第29話『もうひとつの終わりと始まり』
弟が突然いなくなり、当惑のうちに数日を過ごしたある夕方。
「このたびは大変だったね、教え子マーギー」
内密の面談があるというので、すわ継承争いの続きかと緊張して赴いた応接室で待っていたのは何のことはない、セレとマーギー二人を教える音楽教師だった。
「お悔やみならばお気持ちだけいただきますわ。今、あなたのような怪しい方と縁があると思われては困りますもの」
全身をすっぽり覆うローブに円錐帽。母の
「そうだね、君は賢明だマーギー。しかし自分の見識に囚われすぎるきらいがある。あるいはその視野狭窄ぶりを指して若さと呼ぶのかもしれないが」
「もって回った言い方をする殿方はわたくし、あなたのせいで嫌いになりましたわ」
男はいつもこんな調子だった。故に彼がすぐ本題へと踏み込んだことは、少なからずマーガレッタを驚かせる。
「そうか、なら悪いことは言わない。なるべく早くここを出たまえ。教会の異端調査部は年内には君のことを嗅ぎつける」
確信を含んだ言い様にマーガレッタは表情を意識して消さねばならなかった。
「体の異常に気付いているね。事故からもう十日経つ。夜になれば目が冴える、そもそも寝る必要を感じない。食欲も減り、月のものも止まるだろう。目も良くなったね、視えなかったものが視えるほどに」
腕を組んだ。動揺する自分を隠すように。
「何より、感覚的に分かるはずだ。自分は
目深に被ったままの円錐帽の下で、男の眼がぼうと光った気がした。
「それでも命を落とさなかったのは、お母上の愛と言うほかない。彼女を取り込んだことで龍は制約を受けた。君を害さないという制約を。だがその時すでに半ば呑まれていた君は、結果として龍の影響を隅々まで受けながら表面上は人間のままという聞くにも稀な状態となった。人型の、それも自律した眷属というわけだ。もはや受肉した妖精といっていい」
荒唐無稽な言葉の数々は、否定しがたい実感を伴って脳へと染み込んだ。震えを抑え込み、それでも疑惑の目を向ける。
「見てきたように言いますのね」
「事が起きてすぐ件の湖畔へ出向いたからね。シルフたちが我先に話してくれたよ。恐れ知らずが重石をどけた、母親は気高く、弟はやられ損、姉は立ってただけ、ってね」
反論のしようもなく唇を噛んだ。
「重石をどけた、ということは、やはり……」
あの化物は自然に発生したものではなく。
「ああ、謀事だよ。何を言っているんだ今更。まあ知ったところで君にはどうしようもない」
死者は還らないのだから、と無神経に呟いて男は一方的に立ち上がった。
「何処か、事情を知って匿ってくれる家にでも降嫁すればいい。第三、第四王子の縁者ならば無碍にはしないだろう」
かっと頭に血が上る。
「私くしに、敵の情けを乞えと!?」
「無論、あてがあるなら他でもいいさ。言っておくが教会はその百倍酷い所だぞ。私も行ったことがあるが、奴らは頭や身体を開くことで妖精への理解が深まると本気で信じている」
その光景を想像して、マーガレッタは今度こそ身震いした。男はドアの前で立ち止まる。
「君の人生だ。好きにすればいいが死ぬのだけは待ったほうがいい。少なくとも、セレが戻ってくるまでは」
「っ、貴方、何か知って……!?」
マーガレッタが声を上げたときには、男はすでに居なかった。ドアが閉じた音も、足音すらなかった。
ぺたんと床へ座り込む。
こうして、マーガレッタは自分に起こったことの顛末を知った。
龍に喰われた、龍にだけ害せぬ身体。
意味などないと思った。そも、これからの自分の生に価値を見出せなかった。
それでも価値が生まれるとすればそれは、いつか――。
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