ルーザの誓い

 部屋の雰囲気も好感が持てた。かなり適当な感想だが、オープンワールドRPGの主人公一座が、体力回復のために泊まる部屋という感じだ。

 しかし、地味な温かみがあっていいなと思ったのも一瞬だけだった。入るなりリムは荷物を床に放り投げた。元来の行動なのか不機嫌なのか判断に迷ってしまう。

 とりあえず、光来も荷物を置いた。通学に使っている鞄の他に、ボクサーバッグのような袋に制服を詰め込んでいるため、歩くのに鬱陶しかったのだ。やっと身軽になれたのと人目がつかない場所に辿りつけた安心感で、人心地ついた。


「座って」


 いきなりリムが言った。声が重たい。ようやく落ち着けたと思った矢先なので、完全に油断していた。加えて、こちらは右も左もわからない立場にいるせいで、いつも以上に弱気になってしまっているのだ。

 なんとも言えない居心地の悪さを感じながら、ここは逆らわない方がいいだろうと瞬時に判断した。備え付けの椅子に座った。


「そっちじゃなくて、こっち」


 リムはベッドを指差した。光来の心臓が跳ねたように脈打った。度胸がないとはいえ、健全な高校生だ。女の子に対する興味や欲望は人並みにある。考えてみれば、若い男女が宿屋に二人きりで一泊。このシチュエーションで、過ちがない方がどうかしているのでは?

 意識しだしたら、途端に緊張が高まった。改めて見ると、リムはまともに目も見られないほどの美少女なのだ。


「あ、そっちね……」


 光来は、なんでもない感じを演出しながらツツツと移動した。生唾を飲み込んだことを悟られてはならない。思っていた以上に弾力があるベッドに腰掛け、ぼすんと体が沈んだ。思わず声が出そうになるのを、なんとか堪えた。

 リムが目の前に立った。体温が上がり呼吸が苦しくなった。リムは立ったまま動かない。こういう場合は、男の方から動いたほうがいいだろうか。迷い始めたとほぼ同時に、リムが覆い被さってきた。


「わっ?」


 なんという大胆さだろう。いつかは童貞を卒業する日が来るとは思っていたが、それが今日だったとは、それもこんな異世界でだとは夢にも思わなかった。

 あ、なんかいい匂いがする。微かな甘味を含んだ魅惑的な香り。そういえば、俺の方はどうだろう? 色々あって汗を流したし、小汚い留置所で眠りこけもした。体中がべたべたするし、このままでは女の子に申し訳ない。シャワーくらい浴びるのが嗜みというものではないだろうか。


「げっ?」


 光来の妄想は、リムに突き付けられたナイフに中断された。先ほど、保安官を眠らせたナイフが、今は光来の喉仏に押し当てられている。


「さっきはシュラーフを仕込んでいたけど、今度はブリッツが込められてるわ。威力は、昼間に見た通りよ」


 光来は、刃を見ようと顎を引いたが、死角になって見えなかった。代わりに、リムの豊かな胸が飛び込んできて、こんな状況であるにも関わらず、もうちょっと見えないかなと目を凝らしてしまった。悲しいほどに健全な高校生だ。

 男心を惑わすとは、まったくけしからん。男装していた時は、どうやって収納していたのか。

 ……などと考えている場合ではなかった。


「た、助けてくれるんじゃなかったのか?」

「あそこから出してあげるとは言ったけど、助けるとは言ってない」


 ぐいと刃を押し付ける力が増した。おそらく、少しでも切られればブリッツとかいう魔法が発動してしまう。あんな、大の男が悶絶するような苦痛は味わいたくない。


「あなた、何者なの?」


 リムの質問に、光来はそれはこちらが聞きたいことだと、心の中で言い返した。昼間の正確な射撃といい、先ほどの鮮やかな奇襲といい、普通の女の子ではないことは確かだ。


「黙秘するっての? いい度胸ね」


 光来が答えに詰まっていると、リムの声に凄みが増した。慌てて言葉を探した。


「俺はっ……ただの高校生だ。何者かなんて聞かれるほどのモンじゃない」

「コーコーセー? あなた、いちいち知らない言葉を使ってくるのね」

「きみが知らないだけだ。俺のいたところでは、なんでもないごく普通の会話に出てくる言葉だよ」


 ぐいいと、更に刃が食い込んだ。

 やばい。魔法が発動する。


「なぜトートゥの弾丸なんて持っていたの? 入手経路は?」

「……その、トートゥというのがよくわからない。死の魔法とか言っていたけど、銃で脳天を撃たれれば、死ぬのは当たり前じゃないか」

「……どうやら、痛い目にあいたいみたいね。死にはしないけど、ブリッツを喰らえば死んだほうがマシと思うほど苦しむわよ」


 脅しではないことは、目を見ればわかった。光来は、焦りで自分の心臓の鼓動がわかるほど緊張した。しかし、どう説明すればわかってもらえるか皆目わからなかった。双方の知識に差がありすぎて、まったく会話が噛み合っていない。

 保安局で尋問を受けていた時も同様だった。挙句、ケビンの捨て台詞は「頭がおかしいフリをすれば」だった。


「…………」


 光来は考えた。適当な嘘を言ってその場しのぎをするわけにはいかない。すぐにバレるだろうし、そうなったら二度と信用は得られない。

 ここは対応を誤ることが許されない重要なシーンだ。


「信じるか信じないかは、きみ次第だけど……」


 光来は大きく息を吸い込み、胸を上下させた。


「俺はこの世界の人間じゃない。他の世界からやってきたんだ」


 リムは面食らった顔になったが、それはすぐに消えて徐々に頬が紅潮してきた。完全に怒り出す前に、光来は間髪を容れずに言葉をつなげた。


「とにかく聞いてくれ。これから話すことは、一切の嘘偽りない真実だ。聞き終わった後でどうしても納得できないってんなら、そのナイフで俺を切ってくれ」

「本当のことを喋るのね」

「ああ、でもその前に……」

「なに?」

「こんな姿勢じゃなくて、ちゃんと座らせてくれ。なにしろ、長い話になるんだから」

「……いいわ。聞かせてもらおうじゃない」


 リムは喉に押し付けていた刃を離し立ち上がった。ただし、ナイフは向けたままだ。未だに緊張は持続していたが、どうやら話をするチャンスはもらえたようだ。

 切れていないのはわかっていたが、光来は思わず喉に手を当てて長い息を吐いた。落ち着きを取り戻し、姿勢を整えてリムを見上げた。


「……まず、俺がこの街に来た経緯だけど……」




 いきなり見ず知らずの世界に飛び込んでしまったこと、自分のいた世界には魔法というエネルギーなど存在しないこと、銃やナイフは魔法を込めることなどできず、単純に弾丸を撃ち出したり物を切る道具に過ぎないことなど、ひとつひとつ説明していった。

 話している内容は単純なのに、リムが質問を挟んでくるので混乱してくる。


「…………」

「…………」


 一通りの説明を終えた後は、お互いに言葉を発することはなく、沈黙の時が流れた。やはりケビンのように怒り出すかと、光来は構えた。

 リムは太いため息をついた。


「嘘をつくなら、もう少しリアリティのある嘘を用意することね」


 頭がおかしいとは思われなかったようだが、やはり信じてはもらえなかった。しかし、ここですべて作り話でしたなどと言うわけにはいかない。


「嘘じゃない。嘘なら、言われるまでもなくもっとマシな嘘をつくさ」

「あなたは魔法を知らないと言いながら、魔法の存在を認めている。それは矛盾していることにならない?」

「いや、俺の世界にも魔法はあるんだ」

「ほら、矛盾を指摘されたから、もう馬脚を露わした」

「話を最後まで聞いてくれ。あるにはあるが、俺の世界の魔法はお伽話で登場する力で、それが実際には存在しないということはみんな知ってるんだ」

「魔法はあるのに存在しない? 妙な言い回しではぐらかそうっての?」

「違うって。なんて言えばいいのか……嘘だとわかってるんだけど、夢があるから信じたいっていうか……ファンタジーだよ」

「わけがわからないこと言わないで。嘘だと断言できる根拠がある。あなたはトートゥの弾丸を持っていた。魔法を知らないはずがないでしょ」

「それは……さっきも言ったけど俺にもわからないんだ。俺はきみの拳銃を使っただけで、弾丸なんて装填していない。元々入っていたんだ」

「それも嘘だわ。ワタシは普段はブリッツやシュラーフしか装填しない。トートゥの弾丸なんて一度だって使ったことない。そもそも、おいそれと手に入れられるものじゃない。あなた、ワタシに罪を擦り付けるつもり?」

「だから違うんだって。じゃあ、あれだ。俺は魔法なんて使えない。だから、撃ち出した弾丸が普通の効果を発揮したに過ぎないってことだ。おれの世界では当たりどころが悪いと死んでしまうんだ」

「撃ち出された弾は着弾と同時に四散する。当たりどころが悪くて死ぬなんてありえない。魔法そのものは弾丸に定着させているんだから、魔法を精製できなくても関係ない。改めて弾丸を装填してないのが本当だとしたら、あなたが撃った弾はブリッツのはず。それなのに、実際はトートゥの魔法が発動した。あなたが嘘をついているという結論は当然の帰結だわ」


 さっきから嘘を連呼され、光来はさすがにムカムカしてきた。いくら言われたって知らないものは知らないのだ。


「じゃあ、勝手に嘘だと思ってればいい」


 光来は、思わず声を大きくしてしまった。リムの目つきがきつくなった。

 まずい。怒らせた?

 先ほどの格闘戦を見る限り、勝てる気がしない。女の子相手に情けないと思うが、こっちは銃とも決闘とも無縁の環境で生きてきた身なのだ。

 リムは自分の鞄から一冊の本を取り出した。ネィディ・グレアムが決闘を受けさせるために放り投げたものと同じものだった。たしか、ルーザと言っていた。

 リムは光来の前にルーザを置いた。


「キーラ、ルーザの上に手を置いて」


 光来の背中に緊張が走った。


「まさか、決闘を申し込んでるんじゃないよな」

「違うわ。とにかく置きなさい」


 リムの声には有無を言わさぬ迫力があった。理由はわからなかったが、決闘を申し込んでいるのでなければ危険ということはないだろう。光来は言われた通り、ルーザの表紙に手を乗せた。


「これは誓いよ。この本はルーザといって、この世の真実が記されている神聖な書物なの。必ず一人一冊所持しているわ」

「……なんか、凄そうな本だな」

「ルーザに対して嘘をついた者は、祝福から見放されて地獄に落ちると言われている。だから、誓いをたてる際には必ず用いるし、ルーザに誓えない者は心に疚しいことがある人よ」


 リムはじっと目を見てくる。光来は狼狽えた。疚しいことなどないつもりだが、女の子に見つめられていると落ち着きがなくなってしまう。


「さあ、誓って。今話したことに、塵一つほどの嘘も混じってないと」

「……誓う。誓うよ。俺は一切嘘なんかついていない」


 数秒間、見つめ合う。まるで、視線を外した方に非があるとでも言わんばかりのぶつかり合いだ。リムのあまりに真剣な眼差しに、光来は、これはお遊びでもなければ茶番でもない、真剣な誓約だと思い知った。

 リムの目からふっと力が抜けた。


「……信じる。あなたは嘘は言っていない」


 光来も力を抜いた。ケビンのように頭がおかしいと言われなかったのが嬉しかった。


「でも、信じるといった手前、あれなんだけど……」


 ルーザを手に取って表紙を見つめながら続けた。


「他の世界からやってきたなんて話、理解を超えているわ。なにかしらの魔法が関わってるとしても、そんな魔法聞いたこともない」

「でも、ここと俺が夕方までいた世界は、あまりにも違いすぎる」

「……そもそも異世界なんて本当に存在するのかしら」

「なんだよ、全然信じてないじゃないか」


 光来は、思わず不満を漏らした。


「信じるってば。あなたはルーザに誓ったんだから。いえ、それ以前にあなたはワタシにとって重要な存在になるかも知れない……」


 リムは自分の顎を摘んで思案に耽る。重要な存在という彼女の台詞は、意味深ではあったが理解できなかった。


「……私が知っている中で、似た話はあるわ……」


 リムは急に落ち着きがなくなり、視線を彷徨わせたり、つまんだ顎を離したり、また摘んだりを繰り返した。そして、何かを決意したようにぴたりと動きを止め、再び光来を見つめた。


「漠然としてて雲を掴むような話なんだけど、それは私が旅を続けている理由なの。あなたが見たこともない道具を使っている時もしかしたらと思って、トートゥの魔法を使ったって聞いた時ほぼ間違いないと思った。やっと旅が終わるんじゃないかって。あなたが旅の到着点なんじゃないかって。でも、到着点ではなく、そこにたどり着くための道標なのかも」

「えっ、なに? いきなりなんの話?」


 困惑する光来の目の前に、リムはルーザを掲げた。


「あなたが真実を話したから、私も話すわ。私は父を殺した奴を探して旅をしているの。……そいつの名はグニーエ・ハルト。魔人と呼ばれていたわ」


 いきなりの告白に、言うべき言葉が見つからなかった。ただ、頭の片隅にが湧き上がったのは、再びとんでもないことに巻き込まれるのかという嫌な予感と、自分がこの世界にやってきたのは、なにか意味があるのかという疑問だった。

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