第9話『謁見と宝石竜』

 全員が満足するまで食べて話して、帰る頃にはすっかりと夜が更けていた。

 防砂用の二重扉の設えられた入り口はそう広くなく、内の明かりと外の闇が混じりあって濃い陰影を成している。巣を払われたらしい不機嫌な蜘蛛が、怪物のごときシルエットを石壁に伸ばしていた。

 神父にひとり呼び止められたセレジェイは、表を気にしつつ彼と向かい合っている。


「あんまり女たちだけにしておきたくないんだが。女の陰口は恐ろしい」


 半ば本気で言ったのだが、神父は冗談ととらえたらしく、失笑で応じた。


「憎まれ役を気取るならもう少しらしくしていることだ。まあいい、手短に済まそう」


 神父は一歩前に出た。それだけで彼の顔に深い陰が落ちる。視線を合わせるためにセレジェイは背筋を伸ばさねばならなかった。


「姫様に免じて、この町で仕事を請け負うことを黙認する。だが常に教会の目があることを忘れるな。もしその行動に神を侮るところあればこちらとしても黙っていない」

「承知した。浅学なりにそちらの立場を尊重する。こっちだって揉め事はごめんだ」


 形式的なやり取りを済ませ、場を辞そうとしたセレジェイに神父が厳かに続けた。


「……それと、姫様に悪しきことを吹聴せぬように」


 肩をすくめるセレジェイ。


「肝に銘じよう。そちらの禁を破る方が、神の罰は厳しそうだ」



                  ◇



 翌日は、ラピスの来訪から始まった。

 四方を板壁に囲まれた、厩舎というより小屋のようなそれは領主館に四つあるという。ラピスいわく、


『昔は二棟が常用で、あと二つが来客用だったんですけど、今は一つの半分も使ってません』


とのことで、セレジェイたちがあてがわれた建物も、停めた馬車以外には真新しい馬草と満たされた水桶があるだけだった。がらんとした土間にラピスはベッドを運ばせると言ってくれたが、固辞した。


「父がご挨拶をしたいと言っています。セレジェイさんだけ来ていただけますか?」


 早朝上げ戸を叩いたラピスにそう言われ、馬と一緒に顔を洗っていたセレジェイは慌てて髪をなでつけ衣服を整えた。

 内側から戸を押し上げると、待っていたラピスとはち合わせになる。

 髪を巻き上げ赤いフォーマルなドレスを着た彼女は、やや緊張した表情だ。目が赤いのは昨日の夜更かしのせいだろうか。


「……似合うな」

「そっ、そうですか? えへへ」


 気づけばずいぶん気安い口を利いている。酒の力は偉大だが恐ろしい。少なくとも、館の内では控えた方がいいだろう。

 手入れされた芝生に土の道がのびる庭は建物の赤をいっそう映えさせ、正面の石造りの泉から湧きあがっては周りの水路を巡る水の音は、荒野の町であることを忘れさせる。

 思わず伸びをしてから、先を歩くラピスと目が合った。


「ふふっ、朝は気持ちがいいですよね」

「ああ、そうだな」


 がりがりと頭をかいて、緩んだ頭のネジを締めなおす。


 館の玄関は吹き抜けになっており、臙脂の絨毯にピアノ、脇には二階へ続く階段がある。壁の絵や手すりの装飾など、目新しいところはないが大切に使われていることが見て取れた。


 そんな中ただ一つ、異彩を放っているもの。

 部屋の奥、中廊下にでも続くであろう扉の脇。


「あの……絵は?」


 玄関からでは細部まで見えないが、極彩色で描かれたそれは何となしに目を引く。


「母が描いたものです。ご覧になりますか?」


 訊ねながらもラピスはすでに一歩先へ踏み出している。言葉より体の方がよく喋るのは年相応だな、と微笑ましくそれを見てセレジェイは頷いた。


 初めそれは、虹色の川に見えた。

 画面を構成する赤茶色はこの一帯の大地の色とよく似ていて、深く切り立った谷間を水ともつかぬ七色の何かが流れて落ちてくる、そんなイメージ。


「《宝石竜》です」


 白く磨かれた石の額ぶちを慕わしげになぞってラピスが言う。


「このあたりに伝わる昔話で、母はそれをまるで見てきたように話してくれて。わたしもすっかり覚えちゃいました」


 そう言われて目を凝らすと、七色の帯の先端に立つようにして二つの人影らしきものが描かれていた。


 ――高貴な娘と市井の男、その恋を裂く竜の物語。

 類型を探せば各地に例があり、人物や結末はまちまち。

 共通するのは「恋人の一方が竜にさらわれ」「残された一方がそれを取り戻しに向かう」という大筋。


 そこまで記憶をたぐってふと、セレジェイは聞いた。


「昨日の晩、あの神父が歌ったのは」

「はい。この話を元にその……わたしが試しに書いてみた、詞です」


 後半はいくぶん恥ずかしそうにラピスはうつむいて言った。


「そういえば、読ませてもらう約束だったな。ちょうどいい」


 起こった悪戯心に任せて催促すると、彼女は案の定うろたえた。


「え、ええっ! い、今ですかっ! わ、わたしまだ心の準備がっ!」

「そんなものいつまで待っても出来るもんじゃない」

「でででもですね! ほんとテキトーっていうか、遊び半分で書いたものなので! ほんっともう、寝起きにさらさらーっと!」


 真っ赤な顔でペンを宙へ走らせる仕草をして見せるラピス。ほう、とセレジェイは半笑いを堪えて前のめりになった。


「それだけ簡単に書いたものが教会の神父の目にかなうとはもはや天才だな。ますます読まないと収まらないぞ」

「う……うぅっ、ふぐ……っ」


 壁へ追い込まれたラピスはぶんぶんと拒否しているのか逃げ道をさがしているのかわからない激しさで首を左右へ傾けた。小さな唇が言葉を探すようにあわあわしている。

 そのときガチャリ、と奥へ続く扉が開いた。


「お待たせをしてしまったかな」


 ラピスににじりよっていたセレジェイは、出てきた人物を間近で見てしまう。

 五十がらみの小男だった。きっちりとした立てえりの礼服を着て、不自由そうな左足を杖で巧みに補っている。


「おっ、お父様! ……いいえ、たった今着いたところです」


 即座に距離をとり居住まいを正したラピスとセレジェイを、やや落ち窪んで腫れぼったい眼で見た男は、杖を突きながらも堂々とした所作で歩いた。

 やや奥まったその場所には、布張りの椅子と黒石の机が一対、エントランスを見渡すように置かれている。


「歳をとると面倒ばかり増える」


 椅子に深く腰掛けて、男は疲れたように呟いた。


「コールマイト=ルヴィニ=エスカ=シャーリクだ。昨晩は娘が無理を言ったそうだな。セ……」


 名を呼ぼうとしてあとが続かない。


「セレジェイ=ナナエオウギと申します、閣下。この度は望外の施しを受け、恐縮の至りにございます」


 最敬の礼をとったセレジェイにコールマイトは鷹揚に手を上げて応えた。ふと、思い出したように問う。


「ナナエオウギといったか。大陸の東、ノシマという国の高官にその名を見た覚えがあるが……?」

「母方の本家筋にあたります。それ以上は私もよく存じません」


 ふむ、とコールマイトは白髪まじりの頭をなでた。


「この町にはどれほど滞在する予定か」

「路銀が貯まり次第発つつもりです。五日から十日の間、馬車を停めるお許しをいただければ」


 父親の隣へ移動したラピスが言い募る。


「お父様、私、みなさんからもっとお話を聞きたいんです。このままここにお泊まりいただいていいでしょう?」


 コールマイトは少しだけ考えるそぶりを見せてから頷いた。


「お前の好きにするといい。ただし、彼らには彼らの規範や慣習がある。お前はそれを軽んじてはいけないし、興味余って自らの立場や分別を忘れてはいけない。それを重々承知した上でやるのだよ」

「はい! ありがとうございます、お父様!」


 目を輝かせてこちらを見たラピスに笑い返そうか迷っているうちに、コールマイトが向き直る。そして言った。


「昨日の楽の音には私も心惹かれた。勝手の分からぬ者がうろつけば邪魔にもなるだろうが、出来る範囲で娘の相手をしてやって欲しい」


 セレジェイは再度頭を下げた。


「御心のままに」


                  ◇

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