禁忌の魔法
ケビン・シュナイダーは、走る列車の最後尾に設置されているデッキの手摺を掴み、車両に取り付いた。いきなりの全力疾走だったので、さすがに息が苦しい。
正直、驚いた。こういう時だ。神に感謝したくなるのは。
警戒していたのは積み荷に紛れて列車に潜り込むケースで、キーラと目が合ったのは偶然に過ぎなかった。いや、後で回想した時、これこそ必然だったのだと思うのかも知れない。どうやら、彼とは目に見えないなにかで繋がれているような気がする。決してありがたい繋がりとは言えないが……
「何人、乗り込めた?」
ケビンは、一番近くにいた者に確認した。自分よりも若いのに、かなり呼吸が苦しそうだ。大げさなくらい肩を上下させている。
「は、はい。自分を入れて四人です」
ケビン自身を入れると五人が車両に張り付いているわけだ。少しだけ迷いが生じた。トートゥの使い手を相手にするには、やや心許ない。
「ケビン保安官。奴らは生かして捕まえるんですかい」
ケビンの不安をよそに、嫌悪感を抱かせる声で質問が投げ掛けられた。質問の主は、車両の反対側から顔だけを覗かせた。
「もちろん、生きたまま捕らえる。我々は死刑執行人ではない」
答えながら、ケビンは厄介な奴が乗り込んでしまったと思った。
バーレン・リアウト
ケビンの部下ではあるが、一匹狼を気取っていて基本的には単独行動が多い。仕事はできるものの性格に難がある。難があるというより、ひどく幼稚で自己中心的、自分が一番でなければ気が済まず、なにかにつけて人を見下したがる癖がある。当然、仲間内からの評判はよいわけはなく、常に距離を置かれている。今夜にしたって、街道の警備を命じたはずなのに、いつの間にか駅に紛れ込んでいた。
実年齢と精神年齢の差が著しく離れているというのが、この男に対するケビンの評価だった。
「相手はトートゥなんて使う凶悪な奴ですよ。わざわざ法廷に引っ張りだす必要もないと思いますがねぇ」
「それはお前が勝手に決めていいことではない。どんな極悪人でも、それを捕らえ法を執行する機関に差し出す。それが我々の仕事だ」
「仕事ですか。でも俺だって命は惜しい。相手が撃ってきたら、正当防衛ってのは認められるんですよねぇ」
ケビンはありったけの眼力を込めてバーレンを睨んだ。バーレンは少し怯んだが、目を逸らすことはしなかった。
「きさま……我々が使う弾丸は、シュラーフが基本だ。それはわかってるんだろうな」
「よく言うぜ。あんただってエグいの持ってんじゃねぇか」
バーレンは、ケビンの腰を指さした。その先のガンベルトには、シュラーフの弾丸に混じって、うっすらと真紅の輝きを放つ弾丸が数発収められていた。
「これは飽くまで足止め用だ。こいつで彼らをどうこうしようなんて思っていない」
「足止めねぇ……まあいいさ。走る汽車の上で捕り物をするんだ。思わぬ事故だって起きるかも知れないし、な」
……こいつ。
爬虫類を連想させるバーレンの横顔を見ながら、味方の中に真の敵がいるなんて思いたくないものだと、ケビンは心の中で呟いた。
後方で影が蠢くのが見えた。
「しゅっ」
リムは立て続けに二発撃ち込んだ。魔法陣の余韻が拡散して消えるのと、悲鳴が上がるのがほぼ同時だった。まさに目にも留まらぬ早業だ。
ざざっとバラストに物が落ちる音が響いた。リムのブリッツの弾丸に撃ち抜かれた者たちだ。二発とも命中したということだ。落下した時の衝撃を想像して、光来は思わず奥歯を噛みしめてしまった。
それにしても……
月光で照らされているとはいえ、不安定な列車の上で外れなしとは、改めてリムの腕前に驚嘆させられる。
「汽車が速度を上げる前に、全員落ちてもらう」
今の銃声が合図であったかのように、向こうからも撃ってきた。銃撃戦の始まりだ。リムとは違って正確な狙いではなかったが、数撃ちゃ当たると考えているのか、頭を上げられないほど激しい乱射だった。
魔法陣の光からシュラーフだとわかった。喰らったらたちどころに睡魔に襲われ、眠ったが最後、そのまま連れ戻されてしまう。光来の頭に『極刑』の二文字が頭に浮かんだ。
冗談じゃない。
「キーラ、こっちっ」
「でも、荷物がっ」
「そんなもの、ほっときなさいっ!」
リムは叫びながら前の車両に走った。光来も少しだけ躊躇して、後に続いた。二人が飛び乗ったのは有蓋車で、屋根の上には弾除けになる遮蔽物がない。リムが目指しているのは、荷が積まれ、それに身を隠すことができる無蓋車だ。
リムに引き剥がされまいと、光来は必死に後に続いた。いくつかの車両を移動している間にも、弾丸がかすめていく。恐怖で足が竦みそうだ。
「わああああっ!」
恥も外聞もなく叫んでいた。チュンッと耳元で空気が切り裂かれた。もうダメだ。恐怖が限界値に達し、理性が麻痺した。息が苦しい。胸が焼けるように熱い。
なんで俺がこんな目に!
プチンッ!
なにかが切れた。氷の塊が下腹部に詰められたような感覚。昼間の決闘の時と同じだと思った。途端に頭が冷め、視野が広がった。あれほど喧しかった鼓動が息を潜め、髪の先まで神経が行き渡った気がした。
立ち止まり、振り向きざまリムから預かった拳銃を構えた。
「うおおおっ」
「キーラ!?」
光来が吠えた。その「気」に呼応するかのように銃口から黒い魔法陣が広がり、電流が迸るような輝きが走った。夜の闇よりも深い漆黒。この世の絶望が凝縮されたような、真っ黒な魔法陣がどんどん広がり存在を強調していく。
瞬間、銃撃が止んだ。銃声に邪魔されて潜んでいた、車輪がレールを掴む音がクリアに聞こえた。まるで時間の流れが止まったかのように周囲がよく見える。恐怖に顔を歪ませ、光来を凝視している保安官の一人が目についた。
逃げる相手に銃を撃ちまくっていた奴が怯えるのか。俺を捕まえたいというのなら相手になってやる。まずはお前だ。
死ねっ!
「キーラッ」
リムが背後から抱きつき、全体重を後方に傾けた。
「うあっ?」
後ろの車両は無蓋車だった。一度積み荷の上でバウンドした。なんてことをっ! と思う間もなく、床に肩から落ちた。
「いっ!」
衝撃に貫かれ、次に鈍い痛みを肩に感じた。それでも、光来は車両の床に落下したことに安堵した。無蓋車には低い柵が設けられているだけだ。バウンドした方向がずれていたら、地面に叩き落とされていた。
「なにをするんだっ⁉」
リムを睨むも、光来の怒気はすぐに削がれた。リムの目は見開かれていた。青白い顔をして自分に視線を固定していた。決して月明かりの青さではない。明らかに血の気が引いている様子だった。
「キーラ……あなた……」
リムは、落下の衝撃で光来が離してしまった銃を床から拾い上げ、撃鉄の部位からカチッと開いた。二連の狩猟銃と同じ仕様だ。カートリッジの上の段、つまり、今まさに発射しようとしていた方から弾丸を一発取り出した。
掌の弾丸をじっと見つめ、リムはますます青ざめた。もう少しで顔に縦線が浮き出るんじゃないかと思うほどだった。
光来も、取り出された弾丸を注意深く見た。薬莢に収められたそれに実体はなく、魔法陣と似たような紋様が蠢いていた。見ているだけでも気分が悪くなるような、ひどく不気味な紋様だった。
「これは……」
リムは再び光来に視線を戻した。まるでおぞましい虫の大群でも見ているかのような、引きつった視線だった。
「ブリッツの弾丸がトートゥに書き換えられている。あなた、なにをしたの?」
「……なにも。なにもしてないよ」
「まさか、そんな……」
「なにが?」
「こんなこと、あり得ない」
「だから、なにがっ」
思わず声を荒げてしまった。リムは黒く不気味な模様の弾丸を、光来の目の前に突きつけた。
「一度定着させた魔法を上書きして書き換えるなんて、超弩級の魔力が必要なの。それこそ魔人と呼ばれてもおかしくないくらいのね」
「そう、なのか?」
「しかも、あなたは詠唱すらしないで書き換えた。こんなことできるなんて、この世界に何人いるか……」
「それって、凄いことなのか?」
「凄いなんてものじゃないっ」
今度はリムが大声を上げた。
「しっかりしなさい。あなたは禁忌の魔法と呼ばれるトートゥをいくらでも精製できるということよ。これが悪人に知られ、利用しようなんて奴が現れたら大変なことになる」
「俺は……俺は悪人になんか利用されないよ」
光来は反論した。しかし、まったく自信はなかった。囚われの身となり拷問でもされようものなら、簡単に屈してしまいそうだ。
リムは視線を逸らさない。その瞳に嫌悪が混ざっているように見えるのは気のせいだろうか。
「これはこの世にあってはならない力よ。あなた、本当に何者なの?」
「リム、俺は……」
頭上を弾丸がかすめた。二人揃って首をすくめる。光来の反撃を用心して一度止んだ銃撃が、再び始まったのだ。
「話はあと。とにかく今は、この状況を脱することが先決よ」
「そ、そうだな」
リムは手元の拳銃を見つめ、少し迷ってから質問してきた。とても言いづらそうな口調だった。
「キーラ、あなた殺そうって考えてた?」
光来は、頭の中でリムの言葉を反芻した。問い掛けの内容が浸透して戦慄した。
殺す? 俺が殺そうと思って銃を構えたかって訊いたのか?
そんなはずはない。俺は怖かっただけ、捕まりたくなかっただけだ。それはそうだろう。連れ戻されたら処刑してしまうんだから。
「そんなはず、ないだろう……」
声が小さくなり、光来は己を叱責した。
どうした。もっと自信を持って言え。俺はこんな世界で死にたくないだけだって。
「ワタシの目を見て。さっきのキーラは完全に、なんて言うか、殺してもいいんだと考えていたように感じた」
「そんな、そんなこと、俺は……」
それから先は言葉に出せなかった。光来は自問し、そして戦慄した。
本当にそうだったか? 威嚇ではない、明確な殺意を持って撃とうとしていたんじゃなかったか? ひょっとして、俺は自分で思っているよりも危険な思想の持ち主なのではないか?
リムはじっと光来を見つめて、ベルトから新しいブリッツの弾丸を取り出し装填した。
「本当に自分の身に危険が迫った時しか使わないと約束して。それから、絶対に当てないで。飽くまで威嚇用に使って。トートゥの弾丸を持っている者が銃を構えれば、それだけで相手は近づけなくなる」
「……約束するよ」
消え入りそうな声で約束した。リムは信じてくれたのか、それとも信じきってくれてはいないのか、どちらとも言えない微妙な表情だった。しかし、すっと銃を差し出し渡してくれた。
「もう一度言う。あなたはワタシが守る」
守る。その言葉が光来の体と心に浸透した。
俺はどうだ? 俺は目の前の女の子を信じられるか? ……当たり前だ。信じる。信じるしかないじゃないか。なにも知らない、なにもわからないこの世界で、たった一人の味方なんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます