騎士と少年(1)

 身体を揺り動かされて、ロベルトはやっと瞼を開けた。

 あたりはすっかり茜の色に変わっていて、どうやらいつのまにか眠り込んでいたらしい。馬車からおりるように責付せつかれて、ロベルトは気怠さの残る身体を無理やりに動かす。見えるのは畑と牛と、小屋と、それからミルク粥のにおいがする。ロベルトの腹がぐうと鳴った。

 今日はここに泊まるのだろう。清潔なベッドやシーツは期待できなくとも、我慢をしなくてはならない。ロベルトはポケットのなかに忍ばせてある銀貨に触れる。だいじょうぶだ。お金はちゃんと持っている。そうやって自分を励ました。

 金で雇われただけの馭者ぎょしゃは、まだ少年のロベルトにも優しくはない。のろのろと歩くロベルトにも構うことなく、ずんずんと早足で進んで行くものだから、ロベルトは置いて行かれないようにと必死になった。そのうちに粗末な建物ばかりが見えてくる。ここは、ロベルトの故郷の街よりもさびしい場所なのかもしれない。ロベルトはうつむきかけた顔をあげた。

 イレスダートは広い。王都から離れた王の目が届かない場所なんてどこもこんなもので、大きな街ばかりではないのだ。上流貴族や騎士たちの管轄する村は農奴のうどがたくさんいて、そうやって国は成り立っているのだと、ロベルトはずっと前に父さんからきいた。だけど、これではまともな夕食にありつけるかどうか。ロベルトはため息を吐く。そのすぐあとだった。

 甲高い悲鳴が耳を突いたかと思えば、急に焦げ臭いにおいがした。厩舎きゅうしゃの向こうからは煙が見えたが、ただの火事というわけではなさそうだ。馭者がすごい勢いで走ってゆき、ロベルトは慌てて追いかける。そうするうちに、もう混乱のなかにいた。 

 老人たちは逃げるのに必死になり、女は子どもを家の奥に押し込める。男たちはくわすきといった農具を納屋から取り出して構えていた。まるで何かの襲撃に備えるみたいだ。

 ロベルトは慌てふためく人々に揉みくちゃにされていた。声をあげて助けと言うのもままならずに、抱きかかえられたかと思えば、暗くて狭いところへと閉じ込められる。抵抗すればもっと強い力で押さえ込まれるものだから、苦しくなってロベルトはおとなしくするしかなかった。ロベルトを逃さないようにする腕は、しかし子どもを守るためのあたたかさがある。ふくよかなその胸に頭を預けていたロベルトは、そこでやっと自分以外を見る余裕ができた。身を寄せ合って隠れている女たちの腕のなかには、幼い子どもがいる。むずがったり、嗚咽を堪えていたりと、いずれもロベルトよりもちいさな子どもたちだった。そして、ここは何かの小屋のようだ。

 ロベルトをしっかと抱く女の汗のにおいに混じっているのは、豚や牛などの家畜のにおいで、たしかに枯れ草もどっさり積まれている。ともかく、外の音がきこえなくなるまでのそのあいだ、ここにいなければ危険だ。

「どう、なったの?」

 そのうちに、ロベルトは堪えきれなくなって女の顔を見あげた。

 他の子たちがじっと我慢しているのに、ロベルトは彼らよりもすこし大人だから外で何が起こっているのかがわかる。女はひどく疲れた顔をしていて、ロベルトの声に応じずに急に立ちあがった。そのまま足で外へと出て行くので、ロベルトもあとを追う。そこで見たのは、信じられない光景だった。

 ロベルトは死体を見たことがあった。けれども、病気で亡くなったロベルトの父さんも、こんなにひどい死に方はしなかったと、そう思う。

「みんな、殺されちゃったの?」

「坊やには見せたくはなかったね」

 女の声はかなしみよりも怒りの方が強い。こわくなってロベルトは視線を変えた。男たちが力を合わせて怪我人を運んでいる。啜り泣いているのは老人で、女と子どもはまだ家から出てこない。火事も収まったのか、しかし嫌なにおいはそのままでロベルトは咳きこんだ。

「あいつらはね、はぐれ者さ。元はどこかの騎士だとか貴族だとか言うけれど、ならず者には変わりないんだ」

「この村は、おそわれたの?」

「小さな村だからね。ここにはなんにもない。でも、奴らは見境なしさ。仕方のないことだけどね。こんなところに騎士さまは来てくれない。自分たちで守らないといけないんだよ」

 だから、男たちは農具という武器を手に戦ったのだ。そうした事件が度々起きていることは、ロベルトも知っていた。

 イレスダートは戦争をしている。

 ロベルトの生まれる前から、父さんたちの時代よりも、もっともっと前からだ。

 国が弱ればそれだけ荒れるのも早い。没落した貴族や騎士などが行き着くところはあのようなならず者たちだ。今は下級貴族のベルク家もやはり貴族の家であり、それに他の貴族の領地内であるために、騎士たちが守ってくれている。心許ない数とはいえども、それでも野盗の心配は要らなかった。

 現実を目の前にしてはじめて吐き気を覚えた。ロベルトは唾を飲み込んで、視線をよそへとやった。かわいそうだとは思う。けれど、人の死んだ姿なんて気持ちの良いものではない。

「坊やは見ない顔だね。ここらの子どもではないね?」

 急に責められている気分になった。ロベルトは後ずさりをする。けれども、女はその見ず知らずのロベルトを庇ってくれたのだ。もしもあのまま混乱のなかにいたならば、ロベルトもそこらに倒れているかわいそうな死体の一人だったかもしれない。ここは、正直に答えるべきだ。

「あの、ぼくは、隣の街から来たんです」

「そう。災難だったね」

 そこではじめてロベルトは女の顔を真正面から見た。日によく焼けた頬は健康的で、鼻の周りは雀斑そばかすだらけだった。大柄で声もよく通るのでもっと年上に思えたが、ロベルトの母さんよりもずっと若いのかもしれない。 

「あの、助けてくれて、ありがとうございました」

 ロベルトはちゃんと頭をさげる。育ちの良さを読み取ったのか、女は素直な子どもに向けてにっこりとした。

「いいんだよ、坊やが無事でよかったよ。でもあんた、いいとこの坊ちゃんだろう? お付きの者もなく一人でいるなんて、」

「あ、ぼくは、たまたまこの街に寄っただけで、馭者が……」

 そういえば、馭者は村が野盗の襲撃がはじまってからすぐにいなくなった。つまり、この騒ぎに乗じて馭者は逃げていたのだ。下級貴族の子どもが行き場をなくしたところで馭者は困らない。そもそもたいした額の銀貨を渡されていなかったのだろう。だから、ロベルトはあっさり見捨てられた。

「ど、どうしよう……。連れて行ってくれるはずのひと、いなくなっちゃった」

 女は気の毒そうな目をしながらもそれ以上は助けてくれなかった。小屋からやっと出てきた女たちも、自分の子らを抱えているから視線をこちらへと送るだけだ。そもそも関わり合いにならないようにと見守っている。男たちは怪我人を運ぶのに忙しくこちらには知らんぷりだ。ロベルトは大人たちが急にこわくなった。

「どうしたね?」

 べそをかくロベルトに話しかけたのは長身の男だった。

 癖のある青髪は黒に近い色をしていて、イレスダート人によく見られる色だ。華やかさに欠ける面貌でも眼光は強いもので、ロベルトは思わず息を止めた。

「ああ、騎士さま。この坊やを助けてやってくださいな」

 女は先ほどまでよりもやや高い声をする。男は鎖帷子くさりかたびらを着込んではいなかったが旅装束にしては清潔であり、大剣を背負っていた。女は一目で看破したのだ。騎士、と。ロベルトもつぶやいた。

 男は従卒も付けずに一人きりのようだった。村の者たちが騎士に向かって次々に感謝するのを見て、ロベルトは理解した。騎士はならず者たちと戦って、この村を守ったのだ。

「どうした、少年。騎士がめずらしいのか?」

 そうではない。騎士はロベルトの街にも在住しているし、見たこともある。こんなに大勢の大人たちがいてもロベルトの味方をしてくれなかったから、騎士がちゃんとロベルトの声をきいてくれるか不安だったのだ。

「あの、ぼく……、王都に行くためにここまで来て。でも、その、馬車がいなくなって。ど、どうしても、王都に行かなくちゃいけないのに……」

 ロベルトは緊張に舌をもつれさせながらも、やっと言葉にした。騎士はまじろいだものの、けれど次には破顔した。

「それなら都合がいい。王都マイアには私も戻るところだ」

 そうして、ロベルトの肩をしっかりとたたいたのだった。

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