第24話 やってきました謎の転校生(3)

 問、髪型を変えただけで人は変わるのか。

 

 俺は、今日、まともにノートを取ることができなかった。

 授業中にはいつも通りコソコソ隣から覗かれたり、時にはベッタリ体を密着させて覗き込んできた。転校生だと思っていた女の子に常に気を配っていたせいで、先生の話も板書もそっちのけ。頭の中は、ろくに板書を取っていないノートのように真っ白で、妄想を食い止めるのに必死だった。

 しかし、時折頭の片隅にお花が咲くのだ。

 ポッと、ポワッと……。

 事故とはいえキスをしたことがブラッシュアップし、夢の中で見た彼女とのベッドでのやりとりの続きが白いノートというキャンパスに描かれていく。思い出したかのように俺の息子も筋トレを始めようとするが、それだけは、それだけは必死のパッチで阻止した。


「おい森田ァ、さっきあのセン公が言ってたことイマイチだったから、ちょっと教えてくんねえか」


 椅子を引きずってきて、俺の横に並んで座る。

 せめて先生が教室から出ていってから尋ねてきてほしいもんだ。お前だけじゃなくて、俺も先生に目をつけられるんだから勘弁してほしい。

 そして、それよりもこのゼロ距離密着も勘弁してほしい。理性が悲鳴を上げて、そろそろその悲鳴すら枯れそうなくらいだから。


「……おい、お前、ノートはどうした」

「いや、ちょっとボーッとして取ってなかった」

「熱でもあるんじゃねえのか?」

「ちょ、ば、ねえよッ」

「んだよ、人がせっかく心配してやってんのにキレなくてもいいじゃねえかよ。でもお前、ホントに顔マッカッカだから保健室行った方がいいんじゃねえの?」


 キレてんじゃない、照れてんだ。いきなりデコに手をあててくるな。まあ、おデコとおデコでデコチューってな感じにはならなくて本当によかった。


「なんなら連れてってやろうか」


 やめろ。保健室に一緒に行くとかやめろ。


「森田くんどうしたの? 風邪でもひいちゃったの?」

「大丈夫だから気にしないでくれ」

「そ? ならいいけど?」


 安城寺が来てくれてホッとした。まさか安城寺と一緒にいてホッとする日が来るとは思いもしなかった。


「……そんなに見つめられると照れる」

「は……?」


 俺は今、何を見つめている?

 目の前にいるのは安城寺、安城寺、安城寺……。あーそっか。本能も反射的に避難場所として安城寺を選んでいたのか。しばらく無言でずっと見つめていたわけか。でもお前、そういうの好きだろ? win-winってことでいいっしょ?

 俺は引き続き安城寺をジッと見つめた。


「やっぱり風邪ひいてんじゃね、こいつ。ボーッとしすぎだろ」

「確かに。これはやっぱり保健室に連れていきましょう」

「だから風邪はひいてないって」

「じゃあさっきから何だってんだ、あぁん?」

「……それは、その、えーっと」

「ゴニョニョ言ってんじゃねえぞ、男らしくねえなッ!!」

「男らしくねえのはお前だろうがッ!?」


 俺の発言に首を傾げる女の子。まるで何もわかっていない。が、それとは裏腹に、安城寺はすべてを悟ったかのようにしたり顔で「ははーん」と意味ありげにつぶやいた。

 安城寺は再び口を開く。


「渡さんって制服すごく着崩してるよねー」

「今さらなんだよ、いつものことだろうが」

「……いつものことかもしれないけど、ねえ?」


 俺に問いかけてきた安城寺。俺ははだけた胸元に目を向ける。

 刹那、安城寺に視線を戻した。すると、口角を吊り上げニヤリと、一瞬で表情が早変わりしていた。

 この悪魔め。初夏の訪れを感じさせる新緑色のブラジャーが俺の頭から離れない。

 あーやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。

 頭の中がどうにかなりそうだ。ってそういえば、もうどうにかなってたわ。


 問、髪型を変えただけで人は変わるのか――はんっ、解いてる暇はねえッ!!


 いつもならあっという間に終わるはずのたった十分の休み時間が長く感じる。

 きっと今、俺は拷問を受けているからだ。エロが俺にとって精神的苦痛になろうとは、エロを崇拝する俺にはあってはならない出来事なのに……。


「それだけはだけてたらさ、見えそうだよね、おっぱい」


 安城寺が惜しげもなく言いやがった。

 そうか。休み時間が長く感じるのは、安城寺が時間を止めているからか。

 眼前に広がる絶景。惜しげもないのは安城寺ではなくその開けた胸元。誰も微動だにせず、心拍すらも停止しているのではないかと錯覚してしまう。安城寺の『おっぱい』というたったひと言が、空間を凍結させてしまうほどの魔法となった。

 誰もが俺たちの会話に聞き耳を立てていたことの証明。

 思春期真っ盛りの男子は、安城寺の言った『おっぱい』という言葉を脳内でリフレインさせながら、この謎の転校生だった女の子のおっぱいを覗こうとしているに違いない。

 その卑猥な視線を感じ取った俺の隣に座っている女の子。


「うぅ」


 んんッ……!? んんんんッ……!?!?

 聞いたこともない弱々しい声を上げたかと思うと、胸元を隠すかのように俺の右腕に抱きついてきた。腕には生々しい感触がほんのりと熱とともに伝わってくる。さらには密着具合が濃くなったせいで、俺の右手が意図せずして柔らかい彼女の太ももの内側をとらえてしまう。熱さが尋常じゃない、火傷やけどしそうだ。

 ――もう、だめだ。

 振りほどこうとしても、俺の力ごときではどうこうできなかった。見た目が変わっても中身は変わっていないようだ。ああ、こんな時に、問の答えが降ってこようとは……。

 これ以上過激なボディタッチが続けば、俺も手を出しかねない。息子も暴れん坊将軍になりかねない。いつもは頭に入れる手刀をおっぱいに伸ばしたくなる。暴れん坊将軍もかわから刀剣をくのも時間の問題。


「ごめん、やっぱり体調悪いから、保健室連れてってくれないかな」


 これが俺が思いつく唯一の逃げ道。


「んだよ、やっぱり調子よくねえんじゃねえかよ。……立てるか?」


 やめて、耳元でささやかないで。顔が異常に近いから。立っちゃいけないヤツが立っちゃうから。立ちたいんだけど、これ以上胸の感触を確かめてしまったら、本当に立っちゃいけないヤツが立っちゃうから。

 あーやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。

 心身ともにショート寸前。本当に熱あるんじゃないかな、俺。

 隣には正真正銘の正ヒロイン。

 目の前には性真性銘の性ヒロイン。

 このまま本当に保健室に連れられても大丈夫なのか。最近不自然に大人しかった安城寺がそろそろ暴発しそうな気がする。そもそも保健室になら俺だけでも行けるってのに、どうして『連れてって』なんて俺は言っちゃったんだよ。

 あはは、嫌な予感しかしない。


「あのー渡さん、俺から離れてくれないだろうか」

「ば、バカ野郎ッ!? おっぱい見られちゃうだろうが!?」

「お前に見られるようなおっぱいなんてあんのかよ!?」

「はぁあ!? あ、朝、触らせてやっただろうがよ!?」


 もうやめて。お願いだからもうやめて。なに、俺はしゃべらない方がいいの? というかしゃべっちゃいけないの? ああ、わかったわかった。言葉を選べってことだな。相手が傷つかないようにすればいいんだ。


「ごめん、渡。訂正するよ。確かにおっぱいはあった。俺は確かにこの手で感じた」


 うん、これも違うな。俺の右腕に激痛が走ってるのが何よりの証拠だ。


「――って折れる、いだい、渡、痛いからやめて、ね、まじ、折れる」


 おっぱいがクッションになってかろうじて痛みが緩和され――ねえよ。ミシミシ腕全体が激痛によがっている。変な方向に曲がりかけている。

 あーもう、保健室、保健室、担架、救急車、トイレ、安城寺。あ、安城寺さん助けてください。お願いします、なんでも言うこと聞きますからぁあああ。


「渡さん、さっきの見えそうっていうのは冗談だからさ、そろそろ腕離してあげようよ」

「……ほんと?」

「本当だよ? ……よいしょっと。ほら? 見えないでしょ?」


 安城寺が渡と同じように上二つのボタンをはずし、ネクタイを緩めて肌を露出させてみせた。


「あ、ホントだ! 見えない!」

「でしょ? 大丈夫大丈夫!」


 暴力的な渡がやっと俺から離れてくれた。まるで、目には目を歯には歯を、の要領で躊躇いなく起こしたアクションに俺も周囲もあんぐりとポカーンと開いた口が塞がらない。

 どうやら心の声が安城寺に伝わったらしい。というか俺の悲痛にまみれた表情から察することは容易といえば容易か。

 それにしてもヒヤヒヤした。安城寺ならもう二つ三つボタンをはずしかねなかったからな。どうせブラしてないから見られないし大丈夫、とか意味のわからない独自の理論を爆発してもおかしくない状況だった。

 さてと、保健室に行くか。だが、その前に。

 もう少しだけこの場にとどまらせてください。今、動けそうにないので、いろんな意味で。

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