第30話『まつろわぬ一座』


 不規則に穏やかに地面が揺れる。

 幌の隙間から差し込む光が筋になって見える。

 そっと首と視線を上げると、冷たく観察するような切れ長の瞳とぶつかった。


「……何を考えてた」

「あなたを屈させる方法を」


 情の欠片も感じられない声音で、ネグリジェ姿のマーガレッタは答える。

 もう三日この調子だった。


 セレジェイが倒れてから目覚めるまで、丸一日を要したという。だが昏倒するほどの症状だったにも関わらず、セレジェイの身体にはそれらしい後遺症もなかった。せいぜいが、今まで右目の周囲だけに出ていた妖精症が、顔の四半分あたりまで広がった程度だ。

 見ていた者の言葉によれば、ケガレにのまれたセレジェイにマーガレッタが触れると、触れた場所から治ってしまったという。

 カフィやモニカに聞いても要領を得ないので本人を問いつめても、言いたくないの一点張りできりがなかった。


「……お前、腕が四本になったのか?」


 ふと気付いて訊ねる。冷えた眼差しが面白くなさそうに細められた。


「寝ぼけてるんじゃありませんの。この果報者」


 横になったまま振り返ると不満顔のエマと目が合う。


「セーレ、一晩中そっち向いてたー……」


 回された腕が締め付けられ、胸板にがり、と爪が立つ。

 マーガレッタが芝居がかって肩をすくめた。


「心配いりませんわ、エマ。その愚弟は未だに母親離れができずに、その面影を私くしに追っているだけです」

「口からでまかせを言うな!」


 倉庫でカリルたちの世話を受けていたエマは、踊りの幕とともに目を覚ましたらしい。

 その後すこしずつ痣は薄れ、始めに喰い付かれた尾骨まわりを残すのみとなったころにはすっかり調子を取り戻していた。

 一刻も早くエマをこの土地から遠ざけたいというのが出立を急いだ理由だったが、この分ではその必要もなかったかもしれない。

 根も葉もないことを話すマーガレッタの口を塞ごうと手を伸ばす。それが即座に絡め取られた。


「だーめまだ動いちゃ。へえーそっかー、そういえばセレは時々寝言でお母さん呼ぶもんねー」

「いつの話をしてるんだ……」


 とはいえ、外面が治っても中身の多くが妖精と混ざっていた影響はそう簡単に抜けるものではない。

《毒竜》は踊りを通して物語の産物でしかなかった《宝石竜》へと転じ、その性質は以前ほど人間に関わるものではなくなった。今後は巨大な妖精の多くがそうであるように、永い時の中でゆるやかに土地や生き物と交わっていくだろう。ゆえにエマの症状も進行する心配はほとんどないが、精神面まで万全に復調するまでにはもうしばらくかかるはずだった。


 ルフ老人の足も同様に。

 慣習にしたがい密やかに町を出ようとした際、どこから聞きつけたのか見送りに来てくれた人々の先頭に彼はいた。夫人と一緒に座全員の手を握って礼を言い、セレジェイがエマを背負うために借りた採寸紐を返そうとするのを押し返して言った。曰く、


『縁の証に持って行け。二度と娘子らを危険に遭わせることのないようにの』


と。手厳しい激励のあと、老人はぽんと肩に手を置いて微笑んだ。


『心からの礼を言う。老い先短い身ではあれ、一生忘れ得ぬ恩を受けた。次に主らが町を訪れるとき心安くあれるよう、それを次代へ語り継ぐと約束しよう』



 ばっと室内へ取り込まれた光がセレジェイの意識を引き戻す。


「おーい、起きたんなら風通すぞ」


 幌の入り口、それも屋根側から逆さになったカフィが顔をのぞかせていた。


「どこに上ってるんだお前は」

「いや、気持ちよくってさー。やっぱ晴れっていいな」


 セレジェイの問いに上機嫌で八重歯をのぞかせる。

 その様子に先日の大舞踏の影響はまったくと言っていいほど見られなかった。よほど摩擦の少ない、相性のいい妖精だったらしい。


 雨期はなぜか六日目を待たずに終わっていた。

 カフィが雨の精と交わったことと関係があるかは分からない。降るものがなくなれば雨は止むだろう。たとえそれが誤差を越えた異常気象だったとしても。


「ばっ……こちらはまだ夜着ですのよ!?」


 後方の幕も引っ張り上げたカフィにマーガレッタが抗議した。


「だから早く服着ろって。お前も! 役得だとか思ってないよな!?」


 水を向けられセレジェイは一瞬黙考。


「そんなことはない」

「嘘つくな! マーギーがっつり抱き締めて寝やがって!」


 その背筋が寒くなるような冗談に思わず本人を見た。


「…………」


 相変わらずの冷ややかさでマーガレッタはセレジェイを見返してくる。


「冗談だろ?」

「でしょうね」


 即答されて安堵の溜息が出た。



「セレジェイさん、ちょっといいですかあ。今夜停まる所なんですけどー」


 マイペースなモニカの声に、シャツを被って御者台へ這い出る。


「……ここにいたのか」


 てっきりカフィに唆されて上に登っているかと思ったが。

 手綱を持つモニカの隣に、ラピスがちょんと座っていた。


「お、おはようございます、セレジェイさん」


 彼女の同行が決まったのは出発当日の朝だった。

 《竜》と濃く交わったラピスもまた、エマと同じであの土地を離れるに越したことはない。

 ゆえにもし因習を断ち切る気があるならば、とコールマイト卿に彼女の転地療養を提案したのがその二日前。

 杖を小脇に挟んで馬車を訪れた卿は、ラピスたっての願いだと言ってその道連れを頼んできた。

 行き先は共和国領ルドニール州都。ラピスの兄が仕官しているというそこへ、彼女を送り届けてほしいと。

 セレジェイは危険がないとは言えないこと、踊り一座として仕事をしながらでは一年近い時を要することなど様々に言葉を変えて説明したが、本人の意思を尊重したいという卿の決意は変わらなかった。


『無論、自分の面倒は己でみさせる。このまま、別れ辛さに部屋で泣かせておくのはあまりに忍びないのだ。無理を言っているのは分かっている、だが――』


――儀礼とはいえ婚姻の契りをかわした間柄なればそう無下にせずともよかろう。

 そう声を低めて言った卿の口調にはかすかな恨み節が混じっているように聞こえた。内心冷や汗をかいてセレジェイは確かに、と頷くよりほかない。

 であれば、とセレジェイは承知した。もとよりラピスには何度も惹きつけられている。もし彼女が何のしがらみもない町の踊り手だったならば、こちらから頭を下げにいくところだ。


 見送りがなかったのは父としての厳しさか、森辺の民の慣わしを尊重してか。

 それでもルフ老人とカリル、サトラン神父は馬車から三人が見えなくなるまで、町の入り口に立って名残を惜しんでくれた。

 神父はといえば完全に嫌疑を晴らし、今回の一部始終を『一部人名を伏せ』て中央へと書き送ったそうだ。


『こちらで許可した採掘業者の中に行儀の悪いものがあったようだ。今後は査定を厳にしつつ汚染土壌の健全化をはかっていこうと思う、が……』


 彼自身は今後も町の発展のため尽力したいものの、キーハ元副務官のことも含めて人事がどう動くかは分からないとこぼしていた。


『投獄はされる、喉は潰れるで散々だったが、その上異教徒に借りまで作るはめになるとはな。どうにも据わりが悪い、早めに取り立てに来てくれると助かる』



 前方から吹く風を受け、ラピスが胸に手を当てて言葉を探すように言う。


「この場所が一番ドキドキするんです。少し怖くて、でも嫌じゃない感じで」


 モニカがあぁ、と行く手を向いたまま肯いた。褐色の地平はわずかにたわんで視界いっぱいに延び、真っ青な中に低い雲が空飛ぶヒツジのようにいくつも浮かぶ。


「分かる気がします。僕もここに座ってる時とてもわくわくするんですよ」


 馬車を牽く三頭の馬は、来たときよりもゆっくりと六人を運んでいく。蹄を傷めたというエリスだけは、堅固な蹄鉄と泥除けのかんじきを履いて馬車の隣を歩いていた。


「僕が先頭なんです、自分の世界の」


 言って、手綱をラピスへ差し出した。戸惑ったラピスはそれでも、おそるおそるそれを手に持つ。


「わ……っ……!」


 平坦な道を馬たちは変わらない足並みで走る。けれどぎゅっと目を閉じたラピスはモニカにすがりついた。


「こ、こわ、怖い、ですっ」


 手綱を押し返そうとする手を、モニカがそっと支えた。


「大丈夫、最初はみんなそうです。ほら、目を開けて」


 ラピスが薄目を開ける。すぐにそれを見開き、息をのんだ。


「わくわくする、でしょう?」


 モニカの問いに大きく頷く。


「はい……っ!」



 海岸線の道を行こうと、セレジェイは思った。今の時期なら豊漁祈願の仕事にありつけるだろう。

 突然吹いた強い風に広げた地図がバタバタと裏を打つ。カフィが歓声をあげるのを聞きながら、セレはひるがえるそれに顔をうずめた。




第一部 完

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まつろわぬ踊り一座のト書き みやこ留芽 @deckpalko

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