決闘

「動くな! 二人とも銃をしまえ」


 二人の間に割って入るような声と同時に、二人の男が馬に乗って現れた。


「これはこれは、ケビン保安官」

「騒ぎがあると聞いて駆けつけてみれば、またおまえか。ネィディ・グレアム」


 ギムを撃った男ネィディ・グレアムは、構えていた銃を天に向けた。


「それは誤解ってもんですよ。先に仕掛けてきたのはこいつらのほうさ。見てください。俺の部下が撃たれて、まだ起き上がれない」


 ケビン保安官と呼ばれた髭を蓄えた中年男性は、周囲を見回した。現場を観察して、状況を汲み取ろうとする鋭い目だった。

 光来と目が合ったが、一瞬だけ目を留めただけで、すぐにネィディに視線を戻した。

 保安官というからには、治安を守るのが仕事なのだろう。ケビンの隣にいるのは、彼の部下といったところか。


「詳しい話は局で聞くから、銃をしまいなさい」

「待ってくださいよ。局に行って保安官の手を煩わせる必要はない。俺はこいつに決闘を申し込む」


 光来の胸に広がりつつあった安堵が一気に萎んだ。

 決闘って……なに言ってるんだ?

 なにを喋りだしてるんだよ。このネィディってやつは。


「……理由は?」

「大切な部下が撃たれたことも腹立たしいが、それ以上に許せないのは、このガキは一瞬とはいえ俺に銃を向けやがったんだ。そのとき、俺は撃たれるかも知れないという恐怖を味わった。これ以上の屈辱はないぜ」


 ケビンは光来に視線を投げた。


「銃を向けた……。彼の言っていることは本当か?」


 ケビンの問いに、慌てて銃を捨てた。


「誤解です。というより嘘です。彼がビビったなんてとんだ言い掛かりだ。それよりも、早く医者を……」

「おおっと。今度は人を嘘つき呼ばわりか。これは、なにがなんでも受けてもらわなくちゃならんな」

「ふざけるな! 早く医者を呼べ!」

「ふざけているのは、おまえだろうがっ!」


 ネィディが、素早い動作で内ポケットに手を突っ込んだ。そして手帳のようなものを取り出し、光来に投げつけた。


「うっ!」


 とっさのことだったので、思わずキャッチしてしまった。

 なんだ? と思い見てみると、それは手帳ではなかった。手帳なんかよりずっと厚みがある。

 光来には読めない文字がしっかりと印刷されており、なにかの書物だとわかった。


「受けた! おい、ケビン保安官、見たな? こいつは俺の『ルーザ』を受け止めやがった。決闘受諾だ」

「うむ、しかし……」


 光来にはわけがわからなかった。

 ルーザ? この本のことか? それを受け取ったからといって、なんだというのだ? 

 ケビンが、ゴホンと咳払いをした。


「きみ……名前は?」

「え? ……あ、アキラ。アキラ、キド」


 自分より一回りも年上の男に急に尋ねられ、素直に答えてしまった。しかも、ここがあまりにもアメリカ西部を連想させる風景だからだろうか、ごく自然に苗字と名前を逆に伝えてしまった。


「キーラ・キッドか。いい名前だ。キーラ、キーラと呼ばせてもらうよ。きみの恰好、見慣れない服装だが……かなり遠方から来たのだと思う。しかし、この国で生きている以上、ルーザを受け取ったことの意味するところを知らないわけではあるまい。きみは今、たしかにネィディの決闘を受けたのだ」


 ケビンの説明を聞いて、光来は戦慄した。

 これは、このルーザとかいう本は、昔のヨーロッパの手袋に相当するのだ。決闘を申し込む際に、相手に手袋を投げつける。申し込まれた側がそれを拾えば決闘を受けたことになるという風習があった。それとまったく同じ習わしなのだ。


「いや……これは、とっさに」

「受けない、というのか? ルーザを受け取っておいて決闘を拒否した者なんて、未だかつていないのだが……」

「知らなかったんだ! 俺はこの国の人間じゃない! そんな風習、知るもんかっ」

「こいつは驚いたな!」


 ネィディが吠えた。


「こんな恥知らず、お目に掛かったことないぜ! 一度受けた決闘を反故にして尻尾を巻いて逃げるか。おまえの残りの人生には臆病者のレッテルがついて回るなぁ」


 臆病者……。常に自分自身で思っていることだ。他人に言われたのは初めてだが、怒りは湧いてこなかった。代わりに、いつものやつが頭を過ぎった。精神的緊張が高まった時、それが毒素となり脳をジリジリと刺激する。あのどうしょうもなくイラつく感情だ。

 今までなら、黙ってことが流れ去るのを待てばよかった。後悔と屈辱感が残るものの、日常を送ることができた。

 しかし、今は……。 


「俺のことなんかどうでもいい。彼を医者に診させてくれ」

「卑怯者のいう言葉なんざ、聞く耳持たないぜ。さっさと失せな。わが身可愛さに友人を見捨てて逃げる臆病者ですって叫びながらなぁ」


 ネィディは、執拗に侮蔑の言葉を光来に投げ掛けた。

 ケビンが制するように、ネィディに向かって手を上げた。


「よせ。ネィディ。これ以上は侮辱になるぞ。キーラ、決闘を受けないのであれば、すぐにこの場を去りなさい。それが作法というものだ。倒れている彼のことは、我々に任せてくれていい」


 去れば彼が助かるのか。俺がこの場からいなくなれば。


「…………」


 光来は、のろのろと立ち上がり、ネィディに背を向け歩き出そうとした。

 しかし、最初の一歩が踏み出せなかった。まるで強力な磁石で吸い付かれているように、足が前に出なかった。

 違う。そうじゃないだろう。立ち去れば助けられるなんて、自分の行為を正当化する言い訳に過ぎない。このままじゃ、あいつの言うとおり逃げるだけだ。

 ……俺は臆病者だが、卑怯者じゃない。

 やっとのことで、一歩めが動かせた。ただし、ネィディに向かってだ。


「ほう?」


 光来の覚悟を感じ取ったのか、ネィディの顔から嘲笑が消えた。口元に笑みは残っているが、獰猛な殺気を帯びた微笑に変わった。


「キーラ、やるのかね?」

「……やる。決闘を受ける」


 ケビンの問いに、光来は静かだがはっきりとした声で答えた。

 ことの成り行きを見届けようと足を止めてたり、酒場から顔を出していた野次馬から、歓声が上がった。


「あの小僧、受けるってよ」

「相手は、あの稲妻のネィディだぜ。勝てっこないぜ」


 光来の神経を逆なでする声も聞こえてくる。二言三言の囁き声だけで、あのネィディという男が相当な使い手だとわかった。

 しかし、今更あとには退けない。

 光来はゆっくりと、しかし確実な足取りで捨てた銃に近づき、再び手に取った。先ほどは気づかなかった重さを、ずしっと感じた。

 腹に力を込め、ネィディを睨んだ。少しでも力を緩めたら、あの視線に刺し殺されそうだ。


「わかった。決闘責任者は私が務める。キーラ、きみはガンベルトをしていないが、それではフェアじゃない。自分のがないというのなら、友人のベルトを借りたまえ」

「…………」


 光来は、ギムのベルトを外しながら身体の状態を窺った。やはり出血は認められない。

 どういうことだ?

 疑問を抱いたが、ギムは苦悶の表情を浮かべている。まるで悪夢にうなされているみたいだ。急いだ方がいい。

 立ち上がり、ガンベルトをチェックした。たしか、普通にこのまま着ければいいはずだ。自分にとってグリップの位置がどこにあるのがしっくりくるかが、かなり重要になってくる。

 ぎこちない光来の動作に、ネィディがニヤニヤいやらしい笑みを浮かべている。しかし、敢えて無視して、ベルトを装着することだけに精神を集中した。

 ベルトを締め、銃をホルスターに収めた。バックルの跡が光来より三つも奥にあった。

 ずいぶん、痩せてるんだな。

 場違いなことが脳裏を過ぎるのと同時に、光来の中からなにかが抜けていった。それがなんであるのかは彼自身にも説明がつかなかった。

 爽やかなそよ風が吹いたような、体の中の毒素が浄化されたような、そんな感じだった。

 なんだ、今のは?

 そう思っている間にも、鼓動が下腹部にすーっと降りていくような感覚を味わい、息苦しさもなくなった。そういえば、指先やひざの震えも治まっている。奇妙なほどに落ち着いている自分に、軽い驚きを覚えた。

 諦めの境地にいるのか? それとも、肝が据わるというのはこういうことを言うのだろうか。

 肺の中の空気をすべて吐き出すかのように、長く息を吐いた。

 ケビンは、光来の準備が整ったのを確認した。


「準備はいいかね?」


 周囲の野次は遠くに聞こえるのに、ケビンの声ははっきりと聞こえた。ネィディのにやけ面だけがくっきりと見えた。今、必要な情報だけが入るように、感覚器が研ぎ澄まされている。そう実感した。

 光来は、ゆっくりと意思を込めて頷いた。


「方法はコイン。キーラ、わかるか?」


 コイン。なんとなく想像は付いたが、自分の、自分とギムの命が懸かっているのだ。万端の準備で臨みたい。

 光来は首を横に振った。

 ケビンはさりげなくため息をついた。


「私がコインを宙に投げる。そのコインが地面に落ちたら、決闘開始だ。お互い、三発以上の発砲は禁止とする。いいね?」

「一発で十分だぜ」


 ネィディが馬から降りた。ブーツからカツンと乾いた音が響いた。硬く乾燥しきった地面は、コインの音もよく響かせることだろう。

 馬上のネィディは手足が長く見えたが、彼が自分の足で立つのを見て、その印象は間違いではなかったと思った。

 光来の身長は百七十センチあるが、それよりも二十センチは高い。


「さっきまで泣き言といっていたガキが、生意気な目で睨んでくれるじゃねえか」


 ネィディが挑発してきた。

 しかし、光来はそれを無視した。奴の流れには乗らない。神経を集中させるんだ。銃を抜き、引鉄を引く。それだけだ。

 光来の視覚が、聴覚が、すべての感覚が、目の前の敵ネィディに向かっていた。

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