第4話 ペパーミントで眠気さよなら
恵は眠気を誤魔化すように、
ここは、とあるマンションの管理人室。
恵と風間の二人はそこで、このマンションに設置されている監視カメラ映像のチェックをしていた。
恵の前にあるノートパソコンのディスプレイは画面が四分割されており、このマンションの正面玄関から外に向けられたカメラの映像、玄関ホールの中、郵便受け、裏口の映像がそれぞれ映し出されていた。
ただし、映像は早回しで流しているので、ちょっとでも目を逸らすと探していたものを見逃してしまう可能性がある。
だから一時も目を離すわけにはいかないのだが、この作業を始めてから数時間。途中何度か風間と交代しながらではあるが、そろそろ疲労が溜まってきてうっかりすると眠りの世界に誘われそうになっていた。
彼らが監視カメラ映像をチェックしている目的はひとつ。このマンションで、ここ最近頻発している、宅配ボックスからの盗難の犯人を見つけるためだ。
本来なら被害があった時点で警察に通報すれば済む話なのだが、住民の仕業だったり、霧島エステートが派遣している管理人の犯行である可能性も否定できなかったため、まずはできる限り犯人の目星をつけてから通報するかどうかの判断をしようという上層部の考えにより、営業第三係にその仕事が回ってきたのだった。
ただ座っているだけとはいえ、絶え間なく流れ続ける映像を長時間目で追い続けるのは疲れる。こめかみは
(しまった。一瞬、眠りに落ちてた。マズイマズイ)
ディスプレイの映像を一旦止めて、記憶にあるところまで巻き戻す。もう、何度となく同じ事を繰り返していた。
「すみません。そろそろ眠気が限界で。一旦代わって……」
後ろに座っている風間を振りかえってみると、彼は管理人室のデスクに突っ伏してスヤスヤと気持ちよさそうに寝息をたてていた。
「か、か、り、ちょう~」
恵が恨めしそうな声をあげると、その声で目が覚めたらしく風間はのっそりと起き上がる。
「……あ、あれ? ああ……ごめん。すっかり寝てた。お昼ご飯食べたあとって、眠くなるよね」
なんてあっけらかんと言う風間に恵はもうそれ以上何も言う気もなくなってくる。
風間はちらと壁の時計を見上げると、ああ、もうこんな時間か。そろそろ代るよ、と言って恵と席を交代してくれた。
「何か見つかった?」
「いえ、怪しそうなモノは何も。まだ誰もあの宅配ボックスの中身を取りに来てはいません」
この映像が撮られたのは、宅配ボックスの中身を盗まれたと被害報告があった日だ。宅配ボックスに宅配業者が荷物を入れたのが午前9時頃。住民が郵便受けに入っていた不在連絡票を見て宅配ボックスを開けたのは夜の12時頃。その間の15時間ほどの間に盗難が行われたことになる。
ディスプレイの中の映像は、そろそろ夕方から夜に差し掛かるころの時間帯を映し出していた。
「もうそろそろ、怪しい動きする奴が出て来てもオカシクないんだけどなぁ」
風間は傍らに脱いで置いてあったコートのポケットをまさぐると、茶色い小瓶を一つ取り出した。
恵にも、それが精油の小瓶だということはわかる。
「それ、何の精油なんですか?」
「ん? ペパーミントだよ。こういう作業してると、どうしても眠くなるからね。うとうとしてて見逃したあげく、もう一度最初から見直しなんてことになったら嫌だろ?」
風間が小瓶を開けて指を鳴らすと、清涼感のあるすっきりとした香りが辺り一面を満たした。
「なんだか歯磨きしたあとみたいな感じがします」
「歯磨き粉やガムなんかによく使われてるからね。にしても、君は本当に匂いに敏感だね。大抵の人は僕がこの力を使っても、ほとんど気づくことなんてないのに」
そういうものらしい。
ペパーミントの効果で、疲れと眠気でぼんやりしていた頭の中がシャキッとして、眠気も疲れも吹き飛んだような気がした。
「さてと。もう一踏ん張りしないとな」
精油のおかげで疲労感が減ったとはいえ、ディスプレイばかりを見ていて
こちらは昼から夕方になりはじめる時間帯。学校帰りの子どもや、買い物帰りらしきご婦人などが玄関ホールを通り過ぎていった。
「この人かな……」
「え? 見つかりました?」
恵も再びディスプレイを覗き込むと、風間は過ぎた映像を巻き戻してもう一度再生してくれた。
このマンションに設置されている宅配ボックスは大小合わせて12個。そのうち、この日に荷物が入っていたボックスは10個で、盗難があったのはそのうちの一つ。小包が入るタイプのもので、上から二番目のボックスだった。
玄関ホールを映し出す監視カメラの右手奥に宅配ボックスが映っており、その盗難があったボックスを今一人の若い女性が開けているのが映っていた。さらに映像を巻き戻すと、郵便受けのあたりを映した監視カメラに彼女の姿があった。彼女は一見郵便物を取りに行った風を装っているが、よく観察するといくつかの郵便受けの蓋を指で開けて中を覗いている。どうやら、ああやって郵便受けの中にある宅配便の不在票を探し、そこに書かれている宅配ボックスの暗証番号を盗み見ているらしい。
風間と恵は顔を見合わす。間違いない。盗難したのは彼女だ。
そのとき。あ、と恵は声をあげる。
「この女性、さっき管理人室の前を通りましたよ!?」
「え!?」
管理人室のドアから玄関ホールへ出ると、
そこへ風間が近づく。
「すみません。管理会社の者ですが、少しお話伺ってもよろしいですか?」
後ろから突然話しかけられたその女性は、はたから見てもはっきり分かるほど身体をびくつかせて風間を振り返る。
「な、なんですか!?」
声を
「最近宅配ボックスからの盗難が相次いでおりまして。念のため、住人の皆様には宅配会社の不在票を確認させていただいております。失礼ですが、不在票を見せていただいてもよろしいですか?」
彼女が不在票らしきものを手に持っていないのを分かっていながら、風間はそう女性に切り出す。女性は、慌てた様子でしどろもどろになりながらも、用事を思い出したといって足早にその場を立ち去ろうとした。
恵は思わず彼女を逃がすまいとして通り過ぎるその腕に手を伸ばそうとした。その恵を、風間が手で制す。
「無理に掴もうとすると、あとで傷害だなんだと言われかねないよ」
「で、でも」
女性はカツカツと靴を慣らして、玄関ホールを出て行こうとしている。このままでは取り逃がしてしまう、そう思ったとき。風間が女性の背中に向かって何かを投げた。液体のようなそれは空中を広がると、彼女の背中に到達する前に落ちるが、それよりも早く風間が指を鳴らす。
ふわっと広がる清涼感のある強烈にクールな香りが恵の鼻孔に届いた瞬間、立ち去ろうとしていた女性が「きゃっ」と自分の身体を腕でかき抱くようにしてしゃがみ込んだ。
「さっき使ったペパーミントだよ。冷却効果もあるから、冷やしてみた」
そう何でもないことのように風間は言うと、立ち止まって座り込んでしまった女性の前まで行き、何が起こったのか分からず驚く彼女に管理人室まで来てくれるように穏やかだが有無を言わせない声音で言っている。
どうやら彼女が歩いていた辺り一帯を精油の魔法で一気に冷やして脅かしたらしい。
(……おいおい。係長。それはいいんですか)
目に見えないってだけで、腕を引っ張るより酷いんじゃないかと心の中で突っ込まないではいられなかった。
――――――――――――――
【ペパーミント】
シソ科の多年草。
メントールが主成分で、すっきりしとた清涼感の強い香りはガムやキャンディー、歯磨き粉などで親しまれています。
頭をすっきりとさせてリフレッシュさせるほかにも、精神疲労を癒やし眠気を覚ます作用があります。また、吐き気や乗り物酔い、時差ぼけや、頭痛などの痛みの緩和、鼻づまりの解消に効果があります。
また、殺菌作用があり冷却作用も強いので、マッサージなどであまり広範囲に使いすぎたりしないようにしましょう。
妊娠中、授乳中、幼児は避けた方が無難です。
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