■嵐谷イサミの十戒 その二
嵐谷イサミの十戒 その二 前編
放課後。今日は塾もないのでイサミさんとゆっくり一緒にいられる時間が取れることに胸が躍る思いでした。加えて金曜日ということで週末を目の前に気分は晴れやかなものです。流石に夜通し遊ぶような真似は出来ないものの、塾に通っている関係で中学生としては随分と門限が緩い方なので気兼ねなく幸福な時間を過ごしたいところ。
そんな訳で今日も集合場所である公園へと向かう僕。そういえば何故に公園が集合場所なのかを聞いたのですが、僕とイサミさんの学校の丁度、中間地点となるのがあの場所らしいのです。
ちなみに学校といえば、僕が塾に通ってまで合格を目指している高校こそイサミさんの通っている学校でして。エリートばかりが集う進学校として名の知れた歴史ある学校です。
正直、あの学校の制服を身に纏っているイサミさんからは初めて見かけた時、溢れるオーラのような知性を感じたもの。シックなブレザーの胸元を鮮やかに飾る赤いリボン。この辺りでは有名な高校であり、そこの生徒であるイサミさんに知的でクールな印象を勝手に抱いていた理由の一つでしょうね。
しかしまぁ……よくあんなレベルの高い学校に受かったものだと思ってしまいます。イサミさんは何でもそつなくこなしてしまうような人ですから学業も相当に優秀なのでしょう。しかしあの学校は普通に勉強しているだけで入れるようなレべルではないのです。イサミさんと知り合う前からあの高校を目指している僕のように、塾へ通ってまで「合格しにいく姿勢」がないと入学は難しいとされているのですから。
なので、ただお小遣いを無しにされないために学校へ通い、そして成績を維持していると言っていたイサミさんがどうしてあそこを選んだのか。そして合格できたのかが分からないのです。こういったイサミさんの事情に関してはちょっと興味がありますし、聞いてみてもいいかも知れませんね。やがては受験する学校の実態だって分かるかも知れませんし、先輩として色々と教えてもらうこともあるでしょう。
――まぁ実際に僕が入学した頃、イサミさんは卒業しているんでしょうけれど。
さて、今年の五月は例年に比べて随分と暖かいように思います。イサミさんと付き合い始めて一か月が経過。距離感が縮まったかといえばあまりそんな気はしないのが現状。ちょっと無神経な部分があるイサミさんですから、不意に距離を詰められて僕が辟易するという構図も少なくないですね。
まぁ、イサミさんが何というか恋人らしい欲求に目覚めたら自分からそういう行動に勤しんでくれるのかも知れません。あの人は欲求に忠実で、すぐ行動に心理が反映されますからね。しかし、そのように考えれば何もされないという現状、僕のことをあの人はまだ異性として好きになっていないということでしょう。
付き合うことをオーケーはしてくれた。
見ず知らずの僕の告白を受けて。
普通に考えれば何も知らない僕のことを、最初から好きであるはずはない。そう思ってこの一カ月は僕のことを知ってもらおうと考えていました。ですから、まともに手を繋いだこともなくここまで時間が経過したのは仕方ないです。……ちなみにイサミさんに手を引かれたことは繋いだ内にはカウントされません。
そういう訳で一か月という期間が僕を不安にさせるのです。今日までの日々で僕はあの人を惹きつけられるくらいに魅力的だったかと聞かれれば……まぁ即答できないので。
もしかするとそろそろ、愛想を尽かされるんじゃないでしょうか。
……でも、そもそもを言えばどうしてイサミさんは僕の告白を受けてくれたんでしょう?
何だか自分がイサミさんを手にしたような感覚に浸って今日まで過ごしてきましたので、考えたことがありませんでした。とりあえず夢が叶ったという達成感が生まれるのは仕方ないとしても、僕個人が喜んで完結するような話ではないのです。
相手はどう思っているのか?
どうしたって相手の内面が気になる。イサミさんの心を覗ければと思うような……しかし、やっぱり怖くて考えたくもないような。しかしそういったことも、勇気を出して聞いてみる必要がありますね。自分のことをどう思っているのかと。
何だか先ほどからイサミさんに聞いてみたいことがどんどんと浮かび上がってきます。一か月が経過しようとまだまだ、イサミさんを全然理解出来ていない僕としては知りたいことが沢山あるようです。
そのように思考している内に例の公園へとやってきました。今日は幼い子供と戯れるイサミさんの声も聞こえてきませんので、いつぞやみたいにダルマさんが転んだに興じてはいないようです。
大体、イサミさんは女子高生という自覚は本当にないんでしょうか! 無邪気な表情でブランコに揺られているかと思えば、ジャングルジムの上に登って機嫌良さそうにしていたり、平然と園内の水飲み場で給水していたり! ……まぁ、髪を耳にかけて水飲んでる姿は妙に魅力的で見とれてしまいましたけど。
でも、何故か決まって僕より先に待ち合わせ場所で遊んでいるんですよねぇ。
疑問符を頭上に浮かべつつ公園内に入るとベンチを小学生くらいの男子数人が輪になって囲み、何やら盛り上がっている光景。身長から察するに高学年の子達であるように思いますけど、一体何を囲んで……という所まで考えて、続きは放り投げてしまいました。
自体を把握したため立ち止まっていたその場に溜め息を残して歩み寄り、少年達が形成する輪の中心に視線を送ることに。
すると――。
「いぃよぉうし! アタシの勝ちだなぁ!」
ベンチの上、何かを片手にガッツポーズしつつ、隣同士座っている少年に対して勝ち誇ったような表情と言葉を投げかけるイサミさんの姿がそこにはありました。
うーん、何をやっているんでしょうか。……まぁ、何であれ小学生に対して女子高生が勝ち誇って恥ずかしくないことがこの世に存在するとは思えないですけれど。
どうやらイサミさんと一人の少年が勝敗を決める試合を行っていて、それを取り巻き数人が見守っていたという構図のようですね。ならばイサミさんの隣に座る少年は負けたのでしょうから悔しそうにしているのかと思いきや、もじもじとした挙動を取っているのです。加えて、周囲で見守っていた少年達もよく見ればボーっとした表情を浮かべています。
……何ですかね、この状況。
そう思い、一人で勝ち誇っているイサミさんの方へもう一度視線を送ってみると、答えはいとも簡単に氷解しました。
今日が随分と温暖な気候だからでしょう。イサミさんはブレザーをカバンにでもしまっているのか、リボンさえも取り去った裾を出しっぱなしのブラウス姿でボタンをいくつか開けていたのです。そこから覗く胸の谷間を思えば答えは出たようなもの。小学校高学年の少年達にとって、イサミさんのような容姿端麗なお姉さんが少し乱れた服装で遊んでくれているのですからきっと嬉しいでしょうし、それ以上に遊んでいる内容が頭に入らないくらい興奮してしまうのでしょう。
あぁ、この子達の性の目覚めはイサミさんなんですね。
……でもまぁ、悪い気分はしないですよ。何せ小学生達が羨望の眼差しを送っている素敵なお姉さんこそ、僕の彼女なんですから!
――などと優越感に浸っていると。
「おお、何だお前来てたのか。子供達に溶け込んでるもんだから気付かなかったぞ」
優越感を一瞬で払拭し、地に叩き付ける辛辣な言葉。
まぁ、僕ってば身長低いですからね。
「色々と言いたいことはありますけど……とりあえず、一体何をやってたんですか?」
「ん? あぁ、ゲームをしてたんだよ。この子達と」
「ゲーム?」
「知らないのか? 携帯ゲーム機で対戦してたんだよ。アタシも今日買ったばかりなんだけどやってみると結構面白くてなぁ。お前が来るまで遊びながら待ってたら、恐る恐るって感じでこの子らが勝負を挑んできたから相手をしてたんだよ」
手に持っているゲーム機であろう物体をひらひらさせながら淡々と語ったイサミさん。
うーん、整理していきましょう。僕はまずゲームを全くしないので、あれがゲーム機であることすら分からなかったのです。まるで超小型のノートパソコンとでも表現できそうな折り畳み式の二画面端末。あれがゲーム機……僕が知っているものは随分と型が古いのなのかも知れませんね。今どきの十五歳としては流行りに疎い方で、テレビとかもほとんど見ないので知りませんでした。
――で、それを遊んでいる所に少年が勝負を挑んだわけですか。きっと少年は恐る恐るではなく、素敵なお姉さんに遊んでもらいたいという欲求で緊張と期待が表に出ていただけだと思いますけどねぇ。
まぁ、何となく状況は分かりました。
「イサミさん、最近はそういう屋内の楽しみに凝ってますよね。アウトドアなイメージは四月までのものですか」
「まぁ、楽しそうだと思ったらアタシは何でもやるさ。お前の分のゲーム機とソフトも買ってあるから、今日は一緒に遊ぼうな」
「へぇ、そうなんですね……って、えぇ!」
聞き流しかけた言葉の中に含まれていた事実を僕はすんでの所で掴まえました。
イサミさんが僕に?
お金を使ってプレゼント?
何だか奇妙なものですねぇ。スポーツ三昧だったイサミさんの趣向が移り変わり、この前だって映画を見に行こうと言われたのです。そしてその後、深く影響されて映画が撮りたいとか言い出し、ビデオカメラ片手にあちこち連れ回されたのですが……その諸々に掛かった経費は自腹だったのですよね。
ちょっと器が小さいと思われるぼやきですが、金銭的負担を不服に思ってしまうのは中学生ですから仕方ないと思います。ですから、そんな日々を経て恋人へお金を使って何かをプレゼントしてくれる嬉しさというのを今、僕は感じているのです。
恋人に贈る初めてのプレゼントがゲーム機というのはどうなのか、とも思いますが……まぁ、一緒に何かを楽しみたいというイサミさんの意思は素直に嬉しいです。
なので、僕のために出費を惜しまなかった事実に心からお礼を口にしよう――と思ったのですが、何だかちょっとした引っかかりを感じたのでとりあえず問いかけてみることに。
「イサミさん、もしかしてそのゲームって二人でやることに何か意義があるんですか?」
「ん? あぁ、そうだよ。モンスターを捕まえて育てるゲームなんだけど、交換や対戦には複数のプレイヤーが必要なんだ。加えてこのゲームは二バージョンのソフトが発売されていて、出てくるモンスターもソフト毎に違うみたいなんだよなぁ」
ゲーム画面に視線を送りながら片手間で返事をするイサミさん。
……まぁ、そういうことだと思ってましたよ。
イサミさんは自分の欲求に正直な人です。ですから、二人プレイヤーが必要なゲームで遊びたい時は相手を誘ってその気にさせたりするのではなく、もっと単刀直入に始められる準備まで済ませて誘ってくるってことなんですよね。
それも取捨選択。そのための経費はイサミさんにとって我慢にならないってことですか……。
喜び損したような……でも、やっぱり嬉しいような?
複雑な感情が僕の中で渦巻きますけれど、どうやら確定してしまいましたね。
僕にとってイサミさんから与えられるゲーム機とソフトが家宝となることが。
○
何だか意外な展開となってしまいました。イサミさんがせっかく買ってくれたので一緒にゲームをして遊ぶことになったわけですが、流石に公園で僕もあの少年達に囲まれて楽しむのには抵抗があるのです。「どこで遊びましょうか」という僕の問いに対して提示された回答こそ――イサミさんの家。
あっけらかんと「アタシの家にするかぁ」とイサミさんが口にすると、僕は落雷でも叩き付けられたように全身が痺れ、意識が吹き飛んでしまうような感覚になります。
――イサミさんの家!
狼狽する胸中を必死に表へ出さぬよう掴まえておくのに必死な僕。当然です。中学三年生、十五歳の男子にとって女の子の自宅なんて異世界に等しい場所。そして恐らく私室に通されることになるでしょう。私室というのは人間の所有する居場所で一番、プライベートが色濃く出るはず。心を開いた相手しか普通は入らせないものでしょう!
その上、両親が家にいないことまで僕に告げてくるものですから、言葉の裏側に思考の全出力が注ぎ込まれてオーバーヒート寸前。そんな脳内で割と恣意的に導きだした答えは、イサミさんが世間から隔絶された二人っきりの空間をご所望ということ!
あぁ、そういう雰囲気になりたいんですね。
なりたいんですね! 一か月の時を経た進歩なんですね!
「いよぉし、明日は土曜日だし朝まで遊んでいられるなぁ」
うーんと伸びをしながら上機嫌に語ったイサミさん。
「……まぁ、そうですよね。イサミさんはそうですよね。はは、たくさんゲームしましょうね。あはは、楽しみだなぁー」
イサミさんとは対照的に燃え尽き、灰にでもなったような心境でかろうじて言葉を零す僕。
……どうせ、眠たくなったらすぐ寝られるから自宅にしようとか、そういう考えなんでしょうね。内心、分かってた気もしますよ。考えなかっただけで分かってましたよ。だって僕、この人ともう一か月近くも毎日――えぇ、毎日会ってるんですから。
でもまぁ、一緒にいられるのは嬉しいので間違っても断ったりはしません。流石に朝までとはいかないですけど。とりあえず帰りが遅くなりそうですので、家に連絡を入れておく必要がありますね。今日は塾がないため友達の家で勉強会、とでも言えば納得してもらえるでしょう。
「それにしても電車通学って不便だよなぁ。学校の近くに家があればよかったのに。もしくは家の近くにある学校に通えばよかったかな?」
ぽつりとぼやきを漏らしたイサミさんと僕は今帰りの電車を待つべく、駅のホームに設置された椅子に並んで腰掛けていました。
「でも、イサミさんがあの高校に通ってなかったら電車の通学中、あんな風に僕が告白して……付き合うことにもならなかったんでしょうね」
「あぁ。そう言われるとつまんない気もするなぁ」
「そう思ってくれてたんですね」
「逆に何でそんな風に思ってるんだよ。心外だなぁ」
僕の後ろ向きな心が生んだ皮肉っぽい口調に、イサミさんは頬を膨らませ拗ねたように顔を背けてしまいました。そんな愛らしい挙動に逐一盛り上がりを見せるのがいつもの僕なのですけれど、今はちょっとそんな気分にはなれません。
今日まで何度もイサミさんの気持ちが「僕のため」であったり「二人のため」であることを期待しては裏切られてきましたけど、でも僕の存在が「自分のため」であることは確かなのかも知れません。そこに嘘偽りはなくて……だからこの人が僕にとって嬉しいことを言ってくれれば、それは素直に喜べる。
また、好きになってしまう。
その正直さがあまりにも素敵で――。
そういえば、僕がイサミさんに告白することになったのもこの駅のホームでした。ずっと片思いをしていた僕はある日、些細なイサミさんに対する胸中の憧れが独り言になってしまい、電車内で本人にそれを聞かれたのがきっかけ。
そして、イサミさんは問いかけてきたのです。
今のもしかして、アタシに言ったのか――と。
初めてイサミさんの声を聞いた瞬間でした。ちょっと男勝りな口調に伴うハスキーな声。女性的で美しい外見とのギャップは魅力的ですけれど、その時は感動しているような余裕もなく、狼狽した胸中のせいで取り繕うことも出来ないまま変な奴だと思われたのでしょう。それから自然消滅するようにイサミさんは関心を失い、僕は電車に乗り込む背景の一部へと戻っていきました。
そしてあまりの緊張――そこからの緩和に嘆息する僕。
無論、それは安堵したからではありません。
秘めていた心の声を聞かれたらもう二度とこの電車には乗れない。明日からは自転車を使うなりしないと登校できない――などと思いながらためらいがちにイサミさんを見つめ、憧れる日々が終わったことを自覚してしまいました。
そして走り続け、僕らを運んでいた電車が駅へと辿り着いたのです。いつもと同じ学校がある街の駅にて扉が開き、出ていく人の群れに紛れてホームへと降りていく足取りは重いもので。
……きっと、明日からあの人の姿を見つめることはないのだろう。
そのように思った時――僕の思考回路は随分と奇妙な所に接続されたのです。
――なら、今ここで告白してしまってはどうだろうか?
もう会うことはないのだろうし、自暴自棄な心に任せれば恥ずかしくない気がする。
決心は緊張の緩急や狼狽で乱された不安定な心理状況に支えられ、深い思慮が伴わなかったことが行動へと直結しました。
電車内から吐き出される群れの中――必死に、当時は名前も知らないイサミさんの後ろ姿を見つけるとその手を掴んで引いて振り向かせ、人目もはばからず言ったのです。
あなたが好きです。ずっと好きでした。
そんな言葉をぶつけるように告げると、ようやく自分がどれだけ恥ずかしいことをしているかに気付きました。ですので、たったそれだけしか言えなかったのです。
でも、それで十分でした。
それだけのことが伝えられたという妙な充足感、誰かへの気持ちを口にする幸福感を胸に、僕は驚愕で目を見開き立ち尽くすイサミさんをそのままに走り去ってしまいました。
思えばイサミさんは僕のクラスにはいないタイプの女性でした。凛として美しく、しかしどこか鈴蘭のような主張し過ぎない愛らしさもあって。そして、常に遠くを見ているような瞳がこの心を妙に切なくさせる。まるで物語のヒロインのように、数多の人間が群れを成す駅のホームの中にあっても輝いていました。下品で低俗な話題を口にする同級生とは比べ物にならなくて。特別な存在であるかのような佇まいに心を奪われたのです。
そして、だからこそ――僕には届かないと思っていました。歳の差や学校の違いを理由にして、夜空の星屑を従える美しい月のように高い場所へと勝手に飾っていたのです。そして手をかざしているだけの日々でそれなりに満足していたはずなのに……不意に、抱いていた思いが本人へ届いてしまった。
そんなつもりはなかった……でも、これでよかったのかも知れない。
終わらせなければ、ずっと続いてしまうから。
そんな風に思い、何だか集中力を失った一日を経て放課後。校門を通り抜ける瞬間、誰かに手を掴んで引かれ僕は呼応するように振り向きました。
きっと制服で分かったのでしょう。この学校の生徒であることだけを頼りに、自分へ告白してきた人間をずっと待っていた女性――嵐谷イサミさんが僕を引き止め、そして言ったのでした。
アタシと付き合ってみるか、と――。
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