第6話 プレゼントにはおパンツを(3)

 俺は思わず彼女をうしろから抱き締めてしまった。

 彼女の心中には見られる恥ずかしさと気持ちよさという相乗効果をもたらす感情が、俺という触媒によって化学反応を起こすかの如く、気持ちの昂りをさらに活性化させていることだろう。

 俺もさすがに反応しそうになる――が、あと一歩のところでとどまれた。

 鏡越しに映る彼女は、胸元からぎりぎり下が隠れるくらいまでを先程まで着ていたタートルネックで前だけを隠していた。後ろ姿は惜しげもなくさらけだされており、彼女の艶めかしく欲情掻き立てられる首筋から脚にかけて、上から順に目で舐めるようにひとたび見てしまえば理性を保つことは不可能だ。


 だから俺は彼女に本能剥き出しで抱きついた、抱き締めた――のではない。


 保つことが不可能なはずの理性が、今、確かに保たれている。それはなぜか。答えは簡単だ。理性を吹き飛ばす以上のことが、本能を軽々ねじ伏せてしまうことが、俺の目の前で起きていたからだ。


「もう縄で身体を縛るのは、やめてほしい。お願いだから」


 縄のあとを見て、俺は思わず彼女を抱き締めてしまった。

 彼女の身体にはすでに縄は絡まっていなかった。そのかわりに、真っ白な肌に赤みを帯びた縄の跡が生々しく残っている。見るに痛く、綺麗な無垢な身体に傷がついていることが、俺は許せなかった。


 だから抱き締めた。

 優しく、彼女を包み込むように。


 バスの中で手首を跡がつくほど力強く握ってしまった俺に、忌々しい縄と同じことをしてしまった俺に、安城寺を抱き締める資格はないのかもしれないが、そうする他どうすればいいのかわからなかった。ただ俺は、彼女の背中に残っていた跡をどうしようもなく隠してやりたくなった。縄ではなく俺が抱き締めて、跡を上書きしたくなった。だから俺は安城寺のことを抱き締めて……抱き締めているッ!?



「ご、ごめん、安城寺!! お、思わずだったんだ、思わずやっちゃったんだ!?」


 我に戻り、俺は安城寺から飛び退くように離れた。

 今さらながら自分の脈動の速さに気づいた。

 安城寺の身体はひどく熱く、俺の服越しでも密着部からその熱を容易に感じ取れるほどだった。少し早くなっている息づかいも、ほんのりとかぐわしい汗の匂いも、俺の全細胞で感じ取れた。

 ならば、俺の心音も彼女の背中を伝って聞こえていたに違いない。


 とんでもなく大胆なことをしてしまったのでは?


 普段からエロいことばかり妄想したり、最近では事案が発生したりと、一般人的な感覚が麻痺して機能不全を起こしかけている。もしかするともう欠落してしまったのかもしれない。

 俺には『純情』と『躊躇』という言葉が存在しないのかッ。

 目を伏せている安城寺につられて俺も視線を下へと持っていく。するとそこには、縄の残骸が無惨にひしめきあっていた。何メートルあるのかわからない。


「お客様!! 店内での淫らな行為はおやめください。もし今すぐ出てこなければ警備の方をお呼びすることになります!!」

「今すぐ出ます今すぐ出ます今すぐ出ます。それに淫らな行為は、断じて、断じてしておりません、断じて!!」


 俺は安城寺に「服着たら出てこいよ」とだけ言い残して、中が見えないように最小限のカーテンの開閉をもって試着室を出た。出るしかなかった。

 さて、興奮も覚めやらぬうちに記者会見ですかね。

 俺もそうだけど、店員さんが騒ぎ立てるもんだから、ランジェリーショップ内の女性陣は言うまでもなく、ショッピングモール内の通行人まで足を止めてこちらによろしく目を向けている。


 勘弁してください。ごめんなさい。俺、何か悪いことしましたか。

 どうも初めまして、少しエッチなことに興味を持っている健全な男子高校生ってだけで最近世間から非情な扱い、誹謗中傷を受けております、森田俊平です。誰か、誰か俺のことを助けてください。

 店員さんの目なんて下衆ゲスを見る目だ。最初に話しかけてきたときはお客さん扱いしてくれていたのに、今ではもう人扱いしてくれる素振りもない。


 ああ、外で待っていたい。

 でもそうすると、安城寺を独りここに残してしまうことになる。

 俺はここから離れるべきなのか、それとも残るべきなのか、どっちが正しいのかはデート経験なし、今日がお初の俺にはさっぱりわからない。

 ということで、試着室からは少し離れつつも、店内で、何かあればすぐに駆けつけられる程度の距離にポジション取りをした。目の前には可愛いフリルのついた紐パンとブラのセットがマネキンに取り付けられている。少し前までなら大興奮していたかもしれないが、ポジティブな感情が欠損してしまった俺には、至極のランジェリーもただの薄い布切れとしか思えなくなった。


「つーか、俺、安城寺のこと気にかけすぎかな」


 気にかけたついでに安城寺としたは守ろうと思う。




 店員さんの計らいであれ以上の音沙汰なく下着売り場ランジェリーショップをあとにした俺たちは、次なる目的地へと向かう。

 人生初デートで初めて行った場所が、ランジェリーショップ。

 この鬼畜な所業を成し遂げた俺にはもうこれ以上どこに行こうが恐れる場所などない。ただしラブホテルは除く。それは人生初エッチというデートとは一線を画すイベントが発生するので。まあ、俺には縁のない場所だから現時点ではどこに行こうが大丈夫。


「で、次はどこ行くよ。ちょうど昼だしごはんでも食べに行けばいいかなぁと思ってんだけど」

「そうだね。私もおなかすいたなー。実は初菱縄ひしなわ縛りだったから時間かかって朝ごはん食べてくる暇なかったんだー」

「そうかいそうかい。それでも俺のこと一時間も待たせやがって」


 と、今さらながらの愚痴をこぼしながら、上階にある飲食店に向けてエスカレーターに乗る。

 俺より先に乗った安城寺は「えへへー、ごめんごめん」と頬を人差し指でかく。照れをごまかそうとしているらしく、仕草は、まあ、可愛いと思う。

 だがしかし、そんなことよりも、もうひと工夫でスカートの中が覗けそうなのが気になる。

 たった一段上に立っている安城寺。

 例のお店でこの女が買っていた下着、とくにパンツを無理矢理トイレまで連れていき、履くように命令した。さすがに男の俺は女子トイレに入ることはできないので、パンツを履いている現場を押さえることは叶わなかったけれども、さすがにあれだけしつこくプライドを捨てて「パンツを履け」と公衆の面前で言いまくったんだ。これで履いてなかったら、頭にチョップかましてやる、チョップ。

 ちゃんと履いているとは思う。

 いくらなんでも履いているはずなんだ――でも気になる。

 本当にパンツを履いているのかどうか――イヤだなこれ。パンツが見えるかどうかではなく、その存在の有無を確認したいだけの自分が嫌だ。毎度おなじみのお下劣な感情が皆無だ。今までこんな気持ちでスカートの中を覗きたいと思ったことは一度もない。


「どうしてスカートばっかり見てるの? のぞきたいの? ぜったいダメだからね」

「どうしてだよ。パンツ履いてるなら覗かれたって大丈夫だろ? ……なんか今俺とんでもないこと口走ったよな。ってそれはいったん置いといて、本当はパンツ履いてないんじゃないだろうな」

「履いてるよ。履いてるからのぞかないでほしいの。なんか恥ずかしい」

「お前、もっと見られたらとんでもないもの俺に見られてんの忘れたのか!?」

「わ、忘れてないよ! 忘れるわけないよ! 初めて人にガン見されてすっごくドキドキしたんだもん。このヘンタイ!」

「おま、お前が俺に変態って言っちゃうのか?! あーはいはい。どうせ俺は高校にグリモワール持っていく変態ですよーだ。すみませんでしたね、露出大好き変態ビッチ女子高生さん」

「露出は好きだけどビッチじゃないし、ビッチいうな! あとグリモワールって?」

「ああ、エロ本のこと」

「うえぇー。エロ本に名前つけてるんだ。きもちわるいね、森田くん」

「今度特別にお前にも見せてやるよ。グリモワールの偉大さがわかるだろうよ」

「ふーん。じゃあ期待してるねー」


 ――って何をペラペラとしゃべってんだ、俺はよおぉおおお!!

 どうも安城寺といるとテンポが乱されてしまう。二人の変態、森田俊平と安城寺聖来の共鳴により、普段は隠している俺の本性が露出女の本質に引き寄せられて、つい表に出てしまうとでもいうのか。

 そんな俺の気も知らず、安城寺はスカートの裾をヒラヒラと故意に遊ばせ、俺の心をもてあそぶ。誘いに乗ってスカートめっくてやろうか。もしパンツを履いていればセーフ。履いていなければアウト。セーフの基準がガバガバなのは安城寺特別ルールを採用しているからであって、一般人には適応されない。


 不倶戴天――ともには天を戴かず。という四字熟語を引用させてもらう。

 不具戴天――を天に戴かず。お天道様に具をさらけ出してはいけません!!


 さあ、後方確認。都合のいいことにエスカレーターに乗っているのは俺たち二人だけ。ではセーフか否か……いざゆかん!!


「うげっ……いててて」


 いったぁ。今時の小学生でも転ばねえよ。もう降り口まで着ていたとは。息巻いて後方確認なんてしてたからステップの終わりに気がつかなかった。

 作戦失敗。

 突っ伏すようにビターンと転倒し、必然、固い床の感触を顔面で堪能した。

 ラッキースケベが平然と蔓延はびこる世界なら、おっぱいクッションで顔いっぱいにおっぱいが――なんて今時の小学生でも妄想しねえよ。

 だが俺は俄然所望するッ。

 おっぱいには男どもの夢と希望とロマンがたわわにつまっているのだから!!


「なにやってんの、森田くん」

「我ながらバカみたいだよ。こっぱずかしい」

「そうじゃなくて、人の足元に顔つっこんで下からナニをのぞこうとしているの?」

「……あっ」


 さてここで数学の問題です。

 背骨を軸として体を百八十度回転させながら、中心(尻、尻)を支点とし、半径八十八センチ(座高)で円を描くようにして森田は体を起こしました。以上のことから森田の頭の現在位置を求めなさい。ただし初期状態は森田の顔面と固い床、森田の両肩と安城寺の両踵かかとがそれぞれ接していたとする。


 答え――スカートの後ろ半分が森田の頭によってめくり上げられ、安城寺のスベスベおしりが丸見えになる。ただし、森田はおしりに対して後頭部を見せている。


 興味ではなく、あくまでも確認のために振り向いておしりを拝む。

 よかった。もう縄の跡は残っていないようだ。

 俺は何事もなかったかのように立ち上がった。おしりを直視したことも、転んでしまったことさえも。でもだけはなかったことにはできないので、


「いたっ!? え、なんで!? どうして私がたたかれなくちゃいけないの!?」

「叩いたんじゃない。チョップな。こう――」


 もう一発頭にチョップをくれてやった。

 ニコニコ笑いながらチョップを受ける安城寺。じゃれあうことに喜んでいるわけではないことくらい、俺にはわかる。おしりを露出できたことへの喜びが安城寺という露出狂の心を満たしている。

 三大欲求のひとつが満たされたとなれば他も満たしたくなってくるわけで、安城寺のおなかがキュルキュルキュルと自己主張し始めた。食欲の方も満たしたくなるのも道理ってこと。


 俺の服の袖を軽く引っ張ると、彼女は「あこのデザートおいしいらしいよ!」ともう片方の空いた手で指差し、俺に『あのお店に入りたい』と暗示してきた。

 最近オープンしたらしいイタリア料理レストラン。

 さて入店――とその前に、安城寺にパンツを履かせるため、トイレへ連行した。もちろんトイレから帰ってきた安城寺に確認のスカートめくりは実行していない。もし履いてなければ、ただ喜ばせるだけで終わってしまうので。


 さてさて改めまして。


 値段が高くなければ何でもいい、高いのは財布事情的に絶対無理だからと思いながら入店すると、高校生が出入りするには少し場違いな雰囲気が漂っていた。だから席に案内された時はある程度の出費は覚悟した。安城寺に泣きついてお金を借りるために土下座することも覚悟しました。

 が、俺の心配は杞憂で終わり、料理はどれも良心的な価格設定。

 俺はペペロンチーノを、安城寺はカルボナーラを注文。よほど腹が減っていた俺たちはやってきたパスタを無言でペロリとたいらげてしまった。

 まったくもってデートらしくない。

 というか今思い出したけど、今日はデートじゃなくて何か改めて話がしたいんじゃなかったっけ? 安城寺を待ち合わせ場所で待っている時間にメッセージを何度も読み返したおかげで、文面はしっかりと暗記している。


「あのさ、森田くん」


 真剣な顔つきな安城寺が張り詰めた空気をまとい始めた。

 とうとうここからが本題のようだ――なんて俺が巧妙な罠にひっかかるとでも思ったか。今ならお前の考えることなら手に取るようにわかる。安城寺とまともに話をしたのは今日が初めてだけど、今の貴様の心根は理解している。掌握済みだ。


「お前、どうせデザートでも食べたいんだろ!!」

「私、どうしようもないくらい露出狂なの!!」


 はいピンポン大正解。

 俺たちが生きるのは、バラエティー番組やドラマ、アニメ、漫画、小説の世界ではない。ここはリアル。規制を入れる『ピー音』や『〇文字』は活躍するどころか機能すらしてくれない。それなら俺が『ピー音』の役割をになうしかない。

 たとえそれが今さらだと言われたとしても。

 これ以上はさすがに捨て置けない。

 無理矢理だろうと声を被せ、変態カップルとしての悪目立ちを阻止してやったぜ。

 ——ちょっと待てよ。

 結局、奇声をあげた俺はただの変態だ。安城寺の醜態を守って、犠牲にしたのは俺の人間性。どう転ぼうと変態に落ち着くって、つくづく人生ってヤツは面白くできてやがるよ。


 安城寺の声量に負けないよう声を張ったせいで、店員さんが慌ててやってきて「デザートのご注文はございませんか」と気を利かせてくれた。

 いちごのショートケーキとモンブランを注文し、店員さんが去ったのを確認してから、さて本題に入る。俺は小声で安城寺に告げる。


「露出狂なのはもう知ってるから。あと大声で叫ぶな」

「えっ、なに? 今なんて言った? もっと大きい声で言って」

「だから、お前が露出狂なのはもう知ってるって」

「……え?」

「だーかーらー、お前が露出狂なのは知ってるって言ってんだよ!」

「ご、ごめんなさい! 森田くんが私の身体見たくてうずうずしてるのは知ってたけど、こんな公衆の面前で、えっ、えっ……えっちなこと言わないでよ! あとでふたりっきりになったら、たくさん見せてあげるから!!」

「やめなさい、キミ、やめなさい。もう少しブチ込む場所を考えなさい」

「ナニをどこにぶち込むつもりなんですか!」

「話題をな! 話題をブチ込む場所を考えろって言ってんの。俺もつい語弊のある言い方しちゃったのは申し訳ないけどさ」

「本当に申し訳ないと思ってるんですか。そう思ってるならもっと誠心誠意謝罪してください。私、ただでさえ森田くんにいじめられて、心も体もきずついているんですから」

「本当に申し訳ございませんでした。……っておい。確かに傷ついてるのかもしれないけど、傷ついて楽しんでるんだろ、お前の場合は!」

「私はドМじゃないです!」

「超ドМだよな」

「…………」

「黙るなよ!? ……わるかった、俺がわるかったよ」

「わかればいいんです。まったく、静かにしていれば、あとからいくらでも私の身体見せてあげるのに」

「やめなさい、キミ、やめなさい。もう少しブチ込む場所を……ってあやうく無限ループに突入するところだった」


 何の話をしようとしていたのか忘れてしまった。どうも安城寺と話をするとペースを乱されてしまう。

 そして場の雰囲気も乱されてしまう。この時、店員さんがデザートを運びあぐねていたことは言うまでもない。

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