第20話

「あら……」


 噴水の前に座っていたトメーコさんが、優しく笑う。


「外は雨ですか」


 雨に濡れた私の頬に、優しく触れる。


「……トメーコさん、私……っ」


 雨はまだ、この花に守られた箱庭でも降り続ける。

 涙の雨が。


「私っ」


 言葉が紡げない私を、トメーコさんは優しく抱き締めてくれる。

 何も聞かず、ただ、優しく、暖かく。

 大人の優しさは、私達子供は酷く鈍感で、残酷な程分からない。

 何も聞かない優しさ。

 厳しさで守る優しさ。

 それでもいいと、優しい大人たちは言うのだ。

 でも、気付くのはきっと、子供にとっては遠い遠い未来の話。

 自分が大人になってから、漸く気がつく。

 その、遠回りな大きな愛情に。

 そして、気付いて泣くのだ。泣くしかできないのだ。

 精一杯子供として生きていた自分に。悔しさと、その優しさを抱きしめて。

 ただ、泣くのだ。


「私は、何でこんなに弱いんだろう……」


 漸く泣き止んだ私は、肩を落としてそう呟く。


「あら。軍神様のお言葉だとは思えない言葉ですね」

「本当の私は、軍神じゃないもん……」

「それでも、勇ましいお噂は聞くというのに」

「私、勇ましくなんてない。ただ、子供が自分勝手に走ってるだけだよ。私、まだ子供なんだって、良く分かった……」


 事故の後遺症で体は大きくなっちゃったけど、中身は普通の女子高生のまま……。

 見た目は猛将、頭脳は高校生なんだよ。


「私の言ってる事って、正しかったのかな……」

「あらあら。不思議なことを仰るのね」

「だって、私何も分かってなかった。心眼の使い手なのに、目に見える優しさしか、分からなかった。そんな私が、言った言葉に、何の重みがあるんだろう? そんな私が、正解なんて導き出せるわけがないよね……」

「また、不思議なことを仰ってる。あなたの中の正解は、誰も決めれない。そして、あなたは誰かの正解も決められない。正解とは、決断を下した後の他人で決まるものなのです」

「それって、どう言うこと?」

「ふふふ。子供には少し早かったかしら?」

「もうっ! トメーコさんったら! はぐらかさないでよっ!」

「言葉のままです。正解なんて、人によって違うもの。もし、あるとすれば自分が下した決断で、誰かの意思を動かした時。他人は変われない。でも、貴女の決断で誰かを変えられたならば、それは正解と言っていいのかもしれない。そらぐらい、正しさとは曖昧で、優しさよりも見えないものなのです」


 トメーコさんの言葉は、とても大人な意見で子供の私には難しかった。


「だからこそ、自分が正しいと思って下した決断は、人を変えてしまう可能性を常に孕んでいる。正しいと自分が思えない事で他人を変えるだなんて危険が。だから、自分の正義だけは揺らがず、疑わず持ち続けなさい。今の貴女の迷いは、貴女から強さをもらった者への冒涜です」

「でも、私は今まで……」

「そして、その思いは貴女の強さの証でもある。自分の強さを後悔してはならない。貴女の強さは人を救う強さなのだから。貴女がもし、今まで見えてこなかったものを後悔するのであれば、貴女の正しさを疑うよりも、これから見えなかったものを掬い上げる術を探すべきなのです。人は、そうして大人になるのですか」


 大人に。

 

「私、大人になれるかな……」


 直ぐに、ウジウジして、落ち込んで。

 そんな私が大人に、トメーコさんや双彗さん、老統師さんみたいなちゃんとした大人になれるのかな?


「なれますよ。なれぬはずがないのです。だって、今貴女は変わろうとしている。子供から、大人へと」


 まるで、蝶のようにとトメーコさんは笑った。


「子供から大人へなれる者も多い中で、貴女は気付き、変わろうとしている。大丈夫ですよ。心配は要らないです」


 トメーコさんは優しく私の額を撫ぜる。

 何かの儀式のように、それは何処か神聖で、何処か形式の様に段々と。


「変わりたいと思うならば、貴女は既に走り出さねばなりません。子供である自分を疎むのであれば、今の貴女が出来る事をしなければ。まだ、翅は乾きませぬよ」

「あのね、トメーコさんっ! 昨日の夜にね……」


 私はトメーコさんに老統師さんの話をした。


「まあ、そんな酷い話が……?」

「うん……。私、子供だから老統師さんが酷い人だと決めつけて、そんな老統師さんから皇帝さんを守ろうとしたの。でも、本当に守らなきゃいけないのは違って……」

「だから今、貴女は戸惑っているのね」

「私、老統師さんに謝りも出来てなくて、逃げる様に帰ってきて……」

「後悔をしているのね」

「うん……。私、なんて酷い奴なんだろうって……」


 決めつけるなんて、最低だと思っていたのに、いつのまにか自分が他人を決めつけてる。


「貴女は、何故老統師を酷いと思ったのかしら?」

「え?」


 不思議なトメーコさんの問いに、私は顔を上げる。


「え? だから、皇帝さんに酷い事してたから? あ、本当は酷い事じゃなかったんだけど、私には酷く見えて……、えっと」

「何故、その優しさが酷い事だと思ったのかしら?」

「何故って……。んー。私が子供だから?」


 これって、ちょっと前に話さなかった?

 トメーコさんどうしたんだろ? ボケちゃったのかな?


「皇帝が、可哀想な、虐められている様に見えたからじゃないかしら?」

「あ、うん」


 それはあるかも。


「お母さんの事件を知った後に、凄く可哀想だと思って、そんな可哀想な子を守らなきゃって思った……、かも」

「それは、皇帝が子供だから?」


 子供だから?

 んー。確かに、皇子さんぐらい大きければ思わなかったかもしれないし、双彗さんみたいだったら、可哀想とは思っても自分から動かなかったかも。

 あっ、でも偉奏さんだと庇っちゃうかなぁ。

 偉奏さんそそっかしいし、なんか心配になっちゃうんだよね。

 でも、確かに皇帝が大人なら、そんな心配しなかったかも。


「うん。子供だからだと思う」

「そう。貴女は良き大人ですね」

「え? 何で?」


 私が? だって、私はまだ子供だって……。


「知っていますか? 大人は、子供を守るのモノなのですよ。貴女は、今確実に大人に近づいている。大丈夫よ。それに、老統師も貴女に腹を立てても呆れてもいないでしょう。彼はきっと、貴女に感謝をしている筈です」

「何で私に?」

「自分が優しく出来ない分、貴女が皇帝に優しさをくれるから。だからこそ、彼は最後に礼を言ったのでしょう。彼だって、優しさを与えて皇帝を抱きしめたいのではないですか? 自分と似たような運命を辿った子に、愛着が湧かぬ様なお人ではない筈です」


 老統師さん……。


「貴女の優しさと、老統師の優しさの形は違って良いのですよ。どちらが正解という事も、ないのです。二つの優しさが、必ずや皇帝の強さにいつかなるでしょうに」

「……うんっ」

「ふふふ。どうやら元気は出た様ですね」

「えっ、やだっ。私ったら……」

「女の子は笑顔の方が可愛いですよ」

「えぇー! 私、可愛くないよー!」

「そんな事はないですよ。 ほら」


 私が首を振ってると、トメーコさんは私の長い髭を三つ編みにし、自分の付けいていたリボンをお髭に付けてくれる。


「ほら」

「え……っ。三つ編み……?」


 髭を三つ編み?


「気に入らないかしら?」

「み、三つ編みなんて、少し派手すぎだよぉ。リボンもピンクだし、ちょっと女の子っぽいって言うか……」

「ふふふ、貴女は女の子なんだから。ほら、ちゃんと見て」


 そう言って、トメーコさんは私を姿見の鏡の前に立たせてくれる。

 いつもの着物に、軽装鎧。だけど、そこに髭で綺麗に編まれた三つ編みに女の子らしいピンクのリボン。


「これが、私……?」


 嘘……。私がモデルさんみたいっ!


「ふふふ。喜んでいただけた様で嬉しいです」

「髭型変えただけで、こんなにも印象が変わるんだぁ……」


 右から見たり、左から見たり。

 すっごい! 化粧も服も買えてないのに、髭とリボンだけでこんな風になるなんてっ!


「女は化ける生き物ですからね。貴女も随分と可愛く化けましたね」

「もー! それは余分じゃない? 私が元から可愛くない感じゃん! ……まあ、元はそんなに可愛くないけどさ」

「違いますよ。可愛さは足し算ですからね」


 そう言って、トメーコさんはにっこりと笑った。


「そのリボン、差し上げますよ」

「えっ! そんな、悪いよっ」

「いいのです。それは私が貴女に持っていて欲しいのですよ。それは聖女のリボン。きっと、聖樹の加護が貴女の身を守ってくれる事でしょう」

「トメーコさん、でも……」

「ふふふ。不思議な人。私は貴女が好きですよ」

「えっ? 私もトメーコさんのこと好きだよ! 優しい人だもん」

「そう。では、きっと、私達良き友達になれるわ」

「友達?」

「そう。今日から私と貴女は友達同士。だから、また、いつでも会いに来てね」

「……うんっ!」

「ふふふ、聖樹のご加護が貴女にありますように」

「トメーコさん、有難うっ」


 そして、またねっ!



 外は雨だと言うのに、宮殿に戻った私の心は何処か晴れやかだった。

 きっと、トメーコさんが私の気持ちを晴らしてくれたお陰だし、それに……。

 私は顎から垂れているお髭のおさげをチラリと見た。

 やっぱり、お洒落って少し勇気もいる反面テンション上がっちゃうよね!

 こんな派手な髭型、自分でなら絶対しないけど、あんな美人なトメーコさんに可愛いって太鼓判を押されてする髭型だと、ついつい自信に変わっちゃう不思議!

 へへへ。現金だと思われるけど、ちょっと大人の女になった気分。

 ルンルン気分で廊下に穴をあける無い様に空中で高速スキップしながら歩いていると、後ろから呼び止められる。


「軍神白剛。止まれ」

「うぬ」


 ほぇ? 振り向くとそこには……。


「……皇子?」


 第一皇子が立っていたのだった。

 え、まさかこの前の事を怒りに来たとか? またあの大臣さんいるとか? 私止まれるか分からないよ?

 そう思ってキョロキョロしても、後ろには誰一人取り巻きの人はいなかった。

 ふぅ。なーんだ。今日は皇子さん単品かー。いや、単品で全然良いけどね。


「先日の手合わせ以来でございますな。私に何か御用で?」


 なるべく笑顔で穏便に。そう思って声をかけるが、皇子は止まることなく私の前に立ち、髭を引っ張る。

 ちょ、ちょっと! せっかくトメーコさんがセットしてくれた髭になんて事を!?


「おい、お前は今第五皇子に剣の稽古を付けているとは、誠の事か」


 第五皇子?


「まさか。付けておりませぬ」


 私がそう言うと、皇子さんはパッと髭から手を離し何も言わずに私に背を向けた。

 感じ悪いなぁ。

 でも、私もこれからもっと感じ悪くするんだからねっ!


「第五皇子は存じ上げませぬが、皇帝陛下には私が」

「……何? 貴様、嘘を付いたのかっ!? この余に、虚偽をっ!」

「はっはっは。何を仰る。私は貴殿に一度も嘘偽りを述べた事はありませぬ。私はただ、事実を伝えた迄です」

「白剛、貴様っ!」

「ええ。私は、この国の軍神白剛。この国を守りし者っ。国である皇帝を愚弄するなど、いくら皇子である貴殿でも許しませぬぞっ!」


 私はまだ大人じゃ無い。

 でも、もう子供でも無いっ。


「……軍神など、所詮皇帝の犬に過ぎと自ら宣うのか」

「犬ですと?」

「これは忠告ではない。次期皇帝としての命令だ。軍神白剛、今すぐにあの忌々しい皇帝から手を引け」

「何をおっしゃてるのか私には分かりませぬ」

「白剛、余は貴様には目をかけてやっているのだ。犬として死にたくなかったら、大人しく余の命を受けるが良い」


 そして、皇子は低く笑うのだ。


「でなければ、そう遠くない未来、貴様は後悔する事になるであろう」


 私はその歪んだ口元にぞくりとした寒気を覚えた。

 それはきっと、今まで感じたことの無い程の悪寒。嫌な予感がする。

 一体、皇子さんは何をしようしているの……?

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