のっぽのマルクスと小肥りのニコラ(2)

 今年の新入生は約三百人が、多い年には五百人と少ない年でも二百人以上が士官学校に入学する。その九割が貴族の家の子で、残りの一割は商家や農家からでも平等の扱いをされる。つまり皆が競争相手だ。

 校舎は二棟あり学生たちが寝食に使う寮はその倍の数が、隣の建物は教員専用らしく、しかしどれも白の色をしているのではじめは迷いそうだ。壁の向こう側にも建物はあって、そこは女子専用のために男子は当然立ち入り禁止となる。イレスダートでは女性の騎士はめずらしくなくとも、ここ数年は増えるばかりだった。こんな時代だからと、上級生はちょっと笑う。

 食堂を使えるのは朝の六時から九時まで、昼の十二時から二時まで、夜は五時から八時までと決まっている。遅れると食べ損ねるから気をつけるように言われて、ロベルトはうなずく。下級生と上級生といった隔たりはないので席は自由に座れても、特に昼や夜はすぐいっぱいになるのですこしずらすのが良いそうだ。

 医療室はふたつ、熱が出たときやお腹を壊したときといった病気の際に行くところと、怪我をしたときに使うところは分かれている。後者の場合に駆け込む医療室には王宮魔道士が派遣されていて、腕はたしかなので心配が要らなくとも、ときどき見習い魔道士の実験台にされるので注意しなければならない。そこまできいてロベルトはちょっと不安を覚えた。新入生がいきなり実戦というわけではなくとも、それでも実技などでは日常的に武器を扱うのだろう。怪我をする者もけっして少なくないのかもしれない。

 思わず下を向いてしまったロベルトの肩を上級生がたたく。次に案内されたのは大浴場で、こことは別にもうひとつがあるそうだ。ただし、使用する人間はいつも決まっていて、ロベルトには南を使った方がいいと勧めてくれる。そのどこか濁したような物言いに、このときのロベルトは気がつかなかった。

 室内の訓練場は限られているからいつも順番待ち、しかし自習室や図書室はなかなかの広さだった。課題をこなすにはここの資料で十分でも、本好きな人間にとっては物足らず、市街地まで出て王立図書館に通うらしい。もちろん、それには外出許可が要る。上級生は真顔になった。

 外出するための許可は前日までに必ずとっておき、時間は朝の六時から日没まで、季節ごとにその時間は変わる。帰りに遅れて締め出されることはなくとも反省文を書かされるのは必須、場合によっては懲罰室行きだ。無断外出などもっての外で、見つかったならば懲罰室は免れずに三日は閉じ込められる。急に背筋を正したロベルトの肩を上級生は今度は優しくたたく。大丈夫だ。君は真面目そうだからと、付け加えて。

 そして、最後にやっとロベルトの部屋へと案内された。

 四階建ての一番下を新入生たちが使い、年ごとに上の階へと移っていく。四年生になるまでは相部屋で、寝台と机がふたつ並べばもうそれだけで狭い。だから個人の持ち物などは最小限に、そもそも見習いたちに要るのは筆記具に衣服と、それらはすべて用意されている。一番大事なものが剣であると上級生は言う。腰にいた剣は、自らの誇りそのものであるとも。

 上級生が部屋の扉をたたけばすぐに返事がきた。風邪をひいたときみたいな声をしているのは、声変わりの途中だからで、ロベルトにはまだそれがなかった。

 簡単な挨拶と紹介が終われば上級生は帰り、ロベルトはちゃんと礼を言った。しかし、上級生の名前をききそびれてしまった。また、会えるだろうか。

 ロベルトは同室の少年へと目を戻す。ロベルトの金髪よりも綺麗な太陽の光みたいな色をしている。それから青く澄んだ瞳と長くそろった睫毛に、すっと通った鼻筋と血色の良い唇へと目がいく。それなのに女々しさは感じさせない強さもあり、誰もが見惚れるくらいの美少年だ。まじまじと見てしまったロベルトは、急に居心地が悪くなってそっぽを向く。美少年はそんなロベルトの態度にも不機嫌にならずに、さらにはロベルトの姓名をきいても露骨に表情を変えることなく右手を差し出した。ただの挨拶、でもこれは友情の証だ。良いやつだと、ロベルトは思った。

 その晩にはもう仲良くなったものの、ここへ来るまでの経緯を話し終えたあとに美少年は笑みを消した。

「マルクスとは、ちょっと距離を空けておいた方がいいかもしれないよ」

 否定をさせないような言い方だったので、ロベルトは理由をきけなかった。 

 それからは、ひと月が飛ぶように過ぎていった。

 朝から夕方まで授業はびっしりと詰め込まれている。イレスダートの歴史学にはじまり、国語に地理と学ぶことはたくさんで、時間はいくらあっても足りないくらいだ。イレスダートの南や西でも共通のマウロス語を一般的に使用する。他国の言葉は無理に覚えなくとも、西や他の国の歴史などはちゃんとそこで教えられる。それから、戦術や兵法なども追加されれば、もうロベルトの頭は破裂寸前だ。

 私語は厳禁、欠伸ひとつで教員の叱責が飛び、居眠りでもしようものならば反省文を書かされる。ロベルトはとにかく必死だった。勉強はそれほど得意ではなかったが、元が負けず嫌いなたちだ。補習を受けるなんてみっともないし、なによりも実技の時間が遅れてしまう。

 ロベルトは正式な剣術を習うのがはじめてだった。

 ベルク家には昔家庭教師がいて、勉強とともに基本的な剣の使い方は教わったものの、人前ではとても披露できる代物ではなかった。けれど、それがよかったらしい。妙な癖がついていなかっただけ、ロベルトの吸収は早い。槍術や弓術も拙いなりに学んでゆくロベルトの評判は、教官たちのなかでも良かった。

 ただ馬術だけはどうにも苦手で、これは馬との相性もあるそうだ。ロベルトは一人で馬に乗れるまでに相当な苦労をした。同室の美少年は馬の扱いに長けていて、ロベルトの居残り練習にも付き合ってくれた。こうして、ロベルトにはじめての友達ができたのだった。

 けれど、良いことばかりがそう長くはつづかない。

 ロベルトがいつも使う大浴場は最初に上級生が教えてくれた南の場所と決まっていた。それなのに、この日のロベルトはひどく疲れていて、その足はもうひとつの大浴場へと向かってしまった。服を脱ぎ捨てるあいだも、身体の汚れを落とすあいだにも無数の視線を浴びているのも気づかずに、ロベルトは湯に浸かってやっと落ち着く。上級生の姿は見えずに他はおなじ歳の奴ばかりだった。そこへ、声が落ちる。

「おい、お前。名前は?」

 女みたいな高い声音だった。ロベルトのすこし隣には丸顔の少年がいた。肉厚のほっぺたは上気していていかにも暑そうで、我慢比べの最中なのかもしれない。同級生たちはときどき、こうした馬鹿みたいなことをする。ロベルトは巻き込まれたくはなかったが、しかしこいつの名前は知っていた。小肥りのニコラ。鈍間のろまのニコラ。陰口は届かない。ニコラが上級貴族の家の子だから、皆が気を使っていることにも本人は気がつかないのだ。

「おい、答えろよ」

 小肥りのニコラは声を大きくする。無視するのは簡単で、けれど逃げるわけにはいかなかった。

「ロベルトだけど」

 しぶしぶ返したロベルトに小肥りのニコラはちょっと笑う。

「家名をきいてるんだよ」

 嫌なやつだ。睨みつけたい衝動を抑えて、ロベルトはもう一度小声で言う。

「……ベルク」

「そうだ。お前、ロベルト・ベルクだろ。でも、ベルクなんて家名は誰も知りっこない」

「何が言いたいんだよ」

 ここが浴場でなければ殴ってやるところだ。いや、どこだっておなじで、士官生のあいだで揉め事は禁止されているし、暴力沙汰など反省文だけでは済まされない。

 ロベルトは息を深くする。そうすると周りを見る余裕が出てきた。どうやらここはロベルトが入っていい場所ではなかったようだ。他の奴らがくすくす笑いをしているのがなによりの証、ここにいる連中は中流階級か、あるいは上流階級の貴族の子ばかりだった。つまりロベルトのような下流貴族はあからさまに見下されているのだ。

 士官学校へ入れば出身や家柄などは関係がなく、皆が横並びの状態で一からのはじまりとなるものの、それはあくまで教官側の建前のようだ。士官生たちのあいだでは実際にこういった隔たりは存在していて、ロベルトはその面倒なところへと自ら足を踏み込んでしまったらしい。

「まあ、いいじゃないか」

 ロベルトと小肥りのニコラは同時に振り返る。

「だけど、マルクス」

「構わないよ。俺は別に」

 小肥りのニコラはあっさりと引きさがった。

 なるほど。こいつが皆のボスなんだ。薄々は気がついていたけれど、ロベルトはそこでやっと理解をした。

 のっぽのマルクスは王都マイアでも有数の名家の出であり、父親はかの元老院であるからそれだけで意味を持つ。小肥りのニコラはいつものっぽのマルクスにくっついていて、まるで側近気取りだ。

「そういうことだ。……仲良くしようぜ」

 のっぽのマルクスは良い笑みをする。右手こそ差し出さなかったが、仲間に入れてやると言っているのだ。ロベルトは微笑み返さずにそのまま大浴場を去った。

 めんどくさいやつらだ。ロベルトは口のなかだけでごちる。しかし、厄介事はここだけでは終わらなかった。

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