第2話『三人の踊り子』


 セレジェイが止まった馬車の天幕をのぞき込むと、桜色の貝殻が散乱した中に女が座り込んでいた。


「エマだけか。カフィとマーガレッタはどうした」


 問うも、エマと呼ばれた女は薄い一枚着サーフの裾を床へと広げたまま目を閉じている。


「フフー……フ……フフー……フン」


 左右にゆらゆらと振れながら、鼻歌とも寝言ともつかぬ音を立てる。木地色の髪はつられて長く揺れ、床に着いた膝頭が服をひっぱるたびに蠱惑的な身体のラインがひしゃげて浮かんだ。


「おい、エマ」


 手近な貝殻を拾ったセレジェイがそれを弾くと、ゆるい放物線を描いてエマの額をコツンと鳴らす。


「ぁいたっ……あら? セレ、もう着いたの?」


 ぼんやりと開いた緑の瞳が、直前まで現実ではないどこかへ向いていたのを見てとると、セレジェイは言葉を飲み込むように一度口を閉ざした。やがて小さく息を吐く。


「すまん、馬車を揺らしたせいで素材が落ちた。拾うのを手伝ってくれ」


 まだ底に貝殻の残ったビンが転がっているのを見て、あら、と開いた口へ手をやるエマ。


「それから、あとの二人がいない。抜け出したのを見なかったか」


 まるで鹿がそうするように、長い背筋を伸ばして辺りを見回した彼女は、困ったように眉尻を下げた。


「……ごめんなさい。私、またボンヤリしちゃってたみたい」

「気にするな。ちょっと探してくる」


 何でもない風に言って頭を引っ込めようとしたセレジェイを、エマが呼び止めた。


「待って。確か市場で、アクセサリーがなんとかって二人が話してたような……」

「充分だ。また寝るんじゃないぞ」

「寝ませんー、もうー」


 膝で手を握ってぷっと頬を膨らませたエマから逃げるように、セレジェイは馬車を飛び降りた。


                   §


 町は簡易ながら柵で囲まれ、三方に設けられた門からは幅広の道が中央へと続いている。大通りの脇には馬車どころか荷車一台通るか怪しい小路口が無数にのぞいていた。

 そんな町の入り口にほど近い露店のひとつに、少女らしい小柄な影が二つ。

 一人はふさふさとした猫っ毛と大きな目をフードつきローブからのぞかせて。砂糖を煎ったような澄んだ褐色肌にぽつぽつと散るのはそばかすだろうか。

 もう一人は貴族の娘のような白いドレスに、真っ直ぐな黒髪を腰の辺りで編みまとめている。薄く墨で描かれた眉はどこか遠い異国の情緒をにじませていて、見上げた店主の視線も自然その異貌に引きつけられるようだった。


「わあ、オッちゃん、これ手にとって見てもいい!?」

「ああいいぞ。つけてみな」


 フードの少女は薄い板敷きに陳列された色とりどりの宝石や宝飾品にかぶりつきだ。もう一人に見とれていた店主も、その様子に微笑ましげに目を細めた。


「じゃんっ、ほら、見て見てマーギー!」


 赤い石がはめ込まれた銅の首飾りを当てると、隣の少女へ見せつける。マーギー、と呼ばれたドレスの少女は窘めるように小鼻を鳴らした。


「あなたにその呼び方を許した覚えはなくてよ、カフィ。店主さん、私くしにも何かくださいな」


 へい、とその気勢に呑まれたように主は手元の箱をかき回す。手元と見下ろす少女の貌とをしきりと見比べながら。


「これなど、お似合いかと……」


 両手で捧げ持つように出されたのは幅指二本ほどの銀の帯。朝の雪原のような輝きの中に、色とりどりの小さな宝石が規則的に編み込まれている。


額飾りサークレットね、素敵。赤の色も珍しいわ」


 手を伸ばすような不作法はしない。のぞき込んだカフィがじっと目をすがめた。


「んん? どのへんが?」


 意を得たりと店主が応じた。


「これは、良い目をお持ちで。この紅玉は俗に鳩の血と呼ばれますもので、いかに有名なヴァレスの鉱山といえど滅多に産するものではございません。大粒のものはそれ、そちらの首飾りのように。小粒の物はこれこのように虹のきらめきの一つとして用いれば、他の石の光と混然となり一層美しいものでございます」


 その言葉に聞き入りながら、少女は満足げに目を細める。


「だそうよ。まあ、あなたには分からなくても仕方ないわ。こういったものに縁もなかったでしょうし」

「ひょっとして喧嘩売ってる?」


むっとした視線と見下すようなそれが一瞬ぶつかる。だがカフィは思い直したようにそれを外すとさも感心したように言った。


「ふーん、良いとこのお嬢様だっての、嘘じゃなかったんだ?」


 びしり、とそれまで優美な弧を描いていた唇がひきつる。


「嘘なものですか! 本来ならあなたが顔を見ることも躊躇うような――!」

「それ、不細工でって意味? 没落で、名前も言えないような家なんでしょ?」


 ぎりいッと奥歯が噛みしめられる音。貴人然とした少女は言葉に窮したようにふるふると肩を震わせる。


「ちがっ、むしろ逆で……ああもう言いましたわね、この一般市民の下の方っ!」

「ああスラムだよ悪いか! つうかスラムも言えねえのかそのお上品な口はよー!」

「きぃ、簡単に開き直って――!」


 空気が火花を散らし始める。火中の木の実のようなその中心にあえて触れようとすればとばっちりを受けるのは必至だろう。だが。


「おい、お嬢さんがた、喧嘩するならよそでやってくれ!」


 目前で、しかも商品をあずけた状態で起こった険悪な空気に店主が声を上げてしまった。二対の視線が彼に突き刺さる。


「オッちゃんは――」

「あなたは――!」


 そろって何を言おうとしたのか。

 開きかけた口は二本の腕に封じられる。路地という路地をのぞいてきてやっと彼女らを見つけたセレジェイが、二人を脇に抱えるように抑えていた。


「そこまでだ元スラムに元ノーブル。今はそろって一座の家族だ。くだらないことで喧嘩するな」


 バタつく二人を片方ずつ解放して言い分を聞く。まずはマーガレッタ。


「ぷはっ、このっ愚弟! 弟ならば姉の受けた侮辱について憤るべきではなくて!?」

「分かった。次、カフィ」

「はあっ……本当のことだろ。妙なコンプレックス持ってるマーギーが悪いのさ」

「よし、まとめてお前らの仲が悪いのが悪い。お互い無理でも理解する努力をしろ」


 あまりにざっくりした裁定に二人が言葉をなくす。それで話は終わりだとばかりにセレジェイは店の中へと水を向けた。


「で、鳩の血だったか」


 カフィの手にあるそれを覗き込み、間近で見る。


「偽物だ」

「はあッ!?」


 マーガレッタが頓狂な声を上げた。同じ方の耳を塞ぎつつセレジェイは続ける。


「鳥は鳥でもニワトリ、だろう。店主?」


 店の看板を潰しかねない物言いに、ござから腰を浮かせかけていた主はその一言で出鼻を挫かれたように動きを止めた。


「トサカ石だ。赤は赤でも紅玉ほど光らないし石目の伸び方が全然違う。そのうえ日の光で色がせるし、脆い。まともな宝石商なら扱わない品だ」


 一度は落ち着きを取り戻したマーガレッタの肌が再び紅潮した。


「わたくしを騙しましたのね!?」


 気の荒い犬の手綱をとるようにその襟首を掴み止める。たとえサテンのドレスだろうが傷めれば自前で修理しなければならないので慎重に。


「騙される方が悪い、だからって騙していいとも言わないが。ふん」


 とっさに頭をかばった体勢の主を見下ろして、それからカフィの手にした首飾りを取り上げる。カフィが小さく残念そうな声を上げた。

 その意匠を眺め見て、すぐに店主へと突き返す。


「細工の仕上げはなかなかだ。どこの職人の手だ?」


 問われた店主は腹いせか、もぎ取るように受け取って手元の箱へと仕舞いこんだ。


「……この町にいるルフって爺だよ。昔はそりゃあ仕事の早い親父だったが、今じゃ耄碌もうろくして日に一つ二つがせいぜいって話さ」


 あの爺さんかとセレジェイは合点した。


「これと、これを買う。騒動代だ」


 敷き板から取り上げた商品を小銭と代えるとカフィへ手渡す。塗金したチェーンで編まれた腕飾りと足飾り。それぞれ金銀の小さな延べ板がぐるりと吊されている。


「お前にはこっちの方が似合う」

「え……ぁ」


 一瞬口を開けてから、カフィの顔が喜色を浮かべる。セレジェイは続けた。


「お前の美しさは自在な手足だ。無い胸元を飾りたてるよりその方が映える」

「ンんなっ……てめえ! それで褒めてるつもりか!?」


 握りしめた品をかなぐり捨てる勢いで怒るカフィ。もの自体は気に入ったらしくその指が緩められることはなかったが。


「踊り子の魅力を引き出すことが座頭の仕事だ。口先の細工は得意じゃない。それともお前はないものをあると言われて嬉しいのか?」

「ないものをないって言われるのが一番腹立つんだよ! それぐらい分かれ!」


 ふむ、と口をつぐみ考えを巡らせるセレジェイ。ややあって。


「そういうものか」

「そうだよ! 人の純情ムダ撃ちさせやがって金払え百万ルナード!」


 真っ赤な顔で並べ立てられる罵声に、ああそれもか、と彼は付け加えた。


「それと、あの劣悪な環境にあって純情なんてものを残していたお前の少女性も俺は評価している。これからもそうあれ。その為なら理不尽な怒りくらい甘んじて受けよう」

「お前な……褒めるのと怒らせるのを一緒くたにすンのマジでやめろ!」


 きびすを返したセレジェイと、その後ろで地面を蹴りつけるカフィ。あとにマーガレッタが早足で続いた。


「ちょっと愚弟、私くしには何かありませんの?」

「お前が何とかするべきは外見より内面だ。それより、仕事だぞ」


 仕事、という単語にカフィはぱっと顔を上げ、マーガレッタは不本意げな表情をいっそう深くした。


「私くしは嫌ですわ。あのような格好、王族のするものではありません」

「その王国が嫌でついてきたんだろう。母上の国の言葉にもある、郷に入っては郷に従え、と」

「違います! 私くしはあなたが継承順に異を唱える準備を終えて帰ってきたものと……八年も行方を眩ませておいて、結果が踊りの座頭だなんて誰が思うものですか!」


 聞き飽きたと耳の後ろで手を振りながら、セレジェイは足を早める。詳しい事情を知らないカフィを気にしつつ。


「俺だって思わなかったさ。十四の時から会ってない双子の姉が、こうも変わりばえしてないなんてな」


 本当にまるで変わっていない。母を喪ったと同時に成長を止めたかのように。


「おお、痛ましや姉上。願わくばその心に平穏が訪れるよう」

「その人を虚仮にした憐憫を今すぐおやめなさいッ!」


 膝裏を蹴りにきたハイヒールをひょいとかわして、勢いそのまま視線で釘を差した。


「ここでの仕事は踊りだけだ。無駄飯がいやならつべこべ言わないことだな」

「くっ……」


 唇を噛んだマーガレッタが歩を止めないのを確認してから、セレジェイは大通りの先へと目を向けた。


                  §

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