第16話『類型はずれの伝承』
大陸は場所によって気候が大きく異なる。
そのうち、雨期と乾期の交代は南西部に見られる特徴で、二つの周期は約十五日。ひとたび切り替われば日照りか雨が延々続き、暮らす人々の生活も雨期と乾期とで様変わりする。
夜が明ける時間になり、太陽は山陰から分厚い雲の向こうへと隠れ家を変えたようだった。
起きてすぐに飛び出してきたのだろう、寝間着姿のラピスは身体を起こしたエマに飛びつくと、安堵でくしゃくしゃの顔を押しつけて繰り返し謝っていた。
何とか落ち着かせて引き離し、ティーカップなど探し出して応接の形を整えたセレジェイは、ようやく幌に寄りかかるようにして部屋の隅に腰を下ろした。
「~~~~~~~~ッ!?」
ひっくり返ったラピスが両手で口を押さえて悶絶する。
「ニガカゲ茶だ。毒消しの効能があるが、そんなことは置いといてまず苦い」
セレジェイの説明にがばっと起き戻り、涙目で抗議した。
「な、なっ、なんっ……あれ?」
妖精にでもつままれたような顔で無言の問いかけ。分かりやすい反応にセレジェイは笑って言った。
「何ともないだろ。苦いのは舌に触れた一瞬だけだ。朝に飲むと頭が冴えて良い」
傍らではカフィがまるでビールでも飲むように一息で熱いカップの中身を飲み干し、腰掛けたマーガレッタとモニカが時折顔をしかめながらも白い湯気に口を寄せている。エマとセレジェイは昨日寝なかったぶんこれから一眠りする予定なので無しだ。
ラピスはひとしきり感心したあと、もう一口飲んで目を白黒させる。それから思い出したようにカップを置いて居住まいを正した。
「あの、セレジェイさん。昨日のお詫びを受け取ってもらえますか」
セレジェイは無言でラピスを見返す。彼女は抱えてきた絹の袋から、両掌ほどの大きさの小箱を取り出して膝の前に置いた。
赤い布張りの表面に、彫金の花模様が細かに施されている。中央にはシャーリク家の紋らしきものもあった。
「わ、キレイな箱……って何かヘンなのが乗ってる!?」
身を乗り出したカフィが次の瞬間のけぞる。前髪を下ろしたセレジェイには何も見えなかったが、箱の辺を補強する金細工に記された妖精文字から何であるかを察した。
――比べよう お前のシャベルと我らの腕と どちらが大きいか
財貨も名誉も乙女の髪も すべて我らの足の下――
「
攻撃的、排他的な妖精は多くが縄張りを持ち、知らずに踏み込んだ人間はその被害に遭う。その習性を防犯に利用した例がこれだ。
スプリガンは土中に埋まった遺跡や財宝に寄りつき、その周辺を縄張りにする。
「はい、三歳の誕生日に父がくれたものです」
ラピスが箱の上の何かを撫でるように指先を動かしてから、蓋を開ける。そこには色とりどりの宝石が小部屋に分かれて収められていた。
「それから誕生日ごとに石を一つずつ、全部で十二個。すべて差し上げます。こんなことでお詫びにならないのは分かっていますが……」
セレジェイが箱へ触れると、古びた鎧兜を着けた小人が姿を現した。黒目だけの小さな目と、真横に裂けた河馬のような口がどこか間抜けな印象を与える。セレジェイの指に斧を振りかぶった小人を慌てたラピスが抑え込んだ。
箱の中の小部屋のうち、一番最初から中身があったであろう所から青色の石を取り上げると、窓の光にかざし見る。ほぅと感嘆の息を吐いた後、セレジェイはそれを箱へと戻した。
「これは受け取れない」
小箱をラピスの方へ押し返すと、途方に暮れたようにラピスはそれを見た。
「ですが、わたしには他に差し上げられるものがありません」
セレジェイは首を振る。
「ふつう、個人の依頼で受け取る金は多くて二百ルナードがせいぜいだ。その中身じゃどれ一つとってもその倍はくだらないだろう」
別段宝石に詳しいわけではないが、どれもが貴人へ献上されるにふさわしい一品ばかりだということは分かる。
「それに繰り返すが、あれは俺の失態だ。お前が気に病むことはないし、むしろ謝らないといけないと思ってる。危ない目に遭わせた上、怒鳴ったりして悪かった」
胡座をかいた前の床に額を着ける。ラピスが慌てて両手を振った。
「い、いえっ、そんな!? 頭を上げてください! わたしこそ何にも出来なくて!」
否、ラピスがサトラン神父を動かしてくれなければどうなっていたか分からない。今思い出しても血の気が引くような状況だった。
「まあ、そういうことだからあの仕事で代価は受け取れない。だが代わりにいくつか聞きたいことがある」
セレジェイはそう言うと顔を上げ、膝頭に手を置いた。
◇
「それは、聖暦13年の夏節のことだったと聞いています」
《宝石竜》の伝説について聞きたい、と求めたセレジェイにラピスは少し考えた後、真面目な顔でそう切り出した。その年節はセレジェイたちから数えて五、六世代ほど前にあたる。
「……具体的だな。何か元になるような事件でもあったのか?」
伝説や民話はたいてい教訓的、寓意的だ。
夜に荒野を進めばデュラハンに襲われる、あるとき悪魔の軍勢が現れ町の者が多く死んだ、など。これらの場合デュラハンは夜盗、悪魔の軍勢は疫病などが、語られるうちに変化したと推測できる。
だがラピスはきょとんとして、それから少し得意気に告げた。
「いいえ、《宝石竜》はこの町で実際にあった出来事です」
「……まさか」
セレジェイは何と言っていいか分からなかった。頭ごなしに疑うほどありえないことではないが、そうなのかと簡単にも頷きがたい。
そんな心の動きを見て取ったのか、ラピスは気遣うように付け加えた。
「どうでしょう。ですけど、わたしも母もそのまた母も、これは本当にあったことと聞かされて育ちました。山には七色に輝く宝石竜が棲んでいて、叶わぬ恋を叶えてくれると」
そう、その点にもセレジェイは類型に当てはまらない異質さを感じている。
「叶わぬ恋を叶える、か」
この手の話で《竜》が担う役割は、愛の阻害者だ。揺れがあるのはその企みが成功するか否か。恋人を取り返すか、奪われたまま悲恋に終わるかの違いくらいのもの。
けれどラピスはその瞳に慕わしさすらにじませて宝石竜の筋書きを語った。
「身分違いの恋をした姫と青年は、まさにそれを諦めようとしていました。ですが宝石竜は青年を攫い、取り戻しにやってきた姫の想いに打たれて永遠に二人を庇護すると約束するんです」
二人は竜の一部となり、人の社会から解き放たれて愛し合うことを許される。
そのラストにセレジェイは覚えがある。教訓でも記録でもましてや英雄譚でもない、この手の話に籠められる意図はむしろ。
(鎮魂……?)
人の死が飾られるとき、その裏には必ず悲劇があると師は言った。
そもそもこの話には実在しうる観測者が存在しない。竜にのまれた二人のその後など、それこそ神の視点でもなければ分からない。
だがそんなことを純粋なラピスに言うのは無意味だと口を閉じた。人の悪意や嘘を知らず、愛の強さを信じる彼女には、カフィやマーガレッタとはまた違った美質がある。それを敢えて損ねないというのはセレジェイなりの道徳だった。
◇
ラピスを館へ帰したあと、セレジェイは毛布を幌の内から引っ張り出すと御者台へ横になった。
目を閉じる前、馬の足を見ていたモニカと目が合う。
「エマさんはもういいんですか?」
「あぁ、身体はほぼ戻った。あとは一人でやる作業だ」
肉体を復元しても精神的な異物感はそう簡単に拭えない。踊りを生業にする者はそのために日頃から訓練を積み、もしものときは瞑想によってまっさらな自己を取り戻す。処置は肉体と同じく早ければ早いほど良いが、身体を資本とする職業柄、どうしてもそちらは後回しになる。
「専門家の意見を聞きたいんだが」
はい?とモニカが顔を上げた。彼女の目は暇があれば命の次に大事な四匹の馬たちに向けられる。
「もし、俺が今すぐこの町を出ると言ったらどうする?」
難しそうな顔で、モニカは雨に打たれる屋根の梁と馬体とを眺め見た。
「……おすすめはしませんね」
「特別手当を出すと言っても?」
「それなら町でほかの馬借を雇ってくださいと言います」
頑とした言葉。直後、申し訳なさそうにモニカは説明した。
「この大雨です。馬は泥で体力も体温も奪われて、病気になるかもしれません。替えの馬があるならそういう強行もやれなくはないですけど、この荷の大きさで四頭立ては正直ギリギリです。荒野の途中で足が止まれば、盗賊や獣の餌になるか飢えて死ぬかしかありません」
もっともな話だった。セレジェイとて、出来ることなら避けたい。
「分かった。……ああ、それから。馬に泥道用のかんじきを穿かせておいてくれ」
モニカが馬たちを庇うようにセレジェイを見た。
「勘違いするな。雨の中を走らせようという訳じゃない。ただ、この町の水や土は俺たちの目から見てどうも良くない。蹄を怪我したのがいただろう」
「あ、はい。それが……傷のまわりが固いカサブタっぽくなってきて」
「多分それは妖精症だ。町を離れれば自然に治るかもしれないが、それまでは出来るだけ地面から足を離した方がいい」
驚いた顔で、モニカは馬の足下を見た。それからすぐ屈みこもうとしたところで、恥じるようにセレジェイから目を伏せた。
「あの、すみません僕、無理に出発しようって言われるんじゃないかって……」
「別に、必要ならそういうことも言う。今はそうじゃないだけのことだ。第一、」
セレジェイはそこで言葉を区切った。不思議そうに顔を上げるモニカ。
「俺は当分お前を手放すつもりはない。楽器の腕も頭の柔らかさも、見た目の美しさもそこらの馬飼いには望むべくもないものだ。特に腰がいい」
さっと馬の一頭に隠れたモニカは交差した腕でそこを庇った。顔が赤い。
「ぎょ、御者の腕前もちゃんと入れてください!」
「走ってる最中に手綱を放さなくなったらな」
「は、放してませんし! それにあれはセレジェイさんがからかったからですし!」
うぅ、と言葉に詰まったモニカを尻目に、セレジェイは頭から毛布をかぶった。
「何かあるか、起きるまで起こさないでくれ。食事は起きてる奴らで食べていい」
「……むぅ、分かりました」
むくれたようなモニカの声。目を閉じればすぐに沈んでいく意識の中でセレジェイは思い出す。いつも何かを考え込むような顔で手綱を引いていた師の顔を。その後には七台の大馬車と、増減はあれ六十人を下らない家族が続いた。セレジェイも今、同じ立場にある。
四人と四頭、その重みだけで、わずかに眠りが浅くなるような気がした。
◇
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