嵐谷イサミの十戒 その一 後編

「普段からこうしてのんびりと喫茶店で過ごすっていうのが僕としては理想なんですけどねぇ」


 僕はココアが体に温かさを届け、じんわりと全体に広がっていくのを感じながらぼやくように言いました。


 イサミさんの食事が終わり、訪れたのは温かい飲み物を手に語らうゆったりとした時間。しかし、そんな最中にあって僕の心境は穏やかなものではありませんでした。それは、いつ平穏が終わりを迎えるか分からない、落ち着かなさによるものなのです。


 予感の理由はいたってシンプル――イサミさんがもの凄く飽きっぽい、ということ。


 まるで常に変化の中へ身を置かなければ死んでしまうのではないかと思うくらい、あらゆることに興味が向くまま、やりたいままに行動するイサミさん。


 イサミさんの行動原理は何か一つのことに留まるのを許さない性質を暗に意味していて、移り気な印象を抱かせるには十分だと言えます。ですから、今のように落ち着いた空気が維持されることは期待できないと予想したわけで。


 イサミさんのお腹が満たされ用事は済んだのですから、すぐにでもここを出たがるかも知れません。だとしたら、昨日までのように体を動かすことに付き合わされるのはちょっと勘弁して欲しい。そう思ってしまえば、無理と分かっていても現状維持のために時間稼ぎをしたい気持ちがあるのです。


 そんなわけで出方を伺うような言葉を投げかけてみたところだったのですが――案外と今のようなゆったりとした時間を悪くないと思っているのか、イサミさんは空にしたカップをひらひらさせて、喫茶店のマスターに「おかわりちょーだい!」と珈琲を注文したのです。


 お、これはとりあえず延長戦が確定したといえるのではないでしょうか!

 ――いや、飲み残して突然席を立つ可能性も?


 しかし、そんな思考をしている僕に対し、イサミさんは外国人風に肩をすくめて「分かっていない」と言いたげに嘆息して口を開きます。


「そんな一か所で同じ景色を見続けるようなことをしてどうする。アタシはボーっと流れる雲を見つめているような時間の過ごし方はしたくないよ。動かないなんて勿体ない! ……まったく、お金は大事にする一方で、時間の無駄遣いは厭わないやつが多過ぎるんだよ」


 どこか不満を織り交ぜた言い聞かせる口調で語りながら、イサミさんは腕組みをして自分の言葉に「うんうん」とまるで酔いしれているかのよう首を縦に振っていました。


「……その割には珈琲のおかわり頼んでるじゃないですか」

「それとこれとは話が別、ってやつだよ」

「何が別なんですか。イマイチ要領を得ませんね。……しかし、生きていくためにはまず何よりお金が大事なんじゃないですか?」

「根本的に時間がなかったらお金を持ってたって仕方ないだろ」

「でも、形あるものの方が大事に出来る感覚ってありますし」

「いやいや、形がないから大事にしないといけないんだろうが。タイムイズマネーっていう言葉があるくらいだし、もっと同列に扱っていかないとな」

「その言い方だとまるでイサミさんは時間を有効に使っているかのように聞こえますけれど……」


 僕はぼやく口調で言いつつ、文句がこれ以上は吹きこぼれないよう再びココアを口に運び、蓋してしまうことに。


 今日までの日々――イサミさんと僕が過ごした時間はとても恋人同士とは思えないもので。無論、それはこの人が気の向くまま、欲望の向くままに行動するからです。まるで、明日は明日の風が吹くを体現しているように日々表情を変えて。


 この一週間、冬を思えば随分と暖かくなった春の陽気に誘われて、イサミさんの運動したい欲が高まっていたのでしょう。移り変わる興味があらゆるスポーツをお題として繰り出し、僕はそれに巻き込まれてきました。


 ですが、翌日になればまるで中身を入れ替えたみたいに――昨日までの興味に満足し、関心を失っているイサミさんがいるのです。あの熱意は何だったのかと思うくらいにきっぱりと飽きてしまっていて、興味の対象は他のことに移り変わっているのでした。


 そして、さきほどの言葉を踏まえればこのような時間の使い方にも意義はある、ということになるのですから僕にはちょっと理解できない感覚だなぁと思ってしまいます。


 ――と、付き合い始めた一週間を総括した思考をすれば何だか不安になってきました。イサミさんはもしかしたら、僕のことを年下の遊び相手と捉えているのではないか。思い返してみれば、そう感じるのも仕方ないくらい、あまりにも「らしくない」男女交際の在り方。


 ――でも。

 あの日、僕が告白した言葉は確かにイサミさんへ届いているはずで。


 好きです。ずっと、好きでした。


 そんな言葉に目を見開いて驚きを露わにしたイサミさんの表情。そして、そこから紆余曲折を経て「じゃあ、アタシと付き合ってみるか?」と言ってくれたこと。忘れもしません。その言葉で感情が溢れ、行動で発散しなければこの身が弾けるのではと思ったくらいに嬉しかったのです。


 なので思い出してみれば、僕はこの人の彼氏なのだと信じることが出来る。

 出来る――のですけれど、一応。


「話は大きく変わりますけど、改めて確認させてもらっていいですかね」

「今日は武道館だぞ。さっき言っただろう」

「そんなこと確認するんじゃないですよ……」

「ん? じゃあ何を聞こうっていうんだ」

「えーっと、その。僕らって……付き合ってるんですよね?」

「うん、そうだよ。恋人同士。カップル。彼氏と彼女ってことだろ。今更、確認するまでもなくアタシらの間できちんとあの日、決めたはずだろ?」


 あっけらかんとした口調と「当たり前のことを確認してくるなんてお前は変な奴だな」という意思が込められていそうな表情で語ったイサミさん。そんなタイミングで運ばれてきたおかわりの珈琲を吐息で冷ましながら口に運ぶ。


 一方で僕は関係性がきちんと恋人同士だと認識できて、嬉しさと安堵の入り混じった感情が胸の中で広がっていきます。


 もう少し恥じらいを込めて欲しい気持ちがあるのは事実。しかし、即答で淡々と語られるくらいにはこの人の中で当然の認識ということ。ためらわずに言いたいことは言ってしまうような人ですから、額面どおりに受け止められるのは嬉しいですね。


「イサミさんがそういう認識で安心しましたよ」

「寧ろ何でそんなことを心配してるのかと思うけどなぁ」

「だってイサミさん、僕がえーっと……自分の彼氏って認識あるのかなと不安になりまして」

「不安になることないだろ。アタシはちゃーんとお前の彼女だよ」

「そうですよね! 疑って申し訳ないです。だったらもう少し……その、恋人らしいこととかするのもいいような気がしますね」

「あっはっは。お前、なんか女の子みたいなことを言うんだなぁ」


 指差して面白がってくるイサミさんの笑い声が連なる度に顔が紅潮して熱くなり、羞恥心が体の隅々まで行き渡って萎縮していくような気がする僕。


 むぅ……確かに男の僕が言うようなことではなかったのかも知れないですね。

 

「しかしまぁ、アタシとしてはそういう気にならない限りはしないだろうなぁ。恋人らしいことっていうの? それは自分が心からやりたいと思った時にするのが正解なんじゃないのか」

「ぐうの音も出ないほどの正論……。そうですよね。その気にさせないとダメってことですよね。ちょっと十四歳の中坊である僕には高いハードルですけど」

「でもそういうことだよな。やっぱり自分の欲求に忠実なのが一番心地良いのだし、どうせ生きてるんだったら、そういうことばかりをして生きていたいじゃないか」


 ちょっとついていけない感がある価値観をしているイサミさんですが、今回に限っては納得させられてしまいました。高望みしていた自分を恥じる気持ちさえ沸き上がってくるくらいに。


 こういう部分でだってイサミさん特有の定義みたいなものが適用されるのでしょう。この人は欲望に忠実な人間です。つまり、その気になれば何でもする人は、その気にならないと何もしてくれないということ。


 やりたいことをやり、興味が向くものには途方もない出力で集中する人ですから。


 しかしそんな自分を戒める思いと同時に、ちょっとした引っかかりも感じていました。


「そんな言葉を聞かされていると疑問が浮かび上がってくるんですけど……」

「何を疑問に持つことがあるんだよ?」

「そんな風にしてイサミさんは我慢をしない人なわけですよね。その性格を考えれば学校にちゃんと通っているのって、何だか行動理念と矛盾しているような。……正直、中学一年生の頃からずっと駅のホームにいるイサミさんを見てましたけど、いつだってきちんと登校してましたよね?」

「へぇ……お前、そんな昔からアタシのことを見てたのかよ。凄いなぁ」


 驚きを通り越して呆れ返った、という感じの口調で語るイサミさん。

 ちょっと気持ち悪く聞こえたのかも知れません。


「あー、違いますって! そういうイサミさんが想像しているようなストーキング的なことじゃなくてですよ。クールで大人な女性って感じでずっと憧れてたって言いたいんです」

「ならイメージ通りじゃないか。こんなに背が高くて胸も大きいからなぁ。大人っぽいんじゃないか?」

「まぁ、外見はそうでしょうけどね」

「ん? 内面は違うのか?」

「内面はどちらかといえば子供っぽいんじゃないですか? ……まぁ、悪い意味ではないですけど」

「そうかなぁ? 自分の思うまま好き勝手してるんだから大人っぽいんじゃないのか?」

「僕はそこを子供っぽいと言っているんですけどね」

「見解の相違ってやつだな」

「うーん、そうですかねぇ……。っていうか、年下にこんな指摘させないで下さいよ!」


 僕の咎めるような口調に対し、後ろ頭を掻いて照れたような態度を見せるイサミさん。


 変わっている人は自分のことを普通だと思い込んでいる、みたいな感覚がイサミさんにも適用されているということなのでしょうか……。


 とりあえず膨らませるべき話ではないので、閑話休題。


「で、アタシが欲求に忠実なことを考えれば毎日学校に通っているのはおかしいと?」

「だってらしくないですもん」

「あのなぁ、アタシだって将来に備えてちゃーんと勉強をするために学校へ通っているんだぞ? それが学生の本分だと信じてるから毎日登校してるんだ。分かったか!」

「ダウト」

「何でだよ! 即答かよ!」

「即答ですよ。なんかイサミさんのキャラと違いますし」


 僕がそのようにきっぱり答えると、イサミさんは何故か人差し指の先を口に含んで拗ねたような表情で「んー!」と悔しそうに声を漏らしました。


 理由は分かりませんけど――何なんですか、その愛らしい挙動はっ!


「……まぁ確かに、アタシは毎日学校なんかに通いたいと思ってないのは事実かな。本当は縛られず楽しいことをして日々を過ごしていきたいもんだよ」

「やっぱりそう思ってるんじゃないですか。……じゃあ、何でその学校なんかに行ってるんですか?」

「それが女子高生にする質問かよ」

「いえ、イサミさんだからこそする質問ですよ。どうしてサボらないんですか?」

「まるでサボらないとアタシらしくないと言いたげだな」

「さっきからそう言ってるじゃないですか」


 僕がそのように問いかけると、イサミさんは「うーん」と唸って説明すべきことを頭の中で纏めているようでした。


「理由かぁ。簡単に言えば約束したからかな。まず成績をきちんと維持すること。そして、病欠でない限りは毎日登校する。この二つだけは守らなきゃならないんだよ」


 イサミさんの口にした答えはちょっと意外なものでした。


 約束というのは恐らく家族と交わしたものでしょう。流石に冷徹で血も涙もない人間とかそんな風に思っているわけではないにせよ、家族の言うことであっても聞かずに自分の欲求を貫き通し生きている人かと思っていたのです。しかし、ちゃんと家族を心配させぬように学業は維持しているのですね。


「素敵な心がけじゃないですか、イサミさん。見直しましたよ。それは家族も喜んでいることでしょうね」

「えへへ、そうかなぁ……」


 照れた表情を浮かべるイサミさんに、僕はちょっと人間味でも見出した気持ちになりました。


 しかし――。


「まぁでも、さっき言った二つを破るとお小遣い無しにされちゃうんだよ。そりゃあ頑張るよな」

「前言撤回! あっけらかんと語った割にはドロッドロな欲望に忠実過ぎる理由ですねぇ! なんかちょっと可愛いですけど!」


 拍子抜け、とばかりに地面へひっくり返ってコミカルなノリさえ繰り広げてしまいそうになる僕。

 ……まぁ、しかし納得できましたね。


 イサミさんはどうやら欲求のために対価をある程度、飲み込める人間であること。それは何か欲しいものを買う時、お金を払うことに対し「我慢して品物を得る」というような感覚にはならないのと同じように、学校に通うことを我慢とは思っていないのです。


 あくまで対価として。

 自分の欲求のための取捨選択は行う――。


 それは普通の人からすれば当たり前の感覚です。しかし、猪突猛進とさえ表現できるほど他人の干渉を受けずにひた走るイサミさんでも、T字路に突き当たればどちらかにハンドルを切るという事実はちょっと面白いですね。


 そう考えるとイサミさんの両親は流石というべきか、娘の扱い方をよく理解しているように思います。


 取捨選択を迫ればこちらの欲求を飲ませることができる。それを理解した上で試行錯誤してみれば、現状のゆったりした時間の使い方を維持させる方法だって掴めてくるかも知れません。


 あれ……。ならば、僕とこんな落ち着いた場所にいることをイサミさんは楽しんでいるのではなく、何らかの利害があって留まっているのに過ぎないということ?


 そのように思っていると――。


「珈琲もう一杯、おかわり頼んじゃおうっとー」

「随分と飲むんですね」

「うん。アタシ、昨日はちょっと興奮して眠れなかったんだよ」

「えぇ! 元気そうなのに寝てないんですか?」

「うん。だって寝るには惜しい気分だったんだ。でも今日の午後から眠気が襲ってきてな」

「まぁ、徹夜ならそうなるでしょうね」

「……本当に人間って何で眠くなるのかなぁ。一日、二十四時間を与えられても全部は使わせてくれないわけだろ? 眠らなくても平気な体になれたらいいのになぁ。やりたいことが沢山あるんだ」

「しかし辛いなら我慢しないのがイサミさんでしょうに。帰宅して眠るって選択肢もあったんじゃないですか?」

「いや、今日は眠るよりも起きて遊びたい気持ちの方が強いんだよ。だからこうしてカフェインに頼って眠気と戦ってるわけだし」


 イサミさんの言葉に何だか全身の力が抜けていくような感覚が伴いつつ、唖然とする僕。


 なるほど。つまりは僕が誘うまでもなくイサミさんはここを訪れるつもりで。そして、珈琲が飲み足りないからこの場所に留まり、眠るのが惜しいという理由でカフェインに頼って睡魔と戦っている。そういうことなんですね。現状維持を願って僕が試行錯誤するまでもなく、今日はそのつもりだった。


 やっぱり、僕個人でどうこうできるような相手じゃあ――ない!


「それも言ってしまえば取捨選択ですか……」

「ん? 何か言ったか?」

「いえ。なーんにも言ってませんよ」


        ○


 それから何だかんだと一時間ほどを屋内である喫茶店で過ごすことができ、それは中々に充実した時間だったと思います。落ち着いた時間の終わりはやはりというべきか、イサミさんが落ち着きのなさみたいなものを発現させて「出よう!」と立ち上がったためで。そんなわけで喫茶店を後にすることとなった僕達。


 ちなみにどちらかが奢るということにはなりません。僕が男だからといっても中学三年生の経済力はたかが知れていますし、かといってイサミさんは年上だからといってお金を使ってくれるタイプでもないので。


 喫茶店を出るとふらりとおぼつかない足取りとなるイサミさん。そこも快楽主義の面目躍如というべきなのか中毒性のあるものに溺れやすいようで、カフェインを過剰摂取して体がふわふわとしているようです。


 まぁ、あれから何度もおかわりしてましたから自業自得ですかね。


「あんなに何杯も飲むからですよ」

「うわぁ。ふらふらするー」

「加減して飲まないイサミさんが悪いんです」

「でも珈琲でテンションが上がる感覚って気持ちがいいんだよなぁー」


 心地よさそうに溶けた柔らかな表情を浮かべて語るイサミさん。


「お酒が飲める歳になったら人生終了してしまうかも知れないですね」

「きっとお酒は好きになるんだろうなぁ」

「でも弱そうな気がしてならないですけどね」


 僕は揶揄するように語りつつ、イサミさんがお酒に酔っているところを想像してみます。


 カフェインでふらついている今とあまり変わらないような気がしますけれど、もしかすると大胆になって回らない呂律で普段よりも子供っぽく振る舞うのかも知れません。


 でも、考えてみればイサミさんって欲望に忠実とはいえ法律を守るあたりは、やはり自分の中で取捨選択があるのですよね。人として当たり前ではありますが、何となく年齢制限なんて守らずにお酒だって飲んでしまいそうな気がしましたので。


 お小遣いのためにきちんと学校に通っている姿勢と同じでしょうかね。熱した金塊に手を伸ばすような人ではないみたいで安心しました。


 そのように思考をしている最中、イサミさんは古典的にポンと手を叩いて「そうだった」と前置いて話し始めます。


「そういえば昨日テレビで格闘技を見たもんだから、妙に強くなったような感覚がずっとあるんだよ」

「あぁ。眠れず興奮したのってそれですか……。武道館の謎も解けましたよ」

「そういうこと! それで、これを何とか発散したいなぁと思ってて」

「えぇ……今から僕はもしかして殴られるんですか?」

「流石にそんなことはしないよ……。アタシを何だと思ってるんだ」

「殴られることはないんですか、安心しました」


 イサミさんの呆れかえったような表情に対して、胸を撫で下ろす思いとなる僕。


「だからゲームセンターに寄って行こう。格闘ゲームってあるだろう。あんましやったことないけどあれで乱入して、ばったばったと不良共をやっつけるんだ」

「ゲームセンターが不良の巣窟なんて昔の話ですよ」

「じゃあ、善良な一般市民だろうと見境なくボッコボコだな!」

「本当にゲームしに行くんですよね! リアルファイトじゃないんですよね!」

「喧嘩はしちゃ駄目だろ」

「うわぁ、正論で返答されたのに納得できない! ……あ、でもゲームセンターに行くのはいいですけど、塾があるんでその時間までですよ?」

「あぁ、構わないよ」


 首肯しつつイサミさんは適当な口調で同意し、そんなやりとりの中で僕は思います。


 体を動かしたい欲求はどこへ行ったんでしょうか……。

 ――いえ、それが何を意味しているのかは分かっているんです。

 僕の中で疑問が浮かんだ時点で、思い知らされますから。


 イサミさんはもう、スポーツというカテゴリーに飽きちゃった。

 それだけのことなんでしょう。


 ……しかし、ゲームセンターですか。僕はずっと勉強一辺倒で、先ほども語ったように塾で高校受験のために時間を費やしているくらいにはきっと、つまらない人生を送っているのです。なのでそういった場所には行ったことがありません。


 でも行ってみれば、よくあるシチュエーションとしてイサミさんに可愛いぬいぐるみをUFOキャッチャーで取って欲しいとか言われるかも知れない――いや、この人は自分で取ってしまうでしょうか。色んなことに興味を持つくせに、すぐ飽きてしまう理由はそこに起因しているのですから。


 どんなことも簡単にこなしてしまう――所謂、天才タイプなのがイサミさんで。だからこそ、こなしてしまえば飽きて、次へと興味は移り変わっていく。


 楽器を持たせれば簡単に演奏してしまうし、運動においては物理法則から解放されているのではないかと思うほど軽やかに動き、勉強だってかなり出来る方だと思われます。つい「本当に同じ人間なのか」とか「特別な人間っているんだなぁ」と思わされるくらいに非凡な才能の塊。


 ふざけているように思われる今日までのスポーツ三昧でだって、変化球を投げ分けたりと異常なまでの適応力を見せたイサミさん。きっと「このまま続ければ自分は躓かずに極められる」と確信できるから面白くなくなって、飽きるのかも知れません。だとしたら、それは何だか夢中になれるものを探しているみたいですね。


 そう考えれば贅沢な悩みですけれど、やっぱり凄いなぁと思ってしまいます。


 そんな風にイサミさんの並々ならぬ才能に称賛を通り越して、呆れている時でした。


「――ほら、行くぞ」


 瞬間、ふらつく足取りで上機嫌に歩み始めたイサミさんに手を引かれ、体がぐらりと傾きつつベクトルに合わせて僕も歩み始める。


 そのようにして触れた手のひらの感触は心地良いと素直に思えるもので。本当に人間の手は男と女で同じ成分を使って構成されているのかと思うくらいに柔らかい。そこから伝わる陽だまりのような優しい温かさが、体中を駆け巡って――熱くする。


 そんなふとした瞬間に、考えてしまうのです。

 ……僕はまだ、この人のことを好きなのかと。


 もし僕達の関係を第三者が見れば疑問に思うかも知れません。イサミさんはまだ僕に明確な恋愛感情を抱いていないような印象を受けます。そして、そもそもを言えばこっちだって外見の美しさに憧れて好きになった経緯があって。


 告白するまで話をしたこともなかったのですから、そのどちらも無理はないでしょう。


 しかし、そのような現状にあれば僕がイサミさんの内外に伴うギャップだったり、どこか両想いになれていない関係を理由に好意の灯が消えていくものではないか。そのように思われる可能性もあるのではないでしょうか?


 そして、それは僕も思っていたことなのです。

 ――でも、全然そんなことはなくて。


 僕はやっぱり、イサミさんが好きです。

 好きで、好きで仕方ないみたいです。


 自由に生き、感情のままに喜怒哀楽を表現できて。風のようで、同じ場所には留まらないその姿に強く心を惹きつけられ、憧れてしまう。自分にないものを沢山持っているイサミさんを素直に凄いと感じて止まない。


 じゃあ、それはただの憧れなのか?

 そう聞かれれば、迷わず違うと言えます。


 確かに憧れてはいる……でも、初めて好きになった日から変わらない感情を僕はずっと自覚していますから。


 だから――イサミさんの人格。その全てを余すことなく僕は好きになったのだと、確信しているんですよね。


 でも、だからこそ不安なこともあって。


 自分の欲求に正直で風のようにどこへでも吹いて行ってしまう人ですから、明日にはこの人の気持ちがどうなっているかなんて分からない。飽きて興味を失くしてしまえば、僕なんかと関わることを唐突にやめてしまうのではないでしょうか?


 それはまるで、「404」の検索結果のようで。

 それはまるで、掌握しきれず移り変わる明日の天気のようで。


 いつ終わりが来るかも分からない恐怖に気付いた瞬間から――好きで好きで仕方ない気持ちと絡みついて切なくなるこの胸中を抱えること。


 そんな苦しみをイサミさん、あなたは知らないんでしょうね。


 ですからイサミさん、僕は思います。

 どうか明日も、明後日も、そして――出来ればいつまでも。

 僕は、あなたと居たいです。


 手を引かれ、歩み始めた瞬間の足音やびゅっと吹き抜けていく風音に紛れさせるようにして呟いた「好き」の言葉。それに呼応し、胸の中で膨らむ感情が嬉しかったり、切なかったりすること。そんな全てに大雑把な「幸せ」の名前を押し付けて、僕はよろけながらイサミさんについていくのでした。

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