後章 寄り添い編

第11話 訪問者

「民生委員?」

「はじめまして三上さん~! やっと会えた~!」


 鈴城すずしろと名乗ったおばさんは、身体をくねらせて笑顔を強くした。


「実は昼間に何度も訪問していたのよ~? でも全然お母さん出てきてくれなくて!」

「……母の事を?」

「ほら! 大家さんが心配しててね~!」

「……心配?」


 おれがそう聞き返すと、民生委員と名乗る鈴城は少しだけ間を作った。柔らかながらも少しだけオーラが変わり、これから違う話がはじまるのだと覚悟をさせられる――が、そのほんの数秒の間をおれは我慢できなかった。


「……母がなにか?」


 民生委員は――喉まで言葉が出ていたのだろう。それをおれの言葉で抑えつけられて、少しだけ動じたような仕草をした。覚悟がないと言い出せないかのような、そんな風だ。鈴城は何度か小さく頷いておれに応えると同時に、次は自分が喋る番であると制してくる。笑顔がおれの背後の廊下に向かい、母を探す。振り返るが、母は出てきていない。鈴城は改めて息を吸い込んで、そして言った。


「お母さん。もしかして、ゾンビなんじゃないかしら」


 そう言われることはなんとなくわかっていた気がする。気がするが――しかしそう言われた途端、おれはなにかにズシンと押しつぶされた気がした。



 今まで、母と共に生活をしてきた。

 オウウィルスが検出され、薬を飲めていない期間が長く、母は確実にゾンビトランスへの道を歩んでいる。そして医師が言うにはある程度ウィルスの浸食が進んでしまうとウィルスは身体の隅々で生き残り、一度陰性診断を受けてもまたしばらくしてそれは増殖をはじめるのだという。


 抗ウィルス剤は副作用も強いため長く飲み続けるわけにもいかず、定期健診で経過を観察している現在だ。母は徐々に認知機能の低下とやらを今も進行させている。


 しかし、おれはそれでも今まで母と共に生活を続けてきているのだ。その生活が、表面張力のように危ういバランスであることはわかっている。しかしだからこそ、外部からのわずかな力で簡単に崩れ去ってしまう生活であることもわかっている。そしていつか、その時は訪れるのだ――


 それならば、今はまだ。


「そっとしておいてもらえませんか。母の事はよくわかっているつもりです」


「でもね~。みなさん心配していらっしゃるのよ。……ほら。ゾンビって、噛むじゃない」


 さらにズシンと重いものが落ちてくる。

 確かにテレビではそのように報道されている。

 しかしおれの母は、これまで一度だっておれを噛もうとしたことなどない。


「母は大丈夫です」

「うーん。そうよねぇ。でも、もしゾンビだったら大変じゃない? 周りの人に迷惑がかかっちゃうのよ? 近所の方がお母さんを見かけたって言うのよ。その時の様子がなんかおかしかったって。だから心配なの。本当に家では大丈夫なの? 男の方は中々変化に気付けないっていうけど……」


「御心配には及びませんから」

「じゃあ、病院は? 病院にだけは行ってみたら?」

「すみません、もう」

「みなさん心配しているのよ。もしなにかあったらいつでも相談して頂戴ね。民生委員の鈴城です」


 そういうと、そのおばさんは名刺をおれに渡してきた。おれはそれを受け取って、彼女を遠ざけるように扉を閉める。ガチャリと鍵をかけ、その扉にもたれかかる。外で人の気配がして、どうだったのか、話せたのか、息子は理解あるのか、問題は深刻かというやり取りがされている。


 おれは名刺を持ち上げてみた。

 民生委員、鈴城と書かれている。

 そこに一滴の涙が零れ落ちたことに気付く。


「あら、お客様?」


 母が奥からやってくる。

 おれは首を振って答えた。「……別になんでもなかったよ」


 しかし母は、そういうおれの顔を覗き込んできた。


「どちらさまだったかしら」


 おれの顔をまじまじと見つめる母。

 どこかで聞いたことがある。ゾンビトランスが進行するとその人は物忘れが進み、家族の顔も忘れてしまうというあれだ。しかし、今のおれにはもう落ち込む力すら残されていなかった。


「おれだよ。佑介」


「え! あぁ! ユウちゃん! そうよね! どうしてだろう……私、ユウちゃんのことわからなかった……。なんだか最近おかしくなっちゃったみたい」


 今日は“認められる母”か……。


「私、どうすればいいのかな……」


 母はそう呟きながらリビングへと戻っていく。母の疑問に、おれは答えを持っていなかった。



 ゾンビ症に対し最も有効とされている病院受診を終えた今、おれたちはただ、現状の緩やかな下降を受け入れて暮らしていく事しかできないのだろうか。


 だとしたら、そんなおれたちの人生は、もう約束通り”精一杯楽しむ”なんてことはできないんじゃないだろうか。


 だとしたら果たして、これからも生きていく意味はあるのだろうか――


 世間を騒がせている、介護がらみの不穏なニュース。それがとても他人事とは思えないように、おれは思えた。



 *



「電話してみた方がいいと思いますよ」


 おれと赤堀の昼食の場所は、冬季限定で事務所近くのハンバーガー店のカウンター席になる。おれの横に座る赤堀は、昼間販売が解禁されたハッシュポテトを食べながらそう言った。店の奥ではポテトでも揚げあがったのか、ピロリ・ピロリとアラームが鳴っている。


「あのにか? 断る」とおれはてりやきバーガーにかぶりついた。


 先日、おれの家に訪ねて来た鈴城は、高齢になっても芸能人として人気を保ち続けているブルゾンを着たちえみによく似ていたのだ。あの日――彼女が訪問してきた際に味合わされたあの屈辱のせめてもの腹いせに、おれは鈴城のことをちえみと名付けてそう呼んでいた。


 赤堀は、そんなおれの様子をみて笑いながら頷いた。


「あのちえみにです。なんでかっていうと――僕のばあちゃんも、実は数年前まで僕の地元で民生委員をやってたんですよ」


「その民生委員っていうのは、行政の職員かなにかなのか?」


「全然。給料もらいたいくらいだって嘆いていたので、ボランティアみたいなものだと思います。そのばあちゃんが言うには――民生委員っていうのは地区ごとに担当が決まってて、“なにかあったときのご近所さん”っていう風に僕には説明してくれていましたよ」


「なにかあった時のご近所さん……」


「子供からお年寄りまで、なにか困ったことがあればいつでも相談してくださいって人です。いろいろ研修会みたいなのに参加もしているみたいだし、守秘義務もあるみたいだし」


 そして赤堀はフィッシュバーガーを口に頬張りながら付け加える。


「とはいっても、うちのばあちゃんはご近所さんにこっそり色々話していましたけどね。まぁプロじゃないので、意識の低いうちのばあちゃんみたいな人が民生委員になると、そんなもんです」

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