アロー伯爵失踪事件について(2)
道中のロベルトはずっと不機嫌だった。
もともとお喋りな
先頭を行くヘルムートには迷いがなかった。ムスタール公国は教官の故郷であり、次期公爵だという噂は本当だったようだ。もっとも教官はそれを隠すことも、また公にするつもりもないようにロベルトには見えた。意外であったのはロベルトたちをそのまま同行させたこと、二度もロベルトを懲罰室送りにした教官は、それなりにロベルトを認めていてくれたのか。ロベルトにはわからない。
それにしても、どうしてこの顔ぶれなのだろう。
もともと組んでいたブレイヴはいいとしても、あとの二人は納得がいかない。それもロベルトが殊更嫌悪しているのっぽと小肥りの二人組だ。偶然そこに居合わせたなど嘘に決まっている。
小肥りのニコラもあれこれとお喋りに忙しく、マルクスの機嫌取りかと思えば気さくにロベルトにも関わってきて、まるで遠足気分だ。ロベルトは奴らの相手をろくにしなかったがおとなしくしているのはもう一人いる。彼はずっと何かを考え込んでいて、会話にも積極的に加わらなかった。
やがて目的の場所へと到着する。しかし、ここはムスタール公国ではなく、まだマイアの領域だ。
それぞれが馬からおりて、ここからは徒歩となる。そこそこに大きい街であるのでそのまま馬で移動することも可能だが、教官はまず皆の馬を厩舎へと預けた。選択は間違ってはいないようで、剣を佩いたそれらしき者たちがぞろぞろと歩いていればすぐに視線は集まってくる。ロベルトはなんとなく気まずくなってうつむいた。
マイアの北西部に位置するこの街はムスタールにもほど近く、巡礼者のための宿泊場所もある。けれど、観光地ではないからそうではない者たちが目立つのだ。それも、ロベルト以外は上流貴族たちだ。
そのうちに一行の足が止まった。
ロベルトは視線をあげて、ほとんど無意識に深呼吸をしていた。季節はもうじき冬が来る頃、教会の隅っこには青と白の彩りは見えない。ロベルトはあの名もなき花が春にしか咲かないことを知っていた。だけど、どうしてだろう。父さんが好きだったあの花のにおいがしたのは。
この街に敬虔なヴァルハルワ教徒はほとんどおらずに、教会を訪れるといえば誰かの結婚式か葬式、あるいは怪我人が出たときくらいだ。神父さまは若い頃にムスタールの大聖堂で働いていたらしく、すこしくらいならば治癒魔法を扱えるという。病気はともかく、何かしらの怪我をしたときにこの街の人間は医者よりも神父さまを頼る。ここならば、多額の金を要求されることもないからだ。
突然の訪問者にそれは驚いただろう。
ここに教会関係者は年老いた神父さまと盲目の修道女だけが、それも盲目の修道女は風邪をこじらせて寝込んでいるので、神父さまが一人で対応をしてくれた。
教官は居丈高な物言いをせず、しかし
「ここまで来たってのに手掛かりなしだなんて。僕、なんだか疲れちゃったよ」
口いっぱいにビスケットを頬張りながらニコラは言う。道中に無駄な買い物をする時間などなかったので、おやつにこっそり持ち出していたようだ。
「まあ、いいじゃないか。せっかくこんなところまで来たんだ。事件もじきに良い方へと動くさ」
寝台に転がっているのはマルクスだ。教官は一人で街を見て来ると言って出て行き、見習い騎士たち四人は宿場で手持ち無沙汰な時間を過ごしている。
のんきなのっぽと小肥りだ。ロベルトはやや苛立ちながらも、奴らとは目を合わせないよう努めていたが、そのうちに話題を振られた。
「それにしても、なかなかいい街じゃないか。せっかくだから家族に会ってきたらどうだ? 教官には黙っていてやるから」
こんなところと前もって揶揄したくせにと、睨みつけたい衝動をロベルトは抑える。
「いいよ、別に。今じゃなくとも、いつだって会える」
「ふうん。夏にも帰らなかったくせに?」
「うるさいな。おれにかまうな」
それなのに、奴はどうしてもロベルトを怒らせたいらしい。ロベルトは拳に力を入れる。
「やめろよ、二人とも。喧嘩だなんて教官が帰ってきたら説教だけじゃ済まないぞ。ほら、お前も止めろよ」
ニコラは急に焦り出した。前にマルクスがロベルトに殴られたことをしっかり覚えているからだ。それは正当防衛だった。反省はしていても、悪い行動だったとは認めない。そして、一人で黙考していた彼はやっとこちらを向いたかと思えば、それとは関係のないことを口にした。
「……もし、アロー伯爵が何者かに連れ去られていたとすれば、どうして金銭の要求がないのだろう?」
ロベルトものっぽのマルクスも、小肥りのニコラもおなじ瞬きをしたものの、次の声はマルクスが早かった。
「やっぱりそうか。伯爵は誘拐されていたんだ」
それは誰もが可能性のひとつと考えていた。自分の手柄のように言うマルクスを無視して、ロベルトは彼に問う。
「つまり、目的は金じゃないってことか?」
「あるいは……、伯爵の命自体が狙い、か」
マルクスは上体を起こし、ニコラもビスケットを食べるのをそこでやめた。だとすれば、子どものおつかいには荷が重すぎる事態だ。それぞれが黙然としているなかでロベルトもまた唇を動かさなかった。ただ、怖じ気づいたわけではなく、一連の件を纏めるには時間が必要だったのだ。
王都マイアからムスタールまでは馬車を急がせたところで一日、二日ではとても着かない。
長旅となるのは必然で、護衛の騎士たちを何人も引き連れてとなるとそれなりの宿場を選ぶだろう。それに、アロー伯爵は道中に教会関係者と縁のある場所にも立ち寄っているという。資金の援助のために伯爵自身が自ら訪れるのもまためずらしく、アロー伯爵はなかなかに器の大きい人物のようだ。けれど、こうも考えられる。顔が広いということは必ずしも良い意味だけではない。あちこちに味方を作っておきたいという心情の表れで、アロー伯爵が慎重な性格だというのもきっと当たりだ。伯爵とは古い友人の神父さまが言うのだから本当だろう。
どこか楽観的だったマルクスもニコラもすっかりおとなしくなってしまった。しかし、彼だけは真顔でありながらも、その目は希望という光を失くしてはいないように、ロベルトには見えた。
「だいじょうぶ。そうは言ったけれど、本当に伯爵の命が狙いならば、もうすでに事は起きているはずだよ」
「おそろしいこと言うなよ。それじゃあ、俺たちは何のために、」
「その要人が殺されていたとなれば、もうとっくに王都に広まっているはず。そう言いたいのか?」
マルクスに被さる声をしたロベルトに、ブレイヴはうなずきだけで返す。慌てているのはニコラだ。
「で、でも、それなら早く教官に伝えなきゃ」
「教官はわかっているんだと思う。だからきっと、今探しているのは、そういった者たちが身を隠せるような場所……」
伯爵が消息を絶ったのは、こことムスタールとのあいだだと彼は指摘する。もしも伯爵がムスタールに着いているならば、その旨をまず家族に伝えるはずだ。ムスタールは王都に劣らぬ大国であるし、ヴァルハルワ教会の力がもっとも強い場所であるから危険もなくなる。しかし、これは名推理でも何でもない。彼は事実を言ったまで、だからこそロベルトの声を待っていた。
「思い当たる場所ならば、ひとつだけ知ってる」
これはきっと、意思の確認だ。
騎士は自分のためではなく他者のために生きる。騎士が自分のためだけに動くとすれば、それは死ぬときだけだ。
ロベルトには、まだその自覚がない。けれど、顔も知らない誰かだとしても、危険に晒されているのを見て見ぬふりをするのは気持ちが悪いし、不本意であってもここまで来てしまったら、もう逃げるつもりもなかった。誰かのために生きることができるのか。問う声になんて答えるのが正解だろう。
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