騎士と少年(2)

 寝台に転がってからもロベルトはなかなか寝付けなかった。 

 眼裏には今もはっきりと死んだ人たちの姿が残っているし、焦げ臭い嫌なにおいも忘れられない。夜になって身体が勝手に震え出したロベルトは、自分を励ますための声をする。もう、だいじょうぶ。あのならず者たちはこの村にいなければ、ここには騎士がいる。そうだ。ロベルトは、はじめてを見たのだ。

 騎士ならばロベルトの街にもいる。

 背だけがやたら高くて細面の騎士は、街の少年たちを見てもにこりともしなかった。もう一人はその反対で、短躯たんくの上に太っちょで動きも鈍く、騎士よりも豪商の方がぴったりだと、いつも誰かに陰口をたたかれていた。二人がちゃんと街を守っていてくれたかどうか、ロベルトは知らない。けれど、ロベルトにとって細面と短躯の騎士はではなかった。

 すこしの興奮は感じていても、だからといってロベルトに騎士に憧れなど抱かない。ぼくはあんな立派で勇敢な騎士にはなれない。ロベルトは思う。

 こんなちいさな村でも一応は大衆食堂はあるようで、そこは宿泊施設も兼ねていた。ロベルトはポケットから銀貨を一枚取り出す。しかし、ならず者たちによって扉は破壊されて机や椅子もなぎ倒されたまま、厨房の食料は食い散らかされて何もかもがめちゃくちゃだ。おまけに風呂まで壊されていたから汗を流すこともできず、高い買い物をしたとロベルトは口のなかでごちた。

 宿主が地下に隠していたソーセージと黒パンのさびしい夕食を終えると、あとは毛布に包まるだけだ。

 下の階からはときおり笑い声がきこえてくる。騎士に秘蔵の葡萄酒でも振る舞っているのだろう。村を野盗たちから救った騎士は、まるで英雄の扱いだ。安物の寝台は寝返りを打つたびに嫌な音で軋み、けれども眠れない理由はそれだけではなく、この先が不安だらけだからだ。

 ちいさい頃、夜になかなか寝付けなかったロベルトは、我が儘を言って母さんを困らせた。

 侍女のマーラに見つかればへたくそな子守唄をきかされるので、ロベルトはいつもこっそりと母さんの部屋の扉をたたく。母さんはちょっと苦笑いをしながらも、ロベルトが眠るまで傍にいてくれる。おはなしをしてくれるわけでも子守唄をうたってくれるわけでもなく、ただロベルトの手を握っていてくれた。それでも、あの頃の母さんは今よりもっと強かった。母さんが昔の母さんのままだったなら、父さんが死んでしまったときも泣いてばかりではいなかったかもしれないし、こうしてたった一人で王都に行くこともなかったように、ロベルトは思う。いろんなことを考えて、そうしてロベルトが眠ったのは、深夜を過ぎてからやっとだった。

 翌日、村から出て行く騎士の見送りに来る村人はたくさんいて、それも野次馬みたいにどんどん集まってくる。子どもたちはずっと騎士から離れずに、女たちはこぞって食料を持たせてくれ、老人は何度も騎士に感謝を告げるのでなかなか旅立てず、騎士は困ったように笑った。本当はもっと早くに村を出たかったようだ。

 そこからの旅は快適とまではゆかなくとも、王都への行く手段を失ったロベルトにとってはありがたかった。なにしろ、ロベルトは一人で馬に乗れない。騎士の背中にぴったりと付くのはちょっと恥ずかしかったけれど、徒歩ならばそれこそ何日あっても王都には遠く、先に路銀が尽きてしまう。十二歳のロベルトには途方もない旅になるところで、しかしロベルトはまだ騎士にちゃんと礼を言ってはいなかった。

 騎士の名をアドリアンと言った。

 アドリアンは休暇中であり、あの村に逗留とうりゅうしていたのはただ偶然で、故郷へと帰っていたついでだったらしい。ロベルトはアドリアンに名を問われても家名を言わなかったので、騎士はやや不審そうな顔をした。互いの故郷も近くであれば、家名にも覚えがあると考えたのかもしれない。

 それはないと、ロベルトは思う。

 下流貴族の、それも傾きかけているのがベルク家だ。有数な貴族の家ならばともかく、ベルク家の名が遠くへ届くことなどない。

 意地っ張りなロベルトは騎士とほとんど会話をしないまま、ただ騎士のうしろで彼の大剣をしっかと抱きしめ馬に揺られているだけだった。騎士は気さくにロベルトへと話しかける。休憩もときどき取ってくれるのだが、それが子ども扱いされているのだとわかると、ロベルトはもっと不機嫌になった。

 そのうちに日が沈んできた。アドリアンは馬からおりて野宿の準備をはじめた。

 ロベルトがぼうっとしているそのあいだにアドリアンはもう火をおこしていて、まるで魔法みたいだと、ロベルトは思った。それから騎士が背嚢袋から取り出したのは黒パンとソーセージと塩漬けのピクルス、干し杏子はおやつ用だ。村の女たちがお礼にとたくさん持たせてくれたもので、ロベルトはただ黙ってそれらを胃の腑に収める。本当は黒パンも塩漬けのピクルスも好きではなかったのに、空腹には勝てなかったのだ。干し杏子を受け取るときに、ロベルトは騎士の手に触ってしまった。ロベルトよりもずっと大きくてたくましいその手は、しかし人殺しの手だ。

 ロベルトはひとつ深呼吸をする。

 アドリアンはならず者たちを一人も生かさずに殺した。逃せばまた次にあの村が、もしくは別の村が危険に晒されることくらいロベルトもわかっている。けれど、この手は血でいっぱいに汚れていて、嫌な手だ。子どもの機微を感じ取っていたのかもしれない。アドリアンはしばらくロベルトを見ていたが、そのうちに干し杏子をふたつほど食べた。

 ロベルトも横目だけで騎士を見る。

 歳は三十代そこらだろうか。でも、騎士はそれよりずっと落ち着いているようにみえる。少年の頃から騎士だったのかもしれない。物の言い方もそうだし、背筋だってぴんと伸びている。それなのに、アドリアンはなかなか饒舌で事あるごとにロベルトに話しかけてくるものだから、ロベルトは根負けした。

「騎士って、もっとお堅くて、偉そうなんだと思ってた」

 アドリアンは膝をたたいて大笑いした。

 ロベルトのなかの騎士は武骨であり、人間の感情など持たない生きものだ。騎士は戦争をするのが仕事で、騎士は人を殺すのが仕事である。

「騎士とはいっても、中身はただの人間だ」

「アドリアンみたいな騎士が、他にもいるってこと?」

 それはさすがに失言だったらしい。アドリアンは真顔になる。

「騎士とはどうあるべきか。永遠の課題だな」

「よくわからないよ。だって、ぼくは、本当は騎士になんてなりたくないんだ」

 叱られてもいい。軽蔑されてもいいから、誰かにきいてほしかった。アドリアンは何かを言いかけて、けれども吐息のあとに声はつづかなかった。

 そこからさらに二日野宿をした。

 アドリアンはロベルトにいろんなことを話してくれた。父親が騎士だったこと、病気がちな母親がいること、兄弟たちのこと。アドリアンは五人兄弟の二番目で、上の兄もおなじ騎士だったこと。王都には腕のいい鍛冶屋がそろっていて、けれど頼りにしているのはそのうちの一軒だとか、アドリアン自身は所帯を持っていないだとか、他にもたくさんだ。

 しばらく一緒にいるうちにロベルトの緊張も解けて、興味のあることはなんでもきいた。騎士に対して良い印象に変わっただとか、そういうわけではないとロベルトは思う。ただ、このアドリアンという騎士はどこかちがう。それは、きっとロベルトが勝手に抱いた騎士の像だろう。

 四日目の朝にもアドリアンはロベルトを馬に乗せてくれる。もうすぐ十三歳のロベルトは、他の男子に比べて線が細く背も低い。これでは騎士になんてなれっこない。馬鹿にした街の少年たちをロベルトは拳で黙らせた。暴力は自分を守るための手段でも人殺しとはちがう。そんなものにロベルトはなりたくなかった。ただ、帰る場所がなくて、あの家にはもう居場所がない。それだけだ。

「友を持て、ロベルト。そうすれば、君はきっといい騎士になる」

 別れ際にそう言った騎士に、ロベルトはうなずくだけだった。

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