アロー伯爵失踪事件について(1)

 ロベルトが王都マイアに来てから二回目の夏を過ぎていたものの、こうして市街地を自由に散策するのは二回だけだ。

 最初は士官学校の門を潜ったあの日に、そして今日が二度目。だから王都の雰囲気にはなかなか慣れないし、この広い城下街を行くには迷いそうになる。人の数にもため息が出てしまうのだ。

 そのなかでもすこしばかり人気のない裏路地で、ロベルトは待ち人をしていた。

 何気なくやっていた視線はやがて子どもたちを映す。栗毛の男の子はミルク瓶を抱きながら、うしろの女の子は袋いっぱいに詰め込まれたパンを大事そうに持っている。おつかいの帰りなのだろう。

 さすがは聖都と謳われるだけはある。

 まだ幼い兄妹だけで裏路地を歩けるくらいに治安は整っているらしく、ロベルトは二人の後ろ姿を見送る。おさげの女の子はロベルトの妹のマリアンヌにちょっと似ていた。元気にしているだろうか。ロベルトは今年の夏も故郷には帰っていない。ときおり届くちいさなマリアからの手紙だけでは仔細しさいを知ることはできず、思考を過去へと進めかけたところでロベルトは顔をあげた。

「どうだった?」

 声に、ロベルトは首を横に振った。どうやらあちらも首尾よくとはいかなかったようだ。その笑みはどこかぎこちなかった。

「つまり、その誘拐された伯爵を捜し出せばいいんだろ?」

 ロベルトは彼が買ってきたサンドイッチを頬張りながら言った。ライ麦パンにハムとチーズを挟んだ素朴なものでも、塩気がちょうどよくて美味しい。それから林檎がひとつずつと、銀貨三枚はちょっと高いんじゃないかと文句をつけたいところでも、これなら納得の味だと思う。なにしろここは王都マイアだ。

「声が大きいよ、ロベルト。それにまだ誘拐と決まったわけじゃない」

 いくらか窘めるような物言いは、しかし彼自身もその可能性をまったく否定していない声色だった。ロベルトはちらと横顔を見る。ロベルトよりも先にサンドイッチを食べ終えた彼は林檎を囓りながらも次の声はなく、なにやら考え込んでいるようだ。

 士官学校という閉鎖的な施設では外の出来事を知る手段は少ない。

 同級生のなかには噂や雑談好きな連中もいて、とりわけ耳が早い奴を情報屋と呼ぶ。情報屋に金を払ってまで話をききたがる物好きの気持ちなんて、ロベルトにはわからない。どうせ眉唾物だ。それでも、今回ばかりは当てにする手もあったのかもしれない。

 ロベルトたち騎士見習いでも任務は与えられる。

 見習いであっても騎士は騎士だ。火急の際には戦場にも駆り出される。しかし、今はそれほど逼迫した状況ではないために重要な任務に就くことはなく、それこそ子どものおつかいばかりだ。ただ、今回はそうでもないらしい。

 通常、王都内でなにかしらの事件が発生した場合に市民たちはまず騎士団を頼る。王都マイアには白騎士団を筆頭に多数の騎士団が存在し、彼らは何も戦地だけが仕事ではないのだ。

 ところが、話を持ちこまれたのがこの士官学校であり、それはつまり大事にしたくはないというなによりの証、できるだけ穏便に事を運びたいのだろう。とはいうものの、こうして駆り出された騎士見習いたちの数はそこそこに、そのうちに広がってゆく。

「なあ、その何とかって伯爵」

「アロー伯爵」

「そう、それだ。そのアロー伯爵、もう死んでいたり……」

「ロベルト」

 さすがに冗談が過ぎたらしい。彼の声は真面目そのもので、おまけにじろっと睨まれた。ロベルトは咳払いをする。

「おまえはどう思ってるんだよ」

 そこで彼はふたたび唇を閉じた。意見を求められてすぐに応じないのはずるいと思った。ロベルトは視線をよそにやりながら、林檎に齧りつく。こっちはまだ熟れていないのでちょっと酸っぱい。

 それにしても、なぜ組む相手が彼だったのだろう。

 これも教官によって選ばれた二人で、どういう意図が含まれているのか。相性の良さを考慮したというなら、ロベルトは首を捻る。けれども、マルクスやニコラといった気に食わない奴もいるし、暇さえあれば鼻歌を口遊むパウルやお祈りに忙しいエリックよりはずっといい。少なくともブレイヴはロベルトにとって毒にはならないのだ。

「伯爵は、王都にはいないと思う」

 きき落してしまいそうなつぶやきにもロベルトは反応をする。想定外の声ではなかったのは、ロベルトも同意見だったからだ。

 きき込みをつづけるのも限界がある。白の王宮ではほとんど門前払いを食らい、大聖堂では祭儀の時間に居眠りをして彼に小突かれた。諸侯の宅邸を回ろうにも伝手がなければおなじこと、それに悪戯に話を広めかねない。

「じゃあ、話は早いだろ」

 ロベルトは彼をうながす。事が起こったときには最初の場所へと行くのがいい。何かの本で得た知識でも、それがもっとも近道だとロベルトは思う。二呼吸のあとに、彼はうなずいた。





 ロベルトがアロー家の門扉を通り抜けたときに、まず衛士よりも先に庭師に見つかった。

 老齢の、しかし背はちゃんと伸びていて表情も若々しく、とはいえロベルトの父親よりも年嵩の庭師は、ロベルトとブレイヴを見るなりにっこりとした。

 少年たちが悪戯目的で入り込んだのだと思われたのならば、ちょっと面白くはない。なにしろ、見習い騎士二人の背丈はほとんどおなじで、いつまでもチビのままだ。それでも衛士にあれこれ誰何されるよりはずっといい。こちらを子どもだと侮っているのなら邪険には扱われないはずと、ロベルトはいきなり切り込んだ話をした。すると、年嵩の庭師はやや驚いた顔をし、その次には唇に人差し指を当てた。

 ひょっとしてからかわれているのではないかと、ロベルトは彼の方を見る。ブレイヴもまた、これにどう反応すればいいのかわからないといった目をしていた。

 見習い騎士たちに庭師はもう一度にっこりとし、それから背を向けて歩き出した。ロベルトは戸惑いつつもあとを追う。付いてきなさいと、庭師は目顔でそう言ったのだ。

 案内されたのは広い邸宅の離れにある小屋だった。

 使用人に与えられる部屋なのだろうか。それにしては狭くてちいさな本棚と脇机、それと寝台がなければただの物置のようだ。

 騎士見習いたちを持て成したいところでも大台所まではちょっと遠いからと、庭師はまずそれを詫びる。ロベルトは慌ててかぶりを振った。そうして、そこでやっとこの庭師が喋れることを安堵したのだった。

 アロー伯爵が消息を絶って十日も過ぎれば、さすがに家中の者たちも倉皇そうこうとなる。しかしながら、すぐに騎士団を頼らなかったその理由を庭師は濁して、話題は次へと移る。アロー家はマイア国内において影響を持つ家であり、繋がりをたどれば王家にも縁があるとか、ヴァルハルワ教会にも顔が広く祭儀も欠かさずに出席をするなど。年寄りの与太話が過ぎたと庭師は苦笑し、それからまた声を紡ぐ。ロベルトは適当な相槌を打ちながら庭師の声に耳を傾けつつも、どれもそこで新しく手に入れた情報ではなかったので次第に疲れてきた。そして、衛士がいなかったのは伯爵の捜索に人手を割いているためだと、庭師はそこで話を終えた。士官学校への要望は、他でもない自分だと付け加えて。

 けっきょく、それ以上の手掛かりらしいものは得られずに、ロベルトたちはアロー邸をあとにした。彼はずっと難しい顔をしていて、会話にも加わってはいなかった。振り出しに戻ってしまえばおのずとため息も出てくる。そして、苛立ちもまた。

「おまえ、何か考えてるなら言えよ」

 そこでブレイヴはやっとこちらを向いた。

「なぜ、伯爵は邸の人たちにも、行き先を告げていないのだろう?」

 ロベルトは眉間に皺を寄せる。邸の者たちが右往左往しているのはアロー伯爵が行方知れずになったためだ。しかし、その行き先がわかっていたならば、ここまで混乱しなかった。

「それは……、用心深いひとなんじゃないか?」

「そうだとしても、家族にさえもそれを告げなかった。おかしいとは思わないか?」

「それは、そうだけど……」

 ロベルトの声が尻すぼみになる。アロー伯爵は妻に先立たれたというが他に一人娘がいる。

 心配のあまりに伯爵令嬢が塞ぎ込んでしまったために、庭師が動いた。新たに得た情報といえばそれくらいで、しかし重要な要素ではない。唸るロベルトに彼は微笑し、それから話を継いだ。

「伯爵が向かったのは、おそらくムスタールだ」

 ほとんど独り言に近いような声であっても、たしかにロベルトの耳には届いた。

「ヴァルハルワ教会の総本山……?」

「そう。半月後に祭儀が行われる。それも、年に一度の祭儀とならば、」

「ちょっと待てよ。なんでそう言い切れる?」

「伯爵は敬虔な信徒だから間違いはないよ」

「そうじゃなくって。なんで、おまえがそんなこと知ってるんだよ?」

 裏路地を歩いているとはいえ人の姿がないわけではない。ちょうど日も暮れる頃で、家路へと向かう者もそれなりにいるのだ。ロベルトは呼吸をもうすこし深くする。冷静になったところで腑に落ちないことだらけだ。

「アロー伯爵は、マイア郊外にある修道院にも多額の寄付をしているひとだ。院長の知り合いという話だけれど、そうでなくとも善意からって……なに?」

 さすがに無言の圧力には気がついたらしい。質問に答えないのならば、こちらにも考えがある。しかし、それには困ったような顔が返ってきた。

「ああ。ええと、そこには妹がいて。……いや、知り合いがいるんだ。だから、ちょっとだけ知ってる」

「そうかよ」

 彼はあまり自分のことを話さない。今の声にしてもどうにも嘘っぽい言い方をするので、ロベルトは不信そうな目をする。彼の身内のこととか知り合いだとかには興味はない。だけど、なんとなく気分は悪くなる。

「おまえって、けっこう嫌なやつだよな」

「話を戻そう。おそらく、ロベルトの言うとおり、伯爵は猜疑心の強いひとなのかもしれない。もしくは、以前から身の危険を感じるような出来事があったのか」

 揶揄を受けて、さすがに彼の声が低くなる。いや、これは深く思考しているときの彼の癖だ。

「まあ、それなりの偉いひとなんだから、疑い深くはなるだろ」

「そうだね。そして、それはあの庭師もおなじだ」

「どういうことだよ?」

 彼の足が止まる。

「歓迎しているように見えて、そうではなかった。いや、偽りは言っていないと思う。けれど、すべてを話すつもりは最初からなかったんだよ」

 たしかに、庭師の話はさして有益とはいえないものばかりだった。だからといってあの好々爺こうこうやを疑う気にはなれずに、ロベルトは押し黙る。

「見定めていたのかもしれない。俺たちのこと。ただの子どもであるか、騎士であるか。敵とはならないか、味方と見ていいか」

「試されていたって、そう言いたいのか?」

 それなら、話はわかる。庭師はどこか品定めをするような目で、ロベルトを見ていた。彼はうなずく。

「だけど、ちゃんと助言も与えてくれた。アロー伯爵がヴァルハルワ教徒だということ。伯爵を知っている人ならば、特に気に留めないような片言へんげんかもしれないけれど」

 それと何が繋がるというのか。彼の次の声を待ちながらも、ロベルトはあることに気がついた。

「ヴァルハルワ教徒……祭儀……、ムスタール。それだけで?」

「信用はしてくれたんだと思う。俺たちのこと」

 間接的に答えをくれても、そこからどう動くかはロベルトたち次第、つまり庭師は見習い騎士二人に賭けたのだ。

「それで? ここからどうするんだ? ムスタールに行くのか?」

「そうだね。でも、伯爵はムスタールにはいないと思う。どちらにしても、一度戻って教官に報告をしないと」

 それにはロベルトも素直に従うことにする。王都の外に出るとなればもちろん許可が要るし、ここから先に自分たちだけの判断で行動するのは正しくないと思ったからだ。教官を頼るなら思い当たるのは一人だけ、ところがブレイヴは予想外の人物の名を口にした。

「ヘルムート教官に相談しよう。彼は、ムスタールの公子だから」

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