第21話『同盟と仲たがい』

 土と苔の臭気が濃い、そこは教導舎というより墓地の地下道を思わせる場所だった。

 なぜ教会施設にこんな場所があるかと問えば、彼らは疫病患者の遺体を隔離するためと答えるだろう。ここはそういう忌むべきもの、ケガレたものを放り込むための穴だった。


「っ、……ぐぅ!」


 ジャリ、と石畳を鉄鎖が擦る。設えられた鉄格子の内側へ突き飛ばされたセレジェイは、きつい手枷足枷のせいで受け身もとれずに転がった。衣服をはぎ取られ、露わになった腕や太股には真新しい打擲の痕がある。

 牢の鍵が掛けられた。教導官たちは言葉をかけることすら汚らわしいとでも言いたげな目でセレジェイを見下ろすと、部屋の鉄扉にも施錠して階段を上がっていく。

 人間一人がやっと横になれる空間。天井だけが暗闇にのまれるほど遠い。セレジェイは這い上るようにして石壁に背を預けて呟いた。


「……いいざまだな」


 応じたように、背にした壁を挟んだ隣の房からも呟きが返る。


「目くそ鼻くそを笑うという東方の言葉を知っておられますか、王子様」


 憔悴した声色のサトランは皮肉げに、どこか穏やかに言った。


「よせ、昔の話だ。第一お前に言われても気味が悪い」

「それは良い知らせだ。こちらも据わりが悪いと思ったところでね」


 くっと笑う声。虚勢を張る力すら使い尽くして、セレジェイはずるりと体を沈めた。


「生活は規則正しい方だろうか? 眠りたいなら黙るが、どうだね?」

「余計な、お世話だ……」


 体中の傷が熱をもっていて、虻々ぼうぼうと頭を煮立たせているようだった。ともすれば気絶に近い眠りへと落ちてしまいそうになる。


「あんたは……どうなる?」

「さて。生きて故国の地を踏めるかは五分五分というところだろうか」


 さらりと諦観まじりにサトランは答えた。


「異国の生まれか」

「ああ、北方のな。ロムルという村だ。一度戦争で焼け、私は奴隷として取られたところを聖歌隊に拾われた」


 大平原のさらに北にある連山には、集落状の共同体が無数に点在していると言われる。彼らは互いに交わることなく、独自の風習や身体特徴を持つこともある。


「私の村ではみな大人でも子供のように高い声を出すことが出来た。聖歌を歌うたびに奇跡が起こり、初めは珍重されたがすぐ持て余されるようになった。毎度となれば逆に神の威光に傷が付くとな。お世話になっていた司祭様のつてで教導官になり、神父となってこの町に赴任した」


 体よく外回りに出されたのだろうとセレジェイは思った。単身奇跡を起こせる人間など、いるだけで大司教たちの面子を潰しかねない。


「ここから出たくはないか?」

「出てどうするという」


 セレジェイの問いへ答えた声は、倦んだ胸中を表すように投げやりだった。


「ラピスを助ける。このままじゃ危ない」

「方便はよせ。よそ者のお前がそこまでする理由がない」


 加えて疑念。苦し紛れのそそのかしに乗るつもりはないと硬い態度が言っていた。

 セレジェイは霧散しかかる思考をかき寄せ、言葉を繋ぐ。もしサトランの協力が得られたなら、試す価値のある手が一つだけある。


「ラピスを救うことが町の災厄を祓うことに繋がる。そうすればエマを助けられる」


 打算はなかった。そんな余裕はない。ただ、疑いを断つべく事実だけを口にした。


「さて、大きく出たものだ。女性一人の為に町ひとつ救うと、そう言うのかね?」


 別段それだけと言うつもりもなかったが、それ以上に重要なことを探しても思い当たらなかった。


「……あぁ、そう、だ」


 ほぅ、とサトランが息を吐いた。


「それは成れば痛快な話だろう。だが、そんなことが出来るものか」

「……出来るからやるんじゃ、ない。……たとえ死ぬにしても、一目……もう一度よく、見ておきたい、だけ……だ。……その為……に……」


 サトランが笑う。押し殺しかねたように。


「王子、女性から馬鹿だと言われた経験は?」


 答えるのも億劫だった。他愛ないその問いを了承と独断して、セレジェイは懸命に呂律を回す。


「紙と、ペンだ……何でもいい……書く物を……」


 そこまで言ってがくりと首を傾ける。意識はそこで途切れた。


                  §


 法衣を失い簡素なシャツとズボン姿になったサトランは、セレジェイのそれより少し広い自分の房を見渡した。机の上にあるのは便箋と羽ペン、インクボトル。国へ残した妻子へ手紙を書きたいと頼んで運んでもらったものだ。

 少し考えてから、彼はそれらをまとめてセレジェイの房へと差し入れた。壁を背に座り、半地下の地上部分に設けられた格子窓を見上げる。

 無償の奉仕を生業に。矛盾ともとれるその在り方に疑問を抱いたこともあったが、今はありがたかった。

 誰かの為に奔走することで生きてきた。多分に成り行きではあったが不満を抱いたことはない。ならば今、これからも。


「慮外な……どうも私は、まだ神に愛想を尽かさずにいるらしい」


 夜が滲むように窓から雨が流れ込んでいる。その音を聞きながら、サトランは瞼を閉じた。



                  §



 どしゃ降りの夜から丸一日。

 マーガレッタたちは屋根の高い建物が並ぶ倉庫街に身を寄せていた。

 ルフ老人が案内してくれたそこはもともと倉庫としてあったものを集会所に転用したものらしく、荷物の代わりに丸テーブルや黒板が広い空間に並んでいた。その床も今は避難してきた町の人々で隙間もまばらに埋まっている。場所を確保するため椅子は壁際に高く重ねられ、机は荷物置きと化していた。

 その隅にむしろを敷いてマーガレッタは座っている。


「……はぁ」

「何だよ、今度は絨毯が欲しいとでも言うつもりか?」


 こちらは座るのに飽きたのか、壁に体を預けて立ったカフィが言う。彼女が気まぐれに足を上下させるたび、フロアのあちこちから密かな視線が集中した。


「はしたないですわよ。……私だって我慢くらい知っていますわ。お尻痛さに絨毯を強請ったなんて知れた日には、恥知らずの代名詞として名が残ってしまうもの」


 床と腰の間に挟んだ両手の位置をもぞもぞと変えながらマーガレッタが取り澄ます。


「あたしの中じゃ、とっくに横暴の代名詞だけどな……」


 会話はそれきり途切れる。カフィがあての外れたようにちらりと隣を盗み見るが、マーガレッタはじっと床の木目と睨み合っていた。


「ねーちゃんたち、メシだぞー」


 マーガレッタが顔を上げると、袋いっぱいのパンを抱えた子供たちが回ってきたところだった。今日二度目の硬く丸いパンを受け取ると、子供たちはカフィの方へ。


「おー、ありがとなーお前らー」

「ねーちゃん、おっぱいに入れさしてー」

「んなっ、ばっ、誰だそんなこと教えたのは!?」


 カフィは根が子供に好かれる質なのか、来てものの半日で彼ら彼女らの興味の的になっていた。ほどほどにその相手をするカフィを咎める者もない。


「スープをいただいてきました」


 モニカが湯気の立つカップを両手に二つずつ持って戻ってきた。


「ありがとう、モニカ姐! あつっちっ、ふぅ、ふぅ」


 我先にと二つ確保したカフィが懸命に湯気を吹き飛ばしている。マーガレッタにもカップが差し出された。


「……どうぞ」

「えぇ……ありがとう」


 微妙な空気が流れる。昨夜のことが尾を引いているのか、マーガレッタはモニカとの間に一枚壁が出来てしまったように感じていた。


 ――マーギーは人間相手でも同じことを言うの!?


 言うだろう、と思う。

 人の根本は思いやりだとある聖人は宣ったが、命やそれ以上の何物かが懸かった場面では他人の事情など気にかけていられないのも事実。


(他人、ね)


 そらぞらしい響きが後ろ暗かった。であれば今の距離感も、自分の罪悪感によるものだろうか。


「マーギー、あの……」

「……っ、その名で、呼ばないで……!」


 砂漠の砂のような自分の心へ、無為に沁み通る親愛が申し訳なかった。

 言ってからしまったと思う。自分はいつもこうだ。その上、一度吐いた言葉は喉へ返らないとなまじ知っているせいで、見苦しく言い繕う努力すらできない。

 モニカはしゃっくりを閉じこめたようにびくりと上半身を強ばらせて俯いた。


「すみま、せん」


 それだけ言うと背を向けて、外へのドアへ歩いていく。エマにスープを渡してきたカフィに、子供の一人が訊ねた。


「えまのねーちゃん、大丈夫?」


 カフィは眉をしかめて笑った。


「大丈夫、ちょっと眠いだけだって」


 マーガレッタはひとり、両手で顔を覆う。時間はそう多くない。考えることは無数にある。問題も。

 動くべきだ。自分は行動派ではないがここに居ても何の役にも立たないということだけは分かる。

 もとよりケガれた没落姫。かの失墜をなかったことにすることでしか、自分の価値は取り戻せない。そう決心して理に徹した。これからも。そのためにはまず――。


                  ◇

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