第5話 プレゼントにはおパンツを(2)

 バスの中でのとある一幕。

 思い出せば恥ずかしいだけなので、他人事のように言わせてもらう。

 俺の左手は安城寺あんじょうじの右手をずっと握っていた。正確には安城寺の右手首をギュッと俺の左手が一方的に握り締めていた。絶対離さないように雁字搦め。ちょっとでも隙を見せると、安城寺は俺に縄を見せようとするのだから仕方がない。

 と言い聞かせたところで、恥ずかしいものは恥ずかしい。


 バスから降りた俺たちはショッピングモールへと続く一本道を歩いている。

 自分の大胆な行動を反省し、さすがにもう手は繋いでいない。安城寺の右手首には俺の手の跡がくっきりと残っている。マーキングをしてしまった俺には綺麗な身体に傷をつけてしまったという罪悪感が心に残った。


「そういえば今日手ブラだね。どうしてエロ本持ってきてないの?」

「(そういえば今日もノーブラなんだよね?)どうしてって言われてもなあ。持ってきてほしかったのか?」

「ううん別に。学校に持ってくるほどだから余程大事なものなのかなーって思ってたんだけど。例えばお父さんの形見とか」

「そんな形見持ってったら学校で肩身の狭いポジションになっちまうだろ。今の俺みたいに……今の俺みたいに」

「すごく目立っていいじゃん!」

「俺は目立ちたくなかったの!」


 安城寺に反論し終わった瞬間、暖かな春風がふわっと吹き抜けた。

 風が吹くより先に風の気配を察知、予知した俺は金曜日の放課後の出来事――メデューサとの邂逅がコンマ数秒もかからずに脳内にブラッシュアップした。気がつけば風が吹き抜けるよりも速く俺の体は動き、スカートがめくれ上がるのを防いでいた。

 スカート越しにメデューサを触っているような形で。

 完全にやっちまった。やらかしちまった。

 傍から見れば右手でメデューサを触っているように思われるかもしれないが、俺が実際に触っているのは、縄だ。左手でおしりを触っているように思われるかもしれないが、実際に触っているのは、縄だ。


「森田くん、みんなが見てるよ」


 見上げれば安城寺が真っ白な頬を赤らめていた。

 ここはすでにショッピングモール前であり、多くの人が集まっている。俺の視界には安城寺しか入っていないが想像するに、いろんな人にこの現場を見られている。

 彼女は服の袖で口元を押さえている。赤めた頬ではなく、にやけてやまない口元を隠すように。笑う彼女の本音を知るのは、俺だけだ。この状況が恥ずかしいからではなく、この状況に興奮しているのだ。この女は悦に浸っている。

 みんなが見ている――安城寺だけでなく、俺のことも。

 傍から見れば、俺って男は、前傾姿勢で食い入るようにスカートを押さえ、欲情に駆り立てられている変態にしかみえないことだろう。顔をあげて周囲に目をやるのが怖い。でもいつまでもこの体勢でいるわけにもいかない。安城寺のメデューサから俺の手が離れようとした。その瞬間、


「ちょっと、ヘンなとこさわらないで……ゃっ」

「ご、ごめん!! 手が引っかかって引っぱっちまった」


 手が縄に引っかかって縄を引っぱっちまった。

 ——と、言ってみたものの、実際手に縄が引っかかった感触はない。細心の注意を払って手を離したから間違いない。それに、安城寺が悲鳴に似た喘ぎ声をあげたタイミングははかられたかのように絶妙だった。


 これは彼女の故意によるものなのか。


 周囲からの注目を一身に受け止めるために。

 さらなる快楽を求めようとしたがゆえに。

 快楽を得るためなら、自分の立場が危ぶまれようとも犠牲をいとわない。これが安城寺聖来という女の本質なのかと思うと、羞恥でほてりかけていた俺の一身に寒気が走った。

 スカートから手を離して、安城寺しか見ないようにして、あらぬ詮索をなかったことにするようにして、


「ど、どうして自分で押さえようとしないんだよ! なんでのんきに髪の毛なんか押さえてんだよ!」


 俺は少しだけ大きな声で彼女に正論を投げた。


「……ちょっと何してくれてんの」

「え、あ、その、エロが高じて風に乗じてスカートの中を覗こうとか、縄を引っぱって快楽を感じさせてやろうかとか思ってなかったからな、断じて……断じて!」


 女の子の真顔は誰がのものでも怖い。真顔から放たれる圧迫感ある視線が俺の心の口元を緩ませるせいで、思わずポロポロボロボロ言い逃れのできない心の声を吐いてしまった。

 トボトボ歩く足取りは重かったが、ようやくショッピングモールの入り口に辿り着き、自動ドアをぬけて中へと入ることができた。もう疲れたし、昼食にしたい。


「ノーパンノーブラなのはね、私のたしなみなの」

たくらみの間違いだろ。いきなりどうした(やっぱり今日もノーブラだったのか)」

「私のことわかってもらおうと思って。ぶっちゃけ本音いっちゃえば、私、服すら着たくないから。裸派だから。はだかはだか

「ちょっと黙ってようか。黙ってたらただの可愛い女の子だから」


 何度となく起きたアクシデントのことでハプニング耐性がついた。

 もうちょっとやそっとのことで俺は動じないどころか、カウンターを決めることも可能だ。今回は牽制なしで素直なストレート。可愛いと一発キメてやったぜ!


「の、ノーパンなのはー、ノーブラなのはー、私のたしなみなのー」

「可愛いって言われてちょっと動揺しただろ。歌ってごまかしてもバレバレだぞ」

裸裸裸はだかはだから裸裸裸裸裸裸ララララララ

「うるせえよ、黙ってろ」


 俺の言う通り本当にしゅんと黙ってしまった安城寺。饒舌だったお口が一瞬にして動かなくなったかと思えば、そのかわりにと歩行速度が急に加速した。ショッピングモール内を闊歩する安城寺についていくのがやっとだ。少しでも気を緩めれば人混みの中に彼女を見失ってしまいそうになる。

 さて彼女はどこを目指して進んでいるのか。そもそも目的地はあるのか。彼女の進む針の先には――到着する下着売り場ランジェリーショップ


「ノーパンノーブラは確かに私のたしなみ。私のポリシーなの。だけどさっき森田くんには迷惑かけちゃったから、今日はつけることにする」

「そりゃどうも。できるなら最初からつけてきてくれることを今後期待する」

「……今後、ねえ。あと、森田くんがバスの中でここをご所望だったみたいだから、まずはここにした!」


 聞こえてたのか。聞こえていた上でしれっととぼけていたのか。

 しかしこの際そんなことはどうでもいい。

 安城寺の羅針盤ならぬ裸身盤がランジェリーショップへと指針を示してくれたことに感謝しよう。俺はついに堂々とこの楽園へと足を踏み入れることができる。俺的思春期男子高校生三大秘境のひとつであるランジェリーショップに合法的に入店することができる。

 最高ではないか、ガハハッ……っと、下心スケベ心を出してはならない。あくまでも平静を装って、


「ご所望なんてしてないよ。でもお前がどうしてもって言うなら入ってやってもいいけどな。……今の失言、今のなし。とりあえずパンツくらいは買ってやるから、さっさと中に入れ、入りやがれ」

「え、買ってくれるの!? まさかの展開だなあ」


 俺にとってもまさかの展開だ。失言を取り消すためとはいえ、とんでもないことを口走ってしまった。安城寺がもし『ご所望なんてしてない』という言葉を真に受ければ、せっかく目の前に現れた楽園に一歩も足を踏み入れることなく、この上ない機会を棒に振ってしまう。この女はそもそも下着をつけないのだから、俺にとっての宝物庫もただのゴミ山も同然。

 あごをしゃくって『さっさと中に入れ』と伝える。これ以上声には出しにくい。

 男が先立ってランジェリーショップに入ることへの躊躇いを安城寺はわかってくれたらしく、気を回して俺の手を引いて楽園へと連れ出してくれた。

 一歩、二歩、三歩。ああ、ここが楽園。ここが秘境。

 俺は今、無数の下着に囲まれている。

 見渡す限りのおパンツ草原に、Aカップから順に連なっているブラジャー山脈、伝説の下着のなるマネキン、ブラおパンツを買いに来ている女の子に、きっと可愛いブラをつけている可愛い定員さんに、きっと過激なおパンツを履いている綺麗な店員さんに、不思議といい匂いのする空間に、カーテンの閉まっている試着室に、俺は、俺はたけり狂ってしまいそうだ。


 はあ、はあ、ここは危険だ。


 いろんな意味で迷子になってしまいそうだ。道に迷って道を踏み外してしまいそうだ。秘境ではなく、魔境。思春期真っ盛り童貞男子高校生のもろい理性なんて熱く燃える本能によって軽く消し炭になってしまう。

 やばい、マネキンのおっぱいでもいいから触りたくなってきた。


 ダメだダメだダメだダメだあぁああああああああああああああっっっ!!


 理性をたもて。理性をたもて。理性をたもて。

 俺はそもそも何をしにここに来た。そう。自分の欲望を叶える以前に、安城寺聖来が身に宿している悪魔――メデューサが公衆の面前にあらわになることを事前に防ぐためにここに来たんだ。

 あれ? おかしいな。

 あれあれ? いつの間にか安城寺がいない。

 どこに行った。ランジェリーショップという魔境に俺を独り置き去りにしないでくれ。どう動けばいいのかわからなくなる。連れがいなくなりましたって迷子申請すればいいのか、ここの店員さんに? はは、笑えねえ冗談だ。


「あのー、お客様」

「はは、は、は、あ、はい、なんでしょうか!? 別に男一人でここに来たんじゃないですよ!? ちゃんと連れがいて、でもどっかいっちゃって、あー、困った困った困った困った。ほんとーに困ったもんだなー、あははー」

「えーっと、その、お連れ様なら試着室におられますよ。それでお客様を呼んでくるようにと――」

「あ、そうでしたか! ありがとうごじゃいます!」


 店員さんが示してくれた試着室の方へと逃げる。

 もうやめて。下着売り場ランジェリーショップで女店員さんに話しかけられるとか、女子への免疫力の低い童貞には耐えられなくて恥ずかしくて死んじゃうから。もうこんなところ早く出ようよ。安城寺さん、この際ノーパンノーブラでいいから、一刻も早くここから出して。さっきの店員さん、気まずそうに苦笑いしてたよ。女の子の下着ってのに過剰に意識しているのモロバレしちゃったじゃないかよ。

 冷静になろうとしても、もう無理だ。全ての状況がそうさせてくれない。

 逃げ出そうとしても俺の足は一歩も動かない。恐怖よりも興味の方が勝っている証拠だ。この期に及んで俺は何を考えてんだよ――もちろんエロいことであるッ。

 今、俺の目の前で、布一枚隔てて、お着替えをしている安城寺がいる。

 さらに、俺を呼んだということは、見せてくれるということなのか――下着姿を!


「おーい安城寺、来たけど」


 期待のあまり声がうわずってしまった。


「ちょっと手伝ってくれない?」


 声はうわずるどころか出てこなかった。

 かわりに、カーテンからひょこっと安城寺が顔だけ出して困り顔で微笑んだ。

 不思議なシチュエーションだ。どこにでもいる男子高校生と高校一可愛い女の子がランジェリーショップでカーテン一枚隔てて顔を突き合わせている。彼女を知っている人に見られでもしたら、明日は高校でお祭り騒ぎだ。

 俺は幸せ者なんだ、きっと。ははは。

 さて、それでは、本日のメインディッシュになった安城寺聖来の下着姿を拝ませてもらいましょうか。


「どこ手伝えばいいの?」

「縄がヘンな感じに絡まっちゃって、うまく解けないんだあ」

「オッケー」


 はい、わかってましたー。わかっていましたとも。

 困り顔で微笑んできたあたりから何となく気づいてましたー。これまでに何度か『スカートの布一枚隔てて』ってくだりを経験してきたこの俺には、なんちゃってラッキースケベイベントは通用しませーん。

 というか、俺がランジェリーショップに感慨深げにテンションをあげていた時からカーテンが閉まっていたことをふまえると、ずっと縄を解くのに手間取っていたのだろう。


「じゃあ、中に入って」

「ふざけんなよ、誰が手伝ってやるか。さっきはノリでオッケーって言ったけど、誰が手伝ってやるかってんだ。どうして俺がお前の、は、裸なんて見なくちゃいけないんだよ」

「私は見られてもいいんだけどなあ」


 もういちいちドキドキドギマギしないからな。


「お客様、それでは私がお手伝い致しましょうか?」

「え、そのー」

「女性同士ですし、何もお恥ずかしいことはございませんよ」

「え、えっと、んー」


 俺にさっき話しかけてきた店員さん、きたあぁあああ!!

 安城寺の困り顔に焦燥が加わり、必死になって俺に助けを求めてきている。露出癖のある安城寺といえども、さすがにスッポンポンに縄姿というものを他人には見られたくはないらしい。正確には見られたくはないというよりは、見られるのにやや抵抗があるというだけのことなのだろう。

 どうする。こいつを助ける方法は……。

 これは万事休すか。いや、解決方法はひとつある。


「いえ、この俺が、彼女のお手伝いをするので大丈夫です。では――」


 と、呪文を唱えて店員さんの前からエスケープ。

 俺はカーテンの中に身を滑り込ませることに成功した。

 まさか店員さんが示してくれた試着室の方へと逃げたあと、さらにその店員さんから逃げるために試着室で籠城することになろうとは。どう考えても愚策。ここからは必ず出なくてはならず、出れば視線という槍で突きたい放題ヤリたい放題だ。この籠城はどう考えても必敗だな、アハハハハハ!! ……はあ。

 それに、問題はもうひとつ。

 むしろこっちの方が問題だ。

 籠城をともにしている仲間の置かれている状況だ。まだ直視しないように目を強く、それは強くつむっている。自陣だというのにスッポンポンでお縄についている幼気いたいけな少女など見ていられるか。


「森田くん、見て」

「でもなぁ、さすがに見ることはできないし、このまま、目を閉じたまま手伝える範囲で手伝わせてくれよ」

「いいから、目を開けて」


 見られたい願望の強い露出大好き変態女め。

 そこまで言うなら見てやろう。別に俺が見たいから見るんじゃない。見てとお前にせがまれたから見るんだぞ。それに見たい男と見られたい女がいるのならウィンウィンな関係といえる。いやいや、見たい男と表現したのは言葉の綾で、事実俺が見たいと思ってるわけではないらかね、本当だよ?

 俺はゆっくりと目を開けた。

 そして――思わず彼女を抱き締めてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る