嵐谷イサミの十戒 その四 後編

 それから夕方になるまで図書館で勉強を続けました。塾で培った学力のためにある程度の範囲まではすらすらと自分で問題を解くことができるので、イサミさんの手を煩わせるまでもありません。しかし問題のレベルが応用的となるにつれ、ついていけていない部分が明るみに出てきたのです。


 自分の力不足を目の当たりにして少し気落ちしていると、イサミさんはそれを総評するように「三年生ともなると勉強も難しくなるってことなのかなぁ」と語り、僕はそんな言葉に何だか理由を見つけた気持ちになって「そうかも知れないですね」と同意するのでした。


 さて、図書館を出ると日は傾いており朱色に染められる空の中に少しだけ夜空が交じり、それはまるで陽の光を闇夜が浸食していくような光景。そのような風景の中にあって止むことのない蝉の声を聞きながら、「このまま帰るのも勿体ないからちょっと駅通りを見ていこう」というイサミさんの提案に僕も同意して歩き出しました。


 駅から続く通りは商店街となっており、周辺の街の中では最もあらゆる店舗が密集した人の集まる場所となっているのでした。欲しいものは大抵ここで揃いますし、ただ見て歩くだけでも楽しく、賑やかな雰囲気が常にある場所です。


 そんな商店街を並んで歩いていると、イサミさんが不意に「お腹が空いたなぁ」と言うものですから飲食店を意識して店舗を眺めていくことに。


 ……そういえば、空腹は図書館にいる時から訴えていたのです。しかし強引に勉強を切り上げて食事に出かけたがる、ということもなかったイサミさん。図書館内でも平気で持参したお弁当とか食べ始めたってイサミさんだったら驚かないのですけれど、そういったこともないまま僕に付き合ってくれていました。


 これも言ってみればイサミさんの変化なのだろうか、と考えていた時、ふと――目に飛び込んだお店で記憶が想起する僕。


 イサミさんといつしか途絶える繋がり。

 卒業までのタイムリミット。


 あまり考えないようにしようと思っていたことが不意に頭の中で巡って、そんな耐え難い恐怖心にも似た将来の不安からか連想してしまうのです。


 例えば、こんな微弱な繋がりでも手に入れられたら僕の心は満たされるのではないか?


 そう思ったからこそ、僕はイサミさんに「ちょっと見ていきたいんですけど、いいですか?」と言って一件のお店を指差しました。


 そこは携帯ショップ。新しい機種を見ておきたい、という僕の嘘に対してイサミさんは「まぁ、いいけど」とちょっと不思議そうな表情を浮かべながら了承してくれました。


 お店の中へと入っていく僕達。カウンターにて店員さんは入店した僕らに対して「いらっしゃいませ」と口にしつつも、どうやら先客の応対業務で手一杯の様子。僕らに付きっきりで接客はできないようですので、自由に店内を見て回れる身軽さがありました。


 カウンターの手前では新機種の携帯が展示されていて、常に更新されていく機能をそれぞれ紹介したポップが飾られています。そんな光景が見慣れないのか「ほー」と小さく呟いて展示された携帯を眺めるイサミさん。不思議そうな表情を浮かべているのが何だか面白くなってきた僕ですが、とりあえず淡く抱いている目的のために質問をしていくことに。


「そういえばイサミさんはどうして携帯を持たないんですか?」


 問いかけられてイサミさんは腕組みをし、首を傾げて「どうしてと言われてもなぁ」と返答に迷っている様子。何となく即答される気がしていたのでちょっと意外でした。


「まぁ、必要性を感じないからってことじゃないのかなぁ……。特に連絡を取りたい友達とかもいないわけだし」

「僕だって友達と連絡を取るために持ってるわけじゃないですけど、例えば両親にどこからでも電話を掛けられるというのは便利ですよ? 傘がないのに雨が降ったら車で迎えに来てもらったりってのも過去にありましたし」

「じゃあ、アタシはそんな用途で連絡することはないし必要ないじゃないか」


 利便性を訴えかけたつもりなのに、何故かイサミさんにとっては必要のないものであることを証明する形となってしまいました。


 ……しかし、こんなことでめげてはいけないでしょう。何としてもイサミさんの興味を誘い――携帯を持ってもらいたいんですから!


「ほ、他にもカメラや動画撮影の機能もあるんですよ。凄くないですか!」

「馬鹿にするな。持ってないとはいえそれくらいは知ってるよ。学校でクラスの女子連中がいっつもパシャパシャやってるからなぁ」

「でも、ゲームが出来るとかは知らないんじゃないですか?」

「……電話でゲームするって、アタシの知らない内に世間はどれだけハチャメチャなことになってるんだよ。何でも詰め込んでるなぁ」


 イサミさんが言うとおり、無線の電話機一つにこれだけ機能がついている時代に生まれたので考えたこともありませんでしたけど、確かに滅茶苦茶ですよね。


 何もかもが詰め込まれていて通帳や印鑑まで入れたカバンみたいに、落とせば人生が終わったかのような感覚になるくらいの重要アイテムとなった携帯。そんなものと恒久的に触れていない人間からすれば、とんでもない代物ですよね。


「ですけど、やっぱり一番の意義っていうのはネット環境が身近になることでしょうね。パソコンとかと違って手軽ですし、場所を選びません。そういう意味では誰かと繋がるアイテムとしての意義は最早、電話の方がおまけみたいなものでしょうね」

「なるほど……要するにプロ野球チップス現象が起きてるのか」

「食玩とかにそういう感覚ありますけど、携帯まで一緒にされるとは」


 イサミさんが「ふむふむ」と納得している様をジト目で見つめつつ指摘する僕。しかし、手応えは感じていました。


 ちょっと興味を示している様子のイサミさん。展示されている一つを手に取り、スマートフォンが指先の指示に従って表示を次々に変えていく反応に「ほほー」と感嘆の声を漏らして夢中になっています。


 まぁネットの存在を考えれば、興味が服を着て歩いているような存在たるイサミさんにとっては惹かれるのも必然と言えるでしょうか。色々と欲求が簡易的に満たせますもんね。ネット検索で家にいながら世界中の風景だって見ることが出来ますし。


「いつでも誰かと言葉を交わせる環境というのはなかなか楽しいものだと思いますよ。僕には浅い仲の友人しかいないので十二分に堪能してないでしょうけど……例えば、イサミさんと家に帰っても会話が出来るのはそれなりに素敵だと感じますけれど」

「なるほど。悪くはないなぁ……」

「そう思ってくれますか! そうでしょう? せっかくそう感じたのですから、これを機に持ってみるのも悪くないと思いますよ。用途に合わせたプランで料金を抑えることだって出来ますから、まずは相談してみませんか!」

「……何だお前、この店からいくらかもらってるのか?」


 ついつい饒舌になってしまった僕を訝しむ視線で見つめ、それに準じたイントネーションで語るイサミさん。気まずくなった僕はぎこちなく目線を逸らしつつ、しかし不信感をこれ以上育てない形で何とかあと一手は打ち込みたいので画策します。


「決してステマとかではなくてですよ――例えば面白いことがあった時、写真に撮って送ればタイムラグもないまま相手にそれを見せることも出来るんですよ。リアルタイムで自分の感情を相手に伝えられますからね。僕も小学校の頃は明日、学校に行ったら友人とこんなことを話そうとか思ったりしましたけど、そんな全てを今は瞬時に行えるのですからね」

「うーん、そんなタイムラグの解消って必要かなぁ?」

「他にも行ってみたいあんな場所やそんな場所を画像で検索すれば、実物に辿り着く手間を省いて鑑賞できるのもネット環境の魅力です。世界との境界線は随分と取っ払われているんですよ。イサミさんにピッタリじゃないですか?」

「ピッタリ……そうかなぁ? そういうタイムラグや手間の解消を売りにされても会ってしまえば結局は話せるんだし、行きたい場所には赴けばいいだけのことだと思う。見たいものだって直接見に行けば済むじゃないか」


 難しい表情を浮かべ、首を左右に傾けて「うーん」と悩んでいるイサミさんの言葉に、僕は何を言っているのか分かりませんでした。文明の発達によって随分と隔たりはなくなっていて、色んなものに端末一つでアクセスできること。それが便利なはずなのに、イサミさんはそういった利便性よりも手間暇の方が大切だと語っているようで……。


 呆気に取られたように言葉を失っている僕に対し、イサミさんは手をポンと古典的に叩いて「うん、はっきりした」と自身の胸中で纏まった言葉を口にし始めます。


「アタシにはこれが必要ないものだってはっきり分かった。唯一の引っかかりはお前と繋がりが持てるって部分だったけど……それも必要ないって確信したよ」

「それは……僕と繋がってはいたくないって意味ですか?」

「そのとおりだよ」

「えぇ!」

「……だけど、冷たくお前を退けるような意味で言ってるんじゃないよ」

「じゃあどういう意味で言ってるんですか?」

「そうだなぁ……まず思ったのは、何だかネットが世界との境界線を取っ払っているっていう感覚が好かないんだよなぁ。そして何よりも、そういう手間暇を省くっていうのは透明な箱にプレゼント入れて渡されるようなもんだと――思わないか?」


 イサミさんはそこまでで言葉を打ち切って、何だか不鮮明な「宿題」を僕の中に残していきました。


 そして興味を失ったように触っていた携帯を展示されていた場所に戻すイサミさん。


 結局――それから接客を終えて手の空いた店員さんが、イサミさんに色々とプランだったり新機種を勧めるも終始、興味のなさそうな表情をしているのでした。


        ○


 イサミさんの語った言葉。その「透明な箱にプレゼント入れて渡されるようなもの」という表現が読み解けないまま、心に抱えた状態で携帯ショップを出ることに。イサミさんの空腹具合を考慮して食事をする場所を早急に探すこととなり、本人の希望もあってファストフード店へ入りました。


 お互いハンバーガーにポテトとドリンクがセットになったものを注文し、受け取ると飲食スペースとなっている二階へ上がって向き合うように座りました。


 窓際の席でしたので、商店街を行き来する人達の姿や街の風景を見下ろせるのはちょっとした特等席感がありますね。


 僕も今日は塾、図書館での勉強と、頭を使っている割には朝食しか口にしていないので流石にお腹が空きました。ハンバーガーを頬張るといつもより一層、美味しくいただけるように感じます。イサミさんも緩んだ表情でハンバーガーを口にしており、相変わらずこの人は食べ物を美味しそうに……そして幸福感に満ちた笑顔で食べるなぁと思う僕。


 こうして一緒に食事をしに行くことは珍しくないのですが、大抵がファストフード店ばかりでした。まだイサミさんと付き合う前は勝手なイメージから、サラダしか食べない食事にがっつかない人だと思い込んでましたけど……僕としてはこうして食べることを楽しめる人で本当によかったと感じています。


「ほら、頬にケチャップついてますよ」


 僕は呆れと愛おしさを兼ねた感情に少しばかりの恥ずかしさを交え、紙ナプキンでイサミさんのケチャップを拭きとってあげることに。


「あぁ! 言われれば自分で拭くってば!」

「別にいいじゃないですか。僕がそうしたかったんですから」


 拗ねたような表情を浮かべて「年上なんだから子供扱いしてくるなよぉ」と言い、しかし無邪気にハンバーガーを食べ進めることはやめないイサミさん。


「二人で食事となったら大抵はハンバーガーや牛丼みたいなファストフードですけど、イサミさんってやっぱりこういう味の濃いものが好きなんですか?」

「寧ろ、味の濃いものが嫌いなやつなんているのか? 気取っておしゃれで薄味なものを食べるよりも、こういうハッキリと口に入れた瞬間から味のするものの方が美味しいに決まってるだろ。やっぱりアタシは食欲に従って食べたいものを口にしたいよ」

「らしい答えですね……。しかし、それじゃあ普段の食事とかはどうしてるんですか? イサミさんらしく食べたいものを食べる、っていうスタンスを貫くなら自分で作ってしまうんでしょうか?」

「まぁ、料理はするかなぁ。結構楽しいし、食べたことないものにも挑戦できるしな」

「うわぁ! 女の子みたいじゃないですか」

「馬鹿にしてるのか?」

「いえ、感動してるんですよ。家庭的でいいなぁって」

「といっても、家に帰ったって夕飯なんて用意されてないからしなきゃならない、っていうのが実情なんだけどな」

「あぁ、そうなんですね。そういう部分も家庭環境が似てたんですか」


 我が家では中学に上がってから働き始めた母の影響で、夕飯を両親と共にする回数が最近は随分と減っています。ですので、作り置くよりは気軽に好きなものをということでお小遣いを持たされていてコンビニの弁当を食べていますけれど、やっぱりできたての手料理には適わないんですよね。


 そういう意味ではイサミさんの手料理、いつか食べてみたいです。何でも出来るこの人が作れば絶対、美味しいに決まってますから!


 それから――僕とイサミさんはそのように他愛もない会話を交わしつつ、ハンバーガーとポテトを食べ終えました。そしてドリンクはまだ少し残りがあるという状況の中、イサミさんは「そうだ」といってカバンの中からゲーム機を取り出します。


「久しぶりに対戦しよう。今日こそはアタシが勝つんだ」

「イサミさん、こういう所でゲームとかするのに抵抗ないんですね……」

「何を言ってる。最近はこのお店、ゲームのデータを配信してたりするくらいだから、寧ろプレイは推奨されてるだろ」

「へぇ……そうなんですね」


 イサミさんの言葉に半信半疑ながら、自分の世間に対する疎さから「そういうものなんだろうなぁ」と納得に片足を踏み入れる僕。


 世間の情報は親から義務付けられている毎朝新聞を読むことくらいでしか得ていないため、そういった遊びにおける文化の発展なんて随分と昔でストップしているのです。それに、知らなければネットでそういう同年代の遊びに関する情報を集めることすらできません。


 思えば誰かと心の底から遊んで、次会うのを楽しみにする感覚は小学生までだったでしょうか。


 今はこうしてまた、取り戻していますけどね。


「随分とゲームも社会に溶け込んだってことなんですかね。僕が小学校の頃には考えられませんでした。……まぁいいですよ。何だかんだいってゲーム機はいつも持ってますから」


 そう言って僕はカバンの中から参考書や筆記用具を押しのけてゲーム機を取り出しました。


 思えば初めてイサミさんからこのゲーム機を渡されて、何度か定期的にプレイしてきましたけど一度も負けたことはないのですよね。イサミさんが一時期格闘ゲームに凝っていた時にはそれなりに強くて、ゲームセンターで乱入すれば勝ち星はかなりのものでした。本人曰く「やりたいように暴れてたら勝ってた」などと言っていましたが、それでもゲームが下手というわけではないような。


 しかしこのゲームはターン制の戦略ゲームですので、格闘ゲームのような反射神経や動体視力とはまた違うスキルを必要としますしね。イサミさんは案外、こういった将棋などに代表される思考ゲームは得意じゃないのかも知れません。頭は滅茶苦茶いいはずなんですけどね。


 そんなわけでペロリと舌を出して自信あり気なイサミさんと対戦する僕。すると一戦、二戦と戦う内にイサミさんが明らかに上達しているのが分かってきます。僕の意表を突くような一手を打ち込んで危うく負けそうになる局面が増えてきました。


 いつぞやは育てたモンスターで僕とのレベル差に物を言わせ、正面からぶつかっていくだけの戦術を繰り返していたイサミさん。じゃんけんだったら、好きだからという理由でグーしか出さないと言っているようなプレイをしていたのですけれど、今はどこか裏をかくようになってきていて。今日までずっとプレイしてきた中で戦術面も磨かれたということですか。


 しかし――結果としては今回も僕が合計で十連勝。口をへの字に曲げて涙目で悔しさを堪えている様子を見るのは毎回のことなんですが、やっぱりちょっと可愛い……。


 まぁそれはさておき、本当に負けず嫌いなんですね。その性格に加えて欲望に忠実なのですからギャンブルにはハマらないで欲しいと願うばかりです。


「ま、まぁ……イサミさん、前回に比べたら随分と強くなってましたよ」

「何だ、勝者の余裕からそんな言葉が出るのか」


 不貞腐れた表情で恨めしそうに見つめ、じっとりと語った言葉に僕は思わず「えぇ……」と呆れにも似た心情を漏らしてしまいます。


「いや、そういうことじゃなくて。本当に強くなったと思いますよ」

「慰めなんていらないよ。アタシが弱かっただけだからなぁー。あーあー、気楽でいいよなぁ。勝ってばかりだと、きっと楽しいだろうなぁー」

「そんな、大人げなくいじけないで下さいよ」


 唇を尖らせて本気でブルーになっているイサミさんに対し、付き合って初めて「あれ、ちょっと面倒かも……」と思ってしまう僕。しかし、そんな様子も何だかんだ可愛いのでついつい構いたくもなります。これが男だったら助走をつけて殴っているかも知れませんけど。


「これだけ追い込まれたんです。このままイサミさんが回数を積んで上手くなれば次は負けるでしょうね。これは本当ですよ?」

「……お前、勉強であんまりゲームには触れてないとか言ってたけど、本当は家でずーっとプレイしてるんじゃないのか? 一度もアタシに勝たせまいと意地悪を!」

「考え過ぎですよ。全くやってませんから!」

「やらなくても勝てるくらいアタシが弱いって言ってんだな」

「間違ってはないですけど……でも、そういうことじゃなくてですよ!」

「これはアタシが勝つまでゲーム機を一旦、預かっといた方がいいな」

「それは勘弁して下さい!」


 イサミさんの唐突な思いつきに対し――僕は少し焦ったように、しかし強い意志を込めた口調で言いました。そんな言葉にイサミさんは瞬間目を見開いて驚愕を露わにするも、訝しむような表情を浮かべて「どうしてだよ?」と問いかけてきます。


 きっとイサミさん的には「やっぱり家で猛特訓するために渡せないんだろう」と思っているのでしょうが……そういうことではありません。


「……イサミさんが僕にくれた唯一のものじゃないですか、これ」

「まぁ、そうなるのかな」

「そして、イサミさんがいなくなったら唯一僕の手元に残るものでもあるわけじゃないですか。それが手元からなくなるのは……ちょっと寂しいです」


 僕の言葉にイサミさんはまだ全てを理解していないながらも、自分が思っていたような陳腐な理由よりもずっと根が深いものであるように感じたのか、表情を真面目なものへと変えました。


 イサミさんとの繋がりに随分とこだわってきた今日までの日々で僕は想像しました。イサミさんがいなくなってしまえば、僕の手元に残るのはこのゲーム機だけ。恋人と別れて、手元に残るのがゲーム機というのは何ともロマンチックさに欠けますが、それこそ飾らない素直で楽しい思い出がいくつもそこには刻まれているのです。


 それがもし。僕の手元からなくなれば――あとは記憶だけ。記憶にしか残らない人を想い続けることだって出来なくはないでしょう。でも、そんな思いは自由過ぎてどこまでも行けてしまうのです。留まることを知らない感情を引き留めておく、形が欲しい。そんな僕の願望の象徴なのでした。


 ゲームのモンスターみたいに育て、ぶつけてきた「心」の象徴だから。

 ――と、そのように考える僕にイサミさんは語ります。


「いや、返さないとは言ってないんだが……」

「でも返ってきませんよ」

「お前、アタシが一生ゲームで勝てない気でいるんだな」


 イサミさんの言葉に図星を突かれた僕はちょっと気まずくなり、押し黙ってしまうことに。そんな僕に対して嘆息し、イサミさんは「馬鹿だなぁ」と優しい表情と柔らかなトーンで言いました。


「何となく分かってきたよ……そうだな。アタシが卒業してこの街を出ることは、こうして一緒にはいられないって事実を確定付けてるんだもんな。そうもなれば、あんな必死に業者の回し者みたいに携帯を勧めてきたりもするわけだ」

「……随分と察しがいいですね」

「アタシもずっと昔のままってわけじゃないのかもな」


 僕の言葉に対して、まるで独り言のように小さく語ったイサミさん。

 どういう意味なのか。

 それを考える間もなく、イサミさんは続けて語ります。


「まぁ、お前の気が楽になるんならそのゲーム機は取り上げないけどさ。でもアタシはあの時、思ったよ。確かに携帯を所有すればお前と繋がっていられる。アタシだって、来年の三月でお前と別れることが頭にないわけじゃない」

「……そうなんですか?」

「当たり前だろう。もうお前はアタシの中で、卒業して一緒にいられなくなることに無関心でいられるような存在では――ないんだから」


 僕の頼りなく弱々しい問いかけに対し、どこか叱咤するような口調で語ったイサミさんの言葉。素直に嬉しくて、でもそのように思っていてくれたことは意外だったものですから驚きのあまり涙腺がじわっと熱くなるのを感じました。


「だから、例えばネットを介してお前と繋がっていられること。そういうのも案外、良いかも知れないって思った。……けど、それでアタシの心がごまかされるのは嫌なんだよ」

「……心が、ごまかされる?」

「遠く離れて旅をしたいと思ってる。色んなものを見て、知らないものを知って、沢山の経験をしてみたい。そしてそんな日々の中で――もしくはそんな時までの日々で、もしも……もしもアタシがお前をちゃんと心の底から好きになって、もう一度会いたいと思ったらきっと帰ってくる。そんな時は文字で言葉を交わして心の寂しさを埋めるようなことはせず、すぐに会いたい。すぐに会いにくるから――アタシにはいらないものだろ?」


 イサミさんはそう語ってテーブルの上で片肘を突きながら優しく――そして心をそっと温めて、包み込んでくれるような愛しさで胸が溢れる笑みを浮かべました。


 あぁ僕はまだこの人のことを理解していなかったのですか。

 まだこの人にはこんなにも、理解に及んでいない領域があるんですか――。


 そうです。この人は自分の気持ちに正直なんです。旅している最中にでも会いたければきっと僕の所へ会いに来てくれる。何よりも優先する欲求になれば、迷わず選び取る。ならば顔も見ず言葉だけでやり取りをすることはイサミさんにとって偽物なんです。


 見たいものを見に行き、知りたいことを確かめに行く。

 それらに伴う手間暇は惜しまないのです。

 本で読んだ内容で立ち止まらず、本物にこだわる人だから。


 補ったり、代わることで自分に嘘をつくのが嫌いな人だから――。

 

 そして三月の卒業を機にお互い、全ての感情がリセットされるわけでもなければ僕だってそこで諦め、何もかもを手放すつもりがあるわけでもないのです。今までがなかったことになるわけではない。


 ですから繋がりが目に見えなくても、心の繋がりは確実に存在していて。そういう目に見えないものを信じられるくらいの強さを持つべきなのでしょう。


 そう、思うも――。


「でも、目に見えないものだけで僕が強くいられるかどうかは分からないですよ。今でも想像すれば怖いんです。イサミさんが僕の隣からいなくなったら……生きる意味の全てが引っこ抜かれるみたいで。いつかまた会えるなんて言葉で希望を見出し続ける強さなんてきっと、僕にはないです」

「そっか。……なら、そのために何があればいい?」

「そうですね……。もっと深く、強い思い出が欲しいですかね」

「じゃあ、来月にでも出かけようか。泊まりで。海でも山でもいい。どこか普段では行けないような場所に旅行でもしようか。心にしっかりと刻みつけられる思い出が生まれるような旅行を、二人で」


 イサミさんの淡々とした言葉が胸に響きます。


 結局、こうして胸の内を曝け出して優しさに甘えている。そうしているとイサミさんにとって僕はどこまで興味の対象でいられるのかと考えてきた日々。あの時からどれだけ、この人は僕に傾いたのだろうと考えてしまいます。ちっとも良い所がない僕なんて、すぐに飽きられてもおかしくないはず。

 

 なのに、こうして今も一緒にいて。

 ……そして、こんなにも優しくしてくれる。


 そんなイサミさんに、いつの間にかなっている。


 もっと強く。

 イサミさんのように僕も強くなりたい。

 ――変わりたい。


「何だか迷惑掛けちゃって……でも、ありがとうございます」

「別にいいよ」

「あと、イサミさん……」

「何だよ?」

「やっぱり僕は……あなたのことが好きです」

「うん。知ってるよ」






4.私は縛られることを好みません。繋がりを私に求めないで下さい。

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