第2話

 えぇーっ!? こんな髭の長いおじさんが、私……? そ、そんなぁ……。

 思わず現実が受け止められなさすぎて、ぐらりと視界が回っちゃう。


 やだ……。ショックで気を失いそう。

 肩からは止めどなく血が流れてるし、もう、体調も最悪なんだけどっ!


 でも、こんな所で私みたいな女の子が一人裸でなんて倒れて居られないし、踏ん張らなきゃっ!

 えいっ! と、私は地面を凹ましながら何とか足を支えて溜息を吐く。

 川に写る見覚えのない髭の長いおじさんも同じ事をしているのを見ると、これが本当に現実なんだって、ため息が出て来る。

 それにしても、このおじさん誰なんだろ?

 さっきのおじさんが、兄者って呼んでたし、同じお髭だから、もしかして、兄弟かな?


 どうしよう。

 私、あのおじさんに嘘ついちゃった!


 事情を知らないとは言え、私あのおじさんを騙すみたいにお兄ちゃんのふりをしておじさんに接しちゃった。勘違いさせるような事、しちゃったんだ……。

 謝らなきゃ。悪気はなくても、ちゃんと謝らなきゃ。

 私、あのおじさんに、ちゃんと私がお兄ちゃんじゃないよって、言わなきゃ。

 でも、あのおじさんが私に見せてくれた笑顔を思うと胸が痛い。このおじさんはあのおじさんにとって、凄く大切な人なんだよね。きっと。

 どんな事情か、私にもよく分からないけど、私のせいで……。

 どんよりとした気持ちで、私は川辺で石を探す。適度な硬さの石を見つけたら今度は草とか燃えやすいもの。


 あぁ、あのおじさん、私の事嬉しそうにお兄ちゃんお兄ちゃんって呼んでたし、もし、私がお兄ちゃんじゃないって言ったら、きっとまた落ち込んじゃうよね……。せっかく、笑顔になってくれたのに。


 燃えやすい集めて来た枯れ草の上で、硬い石と鋼で出来ている槍の柄を打ち合わせ、火花を起こす。

 火は簡単について、私は逃げる際に敵から奪った剣の柄を火に入れ、熱するのを待つ間、大きなため息を吐いた。

 勿論、おじさんの事でね。ううっ、あの笑顔を思い浮かべると、余計に言い出しにくいよぉ。

 十分熱した事を確認し、剣の柄をコテの様に使い傷口を焼き止血を終えるが、血は止まっても私はやっぱり気が晴れない。


 やっぱり、女の子だから、他人の気持ちにはちょっと敏感なんだよね。私。

 でも、おじさんのこともだけど、私の事も。ここも何処だか分からないし、こんな姿で家に帰ったら、お爺ちゃんとお婆ちゃんがびっくりしちゃうし、何よりこんなお髭も校則違反で学校にだって行けないんだから。

 でも、あれだけあのおじさん、お兄ちゃんの事を心配してたのに隠しておくなんてダメな事だよね。

 何とか伝えなきゃ……。


 ここに滞在した事がバレないように火の跡を隠していると、おじさんが戻って来た。

 あれ、お馬さんも一緒だ!

 黒毛と栗毛の二頭を連れて、おじさんは私に笑顔を向ける。

 ううっ。そんな顔を見ると、余計に言い辛いよ……。


「兄者、傷はどうだ?」

「拝借したそれで傷口は焼いた。血も止まったが、暫くは左肩は使えまい」


 傷口は焼いて血は止まったけど、まだちょっぴり痛んじゃう。


「そうか。我が国の軍神である兄者が負傷したと分かれば、敵は今一度立て直し、間髪入れずに攻め入るだろう。これ以上の好機はないからな」

「うむ。幸いにも、傷を悟らせるほどの深手ではないが、片手故の不便は残る」


 そう。この片腕で何処まで耐えれるか……。

 さっきの人達は烏合の衆だったらいいけど、おじさん並みの敵が来たら、きっと今の私には倒せない。


「これ以上の状況を悟らせぬ為には、矢張りいち早く本軍との合流をせねばなるまいな、兄者。丁度奴らの足馬も手に入った。明日の朝には合流出来る」


 本軍?

 私は思わず首を捻った。

 それって、味方は私達だけじゃないってこと?


「……どれ程の軍力が本軍には残っておる?」

「何を言っているのだ? 兄者。我らは都を離れ早三日。まだ戦場にもついておらぬ。俺と兄者であの大軍を足止めしていたのだ、まだまだ削がれる戦力もなかろうに」

「その戦力は?」

「兄者? 本当にどうしたのだ。兄者が集めたのだろう? 弩兵、歩兵、馬兵、槍兵、合わせて三千だ」

「三千……」


 かなりの大軍だよね。空を見上げれば淵には朱色。

 そろそろ日が暮れる時間……。

 それって、つまり……。


「……足止めをしたのはこちらではなく、あちらかもしれぬな」

「兄者?」

「川上から降りてくるものは居なかったのか?」

「あ、あぁ。誰も、足音すら聞こえなかった」

「それは可笑しい。私の血は土を汚していると言うのに、それを追わぬは何故か」


 目立つ程の目印があるのに、敵が来ない。逃げる事に必死で都合よく解釈をしていたけど、これは明らかに可笑しい。つまり、敵は追える私を追わない理由があった。

 それは、私達を追う必要がなかった事に他ならない。


 つまり、最初から狙いは私たち二人じゃないって事!

 そんな事、女子高生でも分かるんだからねっ!


「そもそも、二人相手にあの大軍の不自然さ。奴らは完全に我らを軍から引き離す為に策を張ったのだ」

「な、なんだって!? 兄者、何故奴は俺たちを……?」

「話は後だっ! 急ぐぞっ! 軍は今何処に!?」

「紙の上では夕刻に峠に差し掛かる頃合だ。ここからだと、馬でも日暮れに間に合は到底……」


 私はおじさんから馬を一匹受け取った。

 いいお馬さん。

 優しい目をしているのね。

 だけど……。


「すまぬが、少々荒道に付き合って貰うぞ」


 そう言って、私は馬の顔を撫ぜ、槍を持ち背に飛び乗る。

 おじさん達の仲間がピンチなら駆けつけなきゃ。こんなにも私の心配をしてくれた優しいおじさんが、これ以上悲しむのなんて、嫌だよ!


「峠の方角は!?」

「ここからまっすぐ、南南東の方角だ。しかし、兄者、ここからは南南東に伸びる道はない。先程の道まで迂回するしか術はないぞ」

「言ったであろう? 道がないのならば作れば良いだけだ。少々荒い旅路となるが、付いて来い」


 遠回りなんて、してる暇ないんだから!

 私は手綱を引き、声を上げる。


「進は前のみっ!!」


 馬が鳴き蹄を鳴らして森を山を駆け抜ける。塞ぐものは何でも蹴散らす。

 はわっ! 木の上の小鳥さんたちごめんね!

 この木、ちょっと倒させてね!


「ふんっ!」

「流石兄者だ! 一振りであんな大木を倒しちまうなんて!」

「小枝程度で、大袈裟な」


 ええっ!? こんな小枝みたいな木を倒しただけで褒めてくれるって、嘘みたい!

 私、ドジだからいつもお母さんにもお婆ちゃんにも怒られてばっかりなのに!


「そんな事はない! 謙遜なさるな! 矢張り兄者は国一、いや、大陸一の軍神よ!」


 軍神?

 そんなもの……!


「その言葉はまだ早いぞ。自分の軍も守れぬ神など、紙より劣り、塵よりも軽い」


 まだ、事故の後遺症で上手く言葉が出ないけど、褒めてくれるのは自軍を守りきった後で十分だよ、おじさん。

 林を、谷を、崖をただただ一直線に駆け抜け私たちは木々の開けた丘に着く。


「時は夕刻か」


 三千の軍に奇襲をかけるとしら、闇に紛れて……?

 敵の数が分からない状態だけど、私達二人を態々引き離す手筈を踏んでるとなれば、同じ数かそれ以下。

 多ければきっと、私達を引き離すよりも数で周りから固めた方が得策だもの。


 逆に極端に少なければ、態々私達を引き離す利点はない。

 となると、闇に紛れては違う。彼らの狙いはきっと、奇襲ではなく、夜戦に引きずり込む事!!


「兄者、居たぞ! 先に見えるは我らの兵だ!」


 あの、遠くに味付け海苔みたいに見える黒い大軍がおじさん達の仲間なのね!


「まだ、乱れてはいないようだ。道を切り開いた兄者の勝ちだな」


 よかった、まだ交戦はしてないみたい……。

 ほっと胸をなぜ下ろした刹那、向かいの崖から殺気を感じて私は振り返った。そこには、小さな人影が。

 それは、私達を襲おうとして居た人達と同じ服装。

 まさか……。


「あれは……、先程の玄歐の兵だっ!」


 おじさんが、腰にしていた望遠鏡を覗きながら叫んだ。

 玄歐と呼ばれた人達は、弓を構えて下へと向ける。

 構えた先には、おじさん達の味付け海苔みたいな大軍。

 そんな! おじさん達の仲間をそのまま撃つ気なの!? でも、ここからじゃ、この馬の脚じゃあの崖の上にたどり着く前に弓矢が放たれちゃう!


「兄者! 皆がっ!!」


 おじさんの悲痛な声に、私はハッとなる。何をボサってしているの? 私!

 馬が間に合わないぐらいで何!? 私は、私のできる事を今やらなきゃ! 私が、おじさんの大軍を守らなきゃ!

 弓なんて、撃たせないっ!! そんな事、絶対……。


「させぬっ!!」


 私は腰にかけて居た護衛用の剣を抜き、力一杯、五里ほど先にいる敵兵目掛け投げつけた。

 やめて! あの人達を傷付けないで!! でないと、私が貴方達を……っ!

 私の手が手綱を強く握りしめた瞬間、私は生まれて初めて14.0の視力のある自分の目を疑った。

 弓兵に当たるか当たる直前で、黒い影が動くのが見えたのだ。

 そして、信じられない光景を私達は目の当たりにする事になる。


「……なぬ?」


 思わず私の口から声が漏れる。

 嘘でしょ……? 私の剣が……。


「兄者の剣を叩き落とした、だと?」


 あのスピードで叩き落とされるだなんて!

 槍投げには自信があったのに、そんな……っ!


「兄者! 奴らの体制を崩した今のうちにっ!」


 私はまたもやおじさんの声で我に帰り、頷いた。

 取り敢えずは、弓兵の体制は崩せたみたい。

 直ぐには立て直せないはずだよね?


「……行くぞ! 馬を駆けろっ!!」

「ああ!」


 それにしても、あの影が放った太刀筋。

 私は自分を守るかのように手綱を胸の谷間に寄せる。

 今思い出してもゾッとする程、冷たい、感情も何も入っていない純粋な殺気に満ちた剣先……。きっと、おじさんは気付いてないだろうけど、私にははっきり見えた。


 三振り、あの早さであの人は剣を三振りしていた。

 一振りで私の放った剣を上に軌道を逸らし、二人振り目で上へ加速させるために剣の柄を下から上へと突き上げ、三振り目でその勢いを利用し、上から力一杯押し付ける事で一番重い一撃を剣の柄に立てた。


 確かに一番安全で仲間を傷付けないで済むリスクの低い対応。技術も高く、私にだってあんな技出来る自信なんてないぐらい。

 でも、あんな冷たい程に無機質な剣。感情なんて何処にもなかった……。まるで機械見たい。

 あんな剣を振るえるだなんて。

 あの黒い鎧の人は、一体何者なの……!?




 その頃、玄歐の軍では黒い鎧の男が真っ直ぐと馬に乗る二人を見下ろしていた。


「黎豪将様。弓兵、体制を立て直しましたっ!」

「……引くぞ」

「体制を立て直しておりますぞ!? 今引く道理は……」

「軍神が戻ってきた。我々の数では良くて犬死よ」

「然し乍ら!」

「死にたいのならば一人で行け。皆、撤退準備を進めよ。日が暮れる前に終わらせろ。軍神に食われたくなかったらな」

「はっ!!」

「しかし、聞きしに勝る軍神振りだな。白剛という男は……」


 大国・代江の軍神白剛、この黎豪と必ずや剣を交わす事になる事だろう。

 その時まで、精々首でも洗って待っていろ。

 そう、黒い鎧の男は冷たく笑うのだった。

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