十数年後…

後日談


 十数年後の、あるよく晴れた日。

 風間家の墓の前で、恭介はしゃがんで手を合わせた。

 どれくらいの時間、そうしていただろう。


 香奈に、言わなければいけないことは沢山ある。

 あの日から、ずっと心の中で謝り続けてきた。

 あんなことすべきじゃなかった、と心の中で悔やみ続けてきた。

 香奈を亡くして、崩れていく風間の姿を見るのも辛かった。

 幼くして母を亡くしてしまった、亜里沙のことも不憫でならなかった。


 ごめんなさい。ごめんなさい。

 沢山、心の中で謝ってきた。

 でも、そんなもの。遺族にとっては、なんの慰めにもならないのだということもわかっていた。


 だから、今日。

 こうして、香奈の墓の前で直接、彼女に謝る機会を作ってくれた風間には感謝している。


 恭介は顔をあげると静かに立ち上がる。そして、後ろにいる風間に視線を向けた。

 久しぶりに見た彼は、ずいぶん白髪も増えていて、歳をとったものだと感じる。でも、自分はそれ以上に老けていることだろう。刑務所の冬は、雪が降るぐらいの寒さにならないと暖房をつけてもらえないことも多くて、本当に寒くて身体にこたえた。


「士郎。ありがとう。ここに来ること許してくれて」


「香奈も。お前のつら見て、文句の一つも言いたいだろうから」


「……そうだな」


 季節は、春。墓地の周りに植えられた桜の蕾が、ほころび始めていた。あと数日すれば、見事な薄桃色の雲海になるのだろう。


 風間が歩き出したのに合わせて、恭介も歩く。


「今日は、恵さんは?」


 風間は、十数年前に平野恵と再婚していた。二人の間には、男児も一人生まれたと前にもらった手紙で読んだのを思い出す。

 恭介が殺人で捕まったあと、当時付き合っていた恋人やほかの友人たちは皆、何も言わず去っていった。会社も解雇され、実家や親類とも疎遠なままだ。


 ただ一人、風間だけが、時折手紙をくれた。面会に来てくれたこともあった。

 でも、彼がいまだ自分のことを許していないことは、わかっている。殺しても殺したりないくらい憎んでいることも知っている。


「恵は、いま東南アジアの方に海外出張に行ってる。ひかるは、亜里沙の家に泊まりに行ってるよ。いま、春休みだから」


 恵は霧島工務店に戻って順調にキャリアを積み重ねているようだ。彼女が霧島工務店に戻るにあたって、風間の後押しがあったのは間違いない。

 亜里沙は結婚して、風間の家を出た。いまは、あのマンションで風間と恵、息子の光の三人で暮らしているらしい。


「お前。これから、どうするんだ?」


 風間が聞いてくる。恭介は薄い苦笑を浮かべた。

 殺人事件を起こして服役を終えた老人が、選べる選択肢などさほどない。


「いまは出所者を支援してくれるNPOの施設に厄介になってるんだ」


 今日、ここに着て来たスーツも、そこの人たちに借りたものだ。

 自分のものなど、今は何一つない。


「そこで、住める場所と俺でも雇ってもらえる仕事を探す。日雇いみたいなものしかないけどな。そうしないと生きていけないっていうのもあるけど……お前たちへの慰謝料も返さないといけないし」


 恭介は風間に対して約3千万円の慰謝料支払義務を負っている。

 たとえ自己破産したとしても、重罪による慰謝料は非免責債務にあたるので免責されない。一生、逃れることはできない。でも、それが恭介には却ってありがたかった。


「身体が動かなくなるまで働いて、慰謝料を払い続けるよ。少しずつでも」


 風間はしばらく黙って歩き続けていたが、墓地の出口近くまでくると足を止めてこちらを振り返った。


「恭介。落ち着いたら、連絡先教えろよ。……お前が死んだら、お前からもらった金で葬式くらい出してやるから」


 それが彼からの精いっぱいの歩み寄りだとわかる。

 こんな、殺されても文句も言えない自分に、そこまで気をかけてくれることが素直に有難かった。


「ああ。……ありがとう」


 ざわざわと桜の梢が風に煽られて揺れていた。振り仰いで、それを眺めながら考える。

 もし。あのとき。運転中の不注意で事故を起こしたあのとき。一人で抱え込まず、彼に相談していたとしたら。自分たちの未来は変わっていたのだろうか。

 人生に、なんて存在しないけれど、時折ふとそんなことを恭介は思うのだった。

 


(おわり)




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香りの魔術師~45歳リーマンは精油の魔法で揉め事解決~ 飛野猶 @tobinoyuu

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