第11話 一触即発
目覚まし時計のアラームを寝ぼけ眼を擦りながら止めた。
それじゃあおやすみなさい。
昨夜、大宴会の片付け後に宿題はしっかりと完遂した。英語に関しては授業内容の予習までして準備は万全。しかしながら、これはあくまで
今日ほど布団が恋しいと思ったことはない。
学校を休むことに罪悪感もない。
今日から俺も不登校引き籠りニートの仲間入りだ。晴れて自宅警備員に内定就職を確定させた俺にはやることがある。俺は自由。さて、たっぷりと溜まりに溜まった積み本を制覇しなければ。今日は忙しいぞ!
まずは新妻ネトラレものでしょ、次に女教師ものでしょ、その次に生徒会長屈服ものでしょ、そういえばボーイッシュ系女子ってのもあったな。
そして何より、溜まっているのはエロ本だけじゃない。
ここ数日間に渡り溜めに溜め込んだもの、それを一気に解放する!
「俊平、安城寺さんが迎えに来たわよ」
ふっふっふ。とりあえず今日も決まり文句をひと言だけ添えておこうと思う。二度目だぞ母上よ。
「部屋に入る時はノックしてッ!?」
「あら、イケないタイミングだったかしら」
「ああ、おかげで絶頂寸前だったのに俺のチ――って思春期真っ盛りの息子に何聞いてやがる、何言わせやがるッ」
「……お母さんは単純に覗いちゃいけないタイミングってつもりで聞いたんだけど。まさかそこまでの返事は期待してなかったわ」
「あー安心してくれマイマザー。いずれにせよ大丈夫だから」
「じゃあどうしてまだ布団の中にいるのよ。あんた時間だけはキッチリしてるじゃないの。言い訳するならもっとまともな言い訳を
ぐうの音も出ない。反論のしようがない。
事実何もしていなかったが、何もせずに布団の中にいたのが痛恨のミスになろうとはな。ちなみにもし『母上よ、俺はベッドでやるタイプではなく、椅子でやるタイプだ!』などと言い訳をしてみようものなら……想像もしたくない。
「とにかく、これからは気を付けるわ。それより玄関に安城寺さん待ってるから、早く支度して出てきなさい」
ちくしょう、もうパンパンに張り裂けそうなくらい溜まってんぞ。
溜めに溜め込んだもの――それはもちろんストレスだ。
三日前の金曜日、すべてはあの日が俺を取り巻く環境を大きく変えた。とくにひどかった昨日。サディスティックバイオレンス略してSVを否応なく享受させられている俺に、ストレスの元凶になっている変態女がお出迎えだと?
「……いや待ってくれ」
俺はストレスのせいで今朝まったく勃たなかった我が息子のかわりにむくりと身を起こした。
「安城寺が待ってるだと?」
「ひとりじゃ学校に行きにくいだろうからって迎えに来てくれたみたいよ。寛大な彼女さんでよかったわねぇ」
理解が追いつかないままに疑問が口からこぼれ出すと、母上がサラッと答えを教えてくれた。どう考えたっておかしいだろ、なんで俺を迎えに来るのはさも当然みたいな感じなの、安城寺も母上も。
さらに新たな疑問が頭の中に生じる。
まさか昨日俺の家に来たいと言ったのは、俺の家の場所を知るため? エロ本は二の次で学校で置かれている俺の立場を考えて、俺のことを気遣ってくれたのか? もしそうなら彼氏彼女の関係ではないまでも、母上の言う通り、寛大だ、というのはあながち正解なのかもしれない。
いやいやいやいや、安城寺に限ってそんなことあるはずがない。自分勝手自己中心的なあいつにそんなこと――。
否定的な考えを遮るように、昨日のとある一幕が頭の中に蘇った。
家庭訪問の時、部屋から出られずにいる俺のことを、アイツは優しく背中を押して一歩踏み出させてくれた。安城寺はお腹が空いたからと言い訳をしていたが、本心ではきっと――。
考えるのはよそう。これはモテない男子によくある傾向のひとつ、都合よく考えて勘違いをするってヤツ、結果痛い目にあって身を滅ぼすことになるヤツだ。あーあぶないところだった、助かったー。
――ってもう社会的抹殺されてるんだったわ、俺、ハッハッハーッ!
はあ、今日はやっぱり寝よう。おやすみ。
「……ちょっと俊平、まだお母さんここにいるわよ」
「…………はい、準備します」
思春期の息子への理解がある母上へ。そのせいで絶妙な誤解をしている母上へ。
部屋のドアに鍵つけてもらってもいいですか? そしたらもう二度と部屋から出てやるもんか、くそう。
念のために弁解しておくが、寝ようとしただけで、しようとはしてないからね。
母上の死線に焦がされて永遠にベッドから出られなくなる前に、ひっ被っていた布団を乱暴に脱ぎ捨てる。どうだ、これであらぬ誤解は解け……ってもういないし!?
学校に行くなら今すぐ家を出なければ間に合わない時刻。
もう腹を決めるしかなさそうだ。
今はとにかく準備をしなくては――とその時、メッセージ着信音が鳴った。
『昨日のエロ本ちゃんと持ってきてね! 貸してほしいから!』
知るかってんだ、ボケッ!!
と思いつつも、身支度を終えた後、時間割をして教科書を入れ替えるついでに安城寺ご所望の品も学生鞄に詰め込んだ。
冴えない頭に朝っぱらから絶え間なく湧き出る疑問。
――安城寺の本意って?
――もしかして俺の心理・行動、読まれてないか?
考えても考えても答えの出る気配のない問題に悩まされながら通学路を歩く。安城寺とともに。
「どうして俺の家に迎えになんか来たんだよ」
「実は私の家、森田くんの家の裏側にあるんだ」
「え、マジで? 冗談だろ」
「えへへ、さすがに冗談だよ。でもすごく近いのは本当で、ちょうど私の通学路の途中にあるんだよ」
「都合よすぎじゃないか、それ」
「もちろん少しだけ迂回しなくちゃいけないけど、徒歩で二分くらい学校に着くの遅くなるだけだし」
「それなら近いな。だから昨日送ってかなくていいってしつこかったわけか」
「結局保科先生をタクシーで送ってかなきゃいけなかったから、あんなに断る必要もなかったんだけどね」
あれ、俺、初めて安城寺とまともな会話してないか。
「そ、そ、そえ、それも、そうだな」
自覚すると突如として緊張に襲われた。
エロという、まるでモザイクのようなフィルターを一枚挟めば他愛なくできていた会話も、一介の男子高校生と女子高校生としていざ向き合ってみると、ぐだっぐだのかみっかみ。変に意識してしまってどうやら会話の仕方を忘れてしまったみたいだ。
通学路を歩いて学校に着くまでの間、どうでもいい会話がずっと続いた。修学旅行楽しみだねとか、来月中間テストだねとか、志望校どこなのとか、文化祭なにしようかとか、その前に体育祭かとか。
安城寺と交わすただただ些細な会話。
いつの間にか緊張もほぐれ、学校に行くことも嫌ではなくなり、俺を苦しめていた意固地に
――人気? こいつまさか、まさかッ。
なるほど、俺と一緒に登校したのは、俺を利用していつも以上に目立つようにするためかッ!! 一本取られたぜ……。
校門をくぐると、安城寺のことを待ち構えていたかのように群衆が目の前に現れた。今からトップアイドルの握手会でも始まるのか、それとも有名芸能人の取材でも始まるのか。
これ以上注目されてどうすんの?
「安城寺さん、おはようございます!」
風紀委員の腕章をつけた男の挨拶を皮切りに、皆が一斉に挨拶をし始めた。挨拶は地響きを生み出し、騒音問題が発生するレベル。もはや誰が何を言っているのかわからいない。
安城寺が「おはよう」とひとたび返すと、地響きはさらに大きくなった。
しかし、あるべき秩序はしっかりと保たれている。
おそらくあの風紀委員は安城寺という学園アイドルに一般人が粗相を犯さないように警備し、そして模範を示しているのだろう。朝からお勤めご苦労なこった。
「ところで安城寺さん――」
そんな超人気アイドルの傍らにいる俺が目につかないわけもなく、
「隣にいる男は誰ですか?」
「同じクラスの森田俊平くんだよ? 知らない?」
どうしてだろう。『知らない?』の後に『この前学校にエロ本持ってきて騒ぎを起こした張本人なんだけど』って続くような気がしてならないのはどうしてだろう。やめてくださいお願いします。一般教養みたいに聞くのやめてください。
俺をいじめないで、安城寺さん。
あ、お前、注目を俺にとられそうで怒ってんじゃないだろうな。だとしたら俺だって怒っちゃいますよ、プンプン。散々利用しようとしたくせに、目論見が裏目に出たら八つ当たりって理不尽すぎだろ?
「成績優秀者の上位常連の、あの、森田俊平、ですか」
「おうおう初対面のクセにいきなり呼び捨てとは恐れ入るな、風紀委員殿」
ということで、俺も風紀委員の男に八つ当たり。
彼が安城寺の思惑に気づかず勘違いしてくれたことをいいことに、俺は調子づいて大見得を切ってやった。きっと隣に安城寺がいるのも影響しているのだろう。俺のバックには大物が潜んでるんだ、逆らえるもんなら逆らってみろ、ってな。
だから安城寺さん、せっかく勘違いしてくれてるのに『私の言ってることとは違うんだけどなー』みたいな表情するのやめてくださいお願いします。もう十分目立ってるでしょ。ちゃんと俺役割果たしたでしょ。
「確かにその通りだ。申し訳ない、森田君」
「わかればいいんだよ、わかれば」
この場はこの一本調子で乗り切るしかない。
「安城寺さん、僕が言うのもおこがましいですが、あまり男と一緒に歩かない方が身のためかと」
「どうして?」
「先日あなたをつきまとっていた男を我々風紀委員が取り押さえたばかりですよ。少しは気を遣ってもらわないと。また被害にあってしまいます」
心なしか『我々風紀委員』という言葉が強調されていた。なんかごめんなー、俺のせいで君たち風紀委員の立場を損なわせてしまってー。優位に立てていると思ったら実は上には上にがいて、虚勢張らなくちゃいけなくなっちゃって、ほんっとに申し訳ない、てへてへぷぷぷぅ。
それよりも気になるのが、つきまとっていた男、という言葉。
こいつストーカー被害にあってたのか。公序良俗に反する行為、安城寺という女子高校生に承諾なく性的な接触を犯すといった高女凌辱をした俺に、何を言う資格もないだろうが、許せんな、そいつ。
「別によかったのに、そんなことしなくて」
「いやいや、お前な……なんでもない」
俺は言葉を飲み込んだ。
――露出狂として見られることが大好きとはいえ、さすがに危険だろ。
なんて公衆の面前で言えるわけがなかった。
それと言い
「あ、安城寺」
声が裏返ったが気にせず言葉を続ける。
「そろそろ教室行かないと始業のチャイムなっちゃいむ……」
なんちゃってえぇえええええっ!? 何を言ってるの、何を、なにーを!?
「確かにそうだね、よくぞ気づいてくれました、ナイス
にっこりスマイル安城寺。俺がダダ滑りして請け負ったダメージをやすやすと肩代わりしてくれるこの優しくて寛大な心。そして何が何でも注目を我が物にしようとする自己中心的で強欲な心。
周囲の冷ややかな視線で凍ってしまったも空気も、安城寺のおかげで暖かな春のそよ風が吹いて雪を溶かしてくれる。
どちらの心が安城寺聖来の本性なのか。
――ああ、そっか。どっちもこいつなんだな。
深く考えすぎていたが、答えはもう出ていた。すべてが答えで正解なんだ。
「じゃあみんな行くよ!」
そう言って全員を先導し、ようやく校門より玄関へと向かう。
「今だけは見逃してやるよ――変態エロ本野郎」
すれ違いざまに耳元で囁かれたたったひと言は、俺の玉をすくみ上がらせるには十分すぎだった。
このペテン師エテ公、すべて知った上であの態度か。猫かぶりがさぞかし上手なこって。どうせお前の息子も被ってんだろうな、猫じゃなくてフードを。皮っていうフードをな。俺にとっちゃお前なんざ小物も小物。虚勢張るチ○コな……チンケでお粗末な根性すら去勢してやろうかってんだ!
――と心の中では思えるけど、チキンな俺には面と向かって言う勇気はない。
調子に乗っていた状態なら大丈夫だった、かもしれないけど、盛大に滑ってしまった後じゃどうしようもない。
安城寺集団とともに教室に着いた。
安城寺の腰ぎんちゃく化してしまった俺、教室でも怒涛の挨拶ラッシュの巻き添えを喰らう。それで思ったことは、クラスメイトが今まで通りに話しかけてくれるということ。誰もエロ本のことについては触れることなく、今まで通り何事もなかったかのように接してくれる。嬉しいようで悲しい、複雑な心境だ。
所詮は俺程度の人間から出た錆。
自意識過剰だっただけで安城寺の日常という陰に隠れて、表に出ることがなくなってしまった。七十五日も経たずして俺の噂は鳴りを潜めた。噂を超えて伝説になるのは、安城寺のみたいな超絶人気者が何かをやらかした時なのだろう。
俺は自分の席に着く。
何も寂しがることはない。いつも通りに学校生活を送れるなら何も問題はない。
「よお、森田ァ、今日もエロ本持ってきてんのか、あぁん?」
この一言を聞くまでは、そう思っていた。
右隣りにいる悪の化身――
一触即発の空気を感じとったのか一人残らず表情が曇っていく。さっきは目をあわせて話をしてくれたヤツが俺から一目散に目を逸らし、クラス中の女子はコソコソ話を始めた。
――これが現実だ。
体裁をキレイに整え、形ばかりに固執する。内に秘めたる
だが、俺は知っている。
その醜い心をあえて心のままにさらけ出し、だからこそ逆説的に綺麗であり、尊いとさえ思ってしまう。
俺は、知らず知らずのうちに、安城寺聖来を見つめていた。彼女にすがるように。
何も返事はしてくれなかった。が、わかることは確かにある。アイツから学んだことが確かにある。
「持ってきてんぞ、見るか?」
堂々とぶっかますってのは気持ちいんだぜ?
「おお、マジか!! 宿題なんかいいから先に見せてくれよ! こういうの一回も見たことなかったからよぉ、見てみたかったんだ!」
「エロ本は見せてもいいけど宿題は見せないからな」
「てんめぇ、あんまりナメくさったこと言ってっと、またカバンひっくり返してやるかんなっ! それでもいいのかよ」
「もう見られて困るもんはどこにもないから大丈夫さ」
意外と言ってみるもんだな。
このクソ野郎は不器用ながらに気を遣っていた。そういうことだろ?
気の遣い方がみんなと違ってヘタクソでド直球で、周囲をハラハラさせる。そんでもって一歩間違えれば相手に誤解を招いて負のスパイラルへ突入。
……ったく、どれだけ不器用さんなんだよ。
俺は二重底になっている鞄の底からエロ本を取り出した。
「今日はこれだ! 24時間視――ってこれは!?」
今日安城寺に貸す約束してるやつじゃねえか!?
そういえば今日持ってきた魔術書これだった。
初心者の渡には刺激が強すぎる。アブノーマルだし、ある程度段階を踏んでいかないと理解できないプレイだからな、これは。俺にも未だに良し悪しがわからん。
だからアイツは間違いなく上級者――上級悪魔だ。
「……へ、へぇ、さすがに、インパクトあるなぁ、おい」
「ちょっと森田くん、話あるんだけどいいかな?」
「……あぁん? なんだてめぇ、安城寺ィ。今森田と話してんのはこの俺だろうが、横槍さしてくんじゃねえぞ」
「別にいいじゃない? ね、森田くん。……渡さんの方こそ、しゃしゃり出てこないでくれないかな?」
「言ってくれんじゃねえか、俺に盾突こうったぁいい度胸してんじゃねえか」
「槍とか盾とか大層な物言いだね。……まるで喧嘩にうってつけだ」
「へえ、お高く止まってやがるだけのクソ女かと思ってたが、意外と肝っ玉座ってんじゃねえかよ……なあ、安城寺ィッ!!」
一触即発の空気がまたしてもできたがってしまった。朝からこれで何回目よ。たぶん二回、三回、四回……やっぱり三回、いや四回かも……もうどうでもいいッ。
そんなことより安城寺さ、最初に俺が渡に絡まれた時は一瞬たりとも見向きもしなかったくせに、お目当てのエロ本が出てきたら一目散にやってきやがったな。現金な奴め。誰も悪魔召喚の呪文唱えてませんよ、お帰りください。
クラスが不気味にざわつき始める。
安城寺さんと森田って仲よかったっけ? 朝一緒に登校してたの私見たよ? もしかしてこれ、修羅場ってやつ? 安城寺さんってムッツリ田スケ兵衛のこと好きなのかな? え、じゃあ渡さんもムッツリスケベが好きってこと? ――おい、最後の勘違いするヤツ出てくるからやめろ。
さあ、みなさん! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい!
今から始まりますは、高校一の人気アイドル安城寺聖来と学園一の不良少女渡紘による、森田俊平争奪戦だよッ! さあさあさあさあ、はったはったあぁあああッ!!
――ってそんなわけあるかい!
こいつらが奪い合うのは俺じゃなくて、俺のエロ本だってーの!
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