第7話 プレゼントにはおパンツを(4)
店員さんがデザートを捨てるように置いていった。
その気持ち……すごくわかる。
俺たちの近くにいたくない、俺たちから少しでも早く離れたいって気持ち、すごくわかる。俺だってこの場からすぐにでも消えてなくなりたいもん。
だから、目の前にいる彼女は『すごい』のひと言に尽きる。
この耐えられようのない居心地の悪い空間でも黙々とショートケーキを食べられる安城寺には頭が上がらない。この状況下においても、フォークでケーキを小さなひと口サイズに切り取る所作はどこかの令嬢のように上品で、所作を見ていると育ちの良さがうかがえる。そもそも極度の露出気質であることを除けば、この女は非の打ち所がない美少女だったことを思い出した。
「まっず。なにこの下品な甘さ。舌の上がドロッとする」
安城寺は
——俺の感心を返してくれ。
本当に頭が上がりません。頭をものすごく下げます。やめて、もうやめて、お願いだから! 俺たちがお互いを罵りあって嫌に注目を集めるならまだしも、お店の批判でさらなる注目をかっさらおうとするのはやめて。え、なに? 黙々とケーキを食べていたのはまずかったからなの? ちびちびケーキを食べていたのはまずかったからなの? というかケーキの甘さよりお前の方が下品だからッ!
このまま安城寺のペースが続けば、またしても必ず己が身の破滅を招く。なんとしても普段通りの会話に戻さなければ。
「じゃ、じゃあモンブラン食べるか? おいしいぞ」
「えっちな理由でモンブランを
「やっぱり下品なのはお前だよ。モンブランには何の罪もない。えっちとかくりとか
「グリモワールっていうエロ本がなくても絶好調だね」
「おうよ!」
どうやら俺はすでに壊れていたようだ。自信満々に返事をした俺。ご察しの通り、もう開き直っております。そうしないとこの場の濁った空気には耐えられない。この修羅場を乗り切れない。
「そんな絶好調な森田くんには、このショートケーキをあげます。はい、どうぞ」
「……えっ……ん、えっ?」
口先から約二十センチの位置に、安城寺使用済みフォークに拾われたひと口サイズのショートケーキ。このシチュエーションは『一人称視点もののあーん』に酷似しているのだが、いったい俺の眼前ではなにが起きている。
あーん、間接キッス、目の前に美女。
俺は物欲しそうにマヌケに口を開けていたに違いない。少しずつそれに口を近づける。口内には著しい唾液が分泌される。近づけば近づくほどに心臓が跳ね上がる。このまま心臓が俺の口を越えて、先にショートケーキを食べてしまいそうだ。
ぱくり――。
すごく美味しい。すごく甘い。だけど安城寺の言う通り、下品な甘さではない。
そう感じたのは極度の緊張のあまり正しい甘さを味覚できなかったからか。それとも安城寺の舌が肥えていたからか。それともフォークに付着していた安城寺の唾液がくどく下品な甘さを優しくマイルドで上品な甘さに変えてしまったのか。
どれであろうと、俺はひとつだけ確信した。
――俺って、キモいな。
口の中のショートケーキが蕩けてなくなってしまう数瞬の狭間に、そのどうしようもない結論にたどり着いた。そして、舌の上には下品な甘さが瞬く間に広がった。
「ね、おいしくないでしょ?」
「だからって口から出すなよ。……あ、失言、失礼」
「ん? 森田くん、今、変なことでもいったの?」
「……口から出すって」
「もう、森田くんってば、えっちなんだからー」
巧妙な罠が四方八方隅々に散りばめられている。
俺は八つ当たりよろしく、モンブランにフォークをぶっさして、ひと口で残りを乱暴にむさぼった。
こうして昼食を強制終了し、さて会計。
ショートケーキを残して店の外に出る。はしゃいでいる安城寺は俺の前にちょこちょこっと駆けていく。それから「次はファッションショーだからね」とこちらに振り返って微笑みながら投げかけた。言葉を受け止めた俺は不覚にも自然と頬が緩んでしまう。
エスカレーターで下へ下へと進む。
ようやくまともなデートになりそうだ。きっとどんな服を着ても安城寺は着こなしてみせるのだろう。しかしもったいない。この女は着こなせるはずなのに着込むことを嫌う。
――おかしい、矛盾している。
見られることが好き。詳細に言えば、肌をさらすことが好き。そんな安城寺がファッションショーだと。もしかすると単に普通の女子高校生のように可愛い服を着るのが好きなのかもしれない。下衆の勘繰りか。でもこの女に限って一筋縄にいくわけがない――そっか一筋縄、か。
「ははは、ただいま」
ちょうど悟ると同時に例の店前に到着した。今さらながら安城寺がどうしてはしゃいでいたのか理解した。
人生初のデート中に二度目の
「っておい、そんなことあるか!! あってたまるか!! ……あ、やべ、興奮しすぎて鼻血出てきた」
「あのー、お客様」
「はは、は、は、あ、はい、なんでしょうか!? 別に変な気分になって鼻血出したんじゃないですよ!?」
「は、はあ。その、お連れ様が試着室にてお待ちしておりまして、それでお客様を呼んでくるようにと――」
「あ、そうでしたか! ありがとうごじゃいます!」
似たようなやりとりを前回来店時にもした気がする。
どうやらそう思ったのは俺だけではないようで、
感謝と謝罪と敬意を込めて軽く一礼し、因縁の試着室へ。
またしてもおパンツ草原やブラのなる
俺の気配を感じたのか、天真爛漫な野生動物が顔を出す。この時、天真爛漫という言葉がこの女以上に似合う人間はいないと思ったのはちょっとした余談です。
「どう? にあうかな? 私ってほら、普段下着つけないからよくわからなくて」
「俺の方がわかんねえよ。女性用下着のことも、お前の行動原理も」
出したのは顔だけではなかった。カーテンがゆっくりと開かれると、シンプルな蒼いパンツとブラジャーをつけた安城寺が恥ずかしげもなく立っていた。
それはもう凛々しく堂々と。
下着を着用することで露出度が下がって盛り上がりに欠けるのか、安城寺からは気持ちの昂りを微塵も感じない。まるでいつも通り制服を着ている彼女を見ているような、そんな表情とたたずまいだ。
「可愛いかどうかくらい、いえないの?」
「ハイハイカワイイデスヨー」
「じゃあ次のに着替えるからちょっと待っててね」
安城寺にとって下着とは精神安定剤に収束する、ということか。
そして俺にとっても。
安城寺の下着姿を見ても全然興奮しない。それ以上に過激なものを見てきたことが原因のひとつなのだろう。姉や妹の下着姿を見てもまったく興奮を覚えない弟や兄の気持ちがなんとなくわかった気がする。
しかし、下心における興奮がないだけで、興奮は確かに
試着室のカーテンの開閉が五度行なわれたところで下着ファッションショーは終了した。蒼、白、赤、黒、黄。二度目の紐パンと四度目のセクシーさはグッジョブ。三度目はエロスの化身が降臨したのかと錯覚した。エモーショナルでエクセレントでファビュラス――これ以上の褒め言葉はない。最後の五度目には締めくくりに相応しい落ち着きを持たせた下着。ファッションショーとしては抜群の構成だった。
評価――満点。
顔を引き攣らせていた店員さんは仕事を忘れて見惚れていた。
店内にいた女性陣はいつの間にか試着室前に群がっていた。
特等席で見ていた俺は純粋に感動してしまった。
興奮しなかったというのは嘘だ。下劣な興奮を覚えなかっただけで、俺は大いに興奮してしまった。音楽に感動する者がいるように、絵画に感動する者がいるように、俺の心は試着室から生まれた芸術によって感動の嵐に見舞われた。
体を縛りつける余韻が体から熱を解放してくれない。
華奢な手足と滑らかな腰のくびれによる曲線美を際立たせる下着の存在なくしてはなし得なかった奇跡。それは、脚と腰の境界を分かつパンツ、胸と腕の境界を分かつブラ紐の存在があってこそ生み出される。さらに境界としての役割だけでなく、白く透き通る素肌に着せられたわずかな布が創造しては織り成す世界は、この世の言葉では語り尽せない。
つまり、安城寺聖来は日頃から下着さえ履いていればパーフェクトということだ。
「……なんか台無しだな」
そもそも下着の存在なくしてはなし得なかった奇跡ってなんだよ。下着を履く奇跡って奇跡でもなんでもねえからな! 当たり前のことだからな!
試着室から服を着た安城寺が大量の下着を腕と胸で抱えて出てきた。ひらりと一枚の脱ぎたてのパンツがこぼれて床をおしっこのように黄色くする。
「森田くん、ひろってくれない?」
「いいけど……いやダメだろ、男の俺に何させようとしてんだよ」
「両手ふさがってるんだから、ひろってくれたっていいじゃない」
「なに、いま俺、男としての器でも試されてんの?」
男性としての器――つまり男性器を試されているということか。
それなら器は大きい方が女性から多大なる好評を得られるはず――俺はもげるくらい激しく頭を左右に振った。
今の状況を再認識しろ。
拾わなければ人として、拾ったとしても人として、終わりを告げるような……。
俺は腰をかがめて一度拾ってみようとはしたものの、パンツに触れる寸前で手を止めた。
いや待て、いや待てと。
これはもうただの布地ではない。
ここに落ちているのは安城寺が一番最後に履いた黄色のおパンツ。序盤に履いたパンツならまだしも、ついさっきまで履いていたパンツならば、その脱ぎたてパンツならば、安城寺によってヌクヌクとあたためられた卑猥な体温がまだ残っているかもしれない。それを、そのパンツを、俺に拾えというのかッ!
どうすればいい。拘束されて両手が使えない安城寺のために俺の手を使ってヤるのは当然なのだろう。でもパンツよ、パンツなんよ。拾えばいいの、拾わない方がいいの?
そもそもパンツに手を伸ばしたまま悶々とフリーズしている今の俺の状況の方がまずいのでは――。
「もういいよ、自分でひろうから。どうして下着一枚もひろえないかな」
「う、うるせえな、俺だっていろいろ悩んでんの、悩めるお年頃なの」
安城寺は器用に右腕だけですべての下着を包み込み、フリーになった手で脱ぎたてパンツを回収した。しゃがむことなく身体の柔軟さに横着した安城寺。だから、かがんでいた俺からはハッキリと見えてしまった。周囲の人には見ることのできないローアングルから見えたものは、もはや恒例となってしまったアレ。
やあ、メデューサ、相変わらず元気そうだね。
――この女、やはりパンツを履いていない。
さっき来店した時に買ったパンツはどこにやった。まさか腕の中にある下着の山に埋もれているのか。購入したものを返品するな、新品ならまだしも……ん? もしや未使用新品なんですか? ……昼食前にトイレに連れていったのも空振りに終わったってことか。
安城寺が店員さんに試着した下着を店員さんに渡して一礼する。どうやら今回は一着も購入しないらしい。試着したにもかかわらず買わずに帰るとは、かなり根性が座ってないと無理な行為だと思うのだが。そう思うのは男の俺だけでしょうか。
こうして第二次下着売り場デートは幕を閉じた。
ブラっとショッピングモール内を歩いていると、すでに行く
でも安城寺がどこかうわの空で、何かをずっと考えているようで、次にどこに行くのか話題を振れずにいた。
「さっきちょっと思ったんだけどさ、森田くんって本当にエロいの?」
「……どういうこと?」
まさかずっと考えてたことって。
「ファッションエロっていうのかな? 目の前に女の子の脱ぎたてパンツが落ちているのにひろわないなんて、男としてどうなの? もしかして私の履いてたパンツには魅力感じない?」
「パンツの魅力? お前の魅力の前ではかすんで見えちまうぜ」
「……と、とにかく、今から森田くんの家に行くから。ファッションエロならクローゼットの中にいっぱい隠してるはずだし、確かめに行くから!!」
なるほど、話題をふりにくかったのは安城寺も同じだった、ということか。
確かにいきなり俺の家に行こうとは言いにくいだろうし、悩んでしまっても無理はない。そして俺の部屋のクローゼットを絶対に覗かせるわけにはいかない。
どんな
そこには常人にはけっして見せてはならない禁断の書物――
この
ということで、もちろん、安城寺にも絶対見せない。
何が確かめに行くから、だ。たとえ俺の家に来たとしても、絶対にクローゼットは見せないし、そもそも俺の部屋にはあげないし、俺の家に、俺の家に……俺の家に?
お、俺の家にぃいいいいいいいいいいいいいいいいっっっ!?!?
「ほらはやく連れてって! 私が読みたい本だってあるかもしれないし……いや、あるに違いない!!」
「待て待て待て待て、ちょっとじゃなくて、ずっとここで待て。どうして俺の家に来る流れになるんだよ」
「いきたいから」
体中のありとあらゆる穴から汗が噴き出してきた。
安城寺の理由はともあれ、まさか人生初エッチの展開まで見えてくるとは。
* * *
生まれて初めてのデート。お相手は誰もが羨む超絶美女。うんうん、楽しかった楽しかった。本当に楽しかった。楽しかった。楽しすぎてこの時が永遠に続けばいいのにと思うほど楽しかった。めっちゃ楽しかったー!!
――などと今日あったことを思い出す前に楽しすぎたと自分に暗示をかけても、どうにもならなかった。ものすごく疲れの溜まるデートだったことはすべてを語るまでもない。
世の中のリア充は日常的にこれを苦も無くこなすとは、称賛する他ないな。
そして
「明日が楽しみだなー。はやく『キッコウシバリ』したいなー」
「あのさ、縛るのはもうやめろって言ったよな。痛々しいし」
「森田くんが私のこと束縛しようとしてるー。いやーん、えっちぃ。縛るのやめろって言っておきながらこのいけずぅ」
「ちゃかすなよな……ったく、じゃあこれで是非とも縛られてくれ」
ズボンのポケットから取り出した彩り豊かな厚手のビニール袋を机の上に叩きつけてやった。無理矢理ポケットに押し込んでいたせいで、シワシワでぐちゃぐちゃになっている。
いつぞやにした約束はちゃんと果たしました。
確か、例の店の前で無責任にも買ってやると言ってしまった、はず。
叩きつけた袋をまったく開けようとしない安城寺に「さっさと開けろ」と視線を送り続け、やっとのことで中を見てくれた。そして中身を取り出し、自分の顔の前で恥ずかしげもなく両手で広げて掲げてみせた。
「……パンツだ!? しかもカワイイ!?」
「当たり前だ。お前が気に入るようなパンツを選んだからな!」
というのは嘘で、マネキンが履いていたパンツをそのまま選んだ。可愛いフリルのついた紐パンは透け感も程よくあり、しかも紐だから自分を縛ることもできる。たまたま安城寺にお似合いのものにだった。
それにしても高かった。おパンツって高級品なんだな。まあ、貴重品だから薄々高価なものだとは考えてはいたが、まさかあれほどとは……。おかげで昼ご飯の時は財布事情に散々ビクビクさせられた。
「じゃあ明日はこれ履いてくね。縄やめて紐にする。……ありがと」
複雑な感情が俺を縛り上げ、何も言えなくなってしまった。
パンツを買った事実が今さらながら恥ずかしく、俺のパンツ……俺の買ったパンツを明日履くと言う安城寺に感謝されて恥ずかしく、安城寺がスカートをたくし上げて履いたパンツを見せてくれる妄想を一瞬してしまった自分が恥ずかしい。
つまり複雑な感情はどこにもなく、単純に羞恥心しかない、恥ずかしい。
俺の気持ちを察したのか、安城寺もつられて顔を薄っすらと赤くしている。持っていたパンツをゆっくりとビニール袋の上に置いた後、顔をうつむかせて俺から視線を逸らした。
久しぶりに存在を主張し始める沈黙。
安城寺の脚が何かと擦れる音。安城寺の呼吸音。安城寺が唾を飲む音。安城寺が乾いた唇を舐めた湿り気のある音。安城寺がまばたきした些細な音。聞こえてこないはずの音すらも幻聴として聞こえてきそうな空間が知らぬ間にできあがってきた。
俺は妄音に浸りながら、耳いっぱいに幸せを感じている。
——と、そのすべてをかき消す轟音が、ドアが勢いよく開くとともに鳴り響いた。
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