白い闇の向こう側
今まで一度も体験したことのない衝撃だった。強引に例えるなら、冬の日にドアノブを触ったときに発生する静電気、あれが指先だけではなく体全体を駆け抜けたような、痛さとも熱さとも表現できるものだった。
あまりのことに、視界が真っ白になった。目を開けているのになにも見えない。これも初めての経験だった。
しばしの間の後、中心から徐々に霧が晴れていくように視界が広がっていく。
光来は、今、自分が驚いているのか呆然としているのか、それすらも分からない状況だった。ただ、周囲から聞こえる喧騒だけが、やたらと耳障りだった。
「あ……」
ようやく、はっきりと見えるようになった。安心したのもつかの間、眼前には日常とは異なった光景が映り、再び思考が急停止した。
そこは酒場らしく、店内の客はジョッキやらグラスやらを掲げ、料理が並べられたテーブルが何卓も置かれていた。しかし、サラリーマンが仕事帰りに立ち寄るような居酒屋ではないことはすぐに分かった。
まず、全員の服装が変だ。テーブルに置かれたテンガロンハットやジーンズ、先の尖った乗馬用ブーツがやたら目に付いた。
酒の匂いと煙草の煙に包まれ、独特のムードを醸し出している。光来の脳裏に浮かんだのは、開拓時代のアメリカ、西部劇、テキサスなどといったイメージだった。光来が立っているのは店の入り口で、いつの間にか手で押さえていたのはスイングドアだった。
駅……じゃないよな。なんだ。これは……?
いつの間にか店内は静まり返り、全員が光来に注目していた。怪訝そうな視線を投げる者もいれば、好奇心を隠そうともしない者もいた。どう贔屓目に見ても、歓迎されているようには見えなかった。
「っ⁉」
混乱していたため気づくのに遅れたが、人間とは言えない種族もちらほら混ざっている。耳が長く尖がったエルフのような者もいるし、既に人とはかけ離れた獣の面相をしている者までいた。
思わず息を飲んだ。人間、度を越えた衝撃を受けると悲鳴を上げるのではなく声が出なくなる。まさにそれを体験した。
なんだ。これは……?
パニックになりそうな頭を必死に整理し、納得のいく答えを探した。しかし、どう考えたって、電車から降りたら西部劇風の酒場で、しかも半獣まで存在しました、なんて説明が論理的にできるわけがなかった。
ただひとつ言えるのは、早くここから去った方がよさそうだということだ。
「えーと……間違えました……」
光来は、誰にともなく消え入りそうな声で言った。そのまま回れ右をして出ようとしたが、大きな胸板に鼻を押し返されてしまった。
「おい、入り口でぼぉっとつっ立ってんじゃねえ」
やたらと体格のいい男が、光来を押しのけて入ってきた。ウエスタンウェアに身を包み、腰にはガンベルトが装着されている。もちろん、ホルスターには拳銃が収められていた。絵に描いたような西部劇風ガンマンだ。
勢いで、光来も店内に押し込まれてしまった。
「ん?」
ガンマン風の男は、ここで初めて光来の身なりに気づいたようで、眉を段違いにして光来を見つめた。
「おまえ、妙な格好をしているな」
思わず、自分の身なりを確認してしまった。なんの変哲もない、ありふれたブレザーだ。特徴的は部分といえば、スラックスにチェックの柄が入っていることくらいだが、これだって珍しいとは言えない。ただ、この状況においては、圧倒的に光来のほうがイレギュラーだということくらいは分かる。思いっきり浮いてしまっている。
「…………」
どう答えればいいのか分からず、ただ、黙っているしかなかった。
「ふん」
男はそれ以上絡まず、階段を軋ませ二階へ上がっていった。とりあえずほっとしたが、わけが分からない状況に変わりはない。途方に暮れて立ち尽くしていると、バーテンダーが声を掛けてきた。
「にいさん、とにかく座りなよ」
「あ、ああ……。そう、ですよね」
ぎこちないな受け答えをしながらも、カウンターチェアに腰掛けた。丸太に脚を付けただけの、弾力性など皆無の硬い椅子だったが、そんな事は気にもならなかった。どっと体に重みを感じ、自分が辛うじて立っていた事を実感した。
「にいさん、どこから来たんだい?」
「あの、日本ですけど……」
「ニホン? 聞いたことない街だな。でも、それでか。そのニホンとやらでは、その変わった衣装が普段着なのか」
いや、街じゃないですよ。
反射的に、頭の中でツッコんでしまった。
本当に、どうなってんだ?
「ここって、アメリカですか?」
「あ? アメリア? なんでいきなり女の名前なんて出てきたんだ? その女と待ち合わせしてるのかい?」
「いえ……」
これは一筋縄ではいかないようだ。第一、ここがアメリカであるわけがない。アメリカなど行ったことはないし信じられないくらい広いだろうが、半獣が酒飲んで騒いでいる国じゃないってことは断言できる。
頭を抱えながらも、言葉はちゃんと通じるんだな、などと冷静に考えている自分もいた。
現代人の性とも言うべきか、なんとか情報を得ようと、ポケットからスマートフォンを取り出し、ブラウザを立ち上げた。ホームページはグーグルに設定されている。しかし、画面に表示されたのは、無慈悲にもネットに接続されていませんというメッセージだった。
失望のため息が漏れた。
「……で? なんにする?」
「はい?」
間の抜けた返事に、バーテンダーは大げさに両腕を広げた。
「あのなぁ、ここはバーだぜ。そして、にいさんは自分の足で入ってきたんだ。なんにも注文しないってこたぁないだろう」
自分の足でという部分に、反論したい衝動が湧き出た。しかし、これ以上ややこしい展開にはしたくなかったので、素直に注文することにした。
「あの……メニューは?」
「ここには、そんな洒落たもん置いてないよ。この中から好きなの選びな。食いもんを所望なら言ってくれ。大抵のもんなら作れるつもりだ」
「そうですか……。じゃあ、オレン……」
「オレン?」
「あ、いや、ちょっと待ってください」
状況を理解しようと頭をフル回転させているせいか、妙な計算が働いた。
ここは酒場だ。しかも、客層はお世辞にも品がいいとは言えない。こんなところでオレンジジュースなど頼もうものなら、柄の悪い連中が寄ってきて「おいおい、ここはいつから託児所になったんだ」なんて絡まれるに決まっている。
考えで出した結果は、堂々と酒を注文し、それは置いておくだけで飲まない、だった。
「……じゃあ、その、マスターの後ろに置いてあるやつを一杯」
「ん? どれだ?」
「それです。その透明のヤツ」
それを選んだのに、特に理由はなかった。強いて言うなら、透明だからミネラルウォーターを連想したといったところか。
バーテンダーは口をへの字に曲げ、光来を見つめた。和やかに話し掛けてくれていたバーテンダーとの間の空気が、少しだけ濁ったように感じられたのは気のせいか。
「へえ……人は見掛けに寄らないって言うけどね……」
言いながら、グラスを置き、光来が指差したボトルに入っていた液体を注いでくれた。グラスは猪口よりも一回り大きくし、背を伸ばしたような形をしていた。
なんだ。妙に小さい器だな……。
覗き込むように見つめると、グラスの周りの空気が揺らめいていた。
なんじゃ、こりゃぁ!
声を出さないで叫んだ。
アルコールが蒸発して、背景が歪んでるじゃないか。度数いくつだよ!? ムリムリムリムリムリ! こんなの飲んだら、体中の血液が沸騰しちまうっ!
「おい、こいつ、スーアサイドなんか頼みやがったぜ」
背後から、いきなりガラが悪い声がした。振り向くと、頭がトカゲっぽい獣人が二人立っていた。光来が異質すぎて、今まで遠目で様子を覗っていたらしいが、バーテンダーと普通に会話していたので、与し易いと踏んだようだ。
「おい、早いとこ飲んでくれよ。スーアサイド、つまり、自殺って意味だ。そいつを飲んでるやつ、今まで見たことないんだ。ぜひとも、見てみたいぜ」
そいつの挑発的な目で、絡まれているのだと分かった。
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