嵐谷イサミの十戒 その六 後編

「そういえばお前、この前のテストはどうだったんだよ。夏休み明けのがあったはずだろう。もうそろそろ返却されてるんじゃないか?」


 絶品だったとしか言えない回鍋肉を僕が野菜、イサミさんが肉を担当しつつ完食して余韻に浸っていたところへ唐突に振られた話題。まるで兼ねてからの疑問であったかのようにポンと手を叩き古典的に問いかけられた質問が、狙いすましたように今日の鬱屈とした僕の心境を打ち抜いたことに驚きつつ、同時に想起させられたことで溜め息が出てしまいます。


 ……せっかく、美味しいものを食べてその余韻に浸っているというのに嫌なことを思い出させてくれますねぇ。


「う、うーん? テストなんてありましたっけ……?」


 僕はぎこちなくイサミさんから目線を逸らし、空々しい口調で言いました。


 まぁ、自分の成績が良くなかったことを告白したい人間なんていないでしょう。しかし、そんな僕の見え透いた嘘など看破しているのか、イサミさんは訝しげな表情で「本当かなぁ」と言いつつこちらの様子を伺ってきます。


「普通、夏休み明けにはテストがあるものだろう」

「僕が通っている中学は夏休み明けにテストを行わないんですよ」

「ほう。じゃあお前と同じ制服のやつを一人捕まえて聞いてみるか」

「本当にやりかねませんよね! ありました! テスト、ありましたよ!」

「何でそんな嘘をつく必要があるのか……で、どうだったんだよ?」


 力技で強引に口を割らされた僕は投げやりに真実を語り、それに対して呆れ混じりな口調で追求を続行するイサミさん。


「どうしてそんなに僕の成績を気にするんですか……」

「そりゃあ、お前の勉強を見てやったからに決まってるだろう」

「何を得意げに言ってるんですか。あの時はほとんど本読みっぱなしだったじゃないですか」

「バカチン! それでもきちんと感謝して、結果も報告するべきだろう」

「まぁ、付き合ってくれたことには感謝しますけれど……」


 僕はそのようにどこか腑に落ちない心境で語りましたが、実際――図書館で勉強した際にイサミさんが僕の勉強へ付きっきりになれなかったのは今ほど成績の悪化もなく、一人で問題集だってある程度は片付けられたからで。間違っても役に立たなかったということではないのですよね。


「じゃあ、成績はどうだったのか答えるんだ」

「……下がってました」

「何が」

「いや、成績に決まってるじゃないですか」

「ん? あぁ、そういえば成績は上がるとか下がるって表現するんだっけ」

「これまた幸せな忘却ですねぇ!」

「で、下がってたっていうとテストの点数が二桁だったって意味か?」

「大抵の子はテストの点数なんて二桁ですよ!」


 心底不思議そうにテストの点数へ興味を向けるイサミさんに対し、僕は思わず自暴自棄に答えました。


 ……そりゃあ、あの難関校にロクな受験勉強もせず合格し入学以来、ずーっと学年トップを維持しているのですから満点なんて見飽きるくらいに当たり前なんでしょうね。僕も三年生に上がるまでは満点を取ることなんて珍しくはなかったんですけれど、最近はどうも振るわない感じなのです。


「まぁ小学校に入学して初めてのテストを受けて以来、アタシの成績は上がりも下がりもしてないからなぁ」

「イサミさんって確か家では勉強なんてせず、ただ授業を聞いてるだけなんですよね……。どんな頭の構造してたらそんな成績を維持できるんですか」

「勉強なんてのは説明されたことを覚えて、それを実践するだけのものじゃないか。アタシとしては解かせるための問題が何で解けないのか疑問だよ」

「うわぁ。そんな考えはどうか表に出さないようお願いしますよ」


 本気でそのように考えていそうなイサミさんの発言に僕は引きつった表情を浮かべつつ、内心では高所から見下ろしたような寒気の伴う恐怖心を感じていました。そんなことをクラスメイトにでも言ったりすれば途轍もない顰蹙を買って敵ばかり作りかねないです。そして、この人はそれを厭わなそうな所がまた怖いのですよね。素直って良いことばかりじゃないですから。


「で、お前は今回のテストで成績を落としてしまったと?」

「そうです。落としてしまいましたね」

「アタシの教えを受けていながら?」

「そんな言葉で僕の心は痛まないですよ」

「塾に通っていながら?」

「やめて下さい! それはもの凄く心に響きます!」


 僕が苦しみに悶えるオーバーな演技と共に苦悶の声で訴えると、イサミさんは外国人風に肩を竦めて嘆息します。


「お前、塾に通っててテストの成績が良くないって……それは補助輪つけた自転車で転ぶようなもんだろう」

「悲しくなるから本当にやめて下さいよ」

「大体、補助輪ってのは外すものであって、いつかは自分の力だけで自転車に乗れるようにならなきゃいけないんだぞ。補助輪が塾だとしたら……あれ、この場合の自転車って何になるんだ?」

「自分の中でまとまってない比喩をよくもまぁドヤ顔で繰り出せましたね」


 勝手に自爆し、漫画なら目が渦を巻いていそうな勢いで混乱しているイサミさんを見ていると「本当にこの人は頭がいいのだろうか」と思ってしまいますが、そんな自問自答の坩堝にはまっているのを好機としてさっさと話題を切り替えてしまいたいところ。とりあえず僕が話題の中心になっていることは回避しましょう。


 なので――。


「そういえばイサミさんの方は今回、どうだったんですか? やっぱり百点ですか」

「分かりきってることを他人に聞くなよ」

「上がりも下がりもしないって言ってましたもんね。ごもっともです」


 何だかあらゆる感情を通り越して、あとに残ったのはこれだけと言わんばかりに溜め息が漏れてしまう僕。


 しかし、そんな頭の悪い質問をしたのには理由があるのです。もしかするとイサミさん自身に僕がもたらした変化によって成績へ影響が出てたりはしないかと思ったのです。趣味と勉強の両立みたいに、分かり始めた恋愛が成績へ影響を与えていたりすれば可愛げがあって、僕はそれで喜ぶのですけれど……授業中も頭が一杯になって上の空ということはないわけですか。


 流石は天才タイプ。先ほどの比喩を借りるなら、イサミさんは補助輪もついていない自転車に初めて跨った瞬間から乗りこなしてしまうような人で。そんな人を補助輪がついているにも関わらず転ぶような僕が追いかけるというのは本当、話にならないですよね。


 まぁ大きく成績を落としてしまったとはいえ、とりあえずは済んだことなので気持ちを切り替えるべきでしょうかね。


 実は今の僕、成績を落としたことに対して落胆しているというよりは――そういう気持ちにどこかなれていない自分を見つけているからこそ、沈んだ心境になっているという感じなのです。気に病んでも仕方ないでしょう。


「そういえばテストが終わったら文化祭ですね。あまり賑やかにするのは好きじゃないですけど、中学最後の文化祭ともなれば感慨深いものがあるんですかねぇ」


 僕は何となくテストが終わったことから結び付け、その後に待っている二学期の代表的な行事を何となく口にしました。するとイサミさんもしみじみとした口調で「そんな時期だよなぁ」と同意します。


「この前、アタシのクラスも文化祭の出し物を決めてたなぁ。何か、ベタなやつばっかりであんまり気乗りしないなぁと思って見てたけどクラスの連中は気合い入ってたよ」

「イサミさんの学校って勉強の鬱憤を爆発させた、みたいな規模の文化祭を開催することで有名ですもんね。……ちなみにイサミさんのクラスは何をやるんですか?」

「ん? 喫茶店らしいよ」


 イサミさんはどこか興味なさそうにあっけらかんと語りましたが、僕はその言葉で体中に電流でも走ったかのような感覚を覚え、前のめりにその話題へと食らいついてしまいます。


「き、き、喫茶店ってアレですか! メイド喫茶ってやつ! お客さんをご主人様って呼ぶやつでしょう!」

「クレーマーの常套句だよなぁ、それ」

「いやイサミさんが言ってるの、お客様は神様ですからね」

「ん? あぁそうだっけ」

「そうですよ。で、そんなクレーマーが云々っていう安いボケはさておくとして――メイド喫茶! 文化祭の定番でしょう」

「お前、何か変な漫画の読み過ぎなんじゃないのか……。どこの世界に高校でメイド喫茶する文化があるんだよ。聞いたことないんだけど」

「……え、じゃあイサミさんのクラスがやるのは普通の喫茶店なんですか?」

「勝手に変化球を期待して空振ったくせにえらく不満げだなぁ」


 イサミさんのちょっと引き気味な表情と言葉に対して、至極つまらなそうな表情を浮かべてしまう僕。それはイサミさんのバイト先の制服が随分と地味というか、想像していたものと違ったことに落胆したあの感覚の再来でした。


 そうですよね。ああいうのって、創作の世界の産物ですよね。テレビもまともに見ないぶん、不意に入ってきた情報の真偽に関して僕はもしかすると麻痺しているのでしょうか? ちょっと自分が恐ろしくなってしまいます。


「……とはいえ、いいじゃないですか。文化祭の喫茶店! イサミさんはやっぱりバイトの経験を活かしてホール担当なんですか?」

「さぁ? 役割決めはクラスの連中に任せてるから分からないよ。特に希望も聞かれてないし、アタシが飲食店でバイトをしてることも誰一人知らないさ。……でもまぁ、どこに配属されたって何とかなるんじゃないか」

「ほほう。頼もしいですねぇ!」


 イサミさんの淡々とした物言いに対して、僕が意図的に短く返答したのは「先ほどの予感」を想起させられたからでした。


 変わっていくイサミさんがいつの間にやら見せ始めた「嫌い」という感情。きっと僕と出会った頃のイサミさんは他人に対して無関心だったはずで、そこから僕に対して興味を抱いてきた軌跡が好きという気持ちへ手が届きそうな場所にまで連れてきたのでしょう。そんな中に混じり始めた、好意と同等に用いる対極の感情をもしもどこかで育ててきたのだとしたら――どこで?


 そんな感覚の答えはイサミさんが日々を過ごす場所を考え、案外と少ない選択肢の中から簡単に絞れてしまって……何だか僕は盲目のまま、すでに答えは手に触れているような感覚を覚えます。


 そして、それが鮮明になったら――腫れ物のように遠ざけているだけでいいのかと悩まされる。


 この人を深く知り、そういった部分にも触れる必要があるのか、と。


 何もかもに触れるのが心を通わせることではありません。ついていい嘘といけない嘘があるみたいに分別すべきでしょう。人間は悲しいかな、愛しさに任せて抱擁した相手を破裂させかねない愚かな生き物なのですから。


 ……とはいえ、まだ疑惑の段階でありながら胸騒ぎが僕を煽るのです。想像に任せればどこまでも飛躍する不安感が必死に事実を確かめたがっているようで。


 ならどうすればいいのか?

 そういう場合はいっそ――全てを本人に任せるのが一番でしょう。


「イサミさん」

「……何だよ?」

「文化祭、お邪魔しても構いませんか?」


 僕はどこか予想が裏切られることを祈るような気持ちで問いかけました。


 嘘をつかないイサミさんですから自分にとっての嫌なことには「嫌だ」と。そして構わないなら「好きにしろ」と言ってくれるはずでしょう。今、僕にとって知らない領域であるイサミさんの学校生活に何らかの答えが秘められているという推測があって。僕は暗にそこへ「踏み込むぞ」と問いかけているのです。それに対する答えで僕の心はどちらにせよ、曇り空のような感情からは解放されるでしょう。


 そして――。


「別にいいんじゃないのか」

「いいんですか?」

「……まぁ、どのくらいの時間に来るのかは教えておいて欲しいけど」


 僕の予想は晴れて裏切られ、あっけらかんと答えるイサミさん。


 なるほど。単刀直入に言ってイサミさんは学校生活の中、無関心だった他人から嫌悪感を学んだのではないかと考えていたのですが、僕の予想は裏切られたようでした。どうもクラスと孤立している風ですから嫌な想像は膨らんでしまうのです。まるで僕への好意を深めていくことに比例して――もしくは背景とするみたいに対極の嫌悪を炙りだしたのではないかと思ったのです。


 でも、ちょっと安心しました。


 イサミさんの発言には読み取るべき裏なんてない。それが今日まで関わる上で何よりもこの人を理解する助けとなってきたのです。言葉足らずだったり、察する必要がある言い回しをした場合、それはイサミさんがただ言葉にしたいだけで僕に理解を求めていないということ。常に正直で、裏表のない人だから――ほっとする思いがします。


 ……というか、そもそも懸念自体が成立していなかったのかも知れません。きっとどんな境遇にあったってイサミさんは、凛としているから心配いらないのです。


 まるで彼岸花みたいに他を寄せ付けず――美しく佇んでいるのですから。


「じゃあ楽しみにしてますね!」

「そんな楽しみにするほどのものかなぁ」


 実際にイサミさんが文化祭でどのように役割を担っているのか見てみたい、という気持ちがあるのは確かなのです。楽しみにしている感覚だって嘘偽りのない真実ですから。


 ――などと思えば、自分に言い聞かせるために楽しみな気持ちを心から探しているような感覚がする僕。段々と感情の正当性に自信がなくなってくるようで。地盤の緩い場所に建てた家屋であるかのように沈み込んでいき、そこへ逃げ込むこともできないまま僕は振り切ったと思っていた不安感に首根っこをつかまえられてしまい思わず口を開きます。


「……イサミさん」

「何だよ、何回も」

「本当に行ってもいいんですかね?」

「アタシは嘘なんかつかないよ」

「ですよね」


 再度、確認を取る僕に対してどこか面倒くさそうに返事をするイサミさん。


 そうなのです。さっきからイサミさんは片肘をついて窓の外を見つめていて。何だか、本心を内側に隠し持っているように思えたのです。そんなことをするタイプの人ではない。そう思うからこそ深くは気に留めないようにしていたのですが……それでも気になってしまうのは何故でしょうか?


        ○


 その後――久しぶりにイサミさんからゲームでの対戦を挑まれた僕。


 懲りないなぁ、と思いつつ今回もイサミさんが敗北で悔しそうに唇を尖らせる姿が見られるのかと期待すれば、胸中ですくすくと育っている意地悪な心が疼くのを感じていました。しかし、いざ対戦してみれば僕とイサミさんは交互に勝敗を分け合って拮抗――そして時折、試合は引き分けにまで発展するのです。


「いやぁ……とうとう負ける日が来てしまいましたねぇ」

「まぁ、アタシもやられる一方じゃないってことだな」

「……しかしまた、どうしてこれほど上手くなったんでしょう。理由とかあるんですか?」

「お前と初めてこのゲームで遊んだ日に対戦だけじゃなく、モンスターの交換もしただろう? あれを育てて使ったんだけど、いい感じみたいだ」

「僕、自分があげたモンスターにやられてるんですか……。しかし、それって僕のソフトにしか出現しないモンスターだから交換したんでしたよね。大事に育ててくれてたんですか。嬉しいです!」

「そりゃあ、もらったんだから育てるさ。そのおかげで気付いた戦術とかもあるからな」


 その言葉に「随分と上手くなったものだ」と思いつつ、イサミさんが戦略ゲームにおける一番重要なポイントを抑えてきたこと。それが何だか途轍もなく不穏なことであるような気がして……目を逸らしてしまいます。


 そして、念願だった勝利を収めたイサミさんの表情はさぞかし晴れやかなものだろう、と期待して見つめた時の気持ちが裏切られたことも拍車をかけているのでしょう。






6.好きなもの以外は全て無意識に放り込んで見向きもしません。それは、そのようなものに時間を費やすことを嫌っているからです。

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