第16話 俺は停学期間中に自分のあり方を見つめ直した。
拝啓
時下
三日間の引き籠りマスマスかきかき生活はいかがでしたでしょうか。
さて、余談ではありますが、『マスをかく』の語源、由来はご存知でしょうか。とある筋から入手した優良な情報によりますと、『せんずりをかく』と『マスターベーション』という二つの言葉が巧みにあわさってできた言葉なのだとか。ちなみにとある筋とは万筋のことではありませんよ。ははは、もし変な妄想を誘発してしまったのなら、今ここに謝罪致します。まんことに申し訳ございませんでした。すみません噛みました、手紙だけに。手前勝手なだけに。
それでは我が童貞……間違えました。私自身童貞であることに違いないのですが。
それでは気を取り直しまして、我が愚弟のご健康と益々の繁栄をお祈り致しております。ではではー。
敬具
とりあえず便箋をビリビリに破って兄貴の部屋にぶちまけてやった。
朝っぱらから喧嘩売ってんのか、もう一回ビジネス書読んで手紙の書き方学んできやがれってんだッ! 余談が本題になってるわッ! 兄貴の思惑通り変な妄想しちゃったわッ!
唐突に『ちょっと手紙の書き方を練習するのに書いた』と言って、今朝、出勤の前に兄貴は手紙を俺の部屋の机上に置いていった。
おそらくこれが兄貴流の気遣い。もっとうまく気を回せないのかと思ってはみたものの、俺にはこれくらいがちょうどいいと判断しての激励文なのだと割とすぐに気がついた。
三連休……停学期間は終了し、今日から復学。
この三日間、安城寺からの連絡はいっさいなかった。俺からも連絡することはなかったから責めるのはお門違いだけど、少しくらい気にかけてくれてもいいんじゃないかと歯がゆくなった。
保健室でキスまであと少しのところで、まさかのお預け。
その前にはどさくさに紛れて、おっぱいをモミモミ。
さて、今日安城寺に会ったらなんて話しかけようか――いや違う。そうじゃないだろ俺。ここは兄貴を見習って手紙でも書くべきか。……意外と手紙って効果的だし便利だよな、そうしよう。
ということで、朝っぱらから手紙を書いて、ただ今登校中。
自意識過剰だと信じたい。エロ本露見事件の時よりも視線のグサり方がひどい。
通学路が地獄への一本道となり果てる。すでに歓迎が始まっているらしく、畜生亡者のように北川高校の学生たちは視線によって俺に鬼畜攻めを強要する。
――ああ、超気持ちいぃッ!!
俺はこの三日間で、自分のあり方を再確認したんだ。
俺は、人知れずしてエロを堪能したい。
例えば、パンチラはあっても胸を揉むということはあってはならない。行為の当事者にはなってはならない。他人を鑑賞しても他人に干渉してはならない。過干渉なんてもってのほかだ。偶発的に起きるラッキースケベにも越えてはいけないラッキーが存在する。
触りたい、ヤリたいと思うのは自由。だけど思考を実行に移してはならない。
そう、俺は、最低限の学校生活は保証されたいんだ。もし何かあって人に後ろ指さされて残りの学校生活を送るなんてまっぴらごめんだ。
ただこっそりと、ひっそりと、満喫できればそれでいい。
目立つことなく日々を送りたい。人気者が位置する上位カーストはもちろん、ぼっちが追いやられる下位カーストにも身を置きたくない。ともに目立ちすぎるから。
――なのに、ここ最近の俺の行動はいったいなんだ?
メデューサとの邂逅まではよかった。
頂点に君臨する安城寺とデート? チャンスに甘えて胸を揉む? さらには流れに乗じてキスを迫る? ……バカなことを。浮かれて有頂天になりすぎて自分を見失っているじゃないか。
今日からはちゃんと一線を越えないように気をつけなければ。
とは思いつつも、すでに手遅れな状況をどうやって打破しようか。悩みはいっこうに尽きそうにない。
数多の視線に刺され出血多量により瀕死寸前に追い込まれながらも、なんとか校門まで辿り着いた。
誰かと待ち合わせをしているらしき人物と目があう。正確には待ち合わせではなく、待ち伏せ。俺の両目をとらえた鋭い眼光が如実にそう物語っていた。
俺はそれをスルーして玄関へと闊歩する。
さっそくお出ましか、俺の天敵。下駄箱にさっさと手紙を入れて今日は逃げて避け続けようと思っていたのに。
「ちょ、ちょっと待ってよ。……見て見ぬふりって……なんかあり」
背後から声をかけられるが、それもスルー。
なんかありって俺がいない間に新しい境地でも開拓したのか? 被視と無視。相反するものの組み合わせによって刺激の奥行きや重厚さが増したとでも? もう変態さんなんだから。
でもこの変態に出会えたことで、ようやく復学した実感がでてきた。
仲良くなったのはここ最近のことなのに、もうずっと一緒にいるような、そんな安心感があるっていうか。なんていうか。
――ってダメだダメだ。違う違う、安城寺は俺からささやかな日常を奪う天敵だ。
安城寺の顔を見てしまったせいでフラッシュバックする記憶。意識すればするほど安城寺とのここ最近の思い出が溢れかえってくる。いかんいかん、心を無に心を無に、無に、無に……むにむにうぉっぱい!!
「森田俊平ッ!!」
「がぁああああああああッ!?」
「えぇええええええええッ!?」
むにむにした張本人に大声で名指しされ、驚きのあまり心の絶叫を体外へとダダもらしてしまった。それに驚いた安城寺も同じように驚嘆し叫ぶ。
二人の叫び声は空気を震撼させ、登校中の全校生徒の耳に届いた。歩いている学生は足を止め、校舎に入って行こうとする者は引き返してこちらにやって来る。ありとあらゆる視線が俺に集まる。……俺に集まる? 安城寺にじゃなくて?
俺は慌てふためきながら全身を使って周囲を見回した。
そこには下衆を見る視線がなく、男子は目を輝かせながら、女子は無関心を装いながらも好奇な目で俺を見てくる。
「森田俊平、僕は君に礼を言わなくてはならない」
どこから湧いて出たのか、いつぞやの朝に世話になった風紀委員が現れた。
悔しそうに歯噛みしながらも何か言葉を続けようとしている。どうして情緒不安定なのかわからないが、これなら今日も強気に出ても大丈夫そうだ。
「だからさ、ほぼ初対面で全然喋ったこともない相手をさ、フルネーム呼び捨てにするってのはどうなのって前にも言ったよね?」
「……そうだったな、森田君」
「わかればいいよ。で、なにさ」
俺の高圧的な態度に周囲がどよめいている。
「キミは安城寺さんを
「……ん? あ、そうだね?」
「紘の彼氏としてキミに謝罪するよ。本当に済まなかった。安城寺さんのことを傷つけていれば、紘はもうこの学校にいられなくなるところだった。そして風紀委員長として、キミに感謝をささげよう。ありがとう。おかげで騒ぎが大きくなることを事前に防ぐことができた」
渡の彼氏……どこかで聞いたことのある声なんだけど、記憶が何かに遮られて思い出すことができない。何かこうモワモワと柔らかいものに隠されているような。
それよりもなんだろう、この違和感。
……そうか、彼女である渡を心配しているのかもしれないが、安城寺や風紀委員としての仕事のおまけのような言い方だったからだ。彼氏ならば、彼女のことを一番心配するのが当たり前だろ。
いや、それどころか、安城寺や風紀委員のことも二の次なのかもしれない。
俺の中に一つの仮定が生まれた。
「本当は月曜日に保健室で伝えるつもりだったんだが、キミは先に帰ってしまっていなかったからね。謝礼が遅くなってしまったことは、どうか大目に見てほしい」
「あ、お前、渡と一緒に保健室に来てたヤツか」
柔らかいもの――おっぱいの情報量が脳の
――って渡の彼氏ィッ!?
え、あの、ボーイズラブ的な? ……あ、渡って女の子? だったな。
「おかしいな。森田君はいなかったはずだが、どうして僕と紘が保健室に来たことを知っているんだい?」
「ああ、あああ、あ、安城寺に聞いたからだよ。な、安城寺」
「う、うん?」
俺たちの会話をちゃんと聞いていなかったのか、安城寺からとぼけた返事が。ほれみろ、風紀委員があやしんでるじゃねえか。
それにしても、この風紀委員の聞き方から考えるに、俺が安城寺のことを襲ったという
……ふむふむ、ようやく俺が注目されている理由がわかった。
どうやら俺は北川高校の生ける伝説こと安城寺聖来を救った英雄になってしまったようだ。身を挺して守ったことには違いないが、噂が尾ひれをつけ箔をつけ、この三日間で俺を置き去りにして独り歩きし、校内に広がった、ということか。
なんだこの
「森田くん、有名人になっちゃったね」
「安城寺、俺」
「ムッツリスケベ仙人」
「……ムッツリスケベ仙人?」
「そうそう、今の森田くんのニックネーム」
英雄じゃなくて仙人ときたか。確かに仙人は山奥にいるイメージあるしムッツリとかスケベとか、英雄より全然似合ってんな。
「じゃねぇよ!? ふざけんなよな!? おまっ、俺のことバカにしてんのバレバレだからな……おい風紀委員ッ、お前も笑い
「失敬失敬。……ムッツリスケベ仙にプフッ」
くうぅ、ちっきしょう。バカにしやがって、ちょっとインテリぶってるけど、どうせファッションインテリだろ。俺より身長高いからって見下ろしやがって。この際だからこの前から言いたかったことを言わせてもらおうか。
俺を馬鹿にしたことを後悔するんだな。
「ったくよ、笑いたくなるのは俺の方だぜ、風紀委員。風紀委員ならまず髪を切れ長すぎだ、てか金髪ってなんだよ、男の金髪なんて需要ないんだよ、金髪はロリに限るんだよ、ペチャパイ貧乳ギリギリ微乳に限るんだよ、お前風紀委員だろ、男だろ、そんならさっさと頭丸めてこいやッ」
あれ、おかしいな。騒々しかったギャラリーが一気に静まり返ったぞ。俺、なんかおかしなこと言いましたかね? ああ、言いましたね、そうですね。
「……僕のカッコよさに嫉妬しているのか? それに風紀委員ではなく、風紀委員長だ。あとこれは地毛さ」
サラサラな髪を手でクシャっとしてカッコつける風紀委員長。
「あーそうかよ。お前、ナルシストだからファッション武装してんのか」
「ファッション無双? なんのことだい? まあ無双とはこの僕に相応しい言葉だ」
「はいはい、そーですか。もうなんでもねえよ。さっき言ったことはどうぞ聞き捨ててくれて結構」
渡紘というカッコイイ彼女、風紀委員長という好ポジション、金髪サラ髪イケメンというルックス、高身長という抜群の背丈。他にもリア充に必要な要素をかき集められるだけかき集めて、鉄壁の鎧を形作り武装する。一番大切な異常なまでの自己愛を守るために。
だからこの男は俺のことが嫌いなんだろう。目の敵にするのだろう。
この武装ナルシストは初対面で俺のことを、成績優秀者、と敵視してきた。自分より秀でていることが気に入らなかったのだろう。しかも安城寺の隣というリア充なら誰でも憧れるポジションにモッコリ田スケ兵衛と言われている俺が陣取っていた。
俺のことを羨むどころか妬んでも憎んでも何もおかしくはない。むしろ武装ナルシストにとっちゃ当然辿り着くであろう終着点だ。
確かに俺が安城寺の隣にいるのはおかしいのかもしれない。いや、絶対おかしい。
でもな、お前に安城寺の隣をやすやすと譲るつもりはない。
ガチガチに武装したお前に、ノー防具の安城寺が釣あうわけがない。それならエロ本をさらけ出してしまった俺の方がまだマシだろ、って俺何考えてんだよ、何張り合ってんだよこんな奴と。
とにかく、お前は安城寺の隣にいることを妄想して、お得意のガチガチ武装を下半身にも施してりゃいいんだよ。そんでもって渡に浮気してるって言いつけてやる。そんで自爆しちまえ、リア充は下半身以外爆発しろ!!
ふん、もう武装ナルシストに用はない。
「そろそろ教室行ってもいいかな? 停学開けそうそう遅刻ってシャレにならないからさ」
「確かにその通りだな。僕も風紀委員長として遅刻するわけにはいかない。よく気づいてくれた、
どこかで聞いたことのあるフレーズ。
ふと隣を見ると、いつの間にか横並びになっていた待ち伏せ女の頬が赤みを帯びていた。……ごめん、
「これ、はやってるのよ」
「……すごくごめん」
もう全面的に俺が悪いです。
でもさすがは安城寺。お前ってヤツはつくづくすごいヤツだよ――ってダメだ。また気づいたら安城寺のペースに引き込まれている。
「じゃあ、俺、先行くわ。ホントに遅刻は勘弁だから」
と言い訳し、安城寺を置き去りにして俺は玄関へと猛ダッシュ。
安城寺の近くにいるのは危険だ。俺のささやかな日常、高校生活が脅かされる。
さっさと手紙を渡して俺の気持ちをわかってもらわなければ。安城寺なら同じ変態道を歩む者として理解してくれるはずだ。
しかし、直接手渡すのは注目を集めてしまうこと必至なので難しい。……それなら下駄箱に入れておけばいいのでは? よしっ、そうしよう。手紙を書いてきてよかった、サンキュー兄貴。
安城寺の下駄箱は探すことなくすぐ見つけることができた。出席番号一番で助かったぜ。
俺は手紙を捨てるように下駄箱にポイッた。
「これでよし」
あとはこの場からさっさと逃げろ。
上履きに履き替えた俺は、教室までまたしても猛ダッシュ。廊下を風のごとく駆け抜け、階段を龍のごとく舞い登る。速攻で辿り着いた教室に、息を切らしながらゴールした。
ゆっくり息を整えることもせず、一目散に自分の席に座る。鞄の中から一般書籍を取り出して、栞の挟んであったページを読みながら呼吸を整える。
胸ではなく腰を押しつける妹は、俺に、妹としてではなく一人の女として見てくれと無言で誘惑してくる。俺と妹の秘部が重なり、互いが互いを求めあう。理性ではいけないこととわかっていても、俺の本能が着実に妹の――さくらの秘部へと侵略を進める。さくらは侵略を許すかのように、さらに腰を強く押しつけてあらぬ声を俺の胸の中で喘いだ。
もう……無理だ。俺は――俺はさくらの唇に飛びついた。
いったん視線をスッと本から黒板へと飛ばした後、俺はタイトルを確認してみた。
表紙には『エッチな妹でごめんなさい!!』と題されている。
もう一度視線をスッと黒板へと飛ばし、次は背表紙で再確認。タイトルは『エッチな妹でごめんなさい!!』で変わりない。
俺はクラスメイトにこのライトノベルの詳細がバレてしまう前に、慌てて鞄の中にぶち込んだ。
なんじゃこの小説は、あんのクソ兄貴ィイイイッ!!!!!!
俺の耳は廊下の騒音をとらえた。もしかしていかがわしい本を読んでいたことがバレてしまったのか? と勘繰ったが、それは杞憂に終わる。なぜならそれを引き連れてきた安城寺が教室に入ってきたからだ。
本来勘違いするはずもないのだが、今回は周囲が上げる声質のせいで過剰に反応してしまった。周囲の声音が明らかに
「えっと、下駄箱の中に入ってた」
安城寺が手に持っているのは、俺が下駄箱に入れた手紙。
なんとなく状況を理解した俺はこう思った――これから公開処刑が始まる。
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