エピローグ

最終話

 日本で安楽死は認められていない。

 つまり、ゾンビになる前に死にたいと言って死を選ぶことは日本では許されていなかった。人がゾンビになるとそれはようやく人として認められなくなり、それによってようやく〈措置〉が許される。〈措置〉の方法は基本的に二種類で、社会医療連携ケアパスアプリで駆け付けた有資格者が薬物を使用するか、あるいはおれも実際に手を染めたお馴染みの野蛮な実力行使をおこなうかだ。おれは可能な限り前者を考えていることを伝えた。


 ゾンビトランス症が進むと、人はゾンビになる。ゾンビになるとはつまり、人を襲うモンスターになってしまうということだ。それは、ウィルスによってダメージを受ける脳の――前頭側頭部の物理的損傷による器質的な障害であるため、トランスの最終段階の状況にあってはどんなに反応を抑えるような対応をしたところでその効果を期待するのは難しい。


 しかし星紘が一番心配をしていたのは、その人がという事だった。


「先のお母さんの様子を見るに、今は生きる目的を見失っているように思えました」


 おれは母の二回目の“ありがとう”を思い出す。それは力の弱い声で、確かにそんな風だった。


「生きる目的を失ったままの療養生活は、人をモンスターにしてしまいます。そうなるとその人はどんなに手厚いケアを受けても満足することができず、次から次へと要望を訴えるようになります。しかし、どんなに丁寧に対応をしてもらったところで、その人は決して幸せにはなれません。なぜなら、生きる目的がないからです。ケアへの要望はどんどんエスカレートしていきます。周りも疲弊します。こうなってしまっては、本人にも周囲にも、いい事はなにもありません」


「そのために必要なものが、生きる目的――ですか」


 星紘は頷いた。「最後まで生きなければならないと思える目標を、これから見つけていく必要があります。病気の進行もある中で、これはかなり難しい事だとは思いますが」


「それについては大丈夫だと思います」と、おれは平然と答えてみた。なぜなら、おれと母は忘れていないからだ。「最後まで幸せに生きるという約束があるんです」


 そしてもし仮に今後、母がそれを忘れてしまったとしても、おれは母の代わりにそれを憶えていることができるのだ。その時はおれが母の手を引いて、その隣を歩いてやればいい。きっとたくさん会話ができるだろう。


「母はきっと大丈夫です」おれは自信をもってそう答えた。



 星紘が来た日から二ヶ月ほどが経っていた。

 あれからおれと母はケアマネジャーと契約し、トランス支援サービスを本格的に利用しはじめている。最初は嫌がっていた通所プラザサービスも今は母にマッチした事業所が見つかり、週二回のペースでご機嫌で通っている。


 この間、おれは一つの決意をしていた。

 それは純粋に“自分と同じ立場の人を助けたい、力になりたい”というものだ。


 おれと母のこれまでの事を振り返ってみると、そこには様々な立場の第三者が関わってくれていた。“介護は家族”という印象が強い日本社会だが、それだけではダメだという事をおれは身に沁みて体感している。


 なにか自分にできる事はないだろうか――

 おれは星紘に問いかけてみた。


 星紘はおれの申し出をとても歓迎してくれた。しかしボランティアについては、“自分のためでなく社会のために元気になる高齢者チーム”の活動ですでに人材は足りているという。そのうえで星紘はこんな提案をしてきていた。


「三上さんが勤める会社で、なにかゾンビトランスに関わる事業を持つことはできませんか? ビジネスチャンスという言葉を使うと少し卑しい感じもしますが――ビジネスという概念の解釈を“人を幸せにするためのニーズ発掘と解決法の模索”として捉えた時、もしあらゆる企業がゾンビトランスについてそれを真剣に考えてくれると、僕の立場としてはとても心強いと感じます。なにより福祉の“制度”だけでこれからの日本をどうにかしようとすると、将来的に日本はディストピアになってしまう」


「ディス……?」


「すみません、SF用語です」と星紘は笑う。「そこに生きている人たちに選択権がないほどの管理主義が徹底される社会の事を指しています。もうすでにそんな社会になりかけているかもしれませんが……僕たち福祉の人間にゾンビトランスやそういう部分を任せっきりにしていると、どうしてもそうなってしまいがちです。そこに企業の力が入ってくると、僕からするととても心強いですね」


 そもそもボランティアに誘われなかったのは、おれとしてはかなり意外だった。そしてそれだけではなく、自分の会社でできることときた。それも、ビジネスとして――


「考えてみます」


 新規事業の立ち上げは、零細企業のウチでは中々難しい部分がある。しかしおれは本気で、自分が母と過ごしたこの経験を誰かのために活かしたかった。


 おれは赤堀とも相談をし、自分たちの会社でできる新規事業立ち上げについての資料をまとめあげ――


 そして、2040年5月の夜。

 常務に相談がある旨を打ち明けると、彼はそのままおれを居酒屋へと誘った。


 一日の解放感と苦笑いが交差する店内で、おれたちは生物学的な習性としてまずビールを注文し――すぐにお通しと一緒に運ばれてくる。ドンと置かれたジョッキをそれぞれ握りしめて、おれ達は小さく乾杯をする。足元のバッグには、赤堀と共に作り上げた企画書がある。しかしこれを見せる前に――まず、常務に伝えておかなければならないことがあった。


 それは母とおれが送ってきた、ここまでの生活の事だ。

 どのようなことに苦労し、どのようなことに救われ、そしてどのようにして最後のその瞬間を覚悟することができたのか。身内がゾンビになったなど言いにくい事ではあるが、もしかしたらこれからはそういった時代ではないのかもしれない。乾杯のあとにビールを喉に流し込んだおれだったが、常務はじっとおれの言葉を待っている。彼もまた優しい人間だった。


 そんな常務に面と向かったおれは、一回だけ息を大きく吸い込んでから――

 真っすぐと、視線を向けた。





母がゾンビになりまして  END

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参考文献:

『旅のことば

  認知症とともによりよく生きるヒント』

 著・慶應義塾大学 井庭崇研究室

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母がゾンビになりまして 丸山弌 @hasyme

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