聖騎士の夢

 季節が巡ってまた春がくる。

 十四歳になったロベルトはやっぱりチビのままで、他の同級生たちがすこしずつ少年から大人の骨格や肉付きに変わっていくのに、ロベルトはやっと声変わりがはじまったばかりだった。

 のっぽのマルクスは、あれからもチューベローズの館へと行っているらしい。マルクスはもっと背が伸びていたし面貌も大人のそれだ。ロベルトはもう誘われたりしないし、マルクスから話しかけられることもなくなった。どうやら見限られたようだ。

 ちょっと面白くはない。けれど、そもそも厄介事に関わりたくないロベルトは、嫌がらせがなくなっただけでもいいと、すぐに切り替えた。そのマルクスたちは後輩が入ってくるのをたのしみにしている。舎弟にするつもりなのだ。

 校庭では今年も昨年同様に、たくさんの新入生たちで賑わっている。

 けれど、今年もやはり脱落者はつづくだろう。。

 ロベルトたちが二年生になる頃には四分の一が退学をしていた。ほとんどが自己申告によるもので、筋金入りの坊ちゃんたちは騎士に向いていないのだと、気がついたのだ。そのなかでも図太く残っているのっぽのマルクスは、喘息持ちなのになかなか頑張っていて、案外根性のある奴なのかもしれない。いや、そうじゃない。マルクスの場合は単純に気位が高いだけだ。ロベルトはちょっと笑う。

 さっそくマルクスは新入生に声をかけている。

 まだ幼い面立ちは初々しくて子どもみたいだ。そういえばと、ロベルトは最初に士官学校へ来た日を思い出した。案内役を買ってくれた上級生はどうしているだろうか。あれ以来会えていない。けれど、顔も声もはっきりと覚えている。上級生らしく親切な先輩を演じてみるべきか。あの人懐こそうな笑みは、ロベルトにはできそうもない。

 それよりも今日は優先させるべきことがある。

 二階へと引っ越すのは簡単でも、問題はこの次だ。一年生のときに同室だった美少年は不慮の事故で亡くなったために、ロベルトはずっと一人部屋だった。自分だけの時間が持てるのは快適でも、同時にどこか人恋しくもなる。ロベルトには気の置けない友のような存在がいなかったし、教官のアドリアンやヘルムートに言われた言葉も忘れたわけではなかった。

 どんなやつが来るのだろう。期待と不安が半分というのが本音だ。これからずっとおなじ部屋で過ごす相手のことを考えると、なんだかどきどきする。そうするうちに扉をたたく音はきこえた。ロベルトは急に立ちあがったりせず、まず二呼吸を空けた。

「どうぞ」

 そして扉は開かれる。ところが、ロベルトが作っていた安っぽい笑顔はすぐに抜け落ちてしまった。この顔には見覚えがあったのだ。

「はじめまして、だね。今日からよろしく頼むよ」

 彼の方は良い笑みをする。ロベルトと背丈はおなじくらいで体格も似たり寄ったりだ。青髪は伸ばしかけなのか、しっぽみたいに括られている。声もすこし掠れているのは、ロベルトみたいに声代わりの途中だからだ。

 はじめましてなんかじゃない。

 会話らしい会話といえば一言、二言くらいでもたしかに面識はあった。あの秋の日の図書室にて。いや、それよりも前にだって会っている。彼は忘れてしまっているのだろうか。そうでなければ、この言葉は出てこない。

「おまえ……、」

「ブレイヴ。ブレイヴ・ロイ・アストレアだ」

 先に名乗られてしまえば、ロベルトはそれ以上をきけなかった。彼は右の手を差し出す。それは友情の証だ。しかしロベルトは受けることなく、嫌悪と疑惑が綯い交ぜになった視線を返す。それにしても――。

「アストレアって、聖騎士の」

「ああ。それは父だ」

 こともなげに言う。ロベルトはちょっと驚いた。このくらいの年齢の子は皆、親が優れた人物やそれなりの地位にあれば、あからさまに自慢をするものだ。のっぽのマルクスや小肥りのニコラが良い例で、ロベルトは嫌というほどに知っていた。

 ロベルトが握手に応じないので彼も不審に思ったのだろう。

「きみの名前は?」

 ロベルトは答えたくなかった。どうせこいつものっぽのマルクスの同類だ。ロベルトが下級貴族と知れば、すぐに態度を変える。けれども名乗らないわけにもいかず、ロベルトはむっつりとした表情のまま口だけを動かした。

「ロベルト・ベルク」

 それには沈黙が返ってきた。想定内だ。腹を立てることもなければ落胆する必要もない。ただ、彼は何かを考えているような時間を作っていた。

「ベルク家……、きいたことがある。きみはマイアの北の出身だよね?」

「そうだけど」

「ああ、やっぱりだ」

 ロベルトは瞬いた。彼が何を言いたいのかが、わからなかったからだ。それに彼の声色は蔑むようなものでもなければ、同情ともちがっていた。

「むかし、父からきいたことがあるんだ。ベルク家には助けられたって。父が若い頃で、もうずっと前の話だから、きっときみの祖父のことだろうね。その頃は騒擾が絶えなかったらしいし、たぶんどこかの戦場で、」

「なにかの間違いだろ? うちは騎士の家じゃない」

 今度は彼の方がきょとんとした。だけど、これは事実だ。ベルクの家が騎士だったなんて、そんな話はきいたことがなければ、アストレアといえば公爵家だ。その公爵を助けたとなればそれなりの恩情があったはずなのに、ベルク家は落ちぶれる一方だった。だから、ロベルトははっきりと否定をする。ここで会話が終わろうとも構わなかった。

 彼はすげない声で打ち切られても相好を崩さずにいる。たぶん、嫌味はない。そういう人種なのだろう。

 仲良くなれそうもないな。それが正直な感想だった。


          


 共同生活がはじまった。いくらか身構えていたロベルトだったが、新しい同居人との時間はそう長くはないもので、安心と同時にロベルトはちょっと拍子抜けするのだった。

 彼はロベルトよりも早く寝る。

 小一時間くらい本を読んでいたかと思えば、振り返ればもう毛布に包まっていた。ロベルトにおやすみの声をかけないのは、ロベルトが今日の授業の復習をしていたためだ。

 そして、彼はロベルトよりも早くに起きる。

 もともと朝が弱いロベルトは、目が覚めてもなかなか身体を起こす気にはなれずに毛布のなかで無駄な抵抗をする。そのあいだに彼の姿はない。気配も感じないから、ロベルトが目を覚ますよりも前に起きているようだ。

 じいさんみたいなやつだ。ロベルトは口のなかで言う。早起きをして得をすることでもあるのか。食堂はたしかに混んでいなかったとしても、ちょっとでも長く眠っていたいロベルトはそれを嫌がる。身体がくたくたなのだ。

 二年生になれば実技の時間の方が増える。

 疲労は蓄積するばかりで、しかし講義の時間に居眠りなどもっての外、反省文を書くだけならまだしもそれだけ皆に遅れてしまうし、場合によっては追試や補習を受けなければならない。その努力を重ねたところでロベルトの成績は平均よりもやや上なだけだ。不可解なのは、同居人もまたおなじような成績だということだった。

 ロベルトは部屋にいるときは、ほとんど机に向かっている。すこしでも怠惰をすればすぐに成績は落ちてしまうから、ともかく必死だ。彼は、ロベルトのように熱心に勉強しているわけでもなかったし、そういう姿を見たことはない。だから、余計に面白くないのだ。

 あるとき、ロベルトは同居人の持ち物をこっそりと捲ってみた。教科書に書き込まれていたのは蚯蚓みみずの這ったような字ばかりで、ロベルトにだって読めなかった。他に知ったことといえば、彼がときどき外出をして、その日は夜遅くまで戻らないことだけ。あらかじめ許可を取っているのなら無断外出とはならないとはいえ、城下街を外遊するなら丸一日も許可は要らない。きっと恋人と逢い引きをしているのだと、ロベルトは睨んでいる。いつか絶対秘密を暴いてやるのだ、とも。

 気に入らない奴ということは、嫌いな奴とおなじ意味だ。

 それなのに、ロベルトは彼ばかりを見てしまっている。

 ブレイヴ・ロイ・アストレア。アストレアの公子である彼とは、本来ならば下級貴族のロベルトが気安く接していいような相手ではなかった。けれどもここは王都マイアの士官学校。生まれも身分も、差別や隔たりは許されない。もうすこしロベルトが好意的な姿勢を見せれば仲良くなれたかもしれないのに、どうしても最初の一歩を踏み出せない。きっと、ロベルト自身がいつまでもそれに囚われているからだ。

 しかし、心境の変化が起こる出来事があった。

 一度眠りにつけば朝のぎりぎりまで目覚めないロベルトが、物音で瞼を開けた。ぼんやりと彼の背中を視界に収めたロベルトは、思い立って身を起こす。そのまま身支度を手早く済ませればあとには引けない。これは彼の秘密を知る絶好の機会だ。

 すぐさま彼を追いかけたロベルトは寮を出て、校舎へと向かう。まだ食堂は空いていなければ図書室や自習室もおなじく、それならどこに行くというのか。それもこんな早朝から人目を避けるような真似をするなんて、彼が隠しごとをしている証拠だ。たとえば、教官に媚びを売っていたりだとか、賄賂を渡していたりだとか。誠実そうに見えてもそれは表の顔で、裏の顔は絶対に悪だ。

 ロベルトの思考は突然の金属音によって中断する。音に導かれてロベルトは歩みを進め、すると見えた色は青と赤だった。

 青髪の少年が先に動いた。力任せに剣を振り回しているようで、そのじつ無駄な動きがない。教科書どおりの剣技よりももっと滑らかで、ロベルトは無意識に息を止めていた。そして赤髪の少年――いや青年だろうか。青髪の少年よりもずっと背が高くて体格も良いので、大人みたいに見える。しかし、二人の力の差はそれほどないように、打ち合いはしばらくつづいていた。

 あいつ、どういうつもりなんだろう。決闘なんて、見つかれば懲罰室行きになるのに。

 とはいうもの、もうすこし近くで二人を見たくなった。ロベルトは咄嗟に隠れた樹の幹からそれをのぞいていたが、やがて衝動のままに身を乗り出していた。だから、つい足がもつれてしまったのにも気がつかずに、派手に地面に転がってしまった。二人の戦いはそこで止まる。

「今日はお前の負けだな」

「不戦勝だよ。邪魔をされたからね」

 その物言いはどこか子どもっぽくもあり、ロベルトはちょっと意外だと思った。

 彼――ブレイヴは、言葉とは裏腹にロベルトを見るなり意地悪っぽい笑みをする。怒ってはいないようだ。だが、もう一人はそうもいかなかった。

「何の用だ?」

「あ、赤い悪魔だ……!」

 ロベルトは震えあがりそうになる。今すぐ逃げ出したところできっと無意味だ。士官学校で赤い悪魔の異名を知らない者などいなかった。赤銅色をした髪はその名の由来であり、しかし赤い悪魔にまつわる話はそれだけで終わらない。 

 新入生のときに絡んできた上級生三十人を返り討ちにした。目が合っただけでいきなり殴りつけるだとか、あるいは気に入らない奴はとにかく力でねじ伏せるだとか、噂というものは誇張されていても、そこに多少なりとも事実が含まれている。懲罰室行きもロベルトの比ではなく、常習ともなれば真実だろう。

「それより、ロベルトも朝が早いんだね」

 ロベルトはそこから動けなくなっていたが、赤い悪魔のうしろからひょっこりと顔を出すブレイヴを見てすこしだけ緊張が解けた。そうすれば次に湧きあがってくるのは疑問だ。彼らが早朝から剣の稽古をしていたのは明らかでも、懇意の仲というなら彼も不良仲間なのだろうか。

「それなら言ってくれたらよかったのに。ロベルトも一緒にどうかな?」

 ロベルトは首を横に振る。仲間の一人みたいに思われたくなかった。

「いや、ちがう。ぼくはべつにおまえたちと付き合いたいんじゃない。そうじゃなくて、おまえはなんだってこんな朝早くから。それも赤い悪魔となんて」

 声が尻すぼみになってゆくのは、嫌な視線を感じたからだ。赤い悪魔。どうも渾名を気に入らないらしく、赤髪のその人はロベルトを値踏みするような目をしている。

「ディアスは幼なじみなんだ。負けっぱなしはごめんだからね」

「七十九勝、八十二敗と九引き分け」

「明日は俺が勝つ。それに一昨日も俺が勝った」

 なるほど。ブレイヴと赤い悪魔は昔なじみのようだ。それだけではなく意外と負けず嫌いなところもあるのだと、ロベルトはやや驚きつつもそれでも説明には足りない。剣の訓練ならば毎日の実習に組まれているし、その他にも体力を使う実技ばかりだ。午後にもびっしりと講義は入っているから休むときがないというのに、さらに自主練だなんてどうかしている。

「なんで、そこまでして、」

 小声でも彼には届いたようだ。すっと笑みが消えて、それから目には光が増していた。

「時間を無駄にはしたくないんだ。俺は、聖騎士になるから。それには、努力だけでは足りないことも知っているけれど……。でも、何もしないよりは、できることを全部やっておきたい」

「聖騎士って……」

 彼はそれを夢とは言わなかった。

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