第12話『妖精症』

 ラピスは路地の突き当たりにほど近い民家の前で足を止める。年季の入った土壁は白く乾き、暗く口を開けた玄関には扉のかわりにすだれがおりていた。


「おじいちゃん、ラピスです。今、お邪魔じゃないですか?」


 呼びかけに中から足音がする。ややあって、まくられた簾から三十路前後らしい容貌の女性が顔をのぞかせた。面長で活発そうな目鼻立ち。


「まあ、お姫様。いつもありがとうございます。あの人なら奥におりますけ、ど……」


 女性の視線がセレジェイとエマを捉える。訝るように。


「きのう町へいらした踊り一座の方たちです。ルフさんの病気について何か分かるかもしれないと思って」


 ラピスが紹介するも、女性の目は眇められたままだ。ルフ、という名をセレジェイが反芻したとき、女性は申し訳なさそうに、しかし決然とした声でラピスに言った。


「すみませんお姫様。お姫様が来てくださる分にはありがたいことです。あの人も元気になりますから。でも、得体の知れない人達をウチへ入れるわけには……」

「そんな……」


 ラピスが慌てたようにセレジェイとエマを見る。二人は顔を見合わせた。

 セレジェイは踊りを始める前と同じように、うやうやしく頭を下げる。


「ご紹介にあずかりました、セレジェイと申します。仰る通り、われわれはあなた方の言うところのケガレ者。しかしだからこそ分かることもあります。服のことは仕立屋に聞け、という言葉もあるように」


 女性は毅然とした口調で切って捨てる。


「あの人はケガレてなんかいない! 病気のことなら聖手教の先生に診ていただいてるんだ! 踊り子なんて病気もちに頼むことなんて何もないよ!」


 殴られたような衝撃がセレジェイの分別を揺らがせた。

 珍しくもない言いざまだ。踊り一座にそういうイメージを抱いている人間は多い。聖手教の教えや、妖精症そのものの不可解さ・多様性もあいまって。

 一度大きく息を吸った、そのとき。


「セレ」


 握った拳に重ねられたひんやりと冷たい手。心配するような、労るような声。その一言でセレジェイの言葉は止まった。代わり、頭に上った熱を吐き出すような深い溜息が出る。

 慌てすぎて逆に固まってしまっているラピスを一見して、申し訳なく思ったその隣へエマが一歩進み出た。

 彼女はその場でしゃがみこむと、おもむろに地面へ両手のひらをべたりとつける。


「なっ、あ、アンタ、なにやってんだい!」


 まるで子供が悪ふざけをするように、粘土質の赤土をかき回す。驚く女性に泥塗れにした手をさらすと、エマは控えめな笑みを浮かべた。


「この通り、家の何にも私は触りません。当然、あなた様や家主様にも」

「そんなこと……!」


 威勢を挫かれたように女性が言葉を探す。ちらりとその目がうかがうように家の奥へと向けられる。その隙にセレジェイを見たエマが悪戯っぽく片目を閉じた。

 思いだしたように寄せた眉間が解れるのをセレジェイは感じた。強引に張り付けた笑みですまん、と目だけで返す。

 家の中から応えがあった。

 

「構わんよカリル。あがっていただきなさい。姫様には、毎度以上に狭苦しくて申し訳ないが」


 喘鳴まじりの、けれどしっかりとした声音。


「おじいちゃん! ごめんなさい、私また後先考えずに……」


 ラピスが見えない相手にぴょこんと頭を下げる。


「佳い、佳い。さあ、外は暑かろう。カリル、早くお通ししておくれ」


 名を呼ばれた女性は渋々といった調子ですだれを上げる。その後へ続いて入り口をくぐると、薄暗い室内にじわりと目が慣れていった。

 床には石屑が散らばっている。明かりの入る西側の窓辺には作業机が置かれ、その椅子にルフ老人は片膝を立ててくつろいでいた。


「あんたさんがたも、凡常の生き方はしておらんようだの」


 セレジェイたちを見るなり、老人は目を細めて言った。それをむず痒く感じて、セレジェイは背を丸める。


「お恥ずかしい。娘さんには失礼をいたしました」


 娘ェ、と老人が頓狂な声を上げた。くくくと喉を鳴らして笑う。


「あれは家内だ。後妻のちぞいでな。キツいがあれで物分かりは良い。が、このところ少々聖手教にかぶれとる」


 とんとんと自分の耳を指で叩いてみせる。それで、と居住まいを正した。


「狭い家での、話はだいたい聞こえておった。先に言おう、治療はいらんよ」

「そんな!?」


 悲痛な声を上げるラピスに老人は手をかざして制する。


「お前さんはのぅ、姫。半分しか知らんのじゃろう。森辺の民がケガレを運ぶと言われる意味を。彼らがいかにして人の病を癒すのか」


 やや気鬱げな目でセレジェイとエマを順に眺め、身を縮めるように膝を抱えた。


「彼らはケガレを引き受けて町を出る。町の人間が無知ゆえに背負い込んだ妖精の病を、己が身に宿して森へ返しに行く。心と肉体を代償にしてな。その供犠のひとつが踊りなのだよ」


 ラピスが驚いたようにエマを見る。にこりとした彼女に戸惑い、その視線はセレジェイへ。


「…………」


 無言の肯定でもってセレジェイは返した。エマのように笑って流すことはできないし許されない。老人の言葉はおおむね事実で、さらの自分はそれを主導し金を稼ぐ立場にあるのだから。

 ルフ老人は問う。


「その上でわしに治療を受けよと言われるか? 自分の不始末をこんな若い娘子になすりつけてまで病を治せと?」


 ラピスは泣きそうな顔で老人とエマを交互に見た。


「それは……でも……」

「頼めばいいじゃないか」


 三つのカップを乗せた盆を持って、カリルが奥から戻ってくる。


「お客さんはそのつもりで来てるんだから。遠慮なんてする必要ないよ」


 そうまで言うなら役にたって見せろと、エマに向けられた目が言っているようだった。その視線を体で遮って、セレジェイが釘を刺す。


「何も聞かないうちから話はできません。まずは……」


 ルフ老人へと視線を流したその後を継ぐように、エマが老人へ歩み寄った。


「具合の悪い箇所を見せてくれますか? 見るだけなら移りません」


 渋るルフ老人とエマとの間で数回の押し問答があった後、老人は押し切られる形でズボンの裾に手をかけた。


「……見せるだけじゃぞ」


 太股まで捲りあげられたその右足を見て、セレジェイとエマは同時に息をのむ。


「醜い有様じゃろう。こんなものを若者の目に触れさせるというだけで申し訳なくなるわい」


 肩や背を縮こまらせ、声の張りもなくして老人は言った。

 膝頭を中心に、下はすね、上は太股の裏まで患部が広がっている。皮膚はまるで岩肌のように赤茶けて角質化し、細かな結晶が今にも崩れ落ちそうに見えた。膝は固まったように動かず、所々に削ったような痕がある。


「何年か前、小石のようなできものができてな。最初は気にも留めなんだが、少しずつ大きくなりおって、気付いたときには膝が全部は曲がらんようになっておった」


 節くれ立った掌がひび割れた膝頭をさすると、ぽろりと皮膚の欠片が落ちる。セレジェイは気付いた。作業机に並んだ金工製品を作るのに、石屑など出るはずがないことを。

 エマが泥のついた手で自身の目元を擦った。


「……お辛いですね」


 緑の瞳がルフ老人を見上げる。老人は照れくさそうに笑って答えた。


「いやいや、人間歳を重ねればどこかしらガタがくるものでの。こうしてあんたさんのような娘に気を遣って貰えるぶんわしは運が良い」

「あら……ふふふ、お上手」


 エマはほぅと息をついて立ち上がる。ただならぬ気配を感じてセレジェイが背後を盗み見ると、カリルが目を三角にして二人を凝視していた。


「セレ、私、力になってあげたいわ」

「……まさか今のでほだされたわけじゃないだろうな」


 近くへ来た彼女にセレジェイは声を低くした。


「あら、駄目?」


 小首をかしげたその仕草に、溜息で応える。


「分かるだろう。あれだけ大きなケガレを引き受けたら、抜けるまでに何日もかかる。それに万が一足に残ったら踊り子として……」

「セレがいるもの、きっと大丈夫よ」


 気負ったところのない声。見返すと泣き笑いのように細められた緑の瞳が揺れていた。


「おじいさんの目がね、お母さんと一緒なの」


 エマの母もまた踊り子であり、一座を枕に一生を過ごした。平均よりもやや早いその死もまた妖精症によるものだった。


「とても辛いはずなのに、穏やかで。ここじゃないどこかを見ているみたいで」


 セレジェイの肩に、エマの額がのせられる。


「ごめんなさい、セレ。どうしても何かしたいの。あの時私は、一緒にいてあげることもできなかったから」


 渋られるのを承知でなお助けたいのだと、濡れた声が訴えていた。

 セレジェイは言葉を返さない。静かに、深く黙考する。そして。


「分かった。お前の意思を尊重する」

「ありがとう」


 エマの両肩へ手を置き、預けられた体重を引きはがす。視線が間近で交錯した。


「だが、俺はお前を母親と同じにするつもりはない」


 自分に言い聞かせるような言葉を、エマは困ったような笑みで受け止めた。


「花には枯れ時があるわ。踊り子も同じ。いつかは必ずそうなるの」

「仮にそうだとしても、だ」


 セレジェイは頑として聞き入れない。緊張した表情でエマがワンピースの両膝上あたりを握った。


「どうして?」


 窺うような視線がセレジェイを見上げる。待っているように。


「大事なものを大事だと言うのに理由がいるのか?」


 一歩退いてセレジェイは即答した。

 ぷぅっと膨らんだ頬につりあがった眉。露骨に機嫌を損ねた様子のエマはしかし、すぐに子供のような企んだ笑みを浮かべた。


「もう、素直じゃない。いいもん。話す時間はこのあとたっぷり出来るものね?」


 薄い三日月形の下唇に、ちろりと赤い触がよぎる。セレジェイは無理やりそれから視線をひきはがして渋面をつくった。


「せいぜい手短に済むようにやるさ。襲われるのはもうごめんだ」

「ふぅんだ、ばか、恩知らず」


 ぶちぶちと言い続けるエマに背を向けて、床に置いた鞄へとしゃがみこむ。


                  ◇

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