第22話 やってきました謎の転校生(1)
ようやく渡が復学する日――火曜日である。
かいがいしく昨日もノートを見せに渡家を訪れると、このまま学校サボろうかなぁ、とバカがボヤキ始めたので頭に一発チョップを入れる。すると日頃のお礼もかねてだろうか、お返しは十割増しと言わんばかりに腹に一発グーを入れられた。ごちそうになった夕食を口から出産しそうになった。お産じゃなくて汚産しそうだった、クソッタレ。
というか本当に来ないつもりか。
いつも朝礼の五分前には真面目に登校している不良の姿が俺の右隣にはない。
「森田――よう。渡さ――だき――いの?」
「ごめん。うるさくて聞き取れなかった。今なんて言った?」
安城寺は使い魔どもに右手をスッとかざすと、教室から音が消えた。
「森田くん、おはよう。渡さんはまだ来てないの?」
「お前、どこの上位悪魔だよ」
使い魔という取り巻きを一瞬にして黙らす悪魔の右手。それは神をも嫉妬する魔手。俺の持つ不浄の右手とは大違いだ。
「悪魔? 天使の間違いじゃない?」
「誰が天使……はい、安城寺聖来さんは、まぎれもなく天使です」
否定を許さない使い魔から鋭い殺気が喉元を突き立てる。この学校で安城寺の悪口を言う奴はたいていが自殺願望者。あやうく俺もそこに仲間入りするところだったぜ。
そもそも天使ってのはな、渡家アイドルことゆうちゃんのことを言うんだよ。わざとではないと思うけど、俺の上に座る時は何かと我がエデンを刺激してくる小悪魔的な一面もあるけど、それもいいんだよ。それも含めて天使なんだよ。
「あ、そうそう、そんなことより、渡さんはまだ来てないの?」
俺は肩をすくめて返事した。
「おかしいわね。準備に手間取ってるのかしら」
安城寺が何かを知っている物言いをしていると、教室に見知らぬ女子が一人入ってきた。安城寺に向けられていた数多の視線がちらちらとその女子に向けられていき、やがて誰もがその女子から目を離せなくなる。
安城寺に引けを取らない美女が現れた。
ちょっとしたざわつきが割れんばかりの騒音になるまでわずかに数秒。絶賛発情期の男子はもちろん、それ以上に女子が発狂して
さては転校生か。初日からかわいそうなこった――安城寺を敵に回すことになるのだから。
だから誰もがお近づきになりたいと思ったのだろう。申し訳ない。俺もそこに行きたいところなのだが、安城寺と渡だけで今は手一杯なものでして。誠に申し訳ない。
転校生か。始業式から少しタイミングが遅れてとは、ちょっとかわいそうだな。
「安城寺人気もあぶないかもな」
「ふん、私の人気は揺らぎないわ。もし奪われたならどんな手段を講じてでも奪い返すだけよ」
「……目が
この通りだ。人間新しい物好きだから仕方がない。とくに男子は新しい者、つまりは処女好きであるので美女転校生に飛びつくのも仕方ない。が、安城寺さんだってまだ新しい者の部類だと思いますよ。何が中古品ですか。あんなに
と、とにかく、ちゃんと安城寺さんのことも今までと変わらずに見てあげて!
安城寺は腕を組む。そして群衆に視線を送る。嫉妬の眼差し――かと思いきや、しかしそこには敵意はなく、先程までとは打って変わって友好的な感情が双眸に込められていた。
俺が頭に疑問符を浮かべていると、安城寺は呟いた――そろそろかな、と。
「うッッッせえぇえんだよッ!!」
あれ、聞き覚えのある声ですね。誰がブチ切れたんでしょうか。
驚きのあまり動きを封じられた群衆。じりじり気圧され一歩後退し、また一歩、また一歩。尻込みして後退して取り囲まれていた女子の姿が少しだけあらわになる。さらりとした癖のない黒髪ショートボブがよく似合う。背を丸め、肩を大きく揺らしているのを見るに、彼女が怒声の持ち主と考えていいだろう。
一瞬漂った甘い香りが俺の意識を誘う。
まるで転校生に気を取られていた俺の注意を再び自分に取り戻そうとするかのように、安城寺聖来という女の存在を俺に顕示させた。
彼女は長い髪を柔らかく揺らしながら歩き出す。そして、長い手足で今にも人に襲いかかりそうな獰猛な野獣に立ち向う。
俺の元から出立していた安城寺はその野獣の側に行くと、とうとつに頭を撫で始めたのであった。……であった。……何やってんの!? 触るなキケンってどこにも書いてなくても
「はいはい、よしよし」
「触んじゃねぇ。気安く人の頭触んじゃねぇ、ボケッ」
「髪の毛少しはねてたから直してるだけよ」
「クソッ、まだ撥ねてやがったか。どんだけ直しゃいいんだよ。これだから身支度ってのはめんどくせぇ。いつもより三十分も早く起きたってのに、足りやしねぇ」
「ちゃんとアイロン使った?」
「……使ったけど、イライラしてぶっ壊しちまった」
安城寺の表情が一変した。人間らしさが消え、一瞬にして悪魔が憑依したかの如く無表情に、目を見開き瞳孔をかっ
「そのアイロン、私のだってわかってて壊しちゃったのかな? ねぇ、そこんとこどうなの――ねぇ」
「……す、すまん」
「今日のお昼ごはん奢ってね」
「……チッ」
「よろしい」
気性荒々しい転校生に友達に向けられてはならない視線を相手の両目へとねじ込み、圧倒。最後にニコッとはにかむ安城寺の笑顔は邪悪そのものだった。
転校生は舌打ちをして顔を背けた時点で負けを認めたらしく、それを理解した安城寺も一触即発の睨み合いに幕を下ろした。
やっぱり天使じゃねえ。安城寺は立派な悪魔だ。天使がそんな目をするわけがない。何より俺のグリモワールから呼び出されるのは悪魔の類だけだ。
「げっ」
獰猛な彼女と目があってしまった。思わず心音が腹奥から漏れた。
――わけではない。寝たふりをしようとビビってとっさに机に突っ伏したせいで、おもっくそ机に頭を叩きつけた。その時に漏れ出た悲痛の叫びが、これだ。
確かに怖いもの事実。だがそれ以上に、もう厄介ごとに巻き込まれたくない。
ああ、冷や汗なんかも出てきた。脇とか股とかの下から……股からは何も変なものは出てないからね。ビビりすぎて漏らしてなんかないんだからね。
嫌でも聞こえてくる足音が近づいてくる。俺なにか気に障ることしましたか!?
「おい」
寝たふり。ビリビリ殺気を感じても寝たふり。
「おいッてんだろ」
寝たふり。体がピクッとして寝たふりもバレバレだけど寝たふり。
「おいゴラ森田ァッ! 無視してんじゃねぇ!」
寝たふり。たとえ名前を呼ばれようが問答無用で寝たふり。
寝たふり。襟首を掴まれて持ち上げられても寝たふり。
寝たふり。顔面をさらされてめっちゃガン見されても寝たふり。
寝たふり。軽く三度往復ビンタをくらっても寝たふり。
寝たふり。意識が飛びそうになっても頑張って耐えて寝たふり。
「……いや、もう無理。痛いし、え、なに? 転校生さん、ごめんなさい」
「転校生? ……ああ」
転校生が何かを悟り得心のいった顔をしてコクコク頷いている。
「森田君、初めまして。隣の席空いてますか」
「ああ、隣りは渡紘ってヤツの席だから空いてないんだ。というか今このクラスに空席なんてないから、先生来るまで待ってて」
「あーわかりました。じゃあここ座りますね」
「別に座っててもいいけどさ、たぶんアイツが登校してきたら、転校生さんボコボコにされるかもしれないですよ。ちょうど今の俺みたいに。……というかそろそろ放してもらえませんかね、これ」
でも、もう少しこのままでもいいかもしれない。
顔の高さがグッドな場所にある。上二つもボタンを留めていないせいで、はだけたシャツから控えめながらも立派な谷間がこんにちは。それをこうも堂々と目の前で見られるのだから眼福も眼福だ。
朝からナマおっぱい、うん、最高。
これならあと数発ビンタされてもいいかも。できればそのお胸でお願いしたい。いやしかし難しいかなぁ、このちっぱいには。
――と俺が四の五の考えていると、気がつけばそのおっぱいにダイブしていた。
これは理性を欠いだ俺の本能的行動ではない。俺の言うことを聞いてくれた転校生が掴んでいた首根っこを解放してくれたおかげで重心が前方に傾いた。必死にかわそうとしたせいで谷間ではなく、転校生の右胸に――ああ、夢心地。
「お、おいテメェ、覚悟はできてんだろうな」
「あ、はい、大丈夫です。もう殴られてもおつりがもらえるくらいには堪能させていただきました。どうぞ煮るなり焼くなりしてください」
次の瞬間、机というフライパンに叩きつけられましたとさ、めでたしめでたし。
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