第19話 現実逃避

 冬は冬であるものの、その日差しはいよいよ春を感じさせるものになっていた。

 あの日を境に、鈴城や清水といった“新たな母の友人”は、マンションや近所で母とすれ違った時などは声をかけて様子を気遣ってくれている。そのおかげなのか、母の調子はここ最近が今までで最も良いようだった。


 会話もできるし、おれが息子であることも覚えている。調理は火が怖かったのでIHに替えたところ使い方がわからなくなってしまったが、おかげで変な味付けの料理が作られてそれを捨てるという手間はなくなったし、それでもご飯だけはしっかりと炊いておれの帰宅を待ってくれている。夜もしっかり寝ているし、特に朝起きた時の表情が今までに比べてとても明るいものになっていた。


「じゃあそろそろ行ってくるよ」と、おれはネクタイを締めてバッグを手に持つ。


「行ってらっしゃい。最近、部活が楽しそうでいいわね」


「部活?」


「あれ。あら? あはは、やだぁ」エプロン姿の母は照れ隠しに笑って続ける。「昔のユウちゃんかと思って自然に出ちゃった」


 このように、正直に間違いを認める事ができるようになったのも最近のことだ。母の表情に緊張はなく、自身の失敗に怯える様子もない。


「おれの腹をよくみろよ。高校時代のおれはこんな腹はしてなかったぞ」


 中年の象徴であるだらしのない腹をポンと叩く。おれと母は二人して笑いあう。気付けばおれも、そんな母に対して“優しく対応する”事ができていた。


「違うわよ息子さん。あなたねぇ、それが自然とできているんだから、それは“対応”なんかじゃないでしょう? それは息子さんとお母さんの――親子同士の自然なやりとりです」


 厚化粧の鈴城が、いつもの笑顔を見せながらそう言った事がある。少しだけ嬉しかった事を覚えている。


 母が混乱する事は、今では極めて稀になっていた。脳の死んだ細胞が復活する事はないとの話だったが、母の様子はまるでその奇跡が起こっているとさえ思えた。


 もしかしたら母はこのまま以前の母のように戻っていくのかもしれない――本気でそう思いそうにもなる。けれど、どうしてもそれだけは、おれの現実逃避でしかなかった。



 2040年、3月。

 この日、おれは母を定期受診に連れて行った。前回受診時におこなった検査結果が伝えられる事になっている。これまでオウウィルス検査はずっと陰性続きで、母の状態も良くなる一方だ。あの講座以降、すべてがうまくいっているかのようだ。当然おれは医療の面でもなんらかのいい報告があるものだと期待していた。看護師によって診察室に迎えられ、医師の前に母が座り、一歩下がった所の椅子におれが腰かける。スッと、医師が息を吸う。



「ゾンビですね」


 レントゲンやMRIの写真を眺めながらそう言った医師は、どこか心ここにあらずのようだった。おれの手前に座っている母の肩がビクリと揺れる。白い床と壁。パソコンが置かれたデスク。簡素なベッド。古臭いパイプ椅子。どこかに窓があるのか、淡い緑色のカーテンが揺れている。


「薬を処方するので、しばらくこれで様子を見てください」


 医師は椅子をくるりと回転させてこちらを向き、母を通り越しておれを見つめた。紺色のスラックス。白いYシャツ。ワインレッドのネクタイには猫のシルエットが水玉状に描かれている。おれと同年代程度――ギリギリ昭和生まれだろう医師だった。表情には皺が多いがまだ活気の色も残り、それなりの苦労を経て開業医に至ったのだろうと想像してみる。


 その信頼できそうなオーラを放つ母の主治医の表情は、すでに必要な話を終えたあとのそれだった。おれと母が立ちあがるのを待っている風で、すがりつくように、おれは声を絞り出す。


「オウウィルスは……、ずっと陰性が続いていたと思いますが……」


 仕方なさそうに医師は答える。「ウィルスは今回も陰性でしたよ。問題なのは脳の萎縮ですね。前に抗ウィルス剤を飲まずに 放置している時期があったでしょう。その時のツケがここで出てきているのかもしれません」


 オウウィルスについてはまだまだ分かっていない事が多いが、感染している期間が長くなるとウィルスが身体の奥深くに侵入し、ゆっくりと蝕みはじめるという話は講座でもされていた。


 朗報を期待していた分だけそのショックは大きく、おれは頭が真っ白になった。母の薬を管理し、母とのやり取りで生じるストレスに耐えつつ、買い物や調理や洗濯や掃除をこなし、仕事もこなし、今日のように必要があれば有休を取って母の時間に当てる――


 さらには家族であるおれだけでなく近所の人も巻き込んで母の良い反応を引き出すよう努め、そしてそれがまさに目に見える効果を上げはじめている、そんな折りだ。これだけの事をしていても、母の病気は脳内という目には見えないバックグラウンドで密かに実行されていたのだ。



 自宅に戻る。

 落ち込んだおれと母はテーブルに重く身体を落とし、特に会話もなくテレビをつける。いつもの如く、ゾンビの特集がやっている。


『慢性ゾンビ症はとても怖い病気です。ゾンビトランスはゆっくりながら確実に進行し、やがては皮膚が腐り、凶暴になり、家族へ噛みつこうとします』


 それは一体どこのゾンビだと思いながら、おれは電源を切った。立ち上がって風呂を掃除し、夕食を作り、その間、母に声を掛けて先に風呂に入ってもらう。


 沈黙も重苦しいので料理ができたタイミングで再びテレビをつけてみる。飽きもせずにゾンビトランス特集番組がやっている。誰もが驚く新たな発見があったという事だ。しかし本当に重要な発見であるなら、それはニュースで扱われるはずだ。今見ている番組はバラエティだった。


 なんでも、ゾンビトランスは誰でも予防することができ、場合によっては一度ゾンビになっても治せるかもしれないという。


 予防法は、簡単にまとめると正しい生活、正しい食事、正しい運動、正しい社会参加をしていくことだそうだ。基本的には健康な生活こそ万病の薬になるので、確かにそれらは大切な事かもしれない。けれどゾンビトランスに怯えるが故にそんな“正しい生活”を送る事こそまるでゾンビのようではないかと――今の意地悪な気持ちになったおれは思ってしまう。


 次いで語られたゾンビの治療方法も、今のおれだからこそ一笑できる内容だった。


 ゾンビになった場合の人間の問題行動は、アメリカの某大学の研究によると七十二個に分類する事ができるのだという。特集に出てきた外国人はその七十二個の原因一つ一つを埋めて行くようなアプローチで、短期記憶が低下していたゾンビ後遺症発症者トランサーのその症状を劇的に改善させ、以前と同様の生活が送れるようことに成功したと誇らしげに語っていた。


 おれは母を見てみる。

 それならば、おれの母も治ったと言えるだろう。しかし真実は医師の言葉通りなのだ。


 可哀想に。

 世の中にはこの番組の内容に一条の光明を見出そうとする人たちもいるだろう。そう考えるとあまりに残酷で無責任な番組だとおれは思った。病気による〈障害〉が治る事と、〈症状〉が表に出てこない事は、似ているようで全く違う事なのだ。番組ではその部分はボカされたまま、ゾンビに対する医療の進歩に拍手がされて幕を閉じた。



 その日、おれと母は共に言葉少なに夜を過ごし、そして朝を迎えた。


 目覚めた瞬間、おれはまだ目覚ましが鳴っていない事と、部屋の外からガサゴソとなにやら人の気配がする事に気がついた。


 重い身体を起こして廊下へ出てみる。

 不意にじっとりとした尿臭が鼻をついた。


 廊下には母がしゃがみこんでおり、少し遅れて足から伝わる生暖かい違和感を覚える。すぐに、それが母の尿であると気付いた。

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