第16話 〈障害〉と〈反応〉

「代表的な症状は脳の海馬という部分がダメージを受けて発生する〈短期記憶障害〉――いわゆる物忘れです。他にも、今の場所や時間がわからなくなる〈見当識障害〉、言葉や行動が心と一致しない〈失語・失行障害〉、手順や段取りがわからなくなる〈実行機能障害〉などが挙げられます。そしてこの症状に対して周囲がをすると、大声を上げたり、うつ状態になったり、徘徊をしたり、介護に拒否的になって言う事を聞かなくなったりしてしまいます。

 そしてさらに深刻な状態になると、今度はオウウィルスを体内から完全に除去する事ができなくなります。身体の奥深くまで侵入したウィルスに、抗ウィルス剤が届かなくなってしまうのです。こうして手立てがなくなると、人は完全なゾンビ状態になります。先に挙げた四つの〈障害〉はより重症化し、さらにオウウィルスによって小脳の細胞を破壊されることで足元がふらつく〈歩行障害〉が現れると共に、前頭側頭部の破壊によって攻撃性が増し、反社会的な行動を誘引する〈人格障害〉も表出します。そこから発生するのがいわゆる噛みつきです。またオウウィルスは脳だけでなく様々な臓器不全や腐食を引き起こすようになり、目に見える形で皮膚や肉も腐りはじめます」


 話を聞いている何人かが視線をテーブルに落とした。まるで過去の記憶を思い出したかのように――そしてそれにはおれも含まれていた。


「人間は、脳が破壊されてはどうしようもありません。脳は一度ダメージを受けて欠損すると、それを再生させることができないからです。つまり慢性ゾンビ症になってしまった方は、軽度でも重度でも、先に上げた〈障害〉を負ったまま生活していくことになります」


 そう続けられたこれはおれでも知っているレベルの基礎知識だったが、俯いているおれ達からするとさながら追い打ちのようでもあった。だが壇上の女性の「しかし――」という言葉で、おれ達の視線がまた正面に誘われる。


「脳が欠損したことでできなくなる事実的な症状を〈障害〉という言葉にまとめた時、それによって生じる大声やうつ、徘徊、拒否、ひいては噛みつきなどの〈反応〉については、私たちがゾンビ症について正しい知識を学び、正しく対応していくことで、実は軽減できる部分ということがわかってきました」


 会場にハテナマークが飛ぶ。マイクを持った女性は会場を見回し、その反応に頷いて応える。


「つまり、ゾンビになったからと言って、必ずしもその人は人を襲うわけではないということです」



 講座は民生委員からマイクを受け取ったトランス支援センターの職員に引き継がれ、より専門的な話がはじまった。


 ゾンビトランスによって目に見えない〈障害〉を負った本人らは、そこで様々な想いを巡らすことになる。そしてその折に周囲が本人のストレスを刺激するような対応をした時、それは誰もが望まない形の〈反応〉となって現れる。


 例えば、食事の直後に「食事はまだか」と主張するタイプの物忘れについて――本人にとってそれは脳の器質的〈障害〉によって必然的に生じる“経験の消失”には他ならず、本人からすれば消失してしまった経験は事実ではなくなってしまうという話があった。満腹かどうかを管理する満腹中枢もこの場合は調整できていない事が多く、介護者がそれを理解しないまま「さっき食べたばかり」と説明を試みた所で、本人を納得させる要素はどこにもない。


 これについてのとしては、本人が食事から興味が逸れるよう別の事に注意を向けるようアプローチすることだと職員は語った。食後も本人の関心が食事から離れない原因は、他に関心を向ける対象がないから――要は退屈だからなのだという。あるいは徘徊や、夕方になると落ち着かなくなる“夕暮れ症候群”についても〈反応〉の一つなので、これも正しい対応により頻度を激減させる事が可能であるとのことだ。曰く、家が安心できる場所であると感じていないためだと、マイクを持った精神保健福祉士のおばさんは得意気に会場を見回した。


 会場には、目から鱗といった様子で顔を上げ正面を眺めている人が多くいるようだ。しかし一方で、おれは頭を抱えていた。母の徘徊を思い出していたのだ。つまり支援センターのおばさんの話によると、母が徘徊した原因はおれのとやらによるものらしい。母がおれと過ごす時間は、母にとって安心できる時間ではないという事だ。または、退屈をさせないように?


 いずれにせよ、母の“調子のいい日”“混乱が強い日”の波とは、結局のところすべておれの関わり方一つが原因であると言われているような気がしてならなかった。いや――実際のところ、それは事実なのかもしれない。母とやり取りする時間は、母の難聴もあり、そもそもが多いわけではない。お互いがそれぞれの時間を過ごす中で交差する生活上の軸の、その限られた時間の中にあるごく僅かなものこそが母とおれとの会話だった。


 本来であれば、もっと母と会話をし、もっと母を気遣うべきなのだろう。けれど、果たして本当にそんなことがおれにできるのか――おれには全くと言っていいほど自信がなかった。


「ゾンビトランスで苦しんでいる方と接するときは、とにかく優しく接してあげてください」


 そんなことができればどんなにいいだろう。

 まるで責められているかのようだった。

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