第19話 創性魔法――アンタッチャブルエクスタシー
緊急事態だというのにマイペースな俺の息子は朝っぱらから筋トレに励んでいる。
腹筋と背筋をしたあとは、俺が膝を立てることによって成立する三点倒立からの逆立ち腕立てという最強の筋トレを始めやがった。はてさて、上半身をとことん鍛えるはずのメニューなのに、下半身の一部ばかりがバンプアップしてメキメキ筋肉をつけていくのはどうしてだろう。
ふっふっふ、原因はわかっているさ。とりあえず、二つある。
一つ目は、毎晩しっかり右手で行う男特有の祈祷という儀式を昨日はどうしても擦る……することができなかったこと。二つ目は、今、俺の置かれている状況。
前者は生理的現象、後者は誘発的現象。
このダブルパンチが男になら誰にでも宿る朝の悪魔を起こしてしまった。
俺は、今、渡と枕を共にしている。
これは文字通りの意味で、
……こほん、と、ところで、臥薪嘗胆という四字熟語。
臥薪とは、
堅い薪に
俺も今日日、苦労の日々を耐え忍んでいる。
モッコリ田スケ兵衛と後ろ指をさされ、
苦労に苦労を重ねた日々をすごしている俺。
しかしながら、堅い枕どころか柔らかいおっぱいをこのまま枕にしてしまいそうな勢いで渡と枕を共にしている。こちらを向いている渡が俺のすぐ側にいる。
いつもは男っぽいと思っていても、少しでも女らしさを意識してしまうと心臓が理性に終わりを告げる警鐘として強く音を響かせる。くるんと上反りした長いまつげにややつり目でありながらも優しさが宿る双眸。スッと伸びた鼻の下にある笑うとチャーミングなお口が、生温かい吐息で俺の頬をくすぐってくる。
苦い胆を嘗めるどころか、女の子の甘そうなおっぱいやおっぱい、おっぱいを枕にしたついでに舐めてしまいそうだ。
臥薪嘗胆ってきっとこんな感じ――んなわけあるかッ。
この四字熟語が生まれるきっかけとなったであろう中国の偉人に土下座して謝ったとしても許してはくれないだろう。夢の中に怨念となって出てきて、討ち首にされても文句を言えない。
と、おっぱいという言葉が俺の視線を強制的に渡の胸元へ誘導する。
横向きで寝ているせいで垣間見える胸の谷間。はだけたパジャマからは胸元が大胆にも見え、ぷっくりとした膨らみは、芸術的にも美しい俺の息子の倒立をついに完成させてしまった。
――って渡ってこんなにおっぱいあったっけ!?
ふと渡ママが言っていた『着やせするタイプ』という言葉を思い出した。はだけ具合から見るにブラをしている様子はない。あれなんですかね。最近の女子高生は下着をつけないのがスタンダードなんですかね。
「どうしていきなり足、立てたの……?」
「あ、ああ、あ、足しびれちゃってさ」
いつもの何を喋っても暴言を吐いているような口調が姿を消し、男心をくすぐる甘えた声音で聞かれて、俺はタジタジになってしまった。
わざわざ横を向かなくても、ジーッと見つめられているのがわかる。頰が焦がれるように熱くなっていくのはそのせいだ。
「……ほんとうに?」
「う、うん、本当だ――」
「してあげようか」
耳元でたっぷりと空気を孕んで吐かれた言葉は、冗談なのか、本気なのか。
ごまかすには下手すぎる言い訳はいともたやすく見破られ、俺の真意は早々と露見した。
本当はえっちなことがしたい――という俺の真意。
わずかな違和感を覚えるも今はどうでもいい。
限度を超えた興奮が思考回路を焼き尽くし、正常な判断をできなくさせる。破綻しかけの理性にじわじわととどめを刺すかのように、渡は耳元から唇をいっこうに離そうとしない。接触間近の唇から熱が伝わってきそうだ。
もし俺が、うん、と頷けば、耳にキスをしたり、ハムハム甘噛みしたり、舌で優しく撫でてくれたりしてくれるのだろうか。
「お前、彼氏いるんだろ、ダメだぞ」
「それじゃあ、彼氏がいなかったらしてもいいってこと?」
「そ、それは……」
振り絞った理性は雀の涙よりもさらに少量で、唯一弾き出した否定的な回答も、的を射た渡の誘いに容赦なく敗れ、俺は口ごもってしまう。本能というものは何よりも正直だ。
もう駄目だ、我慢できない。
俺は立てていた膝をゆっくりと下ろす。それを渡は了承の合図として受けとった。俺の服の下に手を入れ、お乳首様を指先で舐めてくる。
――ダメだ渡ッ!?!?
と抵抗する――なんて男は本当にすごいと思う。もしいたとするなら、そいつの理性の強さは魔王級に違いない。
俺は流れを身を任せて渡になされるがままに。渡が俺の体を優しく卑猥な手つきで撫でながら少しずつ下半身へと運んでいく。このまま俺の魔剣と悪魔たま……悪魔様を手玉に取るのかと思いきや、通りすぎては太ももにゆっくりと指を這わせた。
しばしご堪能――かと思いきや、俺は違和感の正体に気がついてしまった。
興奮が全身をコーティングしているせいで気がつかなかった。
渡に触られているはずなのにその感触を肌に感じない。
――なるほど、そういうことか。
興奮が快楽指数を跳ね上げることで、都合のいい気持ちよさを脳が妄想によって勝手に生み出していた。
太ももを指で這われたときはこんな感じなんだろうな。
柔らかな太ももで腹筋背筋のお手伝いをしてくれる時はこんな感じなんだろうな。
耳をハムハムされて舐められたらこんな感じなんだろうな。
行き過ぎた妄想により、脳内に分泌される脳内麻薬。行為による本物の快楽を知らない童貞は、その麻薬で憶測の範疇にとどまっている偽装された快楽を享受する。
「ねえねえ、きもちいい?」
これが、童貞にのみ許される創性魔法――アンタッチャブルエクスタシー。
けっして童貞には触れることのできない領域、到達することのできない本物の絶頂。しかし逆説的に、女の子に触れられたことすらないがゆえに、本番時における絶頂で得られるはずの快楽の程度を推察して仮定することで、妄想によって自分勝手に叶えることのできる疑似的絶頂。
ダブルミーニングによって命名されたこの創性魔法は、魔法使いになれば誰にでも使うことができる。魔法使いになれるのは基本的に三十歳から。ただし、大前提として、童貞でなくてはならない。
また、幾多の
童貞ならば誰にだって妄想の中で疑似行為から疑似快楽を得られるようになる。これは本番本物のを知らないからこそできる奥義。知らざる者の特権だ。
「そろそろ我慢できないでしょ。……もっと、きもちよくしてあげるね」
「ありがとう」
「……えっと、私のも、さわってほしいな」
最後に決定的な証拠がこれだ。ここでの渡の一人称は『私』らしい。なおさら女の子っぽく見えてくる。
それで、話を元に戻して何が言いたいのかといえば、今置かれている状況は睡眠時に無自覚に見る妄想の中であるということで。
つまり、これは、夢、だ。
「夢オチかよッ」
とボヤくと同時に上半身を起き上がらせ、とうとう目が覚めてしまった。夢の中だから好き勝手やろうと思っていたのに。
俺の突飛な行動に驚いたのか、横で椅子に座りながらベッドに突っ伏していた渡が体をビクつかせた。
ちなみにもうひとつ違和感があった。そもそも俺と渡がベッドに寝ているのを四方八方から俯瞰していた時点で気づくべきだったろうに。
俺は経験がないので一人称視点でのえっちを詳しくはしらない。妄想は俺の脳内にある情報によって展開されていく。
つまり、カメラマン視点。グリモワール等で一番慣れている視点だ。時折一人称視点モノもあるけど、しょせんは偽造。正しい一人称視点を知らないのだから、そんな夢を見ることはないし、知らないものは妄想のしようがない。
「んーやっと起きたのか。おはよう森田」
「お前びっくりして体ビクゥってなってたぞ」
「お前の挙動にはびっくりしてない。今のはあれだ、学校で寝てたりしたらなるヤツ」
「ジャーキングか?」
「そうそうそれそれ、そのジャーキング? ってやつ」
「……お前寝てたんだよな。寝たふりじゃないよな」
「そ、そうだぞ」
「じゃあどうして今の会話成立してんだよ。ビクゥで目が覚めたんなら、俺の言動なんて知るはずもないだろ。俺に驚かされたってことになんで否定できるんだよ。どうして寝てたお前が俺の挙動について知ってんだよ、おかしいだろ」
苦笑いを浮かべていた渡が真顔になり、視線をそーっと俺の顔から腹部へと移動させて止まる。その先を見たがらないように。
なるほどな。俺もなんとなく察しはついていた。だからまくし立てて責め立ててでも確認する必要があった。渡がどうして寝たふりなんてことをしていたのかを。
驚いていたのは俺の挙動にではなく、俺の巨根にか。
俺は渡に背をむけ、壁を向いた。夢の中だけでなく、現実でもおっ立てていたとはな。当たり前といえば当たり前か。
渡が寝たふりをしていたのは俺に気を遣ってくれていたから。その優しさに気づけなかった俺は、渡のせっかくの好意を無下にし、何事もなかったことにする機会をみすみす棒に振ってしまった。かわりに振っていた棒といえば……。
ああ、18禁的展開の夢の続きを見させてくれ、サキュバスのお姉さん!! 今すぐにでも夢の世界に帰りたい。エロイムエッサイム、エロイムエロッサイム、エロ淫夢にエロ債務を課せられてもいいから何卒、何卒お願いしたい。どうか俺の悪魔召喚に応じてください。
「……そ、その、してやろっか」
「遠慮しておきますッ!!」
俺は即答した。
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