第9話 家庭訪問と恋のキューピット(1)


 三者面談って学校でするもんじゃないの?


 母上に質問すると「共働きで平日には学校にうかがえないって伝えたら、休日に家庭訪問するってことになったのよ」と返ってきた。何も言えない俺にひと睨みして部屋から出ていった母上は、廊下から「彼女さんも連れてきなさいよ」と瀕死寸前の息子に嬉々として追撃をくらわせた。


「なんか、とんでもないことになっちゃったね」

「今さらだから。全然大丈夫」


 俺は自分に言い聞かせるつもりで言葉を口から出した。

 覚悟を決めて部屋から出た。が、いっこうに階段へと足が進まない。俺の足は部屋を出た後一歩も動いてくれなくなった。


「ほら、行くよ。私おなか減ってるんだから」


 はたして素なのか気を遣ってくれているのか、この際どちらでもよかった。

 安城寺が俺の背中を軽く押してくれている――その事実だけで憔悴しきった俺は十分報われた。さすがは全校生徒の憧れ安城寺聖来、頼もしいじゃないか。

 介護される老人のように安城寺に支えられ、一階、運命の扉前に到着。

 唾を飲み込んで、ない気合を入れてノブに手をかける。そして、ひと思いに強く回してドアを開けた。

 ここが俺の精子をかけた戦場だ。

 ……生死な。まだまだ冗談かますくらいの余裕はあるようで何よりだ。

 食卓にはいつもより少し豪華な料理がひしめいて並んでいる。そのせいで座りづらかったのか、父さんと保科先生はどこにも座らず立ち話をしていた。リビングとダイニング・キッチンが仕切りもなく繋がってんだ。リビングにあるソファにでも座ってもらえばいいものを。

 保科先生は父さんと会話しながらも俺の存在に気づいたらしく、


俊平しゅんぺい君、お邪魔してます。今日はよろしくね」

「よろしくどーぞ」


 それはそれはご丁寧に挨拶をくれた。

 本当にお邪魔だっての。お邪魔している自覚があるならさっさと帰りなさいよ。今日はよろしくねって俺に説教垂れに来たくせによく言うわ。

 威嚇のつもりで保科先生を睨みつける――と、嫌でも情報が入ってくる。

 休日先生スタイルなのか、誰に媚びを売るわけでもないのに、スカート丈がいつもより明らかに短いぞ。膝上十センチ。座ればスカートの裾がずり上がって太ももが露になるギリギリの境界線を突破している。それに今日も相変わらずの気品ある色香オーラぷんぷん漂わせちゃってさ。片ポニーも相変わらず可愛いしさ。

 ――はい、気持ちのリセット完了。

 保科先生をひとたび見れば、活力がたぎってみなぎってくるってもんよ。今日はよくぞ我が家に来てくださりました、ありがとうございます!


「女の子が一緒にいるってお母様から聞いてたけど、安城寺さんだったのね」

「はい! 私も一緒にご飯頂くことになりました! 家庭訪問終わるまではリビングの方で待機してます」

「いいのよ、あなたもこっち来て座りなさい」

「あ、はい! ご丁寧にありがとうございます」


 機械的に適当な返事をした安城寺は母上に案内され、俺の椅子に座らされた。

 いつもは俺と兄貴が並んで座り、対面に父さんと母上が腰掛ける。このままだと兄貴の椅子に保科先生が座ることになり、俺の居場所は……ないの?

 父さんが自分の席につく前に、部屋の奥から何やら運んできた。


「俊平、この椅子を母さんとあの子の方に持っていきなさい」

「はいよ!」


 救世主よ、俺の居場所を作ってくれてありがとう。

 せっせと運んで安城寺の右手側にお誕生日席をセッティング。確かに説教を受けるのは何を隠そう私目でございますので、この罪人、森田俊平が主役と申しつけられてもこれっぽっちも過言ではございません。


「先生、どうぞその椅子をお使いください」

「ここに俺が座るんじゃないのかよッ」

「ちょっと待ってろ。もうひとつ持ってきてやるから」

「いやいい。兄貴んとこに座るから大丈夫」


 保科先生が「失礼します」と着席し、着々と三者……五者面談の開始が近づいてきている。

 俺が兄貴の椅子に座ろうとした時、何かの下ごしらえを終えた母上がキッチンから帰ってきた。これ以上料理を出してもテーブルの上に乗りきらないのに、母上ときたら張り切りすぎだ。


「そこはお兄ちゃんの席でしょ。今日のあんたの席はここ」


 張り切りすぎだ、こんちくしょう。

 母上が人差し指を突き立てた先は、自らの足下。つまり、椅子に座っている母上と保科先生を両脇に抱えて、床に正座して面談を受けろということか。高い位置から見下ろされ、固い床の上に正座させられ、料理に手を出すことすら許されず。

 まさに説教するには最高のシチュエーション。

 こうなりゃ俺ができることといえば、唯一、ひたすら説教を受けて謝り続けることだけ。あわよくば残飯を頂けるかもしれない。

 こうなるなら父さんに椅子持ってきてもらうんだった。

 父さんは母さんに叱られまいと、ちゃっかり静かに椅子に座って行儀良くしている。大黒柱に威厳なし。大黒柱を支える者にこそ真の威厳が与えられる。これが今の森田家の常識。

 母上が席についたのを確認して、俺はゆっくりと片膝をつき、そして、堂々と正座した。さあ、かかってこいや!


 説教がスタートした。が、かれこれ五分、喋っているのはずっと母上で保科先生がそれをなだめるという謎の構図ができあがっていた。

 俺はと言えば安っぽいごめんなさい製造機に成り下がるしかなく、そろそろメンタルの崩壊が近づいてきた。

 どうか想像してみてほしい。

 思春期真っ盛りの男子高校生が、母親に、言い訳も許されず正座させられ、学校に持っていったエロ本についてグダグダと説教される光景を。すぐ側には女子クラスメイトがいて、卒倒させてしまった担任の女教師にはかばわれ、廊下からは兄貴の笑い声が聞こえてくる。

 心臓がいくつあっても耐えられない羞恥の渦に呑まれ、最初からガス欠寸前だった気力は当然もうこれっぽっちも残っていない。

 何か気が紛れるものはないか。

 落としていた視線をあげると、俺がいる場所が実は楽園であることに気がついた。

 ――安城寺、お前ってやつは。本当に頼もしいぜ。


 緊急時ワンタッチ式エッチスイッチぽちっとな。


 ピコンピコン、ピコンピコン――チンチーン、チンチーン。

 四十五度左前方に、テーブルの下で脚を開閉している変態を発見。

 さらに、顔の真横数十センチの距離、超至近距離に、女教師のむにむにむちむち太ももを横目で視認。

 これらを標的一、標的二とそれぞれ定めることとする。

 森田俊平駆逐艦、燃料確保によりエネルギーチャージ開始可能。

 森田俊平式魚雷(全長140ミリ、厚さ40ミリ)を三発セット完了。あとはで魚雷へエネルギーチャージを開始すれば発射可能。標的一はともかく標的二は一撃で沈黙させることができるはずだ。魚雷をチラつかせれば卒倒するはず。

 しかし母上の索敵範囲内であるため、魚雷発射はもちろん不可能。それどころか万が一、魚雷所持を確認されただけでも鎮圧、沈降ちんこうされる危険性あり。

 悔しいがここで進退を決めるしかないようだ――一時撤退ッ!!

 戦力の見直しと陣形の立て直しが必要不可欠と判断。応援要請ッ!!

 見方が圧倒的に少なすぎる。ここは森田一輝いっき駆逐艦の到着を待つしかない。反撃は森田兄弟艦によるツイン魚雷にて執り行うものとし、しばし戦場の状況を見極めることに専念せよ。

 ――ブ、ラジャーッ!!


 ふう、だいぶ気が紛れてくれた。そんでもって気力も回復。安城寺、保科先生、ご協力感謝します。

 あとは兄貴、お前の協力が必要だ。

 一瞬だけドアが開閉されたのを俺は見逃さなかった。頭の中がリフレッシュされている今の俺は最強だ。賢者モード前のピークがきてるって言ってもいいねッ!!

 ……てか、もったいぶってないで兄貴さっさと入ってこんかい!

 そんなに俺が説教されているのが惨めで嬉しいか。可愛い女の子をたかだか一回家に連れ込んだだけで根に持ちすぎだろ。クソ兄貴が来たら状況が変わるかもしれないのに。晩ご飯が始まるかもしれないのに。

 早く来て。だいぶ足が痺れてきた。お願いしますって。


「そういえばお兄さんおられるんですよね」


 保科先生は母上をなだめるという母上中心の会話運びをやめて、新たな話題を提供してようやく話を逸らしてくれた。

 これで廊下で聞き耳を立てているはずの兄貴を召喚できる。やっと状況が明転するかもしれない。ナイスアシスト……でもな保科先生、これだけは覚えておいてほしい。あんたが家庭訪問なんてしなけりゃ、こんなことにゃあ、ならなかったんだからなッ! この悪の化身がッ!


「ええ、いますよ。さっき来るように言ったんですけどねえ。あの子が来ないとご飯始められないじゃない」

「兄貴なら扉の向こうにいると思うよ。たぶん入りづらいんじゃないかな?」


 クソ兄貴に限ってそんな陳腐な心は持ち合わせていない。

 激カワ現役女子高生と強烈色香持ち女教師が待っているこの空間に、変態オブ変態の兄貴が入りづらいわけがない。さっきだって俺の部屋にズカズカ入り込んできたからな。本当は入りたくて入りたくてウズウズしていいるはずだ。


 女の子が目の前に存在しようと、俺はためらわない!


 とまで豪語した兄貴が今入ってこない理由は、俺の置かれている状況を楽しんでいる以外には考えられない。

 今まで何年間グリモワールエロ本のやりとりを俺たちはしてきた? 二年と半年だぞ。趣味嗜好どころか、思考・行動パターンまで似てくるって。兄貴がSMプレイを好んでいるように、俺もSMプレイが結構好きだ。なんてったって俺の名は『森田俊平』で、イニシャルは『S・M』だからな!

 ――ってそんな話をしている場合ではない。

 俺がくだらないことを考えていたら、いつの間にか母上が例の扉を開いていた。

 

「そんなところでつっ立ってないで、さっさと入ってきなさい」

「……はい」


 やはり扉のすぐ側でマヌケにも聞き耳を立てていたクソ兄貴。

 だが、その滑稽な姿とは打って変わって服装が整っている。さっきは上下グレーのスウェットだったのに、今は外行き用である赤茶色のレザージャケットを着ている。

 めかしこんできた。綺麗に着飾ってきた。カッコつけてきた。

 いくら女性がいるとはいえ……やばい、笑いが堪えられない。腹が痛くなってきた。おかげで今まで怒られて沈んで病んでいた心を急激に盛り立ててもらったよ。でも変調が激しすぎてついていけない……もうだめ、吐く。


「あっはははははははっはげっほげほっ……はあ、はあ、失礼しました」

 

 突然笑い始めた俺を何事かと保科先生が怪訝な表情で見ている。


「どうもこんばんは」

「あ、こんばんは、初めまして。私、保科……って一輝君!?」

「ははは、まさか亜衣あいちゃんがの弟の担任だったなんて驚きだよ。すごい偶然もあったもんだね」

「ホントにね。一輝くんから高校生の弟さんがいるって話は聞いてたけど、まさかそれが森田く……俊平君だったなんて」

 

 クズ兄貴らしくない落ち着き払った口調、しかも耳に優しい甘い低音ボイス。

 保科先生からは高校では聞いたことのない声高で楽しげに跳ねるような饒舌じょうぜつ

 互いが互いを良く見せたいがための猫かぶりなのか、心を許したもの同士の余裕のある会話なのか。いずれにせよ知り合いという関係性は理解できた。だがそれだけでは何も満たされず、俺だけでなくここにいる他四人も二人の間柄を気にかけている。

 とくに、父さんと母上。

 二人は互いを見つめあったまま膠着状態で、たまに母上の口だけがパクパクと動く。おそらく父さんにどのような関係なのか聞けと訴えかけているのだろう。


 俺たちの空気も知らず、兄貴と保科先生は二人だけの絶対空間を作り出し、どんどんどんどん会話が弾んでいっている。


 この二人の空気、距離感――まさかな。


 兄貴がなかなかこの場に顔を出さなかったのは、俺の惨めさを喜んでいたのではなく、保科先生がいて緊張していたからなのか?

 兄貴が聞き耳を立てていたのは、保科先生の会話内容を聞くためだったのか?

 兄貴が一度扉を開いてすぐに閉じた本当の理由って、もしかして、保科先生がいることに気づいてオシャレな服に着替えに戻ったからなのか?


 おバカな二人の会話に中断のきざしなし。

 俺たちが口を挟もうにも挟むことを許してくれない圧倒的イチャイチャ感。

 この二人以外誰も何も発することができず、いたたまれない四人の沈黙はまるで俺たち自身のように行き場を失い、この場に残留する。

 俺が説教を受けている時よりも気まずい空気。

 さあ、どうしてくれようか。

 この空気を唯一打破することのできる男がここにいるんだけどなあ。それは、この空気を生み出した張本人である兄貴、お前なんだよ! 気づけよバカッ!


「……あのさ、父さん、母さん。ちょっと時期的には早いんだけどさ」


 いやいやだいぶ遅かったからね。俺たちだいぶ待ってたからね。


「この状況じゃ説明しないことにはいかないからさ……」


 ……別にじらさなくていいから、早く続き言えよ。

 兄貴たち、主に兄貴はまだ俺たちの居心地の不安定さを理解していない。恋は盲目って言えばいいのか、周りが一切見えていない。兄貴の言うこの状況と俺たちの置かれている状況って今はもう少しずれちゃってるからね。もう二人の関係性はなんとなく予想できている。俺たちが今困ってんのは兄貴たちの扱い方だから。

 兄貴がまだ口をつぐんでいる。

 モジモジしてないでさっさと次言ってくれ、尺取りすぎですよ。

 

「紹介するよ。俺の彼女の保科亜衣さんです」

「これだけもったいぶっといて、結婚相手じゃないのかよッ!!」

「う、うるせえぞ、俊平!!」


 やべ、反射的にツッコミ入れちまった。

 兄貴に入れんのクセになってんだよな。もちろん入れるものはツッコミで、俺が攻めで兄貴が受けとかそういう話ではない。反射的に入れるってどこのお盛んなワンちゃんですか……っておい、ちくしょう。

 あのな兄貴、これくらいフォローしてあげないと場がどうにも盛り上がらない解答だったんだよ。あれだけ俺たちを生殺しにしておいて『彼女ですぅ』だけじゃつまらなさすぎて炎上もんだっての。回答が斜め下すぎるだろ、というか超絶真下。

 はあ、これっぽっちも兄貴の思考・行動パターンを読めてなかった。

 なにはともあれ、兄貴の彼女って保科先生だったのか。そういえば保科先生がイケメンとデートしてたって噂あったな、嘘だって思いたかったけど。


「あ、あ、あのな、じゃあ言わせてもらうけどよ、そ、そりゃもちろん、亜衣ちゃんはな、俺の将来の、およ、およ……お嫁さんだけどよ」

「およめ……さん?」


 保科先生の瞳が一段と輝いている。

 これは比喩ではなく、まぎれもない事実。綺麗な湖の水面が無数の光をキラキラと反射させるように、涙を浮かべている保科先生の両目からもダイヤモンドにも負けないくらい美しい輝きが放たれている。


「そうだよ。俺たち、結婚しよう」

「……はいっ」


 保科先生はたっぷりと数秒溜めた後、涙とともに声を振り絞った。

 やはり何も兄貴のことをわかっていなかった――超絶サプライズ。

 おめでとう、と素直に喜びたい――だけど兄貴よ、僭越ながら言わせてもらいますけど、サラッとどさくさに紛れてプロポーズまで持っていくのはどうかと思います。

 でもまあ、せっかくのムードは壊さないでおこう。俺は兄貴と違って空気を読める男だからな。

 兄貴、保科先生、結婚おめでとう。

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