嵐谷イサミの十戒 その二 後編

 考えてみれば当然のことだったのかも知れません。登校する時には同じ駅で見かけていたのですから、家もそれなりに近所である可能性は十分あったのです。イサミさんの家に辿り着いてみると自宅からかなり近い場所であったことに驚愕。こんな近くでイサミさんが暮らしていたとは。……まぁ、駅のホームでしか会えないという認識をしていて、その上高嶺の花と感じていては身近に住んでいるなんて発想を持てないのも無理はないでしょうかね。


 そんなわけで陽も少し傾き、夕焼けが飴色の輝きで街並みを染める時刻となって、斜光に目を細めつつ辿り着いたイサミさんの自宅。


 そして当然ですけれど「嵐谷」の表札。

 ――もの凄く緊張する!


 うーん、考えてみれば何故緊張するのでしょうか。女の子のプライベートな空間に招かれただけだというのに。何か妙な下心や期待があるのでしょうか。だとしたら相手はイサミさんですから、そんなものはさっさと捨ててしまった方がいいのですけれど。


 ……などという自問自答を内心で行っていると、イサミさんはいつも首から紐で下げている財布――というかガマ口から家の鍵を取り出しました。


 そういえばイサミさんの財布って何故かガマ口なんですよね。カエルの顔を模しているのに開くのは頭というちょっと闇を感じる一品。それが常に胸の辺りで釣り下がっていて欲望に忠実なイサミさんをよく表している気もしますけれど、歳不相応な感じもします。


 とはいえ、控えめに言っても可愛いんですけどね。


 開錠して扉を開くと予め語られていたように家は留守の状態。ひたすらの暗闇が屋内の突き当りを漠然とさせる光景の中、玄関の電気を点灯させてイサミさんは恥じらいや緊張感とは無縁の口調で「どうぞ」と言いました。


 ぎこちなく「お邪魔します」と返事をしつつ屋内へ踏み込む僕。


 そういえば女の子の自宅であるとか以前に、こうして他人の家にお邪魔するのはいつぶりでしょうか。中学に上がって高校進学を意識するようになってからは数少ない友人との会話でさえ勉強のことばかり。だとしたら誰かに自宅へ招かれるなんて小学校以来のことだと思われます。


 ですから今日、親に電話で語った友人との勉強会も実際は起こり得ないイベントなんですよね。そのような深い仲の友人なんていませんから。


 ――などという思考の最中も高鳴ったままの鼓動。理由は分からぬまま自分の中で曖昧にしつつ、導かれて二階にある私室へとイサミさんについていく形で向かっていきました。辿り着くとイサミさんは自室の扉を開き、壁際に設置されていると思われる蛍光灯のスイッチを手探りで入れると内部が明るく照らし出されます。


 そして、室内へと一歩足を踏み入れる瞬間に鼻腔をくすぐる香り。それはイサミさんの隣にいる時やすれ違う際に感じていたもので。くらくらと心地の良い眩暈さえ感じてくる素敵な香りが一気に僕を包むのでした。


 そのような感動に遅れて視覚が追いつきます。ベッドと勉強机、洋服箪笥。オーソドックスという表現をしていいのか分かりませんが、少なくとも――興味任せで色んなことに手を出しているイサミさんの私室としてはかなり片付いていて、物があまり多くないという印象。


「へぇ……意外と片付いているんですね」


 僕は思わずそのように感動さえ伴っている口調で言葉を漏らしてしまいました。そんな発言に対してイサミさんはへの字に唇を曲げて不服そうな表情を浮かべます。


「何だよ。アタシの部屋は散らかってないと駄目なのか」

「いや、そういう訳じゃないですけど……もう少しごちゃごちゃしてるのかなって思ってたんですよ。いつだったか買った野球のバットやビデオカメラとかが飽きられて散乱しているのかなって」

「バットなんか私室に置かないだろ……。それに使わなくなったものは全部、処分してるんだよ。一度やって満足したことは二度とやらないから持ってても仕方ないし」

「もっと大切にして、長く大事にしてあげましょうよ」


 呆れたような口調で皮肉を口にするも、それはブーメランのように返ってくる。そんな願望の代弁であるかのような言葉が重く心の底に突き刺さり、高鳴っていた鼓動がいつの間にか沈んでいるのを感じました。


 それは頭で理解していた事実が実感を伴ったからかも知れません。


 何だか、飽きられたものの末路を聞かされたような気がするのです。

 思い出にも、記念にも――ならない。


 この人が興味を持って挑戦し飽きて捨てていく様はまるで、自分の未経験という空欄をスタンプラリーであるかのように埋めていく行為で。捺印されればもう二度とそこを訪れることはないのです。


 そういった行動原理の縮図が見えたような気がして。今の場と状況にそんな思考と感情は不要なはずなのに、手放せないのは何故でしょうか?


「さて、どこでもいいから座ってくれよ。……あぁ、それとお前の分のゲーム機を渡してやらないとなぁ」


 促されるも部屋の中央にテーブルがあったりするわけではないのでどこに座ったものかと思い、とりあえずベッドを背もたれ代わりに出来る位置へと腰を降ろすことに。そんな挙動の最中に肩からかけていたスクールバッグから新品のゲーム機とソフトを取り出して僕に手渡すイサミさん。


 ……うわぁ、本当に買ってくれたんですね!


「ちなみに僕、こういうの疎いんですけど……いくらくらいするんですか?」

「ソフト込みで諭吉先生二人の命は差し出した」

「高っ! ゲーム機ってそんなに高いんですか!」

「……そんなものじゃないのか? 高いのかなぁ」


 首を傾げ不思議そうに僕の言葉を受け止めるイサミさん。


 まぁ、きっとこの場合は僕がこういったゲーム機の相場を知らないからイサミさんの反応が正しいのでしょうけれど――しかし。


「そんな高価なものを自分の分も含めて買えるなんてイサミさん、お金があるんですねぇ」

「流石に余裕ってことはないよ。カエルさんも随分と痩せちゃったもんなぁ」

「ぷふっ、カエルさんって」

「何だよ。カエル以外の何物でもないだろ!」


 僕のからかう言葉に対して、ちょっと恥ずかしそうに口調を強めて答えるイサミさん。


 カバンを床に落としつつ、ナチュラルに僕の隣へ同じようにベッドを背もたれとして腰を降ろしました。そんな何気ない挙動で距離を詰められ、僕は目を丸くして再び活動を活発にし始めた鼓動の高鳴りを感じます。


 肩と肩が少し、触れるような距離でした。


「家がそもそも小金持ちだからな。まるでアタシの世話はお金がしているみたいに毎月、他所の家よりも多めのお小遣いをもらってるから大丈夫なんだぞ」

「あ、何だかその感覚分かる気がします」

「そうなのか?」

「きっとウチも似たようなものですから」


 金銭に余裕はないと言いつつも、我が家のお小遣いは他所よりは多いと思うのです。それは両親が共働きでそれなりに家を空けるため、夕食にコンビニでお弁当を自分で買わなければならないからだったり、自由に参考書を買ったりできるようにという意味で。実際に、遊ぶようなお金が持たされているとは言い難く余裕はありません。しかし、それだけに僕の世話をしているとも言えることがイサミさんの発言に重なったのです。


 あ、そういえば小学校の頃、母は専業主婦だったというのに中学に上がった途端に働き始めたのですよね。僕が手のかからない歳になったから好きなことが出来るようになったのでしょうか?


 ――などと、思考している時にお小遣いと関連付けて思い出しました。


「そういえば唐突ですけれどイサミさんの通ってる学校って、この辺りでもかなり難関校のあそこですよね?」

「まぁ多分、あそこは難関校なんだろうなぁ」

「……こう言っては失礼ですけど、よく受かりましたね」

「どう言っても失礼だろ、それは」

「いや、馬鹿にしているのではなくて。イサミさんって別に好きで勉強してるわけじゃなくて、お小遣い無しにされるのが困るからって言ってたじゃないですか。そんな原動力であの難関校合格まで到達できるものなのかなって」


 僕の言葉に「あぁ、そういうことか」と納得したように浮かべていた不満そうな表情を解いて語り始めます。


「そんな到達とか難しく考えてなくて、親に言われたから入ったんだよ。ウチの親はずーっと『この世の中は学歴だ』とか『良い学校が幸せな人生への近道だ』と言っててな。だから今の学校を受験してくれって言われてたんだ。アタシとしても断る理由はなかったし、別に特別な努力をしなくても合格するだろうって言われてたんだから、そりゃあ今に至るだろう」

「ちょっと待って下さいよ……じゃあ、特に努力せずに合格したってことですか?」

「ちゃんと授業は聞いてたんだから普通の努力はしてるぞ!」

「でも特別な努力はしなくてもいいくらいにイサミさん、成績が良いってことになるじゃないですか?」

「まぁ小学校からずーっと今日まで成績が学年トップじゃなかったことなんてないしなぁ」

「世の中理不尽過ぎるでしょう!」


 何だか自分が日々勉強し時間を費やしていることが馬鹿みたいに感じられ、呆れ混じりな口調で不公平を叫んでしまう僕。しかし、イサミさんのそういう才能はあまり現実味を帯びていないというか、ぶっ飛び過ぎているのでショックということはありませんでした。イサミさんを自分と同じ人種とは考えられないというか。


 もう呆然として「すげー」と思ってしまうだけに留まります。

 それだけでも十分凄いのに加えて――。


「でも、親が言う『学歴が良い人生を作る』って考え方。その意味が分からなくはないよ。……しかし、アタシはこの世の中においてそれが全てではないと思うんだけどなぁ」


 いつか駅のホームで見た、あの遠くを見るような目をしたイサミさんは溜め息を混じらせてどこか物憂げに語りました。


 人生の最適解。

 人生の攻略法。


 そんなものがあるとすれば「学歴」であると僕の両親も信じていて。そんな両親の思想を疑うこともしてこなかった僕は同じように盲信していたのです。学歴が導いてくれれば、何となく大学を卒業してどこかの会社に勤めて社会の歯車になるのだろうと。


 ですから似たような思考の両親を持ちながらも、人生の正しいとされる歩み方に疑問符を浮かべるイサミさんの言葉には衝撃を受けたのです。自分が正しいと信じて目指してきた未来に立っているイサミさんが言うからこそ、その言葉に驚愕しているのでしょう。


 ――ならば、僕が目指しているものは何なのでしょうか?


 興味を持てば、疑問に変わります。

 疑問になれば――問いかけてしまう。


「じゃあイサミさん。卒業すれば有名校の学歴が約束されたようなものですけれど、それをあんまり重要だとは思ってないんですか?」

「うーん。生きる上で助けにはなるんだろうけど、それが人を生かしてくれるとは思えないし――アタシはそれを活かせないと思う。実は中学の卒業を機に家を出ようかと考えたりもしたんだ。学歴で生きていくのが正しい人生だとしても、そういう幸福よりまず自分が楽しいと思えることを優先したい。世界を旅してもっと知らないものを見て回るのもいいだろうし、どこか一つに居場所を持たずまるで風のように生きるのも楽しそうだって……そんな風に思ってな」

「今でも十分、自由に生きてるような気がしますけど」

「全然だよ。アタシは今のままじゃ駄目だって――思ってるんだから」


 僕の言葉に少し力なく答えたイサミさんの横顔はどこか儚げな印象で。その強い意志を秘めた三白眼の瞳はやはり――遠いどこかを見つめている。そんなイサミさんに抱く好意の中、入り混じる「憧れ」の真意に、僕は気が付きそうな予感がしていたのです。


 それは星屑と月の空を切り裂く太陽が朝を告げるようで。眠い目をこすりながら睡眠から目覚めていく最中に差し出した手のひらは、瞳に差し込んだ陽の光の眩しさを遮るためか、それとも憧れに手を伸ばしているのか。偽りの輝きは闇と共に消え去り、柔らかく温かい陽の光を浴びて――僕は目覚める思いを感じ始めていたのです。


        ○


 その後、僕はイサミさんから頂いたゲーム機を起動して慣れないながらもプレイすることに。そしてそんな最中、聞いてみたいと思っていたことをどんどんと問いかけてみました。


 例えば色んなことに興味を持つイサミさんが何の部活にも入っていない理由。イサミさんは興味が服を着て歩いているような人なのですから、何か部活に所属していてもおかしくないような気がしましたが、本人の答えは真逆でした。


 一所に留まることが出来る人間ではないため飽きれば違う部活に入りたくなり、結果として「続ける」ことが不可能だそうです。しかし興味に任せて所属していた事実はあるらしく、一通りの部活動に在籍していたのだとか。


 本人の才能で最初は重宝されるようですが、飽きてしまえばふらりといなくなってしまうイサミさん。それに部員達が困惑していたであろうことは、想像に難くないことでした。使えない戦力ならともかく、エース級の人材がいなくなるのであれば空いた穴は大きいですし、何とか維持できないものかとイサミさんを説得もします。でも、どこの部だって一か月と持たずにイサミさんを最終的には諦めたそうです。


 そして現在――全ての部活を経験し、同時に退部したイサミさんは帰宅部だそうで。


 何だか学校での悪名の高さが想像出来てしまいますね。嫌味はない人ですけれど、素直過ぎるので敵を作りそうなのがちょっと心配です。


 ――などという質問をしていると、イサミさんがさっそくゲームでの対戦を申し入れてきました。このゲームは仲間にしたモンスターを育てて戦わせるのですが、先ほど始めた僕としては成長が追いついていないので明らかに不利。加えてイサミさんの物事に対する適応力を考えればと思ったのですが、無理強いのような形で戦うことになった結果――あっさりと勝利してしまいました。


 負けず嫌いなのか何度も挑まれ対戦を繰り返しますが、僕の勝利は揺るがないようで。負けが込んでくると、唇を尖らせて目に涙を溜め「んー!」と悶えて悔しさを露わにするイサミさん。その姿はもの凄く可愛らしくて、ちょっと淡い嗜虐心をくすぐられたものでつい手加減することも忘れて勝利を連ねてしまいました。


 ……しかし、不思議ですねぇ。

 イサミさんの豊かな才能もこういった対戦ゲームには不向きなのでしょうか?

 

 結局、イサミさんの「覚えてろぉ!」という言葉でまた、それぞれが一人プレイでゲームを進めていく流れに。果たしてこの場に二人でいる意味があるのかとも思いますが、改めて考えるまでもなく僕の方は大いに意味のある時間でした。


 ――と、そんな時のことです。


 会話も途絶えた頃、先ほどまでの質問ラッシュに誘発されたのか僕の中でずっと抱えていた「聞いてみたいこと」が想起されていたのです。それは安易に投げかけられる質問ではないためにずっと抱えていたのですが、それでも――やっぱり聞いてみたい。無言になっている今だからこそ、それは問いかけられるような気がしました。


「イサミさん、質問してもいいですか?」

「さっきから質問ばっかりだなぁ」

「すみません……」

「別に構わないから……さっさと聞けよ」


 さっき負け続けたことを引きずっているのか、ちょっぴり元気のない口調で返事をするイサミさんに僕はためらいつつも問いかけます。


「それじゃあ……。こういうことを聞くのって変かも知れないですけど――イサミさん、どうして僕の告白をあの日、受けてくれたんですか?」

「確かに変な質問だな」

「やっぱりそうですかね?」

「そりゃそうだろ。どうしてって、お前が好きだって言うからアタシとしては付き合ってもいいかなって思っただけだ」

「まぁ、僕ってば付き合って欲しいまでは言えなかったですけどね」

「でも好きって言ったらその続きは付き合ってほしいになるんじゃないのか? それともアレか。お前、付き合うまでは結構だったんですけどって本当は言いたいのか?」

「滅相もないです。幸せで堪らないんですから」


 ちょっと不機嫌そうな表情と口調で画面に視線を落とすイサミさんを僕は横目で見つめながら、もうちょっと詳しく自分の疑問を語ることに。


「だってイサミさんは僕のことなんてあの時点では知らないわけですよね?」

「うん。全く知らないな」

「そんな僕が好きだって言っただけで付き合ってみようってなるものですかね?」

「んー? お前としては好きな人と付き合えたんだからそれでいいんじゃないのか?」

「それでよくは……ないです」

「そうなんだ。……うーん、じゃあ恋人とか恋心っていうのがどういうものなのか分からないから付き合ってみる、っていう理由だったとしたらお前はどう思うんだ?」


 あっけらかんと語られたイサミさんの言葉。……なるほど。良く言えばイサミさんは「これからお互いのことを知っていこう」と前向きにこの関係性を考えているようにも思えます。しかし、それはある意味で「恋愛というものを自分の興味の一つとして知れるなら相手は誰でもいい」ということにだってなるのではないでしょうか?


 そんな解釈で一気に心がずーんと重くなる感覚。


「……つまり、僕以外の人間が告白しても付き合ってたんですよね」

「そうだろうなぁ」


 はっきりと言われてしまい瞬間、僕は放心状態になってしまいます。

 それと同時に僕の心はガラスが叩き割られた音と共に崩れ落ちる。


 あれだけ付き合うことになって浮かれていたのに実際、イサミさんにとっては付き合う相手なんて誰でもよかった。そう、まるで未経験の空欄を埋めるスタンプラリーみたいなもので。僕は手っ取り早いスタンプ――とショックを受けていた時、イサミさんは「でも」と口にして語り始めます。


「お前以外の人間と付き合って今日まで続いていたかは分からないけどな。アタシ、友達とかもいないからあんまり誰かと遊んだりしないんだけど、お前といるのは楽しいし。それに今から他の誰かが代わってアタシの彼氏になるのは……何っていうか、嫌だなぁとは思う」

「じゃあ、それって……」

「アタシはまだ俗にいう恋心が把握できているわけじゃないから、そういう意味では恋愛だったりお前が向けてくる好意に興味が尽きないんだ。それにお前と会うことが楽しくなかったら、きっと――待ち合わせ場所で律儀に待ってたりしないと思うよ」


 ゲームをしながらの片手間だったためか、イサミさんの言葉は随分と淡々としたものでした。でも、その言葉を聞いて自分は愚かだと思ったのです。


 誰かに恋をして、それが成就するなんて人生で初めてだったものですから、晴れて付き合うことになっただけでゴールした気になっていた。でも、本当はスタートラインに立っただけで。


 イサミさんの心を僕は、何一つ変えてはいない。


 ――家に招くことをちょっとは恥じらわせないといけない。

 ――二人でこうして肩を寄せ合う状況に、平常心を持ち込ませてはいけない。


 そんな努力もなしに甘い夢を欲しがってはいけないということを痛感したのです。ちょっと苦い教訓で……でも、希望はあります。僕でなければならないということはないイサミさんにとっての恋人が現状、最適でなくとも最善だということ。


 そうなんです。イサミさんはふらふらとしている風のような人という認識ながら、待ち合わせ場所にいなかったなんてことは一度もなかったのです。いつも先に待っているのは、放課後にクラスメイトと少し会話をしたりしてから待ち合わせ場所に向かう僕以上に、楽しみだと感じているイサミさんが真っ先に公園へ辿り着いているから。


 ならば――もう、こういったことで悩むのはやめよう。


 変わることを望むのではなく、お互いを変えていけるような関係に。一つの節目として到達した場所に留まっていてはいけないのです。常に変化していって、持続させていかなければ飽きられてしまう――そんなのはイサミさんに限ったことではないのでしょう。


 水を与え続けていなければ、いつかは枯れるもの。

 この、恋心というのは。

 ですから――いつか、イサミさんの心にも花が咲きますように。


 などと思っているとイサミさんはいつの間にか隣で眠り、それに気付いた僕の挙動で体をゆらりと傾かせて肩に頭をもたれてくる状況。ふわりとシャンプーの香りがして、じんわりと体温が混ざり合うような感覚。体が熱くなって、心臓が大きく脈打つのを感じました。


 まだこういう状況で緊張するのも、僕だけなんですよね。


 そういえばイサミさん、今日まで僕自身に関する質問をしてきたことがありませんでした。それはもしかすると自由気ままに生きるための最適化として、他人に興味を抱かないからなのかも知れません。僕がいつもイサミさんに問いかけ、答えてはくれるものの――逆はない。


 ――でも、そんなイサミさんへ僕が向ける一方通行の恋心に何だか気になる感覚を感じてきているのは、僕と出会ってからこの人に芽生えた今までになかった興味なんですよね。


 自己中心的で、相手の気持ちを考えることはない。

 自由気ままで、誰かに干渉されず好きなことを好きなように。


 そんなイサミさんのスタンスに少しでも干渉して、僕自身のことを知りたがってくれるような関係へいつしかステップアップ出来たら理想的だなぁと思います。ですから、眠っているイサミさんの耳元で芽を出した興味に水をやるかのような行いとして「好きです」を呟くのでした。





2.理解してもらえると期待しないで下さい。私は自由気ままでありたいので他人に興味を抱きません。ただし、あなたが向けてくる感情に興味を持つことはあります。

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