第5話 打ち明け

 翌日、早速おれは赤堀にそのできごとを打ち明けた。昼休みの時間では足りなさそうだったので、仕事終わりに夕飯に誘った。


「やっぱりこれ、ゾンビ症の症状だよな」


 チェーンのイタ飯屋には学生や若者が多く、賑やかというよりは騒がしい。


「そうですね……」赤堀は、雑な山盛りポテトをつまみながら言う。「いずれにしても検査はしておいた方がいいですよね。違ったら違ったでそれでいいとして」


「ただ、どうやって病院に誘えばいいかわからないんだよな。お前は自分ちのばあさんをどうやって病院に連れたいったんだ?」


 赤堀は自虐的に笑う。「もう強制連行ですよ。暴れるばあちゃんを僕と父で抑えつけて連れていきました」


 おれは素直に驚いた。「そんなに酷かったのか」


「やっぱり脳がダメージ受けてて人格も少し変わっちゃってたみたいなので」


 赤堀はあっけらかんとした調子でポテトをタバコのように加え、それを上下に動かしながらそう言った。


「そうか。よく連れていったな」


 なによりおれは、赤堀の明るい笑顔に関心していた。おれがこれだけ暗い気持ちで話をしているのに、赤堀はそれを快く受け止めてくれている。それもただの軽い受け止めではなく、自分の身内の事を打ち明けながらだ。その明るさの根底には、なにがしかの覚悟があるように感じられた。強制的に病院に連れて行ったことが、もしかしたら赤堀の目にそれを宿らせたのかもしれない。そしておれもまた、亡き家族に誓った覚悟を思い出した。


“ゾンビがいなくなった世界で、精一杯幸せに人生を全うしてやること”


 もちろんそれは母と共に――だ。

 そしてその形を体現しようと努力している人間こそ、目の前にいる赤堀だ。誤魔化しながら――なにかに怯えながら日常を送るのではなく、なにかを変える一歩を踏み出す事。


「辛かっただろうに、本当によく連れて行った」と、おれは繰り返した。


「ありがとうございます」赤堀はさらにポテトをつまみながら言う。「おかげでゾンビ支援の専門職の人も担当になってくれて。でも、まだまだ道のりは長いって感じですよ。プラザサービスに行くのをすごく嫌がっていて」


ゾンビ後遺症発症者トランサーが通う施設だったか」


「そうですね。実家にはじいちゃんもいるんですけど、ばあちゃんと一緒だとイライラしちゃうみたいで。またおれ次の休みに実家に帰って、ばあちゃん説得する予定です。もうおれのこと覚えてないかもですけど、それでも他の家族が言うより僕が言った方が入り良いみたいなんで」


 赤堀の話を聞くに、やはりすべての第一歩目は病院受診だった。

 病院さえ受診すれば、その医師は主治医になる。主治医は、当事者が支援を受ける根拠を医療の視点で提供してくれる。そして後遺症トランス判定――通称“ゾンビ度認定”を受ける事で、行政が提供するトランス療養保険により――これも通称“ゾンビ支援サービス”を利用することが可能となるわけだ。



 家に帰ると、母は熱心な様子で身を乗り出してテレビにくぎ付けだった。テレビは、いかにゾンビになったら大変かを特集している。慢性ルートで重症化しゾンビになった息子を介護していた母親がその息子に噛まれ、親子そろってゾンビになってしまったという。緊急アプリは正常に動作せず、息子に腹部を食い破られた母親は誰かに助けを求める事もできないまま、急性ゾンビ症を発症した。そして周辺に住む高齢者たちに噛みついてまわり、やがて二人とも地域の若者たちに撲殺されたという。相変わらずおぞましい内容だった。ゾンビになったら本当に終わりなのだと実感させられる。


「ただいま」


 難聴の母はテレビに意識が入っていて気付かない。


「ただいま!」と、腹から声を出す。


「ああ! おかえりなさい! ……あれ、もうそんな時間だったかしら」


 頬に手を当てながら、母はおれに向け困り笑顔を作った。


「最近、いろんな事がわからなくなっちゃって、イヤになっちゃうわね」


 力なく笑いながら母が言う。おれは、綺麗に片付いたリビングやキッチンを見回した。つまり、メシはまだできていないという事だ。キッチンにある資材を確かめ、冷蔵庫を開けてみる。今日もまた綺麗な食器が丁寧に陳列されている。それをみると、今日はなんだか少し笑いが込み上げてきた。赤堀のおかげかもしれない。懸命にこれを並べる母の様子を想像すると、“がんばったんだな”と思う事ができた。


「今日のメシはおれが作るよ」


 正直言って、仕事の疲れは頭から目の内部から肩から足から強く重力に引っ張られて全身ダルい感じだ。やっと家に帰って来れたので、もうこれ以上は外に出たり動いたりしたくない。それでも、今日は口に出したことを思う事ができた。


 おれは母を連れ、近所のスーパーへ向かう。時刻は夜九時をまわっていた。途中に通り過ぎる飲食店の灯りを恨めしく眺めながら通り過ぎ、母と共に食材を選ぶ。チャーハンを作ることにした。母の財布は小銭でパンパンに膨らんでいて、レジではさらに札だけを出そうとしている。


「細かいのあるならそれ使えよ」


「うーん。よくわからなくて。面倒くさいから!」


 明るく答えた母だった。

 もっとも、いずれにせよおれは母に財布を引っ込めさせて、自分の財布から金を出す。母の代わりに支払いをするというのは、恥ずかしながらこの歳でありながら慣れないものがあった。外食からなにから、金を支払うのはいつも母親だったのだ。


「ごめんねぇ、ありがとねぇ」と母は言った。


 おれは笑いながら答える。「無職の人に払ってもらうわけにはいかないだろ」


 こんな調子でいいのかもしれない。

 こんな調子であれば、なんとなく――おれはうまくやっていけそうな気がした。

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