第25話 安息香(ベンゾイン)でノド健やかに


 寒い朝のことだった。


「パパ、なんか頭痛い……」


 いつのものように朝食の支度したく、といってもパンとベーコンエッグくらいなものだけれど、そのベーコンを焼いていた風間のところへ、起きてきた亜里沙がやってくるなりそんなことを言い出した。


「え……熱あるのかな」


 お気に入りのヌイグルミ片手にパジャマのまま、ぼんやり突っ立っている娘。そのひたいに手を当てると、明らかに熱く火照ほてっているのがわかる。心なしか顔色もいつもより赤い。


 とりあえず自室のベッドに戻らせて熱を測ると、38℃を超えていた。


「これは学校、休まないとダメそうだね。あとで病院いこう」


「……むー。今日、終業式なのに」


「通知表ならパパが学校にもらいに行ってあげるよ。どのみち今日は僕も会社休むし」


 娘を置いて仕事にいくわけにもいかないので、今日は有休休暇を使って家で看病するしかないよなと諦める。風邪くらいなら家で亜里沙を寝かせて、場合によっては午後から会社にいくこともある。しかし、インフルエンザの場合は、特に十代の子は高熱で異常行動を起こすことがあるので目を離すわけにはいかない。


 こういうとき、共働きだと夫婦で協力して交互に仕事を休んだりするのだろうが、あいにくうちはシングルファーザー世帯なので、風間が休むしかない。


 香奈が生きていたころは、共働きにもかかわらず自分が休むことはあまりなかった。亜里沙が小さくて保育園に行っていた頃など今よりもずっと病気にかかることは多かったはずなのに。


 それだけ香奈に負担をかけていたのだということに、今更ながら申し訳なく思うとともに感謝の言葉を伝えたいけれど、もう彼女はこの世にいない。


 リビングにもどって、亜里沙の学校と自分の会社に連絡を入れる。会社に電話すると電話口に出たのは恵だった。「わかりました! お大事になさってくださいね。こっちのことはご心配なさらず!」と言ってくれたのが、有り難かった。




 幸い、病院で検査した結果、インフルエンザは陰性。風邪でしょうということで、熱冷ましなどの薬をもらってきた。

 帰宅して娘を自室のベッドに寝かせると、おやすみと言うように彼女の柔らかい髪を優しく撫でた。


「亜里沙、病院混んでたから疲れただろ。あとでなんか消化のいいものでもつくってあげるね。なにがいいかな」


「あのね、パパ。アイス食べたい。ハーゲンダッツの期間限定のやつ」


「いいよ。買い物いくから買ってくる。ほかになにか食べたいものある?」


「んー、イチゴ。あー……でも、なんか喉いたーい」


 そう枯れた声で力なく言って、亜里沙は数度咳をした。痰が絡んでいるような水っぽい咳の音。

 さっき飲んだ薬だ効いてくれば、楽になってくるだろうとは思うけれど。


 風間は自分の部屋に戻ると一つの小瓶を持って、亜里沙の部屋に戻ってくる。そして、加湿器のタンクを開けるとその小瓶から数滴、タンクの水の中に落とした。

 精油が蒸気とともに室内に拡散されるのを待ってから、風間は指を鳴らす。


 あまいバニラのような香りが、室内を満たす。

 ベンゾイン。安息香ともいう精油だった。

 鎮静作用があり、ふんわりと気持ちを落ち着けてくれる精油だが、もう一つ有名な効果がある。それは喉にの不調に効くという側面だった。


 喉の痛みをやわらげ、呼吸器の粘膜を鎮静させて過剰な粘液や痰を排出しやすくしてくれる。文字通り息をしやすくしてくれるのに役立つ精油だ。


「おやすみ。亜里沙。僕はリビングで仕事しているから、何かあったらスマホで呼んでね」


 風間は亜里沙の部屋のカーテンを閉めると、娘の部屋をそっと後にした。


 リビングへ向かいながら、ふんわりとしたベンゾインのバニラのような残り香がまだ身体にまとわりついていることに気づく。

 ふと、


(僕の分もアイス買ってこよう。なんかバニラのアイスが食べたくなったな)


 珍しくそんなことを思ったりもした。


 ――――――――――――――

【ベンゾイン(安息香)】

 エゴノキ科の植物。


 緊張とストレスを緩和し、悲しみ、孤独、不安、ゆううつといった気持ちを和らげ、軽い高揚感をもたらしてくれます。


 また、身体作用としては、呼吸器の不調を癒やすのを助けてくれる働きがあります。

 去痰作用があるため、ベンゾインの含まれた蒸気を吸入すると、肺や気管支など呼吸器の粘膜を鎮静させ、過剰な粘膜や痰を排出しやすくしてくれます。


 さらに、傷を癒やす作用があるため、ひび、あかぎれ、手あれ、カカトのひび割れにも効きます。


【精油のブレンド】

 精油は一種類でも楽しめますが、いくつかの精油をブレンドして使うこともできます。

 ブレンドをすることで、複数の効果やより強い相互効果得られたり、揮発スピードの違う精油を組み合わせることでより長い間香りを楽しむこともできます。


 一般的なブレンドのやり方としては、精油を揮発のスピードによって『トップノート』『ミドルノート』『ベースノート』に分類し、トップ:ミドル:ベースを3:2:1もしくは3:3:1くらいの割合で混ぜ合わせます。


『トップノート』は1時間程度で揮発する精油でシャープな香りやフレッシュな香りが多いです。

『ミドルノート』はソフトな香りの物が多く、使い始めてから4時間後くらいまで香りがあります。

『ベースノート』は深く重厚感のある香りが多く、6時間以上香りが続くものです。


 以下、この小説で紹介した精油のノートを記しておきます。


 ≪トップノート≫

 オレンジスイート、グレープフルーツ、ジュニパー、ティーツリー、ペパーミント、ベルガモット、ユーカリ、ラベンダー、レモン、レモングラス、ローズマリー


 ≪ミドル≫

 イランイラン、カモミール、クラリセージ、ジャスミン、ゼラニウム、ネロリ、ブラックペッパー、スイートマージョラム、メリッサ、ローズオットー、ローズアブソリュート、サイプレス


 ≪ベース≫

 サンダルウッド、パチュリ、フランキンセンス、ペチバー、ベンゾイン、ミルラ

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