだ。さっきまで散々光来に絡んできたのに、自分が見下されるのは我慢できない様子だ。典型的な自己中心型だ。
「てめえ、調子に乗るなよ……。俺たち……」
またしても、トカゲ頭の言葉は遮られた。今度は言葉を被されたのではない。少年の放つ鋭い眼光に、言葉を飲み込んだのだ。
「もう一度だけ言うぜ。ボクは彼と話がしたいんだ」
光来は、トカゲ頭の喉がゴクリと上下したのを見逃さなかった。彼らは、言葉の次は生唾を飲み込んだ。
「ちっ、分かったよ。なにもトラブルを起こす気なんかねえんだ。ちっと風変わりなヤツがいたんで、珍しかっただけさ」
少年にではなく、光来に一瞥投げ、二人(二匹と言うべきか?)は乱暴にスイングドアを開けて、店から出て行った。
なりゆきを横目で覗っていた客たちは、安心と期待外れが半々といった感じで、自分たちの会話に戻った。
少年は立ち去らず、そのまま光来の隣に座った。
「あ、あの……ありがとう」
「どうってことないさ」
光来は、礼を言いながら、少年をまじまじと見つめた。
とびきりの美少年だった。長いまつげ。大きな瞳。滑らかな輪郭。華奢な体つきは、男色の気がない光来の目にも妙に色っぽく映った。学校にこんなのがいたら、ファンクラブができるに違いない。
しかし、その全身からは鋭い刃のようななにかが発せられていた。さっきのチンピラとは、根底的に違っていた。助けてもらったはずなのに、胃がすぼまるような感じだ。
「ところで……」
少年は、スーアサイドをが入ったグラスを傾けた。さっきとは違い、一口舐めた程度だ。
「聞くともなしに聞こえてきたんだけど、きみ、ニホンという街から来たんだってね」
「いや……街とは違うんだけど……」
「街じゃないのか? じゃあ村? どこら辺にあるんだ? ボクも方々を旅してるけど、君のような衣装を纏った民族には会ったことがないな」
「いや、それは俺が知りたいっていうか、ちょっと説明が難しくて……」
「説明しにくい? ああ、そうか。不躾だったね。自己紹介するよ。ボクの名はギム・フォルク。ギムって呼んでよ。これでいいだろ?」
「あー……そういう事じゃなくて……」
「ボクは名乗ったんだぜ。せめて、名前くらい教えてくれてもいいだろう?」
「名前、は……」
光来は、どうにも歯切れが悪くなってしまった。こんな理解不能な状況では、自分の名前すら気軽に言えない気がした。
……それにしても、このギムという少年、単に好奇心で近づいてきたのか?
光来の考えは早計だった。ギムと名乗った少年の目が、鋭さを増した。
「それに……」
いきなり、光来の手首を掴んできた。決して友好的とは言いがたい、きつく絞るような握り方だった。
「いっ!?」
「さっき、珍しいマジックアイテムを持っていたな? それを見せてもらいたいんだ」
突然の事で、光来は焦った。
なんだこいつ? 今なんて? マジックアイテムって言ったのか? マジックアイテム? RPGとかに出てくるあれのこと? いったい、なにを言ってるんだ?
「マジックアイテムって……???」
「とぼけなくてもいいじゃないか? 君が指先で突いていた、薄くて四角いやつだよ」
「……ひょっとして、スマホの事?」
スマートフォンをマジックアイテムとか……。やばいやばい。こいつ、絶対やばいヤツだ。
「スマホ? っていうのか、あれは。それも聞いたことがない名前だ」
ギムは、手首を握る力を強めた。
「なあ、いいだろう? ほんのちょっと見せてくれるだけでいいんだ」
冗談じゃない。スマホなんて個人情報の塊だ。親しい友人はおろか、家族にだってほいほい見せられるものじゃない。
「いや、これは易々と人に見せるもんじゃないから……」
ギムの眼光に鋭さが増したような気がした。
「へえ? それはまた、どうして? 見せられない理由でもあるのか?」
「理由もなにも……スマホってそういうもんでしょ」
「それは君の村の風習か? 人に知られちゃまずい秘密があるってわけか?」
会話がまったく噛み合わないもどかしさと、グイグイと迫ってくる遠慮のなさ。さすがに問答がストレスになってきた。
助けてもらった恩はあるが、いつまでも付き合っていられない。
「あの、俺、これから行くところがあるんで……」
咄嗟に嘘をつき立ち上がろうとした時、スイングドアが壊れんばかりの勢いで開いた。
光来は、思わず振り向いてしまった。
「おまえら! そのまま動かないで聞け!」
大柄な男が、その体に比例するかのような大きい声で怒鳴り込んできた。
顔は、一目で悪人だと分かるほど凶悪で、こめかみから頬に掛けて切れ味の鈍い刃物で裂かれたような傷跡があった。大男の後ろにはあと二人立っていたが、こちらの方は、標準サイズだ。
「今朝から、この街でなにかを嗅ぎ回っているよそもんがいるらしい。自警団である俺たちには、見過ごせない話だ」
なにかの効果を狙ってか、ここで一旦喋るのをやめ、店内全体を睨め付けた。
「そこで、全員に協力してもらいたい。怪しい者を見掛けたら……」
男の声は、途中でフェードアウトした。光来の胸中に絶望的な予感が広がる。明らかに、こちらを見ている。男だけじゃない。店内のすべての客が、こちらを見ているのが分かる。
視線でも重さを感じるんだと、初めて知った。いくら顔を伏せて背中を見せようが、この中で光来の制服は目立ちまくっている。
次から次へと……。もう、泣きたくなってきた。
光来は目頭が熱くなるのを自覚した。
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