エロイムエロッサイムから始まる森田俊平の高校生活

助六

プロローグ

「このグリモワールをバカにするな」

「どこからどう見てもただのエロ本でしょ。なにいってるの」

「女の子が、エロ本とか、なにとか、いってるとか、言っちゃっいけません。せっかくエロ本って言わずにオブラートに包んだ言い方してあげたの台無しだろ」

「……オブラート? どこがオブラートなのよ、言ってみなさいよ。包み隠さず堂々とエロ本見せつけてる現状のどこにオブラートがあるって?」


 と言いながら、俺の対面に座る彼女は机の上にあるR18指定、いわゆる18禁のエロ本を指さしながら俺の発言に噛みついてきた。

 エロ本のことを魔術の書物グリモワールと例えて何が悪い。妥当すぎて普通は感心するところだろうが。思春期真っ盛りの男子高校生がひとたび魔術の書物エロ本を手に取れば、呪文を詠唱破棄する勢いで自らに魔を降ろし、悪魔に憑りつかれた自分自身は十八歳未満であるにもかかわらず、食い入るように見てはページをめくる手は止まらなくなるのである。勤勉に努めるのである。もし他人に魔術書を読むことをとがめられても、勉強中なのでと他者を受けつけない。もしそれでも通用しなければここは潔くこう言うのだ――魔が差しました、と。


 では俺の勉強の成果を少しだけ発表するとしよう。

 グリモワールには有名な呪文が存在する。


 Eloim, Essaim, frugativi et appelavi.

 エロイムエッサイム、我は求め訴えたり。


 この呪文を初めて聞いた時、誰しもが耳を疑い、聞き直したところで何も解決しないどころか、卑猥な言葉だという疑惑は深まり誤認したことだろう。誤認したことは断じてないと否定する者がいたとしても、内心どこかで必ず思ったに違いない。何を求めて訴えるのかと。

 俺も何を求めて訴えるのかと、恥ずかしながら公共の場でドキッとしたことを今でもはっきりと覚えている。ただ俺の場合は一般人と少し違った解釈をしてしまったこともまた事実。もちろんエロ関連だと察したことは根底にはある。それは言わずとも無論大前提だ。ただ俺は聞き間違えてしまったのだ。


 エロ淫夢エロ債務、と。


 まさに夢心地、極上この上ない快楽を味わった対価がとんでもない債務となって重くのしかかるとは、なんたる悪夢か。そして、それでもなお我は求めて訴えるとはどれほどまでに中毒性のある快楽なのか。

 正しくはエロイムエッサイムであり、魔術書にある悪魔を呼び出す呪文だということを聞いて、俺は納得せざるを得なかった。思春期童貞男子高校生に卑猥な妄想幻想を抱かせてしまう。これが呪文、エロイムエッサイム。末恐ろしい悪魔の呪文だ。

 これを機に俺はエロ本のことを敬意をこめて、グリモワールと呼んでいる。

 などと思いを馳せていると、彼女は「これじゃないの」と言いうやいなや、机の上……騎乗ではなく机上からエロ本(18禁)をはたき落し、新たな書物を机上に叩きつけた。


「私の知りたかったのは、こっちよ。なにこの露出度、ぱないねッ」

「ふむふむ、へー、初めて見るな。えーっと限界露出24時間視――ってこのエロ……グリモワールどっから取ってきやがったッ」

「枕の下に隠してあったよ」

「兄貴め、タイミングが悪いというか良いというか」


 タイトルは、姦プレイと続いていた。

 よくもやってくれたな、クソ兄貴。

 俺の書物の数々はクソミソ兄貴からのお土産がすべてだ。定期的に決まって枕の下に忍ばせて置いていくのである。青テープが剥がれていることから、おさがりだ、とわかってはいるが、いつも重宝している。ちなみにプレゼントの始まりは高校受験を控えた中学三年の秋、処分に困っていたゴミクソ兄貴が俺に押しつけたことから始まった。なにが「勉強の差し入れに、挿し入れは別途購入で」だ。保健体育は高校受験科目にはないんだよ。

 というか、よりによって人が、しかも女子がいる時に置いていきやがって。だけど、俺のコレクションの中に彼女のがあるかもしれないからという理由で家にあげたのだから、タイミングはむしろ完璧。そもそも『彼女が望むもの』ってワードだけでエロ連想妄想がスタートして頭の中がパンク寸前、キャパシティーオーバーしそう。ねえねえ、なにがお望み、なにがほしいの?


「快感よねー!!」


 思考が声に出ていたのかと一瞬心臓までもがパンクしそうになった。

 彼女は目を輝かせ、意気揚々と恥ずかしげもなく、鼻息荒く、まるで新しくもらったオモチャに興奮している子どものようだった。例え方が秀逸でもなく、斬新でもなく、ただただ聞き慣れたフレーズではあるものの、これ以上に的確な例え方は思いつかなかった。というよりも、これは比喩になっていないのだ。女子高生といえどもまだ子どもであり、新しい玩具に興奮しているのも確かなのだから。それが魔術の書物エロ本という大人の玩具というだけで何もおかしなことは言っていない。

 訴えかけてくる彼女の双眸からは、読んでもいいかと許可を今か今かと待っていることが容易に読み取れる。

 俺は大きくため息をつくと、それをゴーサインだと解釈した彼女は待望の表紙をめくる。ひと通り見てはまためくる。彼女のページをめくる手や姿勢に自分を重ねてしまい、嫌な既視感にさいなまれるのはどうにかならないものか。傍から見たらマヌケというか自分もこんなふうに、これ以上にグリモワールを使っているのかと思うと正直自分に引いてしまった。

 と、ドン引いたところで直す気はおろか改心する気もない。

 当たり前だ。今さら感が蔓延している。そう、今さらなんだ。


「なにこれ、え、やば、え、ごほっごほっ……ごはっ」


 興奮しては激しさにむせて、最後に何かを一発腹に入れられたかのようなそんな感じだった。きっと今見ているページがまさにそんなシチュエーションだったにちがいない。どうしてむせた? 何を腹に入れられた?

 この反応を見るに耐性があまりないのは事実らしい。自分は露出狂であると啖呵を切っておきながらエロさに対して耐性なさすぎでしょ。口だけでまだ経験のない初心者なのに無理しちゃってさ。くわえていっちょ前にエロい事を口走っては人をおちょくって楽しんでいるのだから許すまじ。


 それにこいつの考え方は間違っている。

 俺の考え方こそが正しいのだ。


 はあ、はあ、と呼吸を整えながら熱い吐息を身体から大きく漏らし、自分の興奮を一度落ち着けようとする彼女は、真の快楽とは何のか、エロから始まる快楽の神髄を俺に身体を張って教えようとしている――この俺に。


「これすごいね、めちゃくちゃは参考になったわ。特にこの緊縛プレイには驚かされたし……これ借りてもいい? 明日返すから」

「どこで返すつもりだ。お前のことだからどうせ学校だろから先に言っておく。来週の休日でいいから、人目のつかない場所と時間を設定してくれ。あとこれも先に言っておく、別に呼び出した先でお前のことを襲うなんて非道的展開はこれっぽっちも考えてないから」

「……絶句。絶句するわ。……絶句す……ぷふっ」

「変なとこで句読点打たなくていいから」


 この女は見てくれはいいが、中身がお粗末すぎる。

 俺がこの女のことをさっきから彼女と呼んでいるのは、そうしないと今この状況を乗り切れそうにないと考えたからだ。この女、安城寺聖来あんじょうじせいらは問答無用で俺の彼女ではない。単にこの女、安城寺とは他人という意味で距離をとりたかったんだ。

 いくら学園一の美女とはいえ、いくら自分の部屋と二人きりだとはいえ、いくら淫靡な空気が漂うとはいえ、さすがの俺も安城寺を性の対象として見ることはできなくなった。

 もしも一週間前に同じシチュエーションが起きていたならば、眼鏡をはずして野獣ビーストモードになっていたこと必至だ。


「……ごめん。借りものだし、ちゃんと明日返します。みんなの前で、公衆の面前で。考えるだけでドキドキする。誰もがいるところで渡すなんて。めっちゃ興奮しちゃって倒れちゃうかも」

「だからやめろって、いろんな意味で」

「別にいいじゃない。森田くんは今さらバレても大丈夫でしょ。もう全校生徒が森田くんのことドスケベ変態ムッツリ野郎だって知ってるわよ」

「どうして俺の今のあだ名を知っている」

「当たり前でしょ。私も全校生徒の一員、それに生徒会長なんだから」


 別にドスケベ変態ムッツリ野郎とストレートに呼ばれているわけではない。

 俺の名前は、森田俊平もりたしゅんぺい

 ついたあだ名は、ムッツリ田スケ兵衛ベエ

 幸い、モッコリ田スケ兵衛と呼ばれないだけ助かったと思いたいところだが、俺がモッコリ田なんて思いつくくらいだ。数日後にはモッコリ田を襲名していてもおかしくはない。笑えない。誰だよ、誰がうまいことモッコリ田って言えって言ったよ。確かにムッツリだし、モッコリくらいするよ。だって男の子なんだから。

 切実に思う。切に願う。切に所望する。

 本物の魔術の書物グリモワールには願いを叶える手段・方法も記されていると聞く。だからお願いだ。どうか三日前に起きたあの出来事をなかったことにしてください。

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