第19話

 まだ十五歳の私とって、お母さんは絶対的な味方だった。

 悪い事をすれば怒るし、泣けば抱きしめてくれる。

 ご飯は美味しいし、何あると私や弟の好物を作ってくれたり。

 最近体重が気になるのか、テレビで見たダイエットに目覚め、朝早くから忙しく小指一本でスクワットや4千キロの走り込みと忙しく、それでも家事に手を抜かず、パートで傭兵をしながら近所の奥さんと長話をする何処にでもいる母親だ。

 たまに、スカートが短いとか口煩いくて喧嘩しちゃうけど、いつでも私の味方だと言ってくれる、優しいお母さん。

 もし、そのお母さんが自分のせいで居なくなってしまったら……。

 お母さんは、毒も効かないし、水深1万キロぐらい素潜り出来るし、拳一つで山も動かせるぐらい、ちょっと人よりは健康だけど……。

 もしと考えるのすら、私は怖い。

 私の一番の味方が居なくなってしまうなんて。一体、どうしたらいいのか。きっと、わからなくなっちゃう。

 まるで、迷子みたいに。

 皇帝さん……。

 一体、今の彼に誰がいてくれるんだろう。


「白瑛、私は文献を読みに行くが、ほかに予定はあるか?」

「いえ、本日はございまぬ」

「そうか、では後を頼む」

「承りました」


 何もすることがない日に、何かすることを見つけなきゃいけないのって、大変だよね。

 ふぁ……。ちょっと眠いけど、少しは勉強しないと。

 また、皇帝さん図書館で泣いてるのかな。お菓子とか、持っていった方がいいかな?

 そう考えていると、廊下の奥方で誰かの怒鳴り声が聞こえてくる。


「陛下っ! 何度言えばわかるのですかっ!」

「ご、ごめんなさい、僕……」

「皇帝たるもの、自身は朕と称されよっ! 何度言うのですかっ! ご自覚が無いのかっ!」

「ご、ごめんなさいっ」


 隠れてひょこりと顔を出せば、そこには皇帝さんと老統師さんが。

 老統師さん、すっごく怒ってる。一体、何があったんだろう?


「良いですか、今の貴方は、貴方では無い。貴方は国なのです。治める者として、振る舞わねばならぬのですぞ」

「でも、僕は……」

「陛下っ!」

「……朕は、出来無いっ」

「こ、陛下っ!」


 そう言って、皇帝さんは走り出しちゃった。

 危ない危ないっ。隠れなきゃ、聞き耳立ててたって思われちゃう。

 喧嘩かな? 老統師さん、皇帝さんにちょっと厳し過ぎるよね。まだ子供なのに、ちょっと言いすぎだよ。

 そんな事を思ってると、どんと誰かが腰にぶつかってきた。

 きゃっ!


「……おじさん」

「陛下、如何なされたかな?」


 ぶつかって来たのは、皇帝さんだった。

 ここは、知らないふりしといた方がいいよねっ!

 私が手を差し伸べると、皇帝さんは何かを言いたそうに口を開くけど、すぐに顔を横に振っちゃう。


「……うんん、何でもない」


 何でもない訳がないのを、残念ながら私はしっかり見てるんだよね……。


「そうですか。では、私の方からお話ししてもよろしいですかな?」

「え? 何?」

「今から文献を読みに参るのだが、少しばかり手伝って頂きたい事があるのです。宜しいですかな?」

「僕、あっ! えっと、朕が?」

「ええ。陛下のお力添えがあれば、この白剛大変助かります故」

「うんっ。 いいよっ」

「では、参りましょうか」


 老統師さんには悪いけど、少しの間皇帝さんを借りるね。

 ちょっとお互い頭冷やした方がいいと思うし。

 それに、もしかしら老統師さんも、第一皇子の……。


「陛下はどんな本がお好きですか?」

「本? ぼ、えっと、朕はまだ文字が上手く読めないから、好きな本はないんだ」

「成る程。では、これなど如何ですかな?」


 この国では、農民に読み書きを教えてないんだね。

 別に、それが悪いって訳じゃないよ。農民さんは毎日毎日仕事をしているんだし、手に職と誇りを持ってるんだもん。読み書きぐらい、他の誰かの仕事としてやればいいんだし。

 でも、今は皇帝さんは農民じゃないもんね。

 こんなに小さな体で、頑張ってる。


「これは、何?」

「地図でございます」

「地図?」

「ええ。これがこの国のある島の形でございます。ここが、我らの代江国」

「ふーん。こんな形なんだ」

「陛下はこの国がどんな形に見えますか? 私には、大きな鰐が大きな口を開けておるように見えます」

「えー? 僕にはウサギに見えるなぁ」

「ウサギですか?」

「うん。僕、ウサギを捕まえるの村で一番上手かったんだ!」

「それは凄い。今度是非ともコツを教えて頂きたいものですな」

「いいよっ! あのね、ウサギはねっ!」


 話せば話すほど、普通の男の子なんだなって確信してしまう。こんなにも楽しそうに、たわいの無い事話す人、居ないのかな……。

 必死にウサギの捕まえ方を教えてくれる男の子が、皇帝だなんて、やっぱり重過ぎる。

 私も、何で先代の皇帝さんがこの子を選んだのか、全然わからない。


「ここ、僕の居た村だ」

「ほう。海が近いですな」

「うん。歩いて半日で付けるよ! 昔、お母さんと行ったんだ」

「母君と? 陛下の母君はどんな方だったのです?」

「お母さん? んー。たまに怒るけど、料理が上手くて、優しくて……。僕の事をずっと味方だって、一緒に居るって言ってくれた、お母さん……」

「陛下……。申し訳ない、辛い事を聞いてしまって……」

「辛く無いよっ! おじさんが言ったんだよ。思いがあるまでは、お母さんは僕の中にいるって。僕は、僕以外誰もお母さんを思い出さない方が、辛いよ」


 そっか。

 ここでは、陛下のお母さんの話は禁句事項になってるんだ。特に陛下の前では朝礼で老統師さんが双彗さんを必死に止めるぐらいだもん。

 そんな扱いを受けてる方が、辛いよね。


「そうであるな。もっと、貴殿の母君の話を聞かせてくれるかな?」

「うんっ!」


 皇帝さんは、嬉しそうにお母さんとの思い出を私に教えてくれた。

 今だけは、誰も怒らない。そんな時間があってもいいと私は思う。

 それはきっと、私が大人じゃ無いから。

 私が、皇帝さんと一緒の子供だから。

 そう思ったのは、その日の夜だった。


「白剛殿」

「これこれは、老統師殿」


 夜、自室に戻るために廊下を歩いていると、老統師さんが月を見ていた。

 月とか見るタイプなんだ。ちょっと意外かも。なんか、現実的っぽいし、月なんて見てなんか意味あるの? とか、言うかと思ってた。


「部屋へお戻りですかな?」

「ええ。老統師どのは月見を?」

「ええ。今宵の月は美しい。そう言えば、陛下が貴方のお陰で剣の稽古をする様になりました。この度はお礼申し上げる」

「いやいや、私は何も……」

「あの様に、弱い子だが、良ければまた目をかけてやってはくれぬか?」

「弱いなど……」


 老統師さんは、何処か皇帝さんに当たりが強い所がある。

 別に剣だって特別弱いわけじゃないし。初心者なんてみんな一緒じゃん。

 それなのに、わざわざ弱いって、ちょっと失礼過ぎじゃない?

 す皇帝さん頑張ってるのにさ!


「老統師様、出過ぎた真似ですが、貴殿は皇帝陛下の事をどの様にお考えか?」

「……何の話だ?」

「陛下はまだ、幼くある。その陛下に無理難題を押し付け過ぎではなかろうか。陛下は……」

「子供でも、皇帝である。皇帝は国、国は皇帝なのだ。そこに、先に子も大人もあるものか」

「然し乍ら、陛下は母を亡くした幼き子であり」

「白剛殿。貴殿は、陛下を子供だと思っておられるのか?」

「……」


 だって、子供じゃんっ。

 まだ、小さい子供じゃんっ! お母さんを殺された、可哀想な子供だよっ!

 だから、私には何でみんな皇帝さんに辛く当たるのか、全然分からないし、わかりたく無いっ!

 

「答えられぬか。子供だと、思われておるのだろうな。父が死に、母が死に、守るべき親も居らず大人達に怯えて暮らす、哀れな弱き子だと、思っておるのだろうな」


 何か、それが間違いとでも?


「白剛殿。では聞くが、その可哀想な子供は何をすれば良い?」

「何を?」

「何をすれば、可哀想ではなくなるのだ? 周りの大人は変わらぬぞ。父と母の死も、変わらぬぞ。何も変わらぬ。変えられぬ。他人なぞ、そう簡単に変わらぬのだ。ならば、その子は、何をすれば良い?」


 静かに、まるで鋭い刃の様な視線を、老統師さんは私に送る。

 これは、殺気なんてものじゃない。純粋な、怒りの眼差し……っ。


「……それは」

「今から、大臣が変わるのか? 第一皇子の取り巻き達が、あの子を慰めるのか? そんな未来が、本当に貴殿に見えるのか、答えよっ! 白剛っ!」

「……申し訳ない」


 そんな未来なんて、想像できない。


「あの子は、強く生きねばならぬ。皇帝である限り、あの子はここで一人で生きていかねば成らぬのだ。子供であると言う理由が何になろうか。子供だからこそ、あの子には自ら守るべき剣がいるのだ」

「老統師様、しかし、そらならば守れるべき大人で……」

「……少し、昔話をよう。とある農村からこの宮殿に召し上げられた、男の話だ。男は、無知であったが、身体は随分と丈夫でな。力仕事を主にした職へつかされた。しかし、男には農村に居た頃には想像もつかなかった世界を見る事となる。それは、一冊の本であった。農村には本など一冊も置いてる家などない、貧しい農村に生まれ育った男は、文字が読めるはずもなく日がな一日、文字を見つめていた。様々な形が織りなす意味もわからぬ本を絵本の様に眺めておった。ある日の事、誰かが気紛れに男に文字を教えたのだ。それから男は時間があれば本を読み漁った、草木が水を吸い上げる様に、男は知識を凡ゆる本から吸い上げた。いつしか、この宮殿にある文献は全て男の頭の中に入っていき、男はその知識を活かし宮殿の仕事を手当たり次第に改善して行った。それが目に付き、男は出稼ぎの農夫から、大臣の位を皇帝から頂くことになった」


 老統師さんは、手摺を優しく摩る。


「男は喜んだ。喜び、家族を宮殿に呼び寄せた。男は、老いた両親に、産まれたばかりの我がを抱いた妻に、やっと楽にさせられると喜びながら。しかし、農夫が大臣など、前代未聞。大臣の座を狙っていた大人達は男を酷く疎んでいた。ある日の事、男は地方の視察へ行く事となる。我が子は、やっと笑顔を見せ、元気に体を揺すれる姿を見せてくれた。きっと、帰ってきたら我が子はもっと、大きくなっているだろう。そんな希望を抱いて、男が帰った時には両親も妻も我が子も居なかった。誰かが、その男への恨みを募らせ些細なことで農民達の首を、刎ねたのだ。男は大臣だ。しかし、家族は農民のまま。この国では、位を持つものが位を持たぬ者の首を刎ねても許される。誰一人、止めてもらえぬまま、男の家族は首を刎ねられた。なあ、白剛殿。男は、家族をどうやったら救えたのだろうな?」


 そんな、そんな……っ!


「私は、もう、失いたくないのだよ。私の手が届かない。そんな理由で、可愛い子供を、失いたくないのだよ」


 何も言えない私の肩に、老統師さんは優しくてを置く。

 皺くちゃの、温かい手を。


「私は、あの素直な良き子に死んで欲しくないのだ。例え、あの子に疎まれ様と、殺されようと。これが、私なりの、あの子を守る方法なのだ」


 私は、何を見ていたんだろう。


「あの子は、無力な男だった私の様な農民を救ってくれる皇帝に必ずなる。貴殿の優しさは嬉しい。しかし、それでは、あの子は自分を守れない。この敵だらけの城で、あの子は生きていかねばならない」


 私は……。


「ありがとう、白剛殿。もう、夜も遅い。休まれよ」


 私は、何で愚かで弱い人間なんだろう。

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